第51話 宣戦布告

 足がもつれそうになりながらも、私は振り返らずに走った。

 クヌートさんが目的地と教えておいてくれた店は、私も名前だけは知っている。行ったことはまだないけれど、マルガレーテではよく名前が出る店だ。魔道具店『メナス』が作る道具は、魔法使いたちが利用する杖やリングなどの、魔法を補助する道具だけでなく、護符を作るための素材を扱っている。

 初めて訪れる路地を走り抜けながら、ミロスラフさんの言葉を思い出す。

 ──メナスの店主はさ、腕はいいんだけど変わり者なんだ。この繊細で美しいものを作り出すのと同じ者が、まさかあの店構えでやってるとは誰も思わないんじゃないのかな。

 続けて説明してくれたのが、メナス店主のこだわり。

 ──彼の古く寂れた店はころころと場所を変えるが、目印は黒くはためく旗。それは彼が唯一、すべての属性の魔道具を作りえる職人であることを示す色。

 黒い目印を軒先に探しながら、私は走る。

 この世界で、黒に染める染料はとても貴重だ。簡単には得られぬ色。だからこの世界の人たちは、漆黒を闇夜でしか知らない。

 息を切らしながら路地を走る私に、すれ違う人たちが怪訝な目を向けている。そんなことは今はおかまいなしに、路地に連なる軒先に目をこらしながら、黒を探す。走る先にも見当たらない黒を求めて、現れた辻を曲がった。


「あった!」


 ひときわ細い路地の先に、揺れる黒い旗。

 ほっと気を抜いた瞬間だった。背後から一瞬の閃光と空気を震わせるかのような轟音が響いた。そしてバリバリと静電気のような音に振り向けば、密集した家屋の隙間から土煙が空まで上がっている。そこはまさに、クヌートさんと別れた辺りだ。


「なんで……どうして、あんな爆発みたいなのが」


 すさまじい音に周囲の家から、人々が顔を出して様子をうかがっている。中には様子を見に行こうと向かう人たちが現れている。

 心配になったのもあって、その人の流れに身を任せそうになった。だがそんな私の肩を、大きな手が掴んだ。


「行っては駄目だ」


 驚いて振り向くと、私を止めたのは見知らぬ老年の男性だった。

 路地にふさわしい簡素な服に腰巻き式のエプロンをつけた、どこかの工房の職人といった風情だった。白く染まった髪の間から、黒い髪が幾房か見える。肌は焼けているものの、どこか黄色味を帯びている。深く刻まれた眉間の皺は険しく見せるが、奥に覗く黒い瞳が優しく感じるのは、その色のせいだろうか。

 言葉を失っている私に、その男性は再び言った。


「行っては駄目だ、こっちへ」


 くすぶる土煙とともに、どこか焦げたような匂いが風にのってくる。

 焦りはあるけれど、私はようやく冷静になった。


「メナスに向かえと言われました」

「ああ、俺が店主だ」


 その言葉と同時に、私は彼と供に黒い旗がなびく軒先に向かって走り出す。そうして私だけは無事に、『メナス』へたどり着く事ができたのだった。




 初老の店主が私を路地の小さな家に押し込むと、彼は目印だった黒い旗を外してしまう。

 それがなかったらクヌートさんが合流できないのでは……そんな心配が顔に出ていたのだろう、メナス店主は小さく首を横に振る。


「彼は侯爵家がなんとかする。きみは奥へ」


 反論しようみも、私に戦う力はないし出来ることはない。悔しいけれども、彼の言う通りクヌートさんが守ってくれた我が身の安全を図ることでしか役に立てないのだ。

 言われた通りに暗がりの中、奥へ進む。どうやら工房なのは間違いないらしく、小さな作業台や鋳造炉、それから壁には様々な道具が掛けられている。その間を通って更に扉があり、店主がそこを開けると、地下へ続く階段が現れた。

 店主がランプを手にして火を入れようとしたところを、私は制止する。


「大丈夫、見えますから」


 階段の下にも部屋があるのだろう。そこから漏れる灯りが、薄らと階段を照らしている。 ゆっくりと階段を降りると、地下の部屋から声が聞こえてきた。引き寄せられるように中へ進むと、そこに居たのはイリーナさんとミロスラフさんだった。


