ジョーカーを野放しにできない

「ジョーカー」(善良な人が、貧困や周囲からの疎外などの環境要因によって悪に堕ちていく姿を描いた、2019年の映画)を見た(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/1177354054897744299)ことの影響もあり、自分は最近、「いい人」として生きようとすることを諦めました。

知らないかたに説明させていただくと、自分は高圧的で話の通じにくい両親に育てられたため、「いらいらするけどどうしようもない!」というストレスをよく感じます。

だから最近、むかついたときの小さなガス抜きを自分に許容しています。具体的には、例えば母に小言を言われた後でむかむかしてる時、ティッシュを無駄に出して使わずに捨てたり、蛇口から無駄に水を垂れ流したりしています。

それである程度すっきりすることもあるのですが、両親の多くない稼ぎを無駄にしてしまうことに少しは罪悪感も覚えます。

それがエスカレートしていったら、やっぱり危険だな……と思う事件が、今日ありました。


うちの庭の出入り口には門扉があるのですが、防犯や猫避けなどの役には全く立たず、出入りの邪魔になるだけなので撤去したいと常々思っています。

そのことを以前母に伝えたら、「風除けに必要」とかいう合理的に思えない理由で却下されました。

だから、門扉が邪魔であること自体のストレスに加え、「母には話が通じない」という思いによるストレスも感じています。

よって今日外出する際、「ストレス解消に蹴ろう」と思って強めに門扉を蹴ったら、観音開きである門扉のかみ合わせがずれて開かなくなりました。

幸い、普段固定されてる門扉の片割れのロックを外したらまた開いたのですが、そうするまでは「このまま開かないままになったらどうしよう」「このことで両親に怒られたらどうしよう」という恐怖を感じていました。

また、無事門扉を開けて外出した後も、

「今はむかついてもモノに当たるだけで済んでるけど、これがエスカレートしていけば人を傷つけるようになるのでは?」

という懸念を頭の片隅に抱えつつ、目的地まで歩きました。


自分も、自分自身の中にジョーカー(悪)を飼ってるし、それが大爆発しないように適度にガス抜きしてやってもいい、とは思っています。

しかし、そいつを野放しにしすぎたら、やっぱり自分も取り返しのつかないことをするかもしれない。今日改めて、そう感じました。

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