フィルター / 暖色・寒色・セピア

青島もうじき

フィルター / 暖色・寒色・セピア



 ***暖色***



 厚手のカーテンの向こうから、私たちに手を差し伸べるように一筋の光が部屋の中に入り込んできた。

 まるで、私たちのこれからを祝福しているみたい。

 ひなちゃんは、そんな光を大切に閉じ込めるように、そっとカーテンを引いた。二枚だったものが、一枚に結ばれる。

 振り返ったひなちゃんの、秘密を共有するような笑み。その目には、きっと私しか映し出されていない。

 私はやっぱり幸せ者だ。今日は蒼羽そうも入れて三人でお泊り会だけど、二人だけで過ごす夜の訪れも、そう遠くないだろう。

 時計を見ると、短針と長針の二本がちょうど真上のところで重なっていた。シンデレラだったら魔法が解けてしまう時間だけど、きっと私たちにかかっている魔法は、まだ効力を発揮したままだ。

「今日はもう、寝ることにしよっか」

 ひなちゃんは、三つ並べられた布団のうち、私が使っているものの隣を選んだ。それを意識した瞬間、布団からひなちゃんの家の匂いが色濃く感じられて、脳がくらくらした。すぐ隣に本人がいるというのに、その痕跡の方に気を取られてしまう。

 すごく無防備に全てを晒してくれているのは、きっと私への信頼と親愛の証だ。これまでじっくりと時間をかけて深めてきた関係が、それを確信させる。

 思えば、さっきの食事の時のひなちゃんの言葉も、そういう意味だったのだろう。


「これからも、ずっと三人一緒なのかな」


 きっとひなちゃんも、そろそろ二人だけになりたいと思ってくれているんだ。

 優しい彼女のことだから、友達としての蒼羽を一人残して二人でくっつくのに申し訳なさを感じているんだ。蒼羽も、早く気付いて私たちを幸せにしてくれたらいいのに。これだけ幸福そうな私たちを見て気付かないなんて、本当に鈍い。

 そう思うと、関係を引き裂かれている私とひなちゃんへの甘い感傷と共に、自分が悲劇のヒロインに見えてくる。

 採光窓から忍び込む月明かりに照らされて輝く天井の白に、ラプンツェルの塔を思い出す。あれは、意地悪な魔法使いに隠れて、愛する二人が夜ごと愛を囁き合う物語。

 あの物語の最後はどんな感じだったかな。確か、途中で失明した王子さまはラプンツェルの涙で視力を取り戻すんだったけど、魔法使いが最後どうなったのかは覚えていない。だけど、報いを受けていないと、お話としてはおかしいとは思う。

 愛し合う二人は結ばれるべきだし、それを妨げる人間は裁かれるべきだ。

 友達という関係が不変のものであるように思っているかもしれないけど、それはどうしようもない"愛"という気持ちを無視して、自分の見たいように世界を見ているだけなんだ。

 証拠だってある。

 食事の後にお菓子を食べながらホラー映画を見ていた時のことだ。あの時の私は隣の体温に胸が高鳴って落ち着かなかったのだが、そんな折、ひなちゃんは蒼羽に気付かれないようにこっそり、私の口の中にキャンディを入れてきた。

 それから、きょとんとした目を向けてきた蒼羽にも、誤魔化すように首を傾げていた。

 きっとキャンディを贈ることの意味を知っていて、私にサインを送っていたのだ。

 そんなことを考えていたら、ひなちゃんが口を開いた。


「大好きだよ」


 その言葉に、想いが爆ぜた。

 そうだ、ラプンツェル。

 あのお話の中で、魔法使いがどうなったのかは語られていないんだった。だったら、この続きは私が紡いでいけばいい。王子様と私の物語を邪魔する、どこまでも鈍感なあの子は、どこかに追放してしまえばいい。

 そうすれば、二人だけの世界が待っている。私たち二人から滲みだす、穏やかな愛に包まれて。幸せにいつまでも暮らしていける。

 愛するあの人の、そのさらに一つ向こうに横たわる魔法使いは、私たちの物語には、もういらないのだから。


 ね、そうでしょ?