「リズ! 無事でよかった」


 大きな目を細めて、ミロスラフさんが私に駆け寄ってきて、その手で私の頭を撫でる。

 彼のそのような仕草は、幼く見える顔立ちとは反対に、年長者らしい包容力を感じて安心させてくれる。けれども今はそれよりも。


「ミロスラフさんも今は外出が危険って聞きました、よくここまで来れましたね。それにイリーナさんも」

「ああ、彼女がついていてくれたからね」


 ミロスラフさんが振り返ると、黙って控えていたイリーナさんが私に布に包まれたものを差し出した。


「無事に持ち出せた、受け取って」


 そう言われて受け取り、包みを外すとそこにあったのは緑の背表紙をした古いノートだった。


「ありがとう、ございます!」


 私はノートを抱きしめ、イリーナさんに頭を下げる。

 同時に肩から提げた鞄の端から、ヤタが顔を出していた。


『リズ、もう出てもいいか?』


 その問いにどう答えていいのかと振り返ると、店主が部屋の扉を閉めて頷いた。


「まずは、状況を知った方がいいだろう。ここまで緊張の連続だったろうし、少し身体を休めた方が良い」


 店主はそう言い、私たちに椅子を用意してくれた。

 ランプを置いた小さなテーブルを囲み落ち着くと、私はヤタを鞄から出して肩に乗せる。そうしている間に、店主が用意してくれた温かいミルクに口をつけると、強ばっていた身体がほぐれていく。


「私の名はシュウ。魔道具屋『メナス』の店主をしている。マルガレーテのヒルデ、そしてディートとは古い友人だった」

「……ディートって、ヒルデさんの?」

「おや、聞いていたのかい?」


 ミロスラフさんが驚いたように聞き返してきた。


「ヒルデさんからではなく、ラルフから少しだけ」

「そうか」


 ミロスラフさんは少しだけ、悲しそうな笑顔に見えるのは、きっと彼もよく知る人物だったからだろう。


「あの、シュウさん。私はリーゼロッテ・エフェウスです。助けていただきありがとうございました」


 私がそう感謝の意を伝えると、シュウさんは厳しい表情を緩めて、その黒い瞳を私に向けた。


「いいや、助けるというほどの事はしていない」


 そんな謙遜で返されてしまったけれど、彼が引き留めてくれなかったら、私はまだこの店までたどり着いていなかったろう。


「ところで、凄い音がしてたけど。状況を聞かせてくれる?」


 イリーナさんの問いに、私は慌てて見たままを伝える。

 用意させてあった馬車を民衆が取り囲んでいたので、クヌートさんと二人、徒歩でここまで来たこと。二つ向こうの路地でレオナルさんに見つかり、クヌートさんが足止めをしてくれている隙に私だけメナスを目指して来たこと。それから何が起こっているかは分からないけれど、雷が落ちたような轟音と土煙が上がったこと。

 それらを聞いて、イリーナさんの表情が険しくなる。


「風のレオナルは、最強と言われている。上手く逃げ切れるといいのだけれど……」

「レオナルさんが最強?」


 いつも穏やかな表情で、ラルフの後始末をさせられていた彼が? もちろん、強くないわけがないだろうけれど、最強という言葉が強面ではない彼にはあまり似合わない気がする。

 そんな疑問を、ミロスラフさんが解消してくれる。


「対象物への攻撃という意味だけなら、ラルフェルト様の炎は絶大だろうけど、対生物となったら彼の魔法はまさに最強なんだよ。風使いということは、空気の動きを止めてしまえるってことだからね」

「空気……止めるって」


 見えないけれども常に周りを満たすもの。それを止めるってことは密閉できるのと同じで……酸素も。

 そこまで考えて、ひゅっと息が止まる。


「彼は微細に魔力をよく操る。限定した域内の空気を自在にできるほどに。人もアバタールも、空気がなければ生きていけない。その気になれば彼は人を一瞬で気を失わせるくらいのことは、朝飯前だろう。だからこそ、ラルフェルト様の相棒として置かれていたんだよ」

「……それは、炎を消すため?」

「おや、魔法の属性にも疎かったきみが、よく分かったね。普通は風で炎を煽って補助するためと思うんだけどね」


 ミロスラフさんの驚きの意味を理解するのに、しばらくかかった。

 そして火が燃える仕組みを科学として当たり前に知ることが、ここでは異端であったことを思い出してハッとする。

 するとミロスラフさんが目を細め、長い舌をぺろんと出してから引っ込め、ふふふと笑った。


「まあ、苛めたいわけじゃないんだ、気にしないで」

「充分、苛めてるだろうが」


 楽しそうなミロスラフさんを、シュウさんがたしなめている。


「要するに、レオナルは少ない魔力を最大限に引き出して利用できる。とてもやっかいな相手を敵にしたということだ」


 神妙な面持ちで言うシュウさんに、レオナルさんと同じく騎士団に籍を置くイリーナさんも頷いて同意する。

 じゃあこの後、どうしたらいいのだろう。そんな不安がこみ上げてくる私の背を、ミロスラフさんが大きな手で撫でてくれる。


「リズは、あいつらに掴まってはいけないよ。このままリズは侯爵家には戻らず、ラルフェルト様と合流するために騎士団宿舎へ向かおう」

「騎士団……? でも、ずっとそこに匿われていても、問題は解決しないと」

「ああ、そうだね。だから機を見てリントヴルムに向かうことになると思うよ」


 リントヴルムに……

 大きな山の裾野にある、故郷の村を思い出す。


『それはいい考えだ、リズは早く主様のもとへ』


 ヤタは大喜びで言うけれど、私は疑問がもたげる。


「いずれはと覚悟はしていましたけれど、急にそう判断した理由があるんですか?」

「ああ、リズはまだ知らなかったね」


 ミロスラフさんは少しだけ言いよどみ、イリーナさんとシュウさんに目配せしてから、私にこう告げた。


「教会が議会と魔法騎士団に、宣戦布告をしたんだ」


 宣戦布告……?!


