第52話 毒蛙
かび臭い湿った空気が満ちた地下水路は、思っていたよりも広いトンネルのような造りだった。
外もすっかり暗くなっているだろうが、地下はそれ以上の暗闇が広がっている。
先頭を行くシュウさんが持つカンテラが行く先を照らし、私の手を引くミロスラフさんが足元を照らし、しんがりでイリーナさんが周囲を警戒しながら続いて所々崩れそうになる煉瓦の狭い道を歩く。
もちろん。ヤタは再び私のポーチの中で大人しくしている。
水路横に作られた道は、本来は修繕のために轢かれたものであり、使い勝手のためを考えられていない。ときおり途絶えた足場は、水路をまたいで超えねばならない箇所がある。そんな箇所は、シュウさんが私を抱えて水路を歩いて渡ってくれた。
もちろん、私はそれを断って自力で越えるつもりでいたのだけれど、そこはシュウさんのみならず、イリーナさんからも勧められて従うしかなかった。この中で一番体力がないのは私だ。そして魔法も使えない。水路の中はヘドロでぬかるんでいるし、何が流れているかも知れない。万が一怪我でもしたら、足手まといにしかならない。そう説明されれば、返す言葉はなかった。
ときおり聞こえるネズミかなにかの気配と、水が流れる音しかしない中、ミロスラフさんだけがいつもの調子だった。
「水路に入るのは久しぶりだねえ、ここは変わらない」
何の用があって縫製店の店員が水路に来るのだろうかと首をひねると。
「リズの両親が生まれるよりも前の頃だよ、僕はベリエスとは違って、こういう人によって汚れた水の淀みから生まれたからね。この町に来たときは、水路に住んでたんだよ」
「……ミロスラフさんが?」
彼はいつも洒落た服を着ていて、幼い顔立ちは綺麗で、とても薄汚れた水路とは正反対な印象だった。
「僕の正体、言ってなかったっけ?」
「蛙?」
「そう、でも正しくは毒蛙ね」
にんまりと笑う彼の瞳が、カンテラの光を反射してテラテラと輝く。
そうしてつないだ手を、彼が少しだけ持ち上げてじっと見る。どうしたのだろう、と再び首をかしげて彼を見ると、にんまりが苦笑いに変わる。
「ああ、ラルフェルト様がきみに惹かれる理由が分かる気がするよ」
彼の言わんとするところが分からず、シュウさんの背中と、後ろに続くイリーナさんを見比べるものの、二人はミロスラフさんと違って口数が多くない。私たちの話に参加するつもりはないようだった。
「毒蛙と聞いてぎょっとされないのは初めてだよ」
「ああ、そんなこと……私、田舎の山育ちだから大丈夫よ」
「うん、そうだね。でもそういうんじゃなくって」
ミロスラフさんがおかしそうに笑う。じゃあどういうことで笑っているのよと問い詰めようと、つないでいた手を引っ張ると、足元が滑る。
「危ないよ、気をつけて。そこは穴があるから」
ミロスラフさんがとっさに支えてくれて難を逃れたが、真っ黒に底が見えない穴を見つけてぞっとする。彼の言う通り、水路と通路の隙間に、ところどころ深い縦穴があるのだ。
首都グラナートは、言い伝えにもある通り鉱脈のある土地だ。美しい宝石が採れるようになり栄え、首都となった。今では宝石を採る鉱脈は絶えたが、かつての坑道が地下に残っている。この廃坑道に落ちてしまえば、帰る術はないのだという。
気を引き締めつつ暗い地下水路を一時間も歩いた頃だろうか。次第に水路の幅、水量ともに増えてきたあたりで、シュウさんが足を止めた。
「この辺りはもう騎士団の敷地内だ。もう少し行った先で上に出よう」
