親子関係崩壊の可視化

最近、父や母からの叱責などを思い出してむかついた時は、父のお酒のカートンを蹴っていました。

そして、蹴り続けることで少しずつ壊れていく箱に対して、

「何かが壊れてきてることの象徴みたいだなあ」

と、ぼんやり思っていました。

その、壊れてきてる「何か」とは、やっぱり両親との親子関係だと思います。


その八つ当たりが、昨日はかなりエスカレートしました。

朝に両親からシャツをもらったのですが、その際のやり取りでちょっと言葉が足りなくて父に誤解を与えて、「のぼすんな(ふざけるな、調子に乗るな、みたいな意味です)」と言われました。

言葉が足りなかった自分も、悪かったとは思っています。

とはいえ、その「のぼすんな」という言葉は、昔からわがままを言ったり自分勝手な行動をしたり(というかよく言えば、父の意に反しても自分の意思を通したり)した際に、父に言われてきた叱責の言葉です。それくらいのレベルで叱責されたように感じたこと、そもそも父の人間性自体に普段からむかむかしていることから、その「のぼすんな」の一言でも、自分ははらわた煮えくりかえるくらいにむかむかしました。

だから、父も母も庭に出ている間に、自分はまた父のお酒のカートンを蹴りました。それこそ、多分全ての箱の継ぎ目がはがれて、中の缶が何個か転がり出しても蹴り続けました。母が台所に戻ってきても、蹴った事情を説明している間にもまた思い出しむかつきして、母の目の前で堂々と缶を床に叩きつけたり、さらにカートンを蹴ったりしたくらいに、気持ちが荒れていました。


八つ当たりを選んだ自分も、悪いとは思っています。

とはいえその事件を受けて、母からも父からも、そこまですさんだ気持ちを気遣う言葉はもらえませんでした。母からも叱責を上塗りされたし、おそらくその話を母から聞いたであろう父からも、通りすがりにぼそりと「恐ろしさ(恐ろしいな)」と言われただけです。

特に母からは、「可愛がって育てられたとに(のに)……」と言われたのですが、自分からすると、彼らから経済的・肉体的に生かされてはきたものの、一方では自分の個性をゆがめるための攻撃をずっと受け続けてきたので、「可愛がられた」実感は、特に10代以降は持てませんでした(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/16816700426238432385)。

だから、両親とはどうしても埋められない認識の溝があるという確信が、母の一言で強まりました。


元々自分と両親との関係では、「独立した人間同士の対等な信頼関係」という基礎の部分が弱かったのだと思います。

その実は脆弱な関係が去年から壊れだしていて、最近はそれが可視化されてきただけだ、と思っています。ちなみに言うと、昨日は壊れたカートンを母が後からテープで直していて、そのことが、母がまだこの親子関係を修復できると思っている(あるいは壊れだしていることに気付いていない)ことの象徴であるように感じました。


自分も、こういう話を書いていて全く悲しくならないと言えば嘘になります。

それでももう、自分の人間としての成長を阻む牢獄への「安住」を終わらせるという決意は、とっくに固めています。

だから、すでに壊れてきた親子関係の断ち切れる部分を、平和的な形ではありますが断ち切るつもりです。

その決意の結果を、読者様にも見届けていただければ幸いです。

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