   ***寒色***



 窓を覆い隠す暗く厚いカーテンでも、あまりに強い光芒は遮ることができないらしい。

 ちょうど、私の心に渦巻くそれが、溢れそうになっているのと同じように。

 日菜子ひなこは、そんな気持ちを尚も抑え込もうとするように、カーテンの裾を整え、紐で縛り付けた。

 藍下あいもとに向けたその妖艶な色目には、見覚えがあった。かつては私をたぶらかしたその視線を、今度は彼女に向けている。

 未だに囲いこんでいるつもりなのだろうか。本当は私にも藍下にも気持ちを向けていないことなんか、私は既に気付いている。

 パジャマのポケットに入れていたスマホが振動して、日付が変わったのだと知る。壁に掛けられた時計では、重なった二つの針を置き去りにするように、秒針が一人、盤上をぐるぐると回っていた。

「今日はもう、寝ることにしよっか」

 そう言いながら日菜子は、三つ並んだ布団のうち、真ん中のものを選んだ。私の頭から漂うのと同じシャンプーの香りが、隣からも漂ってくる。未だに日菜子に所有物扱いされているような気がして、吐き気がした。

 藍下や私の心を弄んで、自分のものにしたという自覚の上、私たちを悶々とさせてやろうという腹なのだろう。私はもう、それに気付いてしまったけれど。

 思えば、さっきの食事の時の日菜子の言葉も、そういう意味だったのだろう。


「これからも、ずっと三人一緒なのかな」


 きっと日菜子は、私たちを繋ぎとめておくために、計算でそんなことを言ったのだ。

 姦智かんちに長けた彼女のことだから、私の心を一度奪っただけでは飽き足らず、藍下のことも鎖でつなごうとしているんだ。藍下も、早く気付いて逃れたらいいのに。これだけあからさまに依存させようとしてる姿を見て気付かないなんて、本当に鈍い。

 そう思うと、そんなことをされているのに逃げられない私たち二人が、憐れに見えてくる。

 闇の中でも薄ぼんやりと存在が確認できる白い天井は、さながら隔離病棟のようだ。身体が拘束されているわけではないけれど、見えないなにかで縛られている。

 そんな病棟から出るための方法は、ただ一つだけだろう。病気を治して、円満に病棟を去ることだけ。だけどそれは同時に、医者の方に私たちを治す気がなければ、永遠に出られないことも意味している。

 いや、もう一つだけあったか。病院の中で生涯を終えれば、脱出可能だ。

 同じ病室には、もう一人いる。だから、私を助けられるのは、殺してくれるのは、脱出させてくれるのは、この子だけなんだ。だけど藍下は自分が閉じ込められていることに気付いていない。"愛"なんてものに騙されて、自分の見たいように世界を見ているだけなんだ。

 証拠だってある。

 食後に映画を見ていた時のことだ。ホラー映画も佳境に差し掛かったころ、隣でなまめかしく身をよじらせるように日菜子が動くのが見えた。その指を目で追っていくと、たどり着いた先は藍下の唇だった。

 白けた目で日菜子を見ていると、藍下の唇をなぞったのと同じその指を顎に当てて、私にも色っぽく小首を傾げてきた。

 おおよそ、私たち二人に対して、つり橋効果でも狙ってのことだったのだろう。

 そんなことを考えていたところに、日菜子が口を開いた。


「大好きだよ」


 その言葉に、想いが爆ぜた。

 そうだ、隔離病棟。

 そこから出る方法は、さらにもう一つだけあった。医師が私たちの完治を妨げているのならば、その医師はもはや医師ではなく、患部だ。だったら、殺してしまえばいい。私たちを引きとどめ、弄ぶだけのあの子を、どちらかが殺してしまえばいい。

 そうすれば、私はやっと自由になれる。どうしてあんな奴のことをまだ引きずっているのだろう。それでもまだ好きなんだから、仕方がない。

 だから、私たち二人で切除してしまおうよ。偽りの愛という名の餌を与えられて病床に括りつけられている藍下さえ、それに気付いてしまえば、きっと、私も、あなたも、逃げることができるのに。


 ね、そうでしょ?