案内役のシュウさんはそう言うと、いくつも分岐がある道を躊躇なく選び進んでいく。
彼はどうして地下水路に詳しいのだろうか。そんな疑問がわくものの、今ここで聞く雰囲気ではない気がして、私はただ導かれるままに歩く。
そうして導かれたのは下流なせいか広くなった水路の脇にある梯子のそばだった。そこにシュウさんが足をかけ、天上の蓋を押し開ける。外はすっかり暗くて何も見えないけれど、外に出てから彼は私に手を差し伸べた。
「リズ、先に出て。イリーナはリズを支えてやってくれないか、僕は最後になる」
ミロスラフさんの言うとおりに私は朽ちかけた梯子に足をかけ、自身の身体を持ち上げる。階段とは違い、梯子は不安定だった。イリーナさんにバランスを崩さないよう支えられつつ、なんとか外に這い出た。
出た先は広い場所で、暗いなかでも見覚えのある塀と建物が見えた。どうやら目論見通り、騎士団の敷地内に出たようだった。
続いてイリーナさんが上ってきて、最後がミロスラフさんだ。無事に全員が出たところで、シュウさんが蓋を戻そうとすると、静かな闇夜にごうごうと音が響いた。びっくりして周囲をうかがうけれど、よく耳をすませば音のする先は先ほど出てきた水路の穴。
気づけば音は次第に大きくなり、シュウさんが閉めようとした穴から、水しぶきが拭き上げていた。
轟音は、大量の水が地下水路を流れる音だったのだ。
なぜ突然、大水が押し寄せてきたのだろう。脱出が遅れていたら、ただでは済まなかった。 恐怖に青くなっていると、ミロスラフさんがいつものようにのんきに笑っている。
「大丈夫だよ、リズ。これが僕がついて来た一番の理由だから」
「どういう、こと?」
「本来なら、地下水路は歩いて移動できないんだよ。今は雨期だからね」
そう言われて、ここのところよく続く雨空のことを思い出していた。屋敷の中での生活で実感はなかったが、グラナートは雨期に入っていたはずだ。
「僕が水路の水を操ったんだよ。迷路のように伸びる水路の一部を他に回して道を確保して、降りてからは堰きとめていたんだ。ただし量が量だからね、迷っている暇はないからシユウに案内を頼んだんだよ」
「……そんなことできるのね」
それで出発するタイミングを見計らっていたのかと、納得する。それにしても、いまだ音をたてて流れる水量はすさまじく、ミロスラフさんの魔法の威力に驚いてしまう。普段は幼い顔立ちで柔らかい口調でアバタールであることすら悟らせない風なのに。
「さあ、ゾルゲ団長が待っています、急ぎましょう」
驚いているところを、イリーナさんに促され頷く。
心配事がたたみかけるように起こり、何一つ詳しいことが分からない。この状況を打破するためには、急がないと。
そうして私たちは広い演習場を抜け、明かりの灯る宿舎へ向かうことに。
だが、足を止めていたシュウさんを、ミロスラフさんが振り返る。
そうだ、案内役をしてくれたシュウさんは、どうやって戻るのだろうか。いえ、私たちに係わっていたとバレていなければ、彼は堂々と町を歩いていける。
「さて、君はどうする、シユウ? 一緒に来るかい?」
ミロスラフさんが目を細めて、そんな風に尋ねる。
彼を巻き込まない方がいいのではないだろうかと思うのに、シュウさんは返事を迷っているかのように口ごもり、そして私を見る。
そんなシュウさんに、ミロスラフさんは再び声をかけた。
「僕も聞かされてないからこれは推測でしかないんだけど、たぶん君が長年追い求めていたものの欠片が、リズの中にあると思うよ」
私? どういうこと?
