第7話「犬神憑き・終」

道摩は朋也の死体を改めて見た。

顔や体のあちこちに打撲や擦り傷が有る。

父親の明の怒りからみて、恐らく村人に暴行を受けたのであろうと推測した。

だが、については、明が行ったもので間違いないと考えた。

それも朋也の承諾の元にだ。

―なんてことを……実の息子を自らに憑かせるとは。


朋也は犬神憑きの血が半分しか流れていない。

それは明が犬神憑きの家以外から妻を娶ったからである。

明は犬神憑きの真祖だ。

血が半分とは言え、真祖である明に更に犬神を守り神として憑かせる、

その行為の意味するところを考えて、道摩は戦慄した。

―もし伝説の通りだとすれば……俺に止められるのか?


明が出ていくとすぐに銃声が聞こえた。

―銃だと?村の連中は本気で殺す気なのか?

道摩は思っていた以上に事態が切迫していた事で、

瞑想しての第6のチャクラを開く事を断念し、

明を追いながら、順次開ける所までチャクラを開き対応する事にした。


既に道摩が清宮家を出てから、何回かの銃声が聞こえている。

銃声が聞こえる度に、明の気が異質で大きなものに変わっていくのが分かる。

移動しながらチャクラを開くのは難しい。

戦闘力に不安を抱え、道摩は苛立ちながら明の気を頼りに山中を駆けた。


明は自分が村人を殺していく度に、どんどんと自身の力が増していくのを感じていた。

今の明は、死をまき散らす獣だった。

容赦なく村人達の首をへし折り、はらわたを抉り、心臓をぶち抜き、頭を粉砕する。

明は片っ端から村人を殺して回っているが、村人達は自分達が狩られている事に誰も気付いていなかった。


田島善吉は、明を追いながら何度も銃声を聞いた。

朋也を最初に凌辱しようとした明の同級生の男である。

銃声が鳴るその度に、他の誰かに仕留められたのではないかと冷や冷やしていた。

―明は俺の手で殺さねば。他のもんなんかにゃやらせねぇ。


善吉は幼少の頃から実家の権力を盾に、威張り散らす様な嫌な子供であった。

体が大きな事も手伝って、力が強く同世代の村の子供たちの間では、

いわゆる「ガキ大将」でもあった。

そんな善吉に全く屈しない者が一人だけ居た。

明である。

駆け足、水泳、相撲と何をやっても明には敵わない。

しかも、歴然とした差を付けられる。

体は小柄な部類と言っていい明に、誰もが相撲で力負けする。

物心がついてから、一度も善吉は勝ったことがない。

勉強も出来、男では有っても美しいと言える程の端整な顔立ちは、

「犬神筋」と忌避の対象にもかかわらず、村の女たちの視線を集めた。


しかし、明に親しいと呼べる人物は村には居なかった。

―スカしていやがる。

善吉は一方的にそう思った。

―喧嘩なら負けはしないのに。

中学の半ば頃、明を校舎の裏に呼び出して、善吉は喧嘩を吹っ掛けた。

善吉が殴ろうとした瞬間、凄まじい力で片手で喉を掴まれた。

そのまま持ち上げられ、足が数センチ浮いた。

何も出来ずに足をばたつかせる善吉の顔が、みるみる青黒くなっていく。

明は独り言の様に善吉に言った。

「善吉、お前なんか何時いつでも殺せるぞ。何時いつでもな」

その瞳には、有無を言わさない強靭な意志と、人間とは違う恐ろしい感じられた。


善吉は顔を振ってをした。

明が手を離した時、善吉は涙と鼻水で顔中ぐしゃぐしゃになり、

失禁し糞を漏らしていた。

死ぬ寸前だったのだ。

それも運悪く、というより明が自分に負ける姿を見せる為に、

密かに呼んでいた同級生の何人かに、それを見られてしまった。

小さな村の事である。

数日もすれば村中の人間の知る所になった。

皆、報復を恐れて本人の前では言わないが、

陰では「クソ漏らしの善吉」とあだ名され、

本人もそれとなく耳にする事になった。

村はあらゆる面で閉鎖的であり、人の流動性がほとんどない。

従って村の誰もがその事を、「一生知っている」状況になる。


善吉はその出来事の後に好きな女が出来た。

それは京子だった。

だが、善吉は全く相手にされなかった。

ある日、河原で上半身裸で昼寝をしている明を見かけた。

そこに京子が寄っていき、服を脱いで明に抱き着こうとした。

明は抱き着かれる前に立ち上がり、京子など居ないかの様に立ち去った。

善吉はそれを樹の陰から一部始終見ていた。

いくら言い寄っても、善吉の想いが遂げられる事は無かった。

善吉は明を恨んだ。

殺したいと思う程に。


濃い霧の中を進んでいると、数メートル先に人影の様な物が見えた。

もう、明の命は風前の灯火だと善吉は思った。

遂に追い詰めたのだ。

人影が今立っている場所の後ろは、切り立った崖である。

谷底は数百メートルはあり、谷の向こう側も100メートル以上は優にある。

「動くな」

善吉は人影に向かって声を掛けた。

人影は動かなかった。

―簡単には殺さない。まず猟銃で殴り、抵抗出来ない様にしてやろう。

善吉が近づいて、人影の顔を猟銃の銃口で横殴りにした。

