第32話 終幕

 主犯のちょう媺苑びえんは、皇室への叛逆はんぎゃく罪により国外追放となった。追放後も、人里から遠く離れた小屋で生涯蟄居ちっきょすることとなっている。

 また、法を司る刑部ぎょうぶが余罪の有無を取り調べたところ、その親族の官吏が不正を行っていたことも発覚し、該当者が捕縛された。

 結果として、趙一族の大半は家財の一切を没収の上、同じ沙汰が言い渡された。


 春鈴は、媺苑に加担したことから後宮を追放され、生家に返された。

 ただ、本来は実行犯として下されるはずだった処分は無い。表向きには見習期間終了とされた。もし処分が下っていたら、もうこの世にはいなかっただろう、とは鳳泉の言である。


 以上のことが、後宮で目を覚ました後、夏蓮が知らされた結末だった。

 それが全貌の一割も無いことは言うまでもない。知ったのさえ、すべてが終わった後だった。

 だからだろうか。あれだけのことがあったというのに、あっという間で、あっけない。

 不満を隠しもせず元凶の人物を睨むと、彼はゆっくりと首を振って意向を示した。


「わたしは当事者なのに」

「だが、知る必要はない。お前に非があってのことではないのだから」


 皇子はそういうが、本当にそうだろうか。

 趙家の名は国の誰もが知っている。建国当初から続く、誉れ高き十公の家だ。それがどうして破滅の道を歩むことになったのか。きっと民草も察するだろう。


 けれど、まだ全ての謎が解かれたわけではない。

 夏蓮は言い逃れを許さない目で皇子を見上げた。


「どうして、わたしが狙われたのですか」


 皇后の座を望む媺苑が、何故、第三皇子の正妃の座を狙ったのか。

 自身には知らされていない背景を夏蓮が問う。

 皇子は、慎重に慎重を重ねて口を開いた。


「血統の問題だ。私たちは全員皇后の子とされているが、実際は違う。……皇后の血を引く子は、私だけだ」


 予想していた通りの答えに、夏蓮は一つ頷いた。


 後宮は女の園。その主人たる皇帝が、妻女以外の仕える者に手を出すことは歴史を紐解いても見受けられることである。

 事実、一度でも皇帝の寵を得た女官は側妃として召し上げられるのが通例である。

 しかし、第一、第二皇子の母は側妃として召し上げられず、皇后の子とされた。

 それが意味することは、二人の母が側妃にはなれない身分だった・・・・・・・・・・・・・ということ。


 ーー桂澄、鵬英は、下女の子である。


 けれど二人が皇后の子とされた理由は、二人が、二人の母が、真実皇帝に愛されていたからに他ならない。気まぐれの結果、と認知もされない可能性すらあったのだから。


 自分以外の女人が産んだ子らを、己が子として育てよと告げられた皇后の心中は如何ばかりだっただろう。

 けれど、皇后は皇帝の意向通り、我が子と分け隔てなく育てた。三人の兄弟仲こそがその証拠だ。


「お二人の、お母様は……」

「私が生まれる少し前にお隠れになったそうだ。……もともと、あまり丈夫な方ではなかったらしい」


 悼むように、皇子が目を伏せる。

 夏蓮も、倣うように冥福を祈った。


「……わたしは、皇后陛下のような模範にはなれませんよ」


 少し震えた声は、夏蓮自身呆れるほど情けなかった。

 それでも、皇子は笑わない。むしろ、当然だと一刀両断してみせた。


「そんなこと、望むつもりはない。ただ一人しかいらない、だから私は夏蓮おまえを正妃に望んだのだ」


 真っ直ぐに、ただ夏蓮だけを見つめて皇子が告げる。

 ひくり、夏蓮の喉が震えた。喉だけではない。寒くもないのに、全身、声まで震えてしまう。


「でも、殿下は……後宮に上がっても、会いに来てはくださらなかったでしょう……」

「それは、すまないと思っている。老害どもを黙らせるのに手間取ってしまった」


 言い訳にしかならないが、と自嘲する皇子に、ぎゅうっと胸の奥が熱くなる。目も熱くなり、全身の震えも強くなった。


「っ書庫で、顔を合わせた時も……」

「それは、わたしのとがではないぞ。まさかこうも美しく育つとは、誰も思わないだろう」


 知った時の私の気持ちがわかるか、と八つ当たりのように言う皇子に、夏蓮はただ呆然と彼を見上げた。