   ***セピア***



 うっすらと開いてしまっていたカーテンの隙間から、不意に、強い光が漏れてきた。

 うわ、車のヘッドライトかな。今まで気付いていなかったけど、ずっと外から丸見えだったのかな。恥ずかしっ。

 慌てて、半開きになっていた二枚のカーテンをきゅっと寄せ合い、紐で纏めた。

 背中に視線を感じて向き直ると、それは歩衣あいのものだった。カーテンを上手く閉められていなかったのがなんだか決まり悪くて、へらっと笑ってみた。

 一人で過ごす夜もなんだか寂しいしと思って仲のいい二人に声をかけてみたけど、二人とも来てくれるだなんて、今日はすごくラッキーだ。

 ふと、だらだらと流したままになっていた部屋の隅のテレビの画面の雰囲気が変わったのに気付く。あ、そっか。もう日付が変わっちゃったんだ。やっぱり、楽しい時間は早く過ぎていくなぁ。

「今日はもう、寝ることにしよっか」

 普段使っている布団に潜り込むと、偶然にも二人に挟み込まれる形になった。仲良しの二人と一緒にお泊り会をしているのだと実感できて、なんだかわくわくしてしまう。

 これまでずっと、私たちは三人だった。そして、それはこれからも。なんて、センチメンタルな独白に浸ってしまうくらいには、素敵で満たされた時間だ。

 思えば、先ほど食事の時に口を突いて出た言葉も、そういう意味だったのだろう。


「これからも、ずっと三人一緒なのかな」


 きっと私は、この楽しい時間がこれからも続くって確信が欲しかったんだと思う。

 あまり気も回らないし鈍感な私だから、こんなに素敵な二人の友達が――歩衣と蒼羽がいるってことが、未だに心のどこかで信じられないでいるんだろう。上手く言葉では伝えられない気持ちだけど、きっと二人なら、私が二人のことを大切な友達だと思っているのにも気付いてくれるはずだ。

 そう思うと、言葉がなくても気持ちの伝わるこの関係が、この上なくかけがえのないもののように見えてくる。

 電気の消えた中にぼんやりと浮かび上がってくる白い天井は、真っ白のキャンバスだ。これからのどんな未来だって、どんな物語だって、この三人で描いていける。

 これまでに三人で描いてきた絵は、淡いパステルカラーに彩られた穏やかな風景画だったのだと思う。私たちは、三人だけの花園のような世界で過ごしてきたし、これからもそうだったらいいなと思う。

 柄にもなくそんなことを考えてしまったけど、きっと、そんな私を笑いながら、二人も絵筆を握ってくれている。

 さっき、これからも同じような日々が続くのかな、なんて不安に思ってしまったのだって、二人に対する裏切りだったのかもしれない。自分の漠然とした不安が、目に見えている世界を歪めてしまっていたのかも。

 証拠だってある。

 映画を見ていると、隣に座っていた歩衣がなんだかやけに喉を鳴らしていたのだ。喉が渇いているのかなと思って飴を食べさせてあげたら、どうやら正解だったようだ。歩衣は、それを美味しそうにころころ舐めていた。

 直後、暗闇の中で蒼羽と目が合った。蒼羽も、歩衣の喉の渇きが気になっていたのだろう。飴、渡しておいたよ、と首を傾げて見せると、蒼羽は安心したように映画の世界に戻っていった。

 やっぱり、私たちは以心伝心で繋がっている仲なんだ。

 そんなことを考えていたから、ぽろっと言葉が転がり出た。


「大好きだよ」


 その言葉に、想いが爆ぜた。

 そうだ、風景画。

 私たち三人が一緒に過ごしてきたこの時間は、すごく穏やかなものだった。きっとそれは小さな花が絨毯のように咲く春の野のように。だったら、これから先だって、きっと私たちの素敵な関係は続いていくと、私は信じていよう。

 そうすれば、きっと歩衣も蒼羽も、同じように思ってくれている。それが信じられるくらいには、私たちは同じ時を過ごして、同じものを見てきた。

 だから、私の信じる限り、私たち三人は、これからもずっと変わらない関係でいられるんだ。


 ね、そうでしょ?

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