あとがきに代えて、女のイデア

「正しい秩序」という観念は、ギリシャ人の思索の最初から、連接、一致、結合として示されていたという点である(「ハルモゾ」、「アラリスコ」という語は、もともと大工仕事で言う「結ぶ」、「つなぐ」を意味していた)。また、宇宙の完璧な「宝石」は、ギリシャ人にとって、縫合であると同時に切断であり、連接であると同時に緊張であり、さらには統一であると同時に差異でもある観念を暗示していた。ヘラクレイトスが、この断片集で、「ハルモニア」とは単に、われわれになじみ深い「調和」という意味ではなくて、存在における「正しい」場の原則それ自体の名前であると述べたとき、そこに暗示されていたのは、このように「もっとも美しい」が「目には見えない」連接のことだったのである。³⁹


  ――ジョルジョ・アガンベン「スタンツェ 西洋文化における言葉とイメージ」



 アレゴリーとしての百合において、リリスは、「無気味なもの」「悪魔的なもの」と読み解けることがわかりました。であるのなら