「形式上は、魔素対策への不満から、それらに対応する権限委譲を求めるものらしい。魔素の暴発は予知されていたにもかかわらず、放置し暴発させた罪、さらには充満した魔素を制御するための方法がないわけではないのに、手をこまねいて民衆の命を危険に晒したこと。それらに対して、教会は民衆の意思を代弁し、議会に訴え魔法使いに対する管理と規制を要望したんだ」

「魔法使いに規制? どうやって……」

「その方法は分からない。けれども奴らは例の違法な強化入れ墨を持つ魔法使いを議会に向かわせ、貴族議院会議場を包囲したらしい」

「え……」


 そんな……議会には、ラルフと先代様がいたはず。それに、まだ会ったことはないけれど、祖父も。


「同時に、市中の教会でも議会と騎士団に代わり、すべての魔法を管理すると伝えているようだよ。それで町は混乱しはじめている」

「……そんな」

「すべての民衆が教会につくとは限らないけれど、賛同者は少なくないだろう」

「それは、本当ですか?」


 騎士団は常に市民の安全を守ってきたはずなのに、どうして。

 悔しい思いは同じなのだろう、イリーナさんは唇を噛みしめている。


「どうしてそんな強行手段を執るのかな、だって混乱するだけよ……」

「目的が、混乱だからだよ。きみもそう思うだろう、イリーナ?」


 ミロスラフさんがため息交じりでイリーナさんに同意を求める。


「ああ、そうとしか思えない。民衆を傷つけられない我々が、被害を拡大させずにリーゼロッテを守るのは容易ではない」

「……それは……」


 私が目的、なのだろうか。

 そのために、たくさんの人が危険に晒されるなんて。

 自分の立ち位置の恐ろしさに、身がすくむ。そして震えを抑えるために、手にしたノートを握りしめる。


「きみのせいじゃない。あれこれ考えるのは、後でもできる」

「……シュウさん」


 職人らしい固くて大きな手を私の肩にかけながら、そう言ってくれた。


「ここから、地下の水路を伝って移動できる。なるべく早いうちに、安全な場所に移動しよう。案内は私がする」

「水路が、あるんですか? もしかして、ハーディが伝って来たような?」

「ああ、だからミロスラフも一緒に来てもらったんだ」


 イリーナさんがマルガレーテに着いた時には、既に町の様子がおかしかったようだ。今後のことを相談しているうちに、クヌートさんからの伝言が届いた。そしてそれを聞いたヒルデさんが、今回の決断をしたのだという。


「さあ、少し休んだら出発するからね。リズは少し待ってて」


 ミロスラフさんは、案内役のシュウさんと紙に地図を描き、イリーナさんも警護の点について相談を始めた。

 私は少し冷めてしまったミルクを飲み干し、ヤタの頭を撫でながらノートを開く。

 紙は貴重で、幼い頃から大事に使ってきたノートだ。人に見られるのは恥ずかしい下手くそな絵や、そのとき思ったことを書き連ねてある。

 最初の頁はそれこそ、父と母を描いてあったり、自分の名前の練習をしきりにしている。そうした頁を三つほどめくると、あの夢で見たキリンが出てきた。


「ふふ、編み目模様までちゃんと描いてる」

『リズ、これはなんだ?』

動物よ。キリンっていうの」

『リズは絵が下手だ。首が長いぞ』

「そうね、小さい頃に描いたから、下手くそだったわ」


 私はヤタの言葉を否定せず、笑ってみせた。すると視線を感じて顔を上げると、シュウさんと目があった。

 けれども気のせいだったようで、すぐに彼はミロスラフさんたちの方へと顔を背けてしまう。

 そうしてまた頁をめくると、文字の練習の間に、またつたない絵が現れる。

 母さんと話したあの夢は、現実だった。

 高いビル、大きな橋と、赤い三角の鉄塔。どうしてここに描いたのか、戯れは子供の特権だからか。

 それらの絵の空に浮かぶのは、大きな翼と尻尾を持ち、威厳と強さを兼ね備えたこれこそ伝説上の生き物。


 私は小さく息を吐き、そっとノートを閉じた。

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