貧困をリアルに想像できない

最近のフィクションでは、貧困や格差社会について問題提起する作品が目立っています。

自分自身、今年は「ジョーカー」や「天気の子」を見て、現代的な格差社会で発生しうる困窮や孤独を見てきました。時間が取れたら、「パラサイト 半地下の家族」も見たいです。


一方で自分は、自分が書いた物語の中で、衣食住にも困るレベルの貧困を描いたことがほとんどありません。

それは自分自身に、そのレベルの貧困にあえいだ経験がないため、それをリアルに想像できないからだと思います。


自分は今稼ぎがなくて貯金がやばくなってきてますし、自分を扶養してくれている両親も、そんなに裕福ではありません。だから両親も、自分(大沢)に見えないところでは必死にやりくりしているのかもしれません。

しかし、自分が実感している範囲での、うちの衣食住を振り返ると、

・衣……両親はしょっちゅう余計な服を買っているし、大沢も余計な服ばかりもらって、むしろ処分に困るほど

・食……ほぼ毎晩お腹いっぱい食べられるし、両親は余計なお菓子を常備している

・住……3人で住むには大きすぎる持ち家に、ローンなしで住んでいる

という風に、割と余裕があります。


そこから思うことは、2つです。

1つ目が、

・両親に衣食住満たしてもらったものの、社会を「泳ぐ」能力は抑圧されてきた(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/1177354054935930827)ため、感謝とかあまりしたくない。それでも、自分が経済的に自立するまでもらえるものはもらっておく。

2つ目が、

・物語を書くには、自分が経験したことのないことでもリアルに描けないといけない。よって、今後貧困を描くとしたら、リアリティを出すためにしっかり調べたり想像したりすべし。

ということです。


この話から、もう少し一般的な教訓をひねり出すとするなら、

・自分の立場への客観的な視点と、違う立場の人への想像力を大切にすること

という、人間としてもクリエイターとしても不可欠なことが出てくると思います。

これからの時代、もっと大切になってくることだと思うので、心に留めていただければ幸いです。

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