〇〇は私の免罪符

青色魚

〇〇は私の免罪符

「また彼女と別れたんだって?」


 ファミレスの一角、手に持ったグラスをカラカラと揺らしながら私はそう尋ねた。


「うっせ。つーか、お前に関係ないだろ」


「幼馴染の腐れ縁だかんね~。関係あるんだな~これが」


 口を尖らせる君に、私はけらけらと笑ってそう返す。


 そうして私たちが多少騒がしくしても問題ないほど、そのファミレスは閑散としていた。時刻は昼過ぎ、店内には私たち二人を含めてもお客さんは数えるほどしかいなく、先ほど料理を下げていった店員さんもどこか退屈そうな様子だった。


 そんな店内の様子を見渡してから、私はまた口を開いた。


「それで? 次の相手は見つかったの?」


「……まだだよ。つーか、今回振られた理由もまたアレだったしな」


 君のその言葉に、私はクスリと笑って聞いた。


「アレって……、『よく考えてみたらそんなに君のこと好きじゃなかった』ってやつ?」


 私の言葉に、君は頭を掻くことで暗にそれを肯定した。その様子が可笑しくって、私は君をからかって言った。


「なんでだろうね~、確かに翔太しょうたは世間一般的に見ればカッコ良くはないけど」


「おい」


 私の言葉に、君は不機嫌になった。それを慰めるために、私は必死に勇気を振り絞って言った。


「でも、個人的には好きなんだけどなぁ、翔太の顔立ち」


 私のその言葉に、君は一瞬目を丸くする。その様子をぼんやりと見ながら、私の心臓ははち切れそうなほどうるさくて、思わず私は自分の胸を押さえる。


 そんな私の緊張などどこ吹く風といった様子で、君は言った。


「だーかーら、何度も言ってんだろ。お前に好かれたところで嬉しくも何ともないっつーの」


 その言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃を受けながら、私は必死にそれを隠して言った。


「だよね~。知ってるよ、幼馴染だし」


 その声が微かに震えてしまったのを隠すために、私は続けて言った。


「でも、なんでなんだろね~。確かに翔太がこれまで付き合ってきた人たちには、必ず翔太の方から告白してたけど」


 その私の言葉に、君は自分のドリンクを飲み干してから言った。


「なんでも何も、それが原因だろ。要は俺が付き合ってきたやつの中に、俺のことが本当に好きだった奴はいなかったんだよ」


 君がそう言っていじけるのを見て、私はふふっと笑って言った。


「翔太にしては珍しく弱気な言葉だね」


「事実だっつーの。俺らくらいの年の奴が付き合うってなっても、それが必ずしも互いが互いのこと好きってわけでもないじゃん?」


 君のその言葉に、私は少しとぼけたふりをして返す。


「そうかなぁ? やっぱり男女がお付き合いするってなると、お互いがお互いのこと好きなんじゃないの?」


 私の言葉に、君は不機嫌な様子になって反論した。


「とぼけてんじゃねーよ。つーかこういう色恋沙汰はお前の方が詳しいだろ。お前顔はいいんだから」


 君のその言葉に、苦しくなる胸を押さえながら私は答えた。


「生憎と、そういう経験はないかなぁ」


「はっ、どうだかな」


 私の言葉を信じていないかのように、君はそういらいらしながら言った。


「ともかく、何が言いたいかっつーと、これまでの俺のこれまでの恋愛は一方通行だったんだよ。俺が相手を愛してただけで、相手は俺を愛してなかった。だから……」


「……だから『よく考えてみたらそんなに君のこと好きじゃなかった』って理由で振られるんだ、って?」


 君の言葉を横取りして、私はそう尋ねる。私のその問いかけに君が頷くのを見て、私は少し考えこむふりをしてから言った。


「じゃあ、先に翔太のことを好いてくれてる人を好きになればいいんじゃない? 翔太、どうせかわいい子なら誰でもいいんでしょ?」


 私がそう提案すると、君は不機嫌そうに言った。


「人を見境ない男みたいに言うなっつーの。それに、俺の周りに俺のことを好きなかわいい子なんていねーよ」


 君のその言葉に、私が当然のように君の恋愛対象になっていないことを改めて思い知らされて、私は内心ショックを受ける。


 そんな私の感傷など気づく様子もなく、君は空になったグラスを持って立ち上がった。


「……ま、どっかに俺のことを好きなかわいい女子がいれば、本当に俺の悩みは解決されるんだろうけどな」


 その君の言葉に、私はまたショックを受けてから君の方を見る。君は私の方を見向きもしないで、「ドリンクバー行ってくるわ」とだけ呟いてそこから去っていった。


 そうして君が居なくなったのを見て、私は大きなため息を吐いた。


「……翔太の眼中にも入っていないってことは知ってた。それでも傷つくなぁ」


 誰の耳にも届かないように小さな声で、私はそう呟いた。


「それでも、翔太の最新の恋愛事情を知れるのは、この関係性の特権か」


 私がそうして翔太と恋愛の話を気軽にできるのは、私と翔太がそれだけ親しい間柄であるからこそだった。もし私と翔太が幼馴染じゃなかったら、今の地位を築くには相応の時間が必要だっただろう。そのことを考えると、私は自分の生まれのことをそう軽率に恨むことは出来なかった。


「でも、そうだよね、翔太に対してあんなに踏み込んだ質問が出来るのは、幼馴染って関係があるのと、それと……」


 そこまで呟いてから、ふと私の視界に妙なものが留まる。私の視界の端の方で、先ほど飲み物を取りに行った翔太が同年代の女の子に囲まれていたのだった。


「…………」


 その様子を見て、私が色んな感情に襲われるのをよそに、君はそれから程なくして席に帰ってきた。君の顔が微かに紅潮しているのを見て、私はニヤニヤと笑って口を開いた。


「ひゅーひゅー、モテモテじゃん。さっきの子、知り合い?」


 私のその質問に、君は苦い顔で答えた。


「……いや、さっき会ったばっかだ。遠くから見てて、顔が好みだったんだとさ」


 君のその言葉に、私は一瞬目を丸くしてから言った。


「なんだ、よかったじゃん翔太。次の相手見つかったね」


「……いや、お前ももう気付いてるだろ、ゆう


 私がそう言うと、翔太は不機嫌な顔で私の名前を呼んだ。その声に私が少しドキリとする一方で、君はつまらなそうに言った。


「さっきの女子の狙いはお前だよ。同じ席に座ってた俺に、『あの人誰ですか?』って聞いてきたんだ」


 君のその言葉に、私は思わず苦い顔になる。そんな私の機微には気付かず、君は悪意のない口調で、私にとって最悪のその言葉を言った。


「あーあ、いいよなお前はイケメンで。羨ましいよ」


 君のその言葉に、私は必死に笑顔を取り繕って答える。


「……それでも、想いを寄せる人に好かれなくちゃ意味ないけどね」


「けっ、それでも俺は羨ましいよ、お前のことが」


 そう言いながら、君は上半身をこちらにやって私の頭をゲンコツで挟んで軽く痛めつけた。君のその意地悪に、私は「痛い、痛いって」と笑って返す。


 こんな普通の、男友達としての戯れが出来るのも、私の身体の生物学的性が男だからなのだろう。


 性同一性障害、私がそういった人間であることを知ったのは六歳のころ、既に翔太と会って三年の時が落ち、とっくのとうに彼に恋に落ちていた時のことだった。


 見た目は男、心は女で幼馴染の男のことが好き、だなんて翔太を含めて誰にも理解されるとは思っていない。性同一性障害であることを隠すために、私はなるべく一人称を使わないように努めたし、やむを得ず使わなければいけないときには頑張って『俺』と言った。


 そうした努力は全て、翔太にとって『同性の幼馴染』で居続けるためだった。いくら幼馴染だったとしても、恋愛対象となりえる異性に対してはそうそう恋愛の相談などしてはくれないだろう。それでも、私が見た目通りの性を、男を演じている間は君とは何の垣根もない状態で接することが出来る。


 そう、この関係性は私の免罪符。男を演じることで私が手に入れた、『どこまで踏み込んでも許される』恋愛上の特権。


「……それでも、その代わりに支払ったものも大きかったけど」


 私が男を、見た目通りの性を演じるということはつまり、翔太への告白のチャンスを持たないということだった。何をしても許される安全地帯に足を踏み入れる代わりに、私はそこから翔太との関係が進展する可能性を捨て去ったのだった。


 私のその小さな呟きに、君は訝し気に言った。


「……優、どうした? なんか言ったか?」


 そうして鈍感に、私の本心になど気付きもしない君は私に尋ねる。その疑問に、私は必死に笑顔を取り繕って答えた。


「何でもないよ。そろそろ行こうか、翔太」


 そうして私は荷物をまとめ、そのファミレスを出る準備をする。それにつられてカバンを漁る君を見て、私は心の中で呟いた。


 ──翔太、君が普通に女の子のことが好きなことは知ってるよ。それでも……。


 それでも、私はこの免罪符を捨てることが出来なかった。永遠に『男友達』で終わる運命だとしても、私はその関係性に溺れるしかなかった。


 ふと窓の外を見ると、桜の花が風に晒されて盛大に散っていた。それを見て、もうじき春も終わることを私は感じたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〇〇は私の免罪符 青色魚 @bluefish_hhs

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