花の下にて春死なん

いなば

花の下にて春死なん

万葉集では、春の花と言えば梅の事であり、桜ではなかった。

平安京紫宸殿に最初に植えられていたのも左近の梅であって、桜ではなかった。

命が再生する春、これを顕す花は古代には梅であったのだ。


なぜであろうか?

咲き誇る桜ほどに、命が萌え繁栄する姿を顕す花はないのに。

この問いの答えは誰でも知っている。

桜は美しく咲き誇り、そして散る。

”生”だけではなく”死”という言葉も語りかけるから。

古代の人にとっては、”死”とは汚らわしい黄泉の国の事であって、忌み言葉でもあったのだ。


やがて時を経て、時代が変わってゆく。

仏教の信仰が広まり、人々の心の中に浄土の光が差し込んできた。

死は永遠普遍の世界に戻る事であり、これから逃げることはできないし、そのような態度は恥ずべきと思う様になり、人々はむしろ極楽往生に憧れるようになった。


こうして、春の花といえば桜を意味するようになった。

花はなにも変わらず咲いていた。変わったのは人の感受性の方なのだ。


”願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月の頃”


西行の桜、これこそが今日の人々の心に抱かれる桜のイメージである。

精一杯に生きて、やがてその先には生の終わり、すなわち死が訪れる。

桜の花は、その生涯の年を数え、そして飾ってくれる。

既に亡くなってしまった人々。

桜の花の向うには、故人の生きていた想念が映しだされる。

桜は、”生と死”を思い起こしてくれる花である。


ところで、この西行という仏僧は、出家前は佐藤義清という武家であった。

ここで、もう一つの桜のイメージが生まれる。


花は桜木、人は武士


西行は公家の時代から武家の時代のちょうど変革期に生きた人であった。

そう、武士の時代が始まるのだ。

己の武力でもって敵を平らげ、自らの力で繁栄を築く、そしていつかは敗れて滅んでゆく。

その激しい生涯を顕すのに桜ほどうってつけの花はない。

桜は武士道の象徴になった。


こうして武士の時代が揉まれるように流れてゆく。

そして、徳川の時代に至った時、また桜に新たな意味が加わる。

本居宣長の桜である。


敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花


いささか屁理屈臭く文学的な情感に欠けるが、後の世に与えた影響は大なるものがある。

古代からの日本の国の心はどのようなものであったのでしょうか?と問われたならば、これからの新しい夜明けの時代の思想である山桜の花、すなわち、大名への忠義などと言う庭に囲い込まれたせせこましい武士道ではない、山の野生に生きているもっと本質的な忠誠といったものですよ、そう答えましょう。

つまり、御家(おいえ)への忠誠から国家への忠誠への変革を呼び掛けているのであり、その礎となる新しい時代精神を桜に例えているのだ。


こうして桜は、封建社会から明治維新をおこして明治国家を建設した時代精神;ナショナリズムの象徴ともなり、日本の近代が始める。


大日本帝国の歴史は、発展の時代であり、煩雑な時代でもあり、暴走の時代に終わる。


敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊

本居宣長の歌から名前を採られた部隊名。これは神風(しんぷう)特別攻撃隊の部隊名である。

太平洋戦争の末期、旧式となった戦闘機に爆弾を括り付け、圧倒的な米国海軍艦隊に必死の体当たり攻撃を仕掛けた部隊で、これに引き続くように大勢の特攻隊が出撃していった。

こうして敗戦を迎えた。

かれらの魂を慰めるために植えられた桜、これが靖国の桜である。


昨今、私たちは長い平和の時代を過ごし、毎年春になると桜の木の下で、天下泰平に酩酊する事にしている。

残念ながら、今年はコロナ騒ぎでそれは叶わなくなった。マスクをして少し俯き、足早に桜の木の下を抜けてゆく。

しかし、そんな事には無頓着に、桜の花は咲き乱れ、春風に乗せてひとひらの花びらを贈ってくれる。


精一杯に生きるがいい、さすればその死も美しい


そう語り掛けてくるのである。













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