思わせぶりのミロスラフさんとシュウさんを見比べていると、シュウさんが小さく息をついて、一歩踏み出した。
どうやらシュウさんは、ミロスラフさんの言葉を受けて、一緒に騎士団本部に同行することにしたようだ。
私としては彼が合流することに異論はないけれど、どうも彼が同意したことに私が係わっている。その理由を聞いてもいいのかと迷っていると。
「リズ、理由は後で分かるよ。とにかく今は急ごう」
「分かったわ。行きましょう」
ミロスラフさんに促され、私は待っていてくれたイリーナさんの後を追った。
その後ろをシュウさんが続き、最後をミロスラフさんが微笑みながらついてくる。
そういえば、どうしてミロスラフさんはシュウさんを、シユウと呼ぶのだろうか。
魔法騎士団は、王都グラナートの衛兵とは別組織として独立する、少数精鋭の部隊だ。
広い訓練場を有する騎士団本部は、その規模としてはかなり優遇されており、宿舎だけではなく様々な付随組織のための施設も併設されている。その付随する組織の一つが、イリーナさんの母エリザベートさんが所属する魔法研究所だ。
イリーナさんに導かれ連れていかれた先、騎士団団長の執務室に私たちが到着すると、ゾルゲ団長のみならず、エリザベートさんもそこに待ち構えていた。
「無事にたどり着いてくれて安心したよリーゼロッテ、ご苦労だったなミロスラフ、イリーナ、そしてシユウ、久しぶりだな」
団長さんのその言葉に、シュウさんは小さく頷くだけだ。
今はそれどころではないのだろう、挨拶をそこそこに今の状況を私に説明してくれた。
「魔法騎士団は今や教会から敵視されており、このままでは自由に動くことが不可能となるだろう。その前にリーゼロッテはラルフと合流して、早々にリントヴルムに向けてグラナートを発ってもらいたい」
「リントヴルムに? でもラルフは無事なのでしょうか。それから議院会館へ向かった先代様たちも……」
「そちらは大丈夫だ、教会の包囲を既にラルフェルトは突破してここに向かっていると報告が入った。侯爵家の兵が囮になって小競り合いを起こして、その隙に議会場の中に人を入れている」
私がここに移動している間にも、事態は確実に動いているのだろう。とりあえずラルフが無事で、人質となった貴族議会場にいる人々に救出の手が入っていることに安堵する。
「でも、私とラルフだけでリントヴルムに向かうんですか?」
「いや、協力者がいる」
「協力者、ですか?」
いったい誰だろうか。危険な旅になるかもしれないから、マルガレーテの人たちに頼めるわけがないし。
そんなことを思っていたら、執務室の扉をノックする音がして、団長がそれに対応する。
「ちょうど君の話をしようとしていたところだった」
そう言いながら招き入れた人物を見て、私は驚いてしまった。
「クリスチーナさん!」
「無事にたどり着いたようね、リズ。私でさえここに来るまでにいつもの倍以上の時間を要したの」
執務室に到着したのは、紡績会社コンファーロの令嬢、クリスチーナさんだった。
いつか会った時と同じように、華やかなレースの付いたベストと動きやすいパンツスタイルで、それでも一つに括られた髪は丁寧に巻かれて肩に垂れている。
「コンファーロ社の輸送旅団に紛れて、グラナートを脱出してもらうつもりだ」
「……でも、クリスチーナさんやコンファーロさんが侯爵家と懇意にしているのは、レオナルさんだって知ってるわ。私たちが一緒に行ったら、コンファーロ社に迷惑が」
「リズ、それでも必要だと思えることなら、リスクは承知の上よ」
クリスチーナさんは、真っ直ぐ私の目を見てそう言い切った。
「どちらにせよ、この混乱の中でも商品を待っている人がいるなら、輸送を止めることはできない。それに庶民を味方につけたい教会にとって、コンファーロを敵に回すのは避けたいはず」
「お嬢さんの言う通りだよ、コンファーロは各地の商業組合にしっかりと入り込んでいるからね。教会で食料や武器を自給できるわけじゃないし、コンファーロと騎士団を両方相手にする余裕はないだろう、今ならまだ使える手なんじゃないかな」
ミロスラフさんがクリスチーナさんの言葉を継いで、そう補足説明をしてくれた。
「彼の言う通りよ、まだ商業組合や地方の市場などの囲い込みは手つかずらしいわ。もし騎士団が制圧され本当の意味で『力』を得たら話は別でしょうけど、まだ庶民に反発を買いたくないでしょうし……まあ、ここまで教会が馬鹿なまねをするとは、思いませんでしたけどね。ほんと、最低ですわ」
クリスチーナさんの言葉を信用するなら、今のうちだったら脱出が可能ということだろう。けれども、こうして追い立てられるようにリントヴルムに行って、上手くいくのだろうか。
そんな不安が顔に出ていたのだろうか、ゾルゲ団長が私の肩に手を置く。
「すまない、君たちばかりに大きな負担を担わせてしまって」
私は首を横に振る。
けれども、団長さんはその厳しい顔立ちを緩めて、眉を下げる。
「レオナルを止められなかった。その責任はすべて私にある。すまない」
ゾルゲ団長がそのことについて謝ってくるとは思っていなかったせいで、私は言葉が出せず、さらに大きく首を横に振ることしかできなかった。
困惑する私の横に、ただ黙って聞いていただけだったシュウさんがやってきた。
「それを言ったら、レギオンをあんな風にさせてしまった一因が、俺にもある。罪を背負うべきはアロイスだけじゃない」
彼までが、悔恨の言葉を口にしたのだった。
リントヴルムの魔法紡ぎ 宝泉 壱果 @iohara
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