 涼やかな目元が、今は心なしか薄っすらと色づいている。それでも、目が逸らされることはない。

 凄みさえ感じる強い視線に、夏蓮が思わず体を退く。

 途端、咎めるように目を細められた。大きな手が夏蓮の腕を掴み、引き寄せる。

 腕の中に囚われて、夏蓮は相手を見上げた。

 潤んだ視界の中、皇子が熱の籠った目で夏蓮を見つめ返してくる。


「……初めて会った時のことを覚えているか?」


 耳元で囁く吐息に、夏蓮の肩が大きく跳ねた。

 擽るように、唇が夏蓮の耳をなぞる。


 熱い。耳も、顔も、全身が、燃えるように熱い。

 震える夏蓮を抱き締めて、皇子はゆっくりと続きを話し出した。


「昔も今も、お前はいつもまっすぐに私を見る。その目で、媚も何もなく、まっすぐに。私自身を」


 それがどれほど嬉しいか、心を熱くさせるか。


 大きな手が夏蓮の頰を包み、優しく顔を上げさせる。

 何かを堪えるような切なげな眼差しに、夏蓮はどうしようもなく狼狽うろたえた。

 皇子は、夏蓮の頬が淡く色づいていることを認めて、口元を僅かに和らげる。

 糖蜜を煮詰めたような甘やかな微笑に、夏蓮はますます動悸が激しくなった。


 体を離そうにも、皇子はそれを許してくれない。震えの止まらない夏蓮を強く抱きしめて、夏蓮を見つめて放さない。

 思わず涙が滲んだ。胸中に沸き起こる熱は抑えようもなく、際限もない。


「……わたし、潔さなんて持ってませんよ」

「知ってる」

「美貌なんて大層なものも、貴方の為になるような何かも、持ってないです」

「無自覚か? 私はお前以上に好ましい女人は知らぬし、興味もない。第一、そんなものよりもっと大切な、私が求めてやまないものをお前は持っているだろう」


 か細く震える夏蓮の手が、皇子の胸元を握る。温かく大きな手が、そっと優しく包み込んだ。


「わたし……っ、ここにいても、いいんですか……?」

「当たり前だ。お前だけに、私はいてほしい」


 それ以上に何が必要なのだと断言される。

 涙腺はついに決壊した。

 動揺して立ち上がる皇子に、どうかそのままでと請う。それを受け入れてくれたのを確認して、夏蓮は引きる喉を必死に震わせた。


 ーーもう一度。


 今度は諦めなどではない。

 濡れる目元をたもとで拭い、皇子に向き直る。

 揺らぎも曇りもない眼差し。困惑、動揺、欲求、安心、幸福、歓喜ーー皇子は、言い表しがたい表情をしていた。


 今こそ、応えよう。

 もう、逃げたりしない。


 夏蓮は覚悟を決めた。


「この度、お部屋を賜わります……円、夏蓮でございます」


 あの日、言えなかった言葉。ようやく言えたのに、声はみっともなく震えてしまっている。

 だが、これこそが本来あるべき姿だ。

 化粧が流れ落ちても。淀みなく言葉を紡げなくても。

 二人きりのこの場、もう偽りはいらない。


「不束者ではございますが……っ」


 言い終わるより前に、握られた手を強く引かれた。かしろぐ体が受け止められ、確かな温もりが包み込む。

 胸元を濡らしてしまっても、皇子は何も言わなかった。むしろ押さえるようにいだかれる。


 夏蓮はもう迷わなかった。


 夫の背に腕を回す。

 見上げると、彼もまた彼女を見下ろしていた。ゆっくりと彼が近づいてくる。

 合わさった唇は契りだった。


「誓いを立てよう。私が愛するのは、夏蓮、お前だけだ。お前だけが、私の妻だ」


 それは、彼の意思の硬さを示すように明瞭な声だった。思いの丈を伝える甘さも熱も、全てを内包した響き。

 応えるべく、夏蓮もありったけの心を込めた。


「不束者ですが、どうか末永くーー……」


 交わし合った誓いは祝福の証。

 恥じらうようにはにかんで、夏蓮がまた目を閉じた。

 目蓋の向こうから影が落ちる。微かな吐息が唇に触れた。間を置かず、唇が重なる。

 夏蓮は応えるようにその身を添わせた。

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旦那様から逃げるだけの簡単なお仕事です! 藤野 @touya

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