猟銃はピタリと止まった。

否、止められたのだ。

善吉は思わず止められた猟銃の先を見た。

そこに金色こんじきに光る二つの眼が有った。


「ひっ」

善吉は小さく悲鳴を上げた。

ダンっ。

驚いて引き金を引いてしまった。

相手の腕の辺りに銃弾が当たったらしく、流石に猟銃から手が離れた。

続けて四方から銃声が聞こえてくる。

慌てて善吉は伏せた。


「撃つな!」

道摩は叫ぶ様にして声を上げた。

明の気を追って来た所に、村人が数人で明らしい人影に銃撃を加えている場面に遭遇したのである。

新たな銃声がして、道摩の近くの樹の一部を吹き飛ばした。


明の心は打ち震えた。

心身ともに解き放たれて、自分の力が際限なく大きくなっていく気がする。

崖を背にした明に対して、扇形に村人たちが3人程展開しているらしいのが分かった。


扇の右端に居る村人が一番近い。

道摩の位置からは一番遠い。

明は善吉を無視して、すぐに一番近いへ四つ足で向かった。

あっという間に村人の元に到達し腹を抉る。

そしてすぐさま扇の中央に居る村人に向かい、心臓をぶち抜いた。


道摩は当たらなかったものの、最初に撃たれた事で村人の救出に出遅れた。

しかも明の速さは尋常ではなかった。

道摩から一番近い3人目の村人を助けに向かうと、明が猛然と突っ込んできた。


明を正面から受け止めようとした道摩は一瞬恐怖した。

明の「気」が強大過ぎたからである。

それは既に人の放つ類のものではなかった。

「気」の大きさは慧春尼を超えていた。

三鈷杵を構えて立つ道摩に、明は左手を横に一閃させた。

道摩の構えていた三鈷杵に当たり、道摩は体ごと吹き飛ばされた。

まるで、ダンプカーに突っ込まれたかの様な衝撃だった。

道摩が吹き飛ばされている間に村人の首がもがれていた。


明は村人の首を投げ捨て、四つ足で善吉の元へとむかう。

明が見ると、善吉は膝立ちで猟銃を構えていた。

距離は、12メートル。

煌々とした月に照らされた明が、ニヤァと口角を上げた。

そこには鋭い牙が生えていた。

既に明の着ていたシャツは、あちこち破れてボロボロになっている。

その破れた隙間から、獣のような濃い毛が覗いている。


善吉はピタリと、四つ足で体の位置が低くなった明の額に狙いを定めた。

明が善吉に向かってダッシュした。

―この距離なら外さんぞ!死ね!明!

善吉は十分に引き付けてから、引き金を引いた。

銃声が山にこだまし、弾は当たった。

明の額のど真ん中に。


だが、明は止まらなかった。

全くスピードを緩めずに、善吉に向かって突っ込んでいく。

道摩がそれに何とか追いすがり、明にタックルをしようと飛びついた。


道摩の手が明に触れるかに思われた寸前、するりとその手を躱して明はジャンプした。

谷に向かって。


善吉は明を仕留めたと思った瞬間に、体がふわっと浮いた気がした。

それは気のせいではなかった。

明が善吉の襟首を捕まえて、谷をジャンプしたのである。

落ちれば下は数百メートルの奈落の底である。

向かい側までは、100メートルを超える。

善吉は、明に縋った。

何故飛べているのかは最早どうでもよかった。


「あ、あ、あ、明、た、助けてくれ。な?俺が、俺が悪かった、お、落とさないよな?幼なじみじゃないか」

―あの時だって、俺を結局は殺さなかった。頼めばきっと……

「覚えているか?善吉。あの時、俺が言った事を」

「ああ、お、覚えている」

「そうか。では分かるな?それが今だ」


善吉は恐る恐る顔を上げて、明の顔を見た。

端整な顔立ちはそのままに、眼だけが爛々と金色に輝いていた。

善吉の脳裏に恐怖が蘇る。

ズボンの股の辺りが濡れていくのが分かる。

あの時の、瞳の奥の気配。

人ではない

明が嗤った。

「死ね」

善吉は体が落ちていくのを感じた。


道摩は、十数メートル先に浮かぶ明を見ていた。

善吉を助けようにもどうすることも出来ない。

幾らもしない内に、善吉が落とされた。

明が道摩の視線に気が付いたのか、道摩を見た。


善吉を谷底に落とした瞬間から、明の体は一気に倍以上に大きくなった。

辛うじて残っていたシャツやズボンが裂けた。

現れた体は胴体が黒く長い毛に覆われ、手足は虎の脚に、尻には尾が生えて、

その尾が蛇になっていた。


ぬえ

伝説の妖怪。

満月の光に照らされた、道摩も初めて目にするその姿は、

おどろおどろしくもあり、美しく、何故か悲しそうでもあった。


いつの間にか風が止み、霧が再び立ち込め始めた。

明、いや、かつて明だったモノは谷の向こうへと高度を上げながら段々と遠ざかり、

深い霧に呑み込まれ見えなくなった。



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沙羅双樹 十六夜 @16-izayoi-16

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