心にぐむと来るお話を読むと語彙力が消滅します。
脳で理解してるからじゃなくて、心でそのお話を感じ取ってるからなんですよね。
それは舞台を見た時も同じ。
感情移入をするから理論的に物語を見れなくなる。
僕は別に専門的な教育を受けているわけでは無いので偉そうな事を言える人間ではありません。
ただ白い紙の上で文字を遊ばせて人々を喜ばせたいそんな一心で書くばかり。
だけど――いや、だからこそ僕は演じる事が好き。
そしてそれが出来ない「彼女」の気持ちを思って涙を零すのですね……。
――僕らの気持ちは彼女が代弁してくれている。――
僕の語彙力はまだ戻らない。
おかげで文が滅茶苦茶です。
何かに本気で打ち込む、というそれはただそれだけで何かを得られるものなのだろう。「失敗から学べることもある」なんて言葉もあるけれど、それなら失敗すらできなかった人たちはその苦しみをどこに振り下ろせばいい? 何か判り易い的があれば良かっただろう。それならば心は守られただろう。しかし、それすら無ければ虚しかろう。ただ絶望することしかできなくて、仮に怒りを抱いたとしてもその矛先は真っ暗闇。当人の前では凡百言葉が空虚に過ぎず、何を紡いで語りかけても、所詮は他人事に対する言葉でしかないのだろう。それがどうしようもなく悲しい。
果たして、本気の努力をしたことのない僕に、言葉を紡ぐことが赦されるのだろうか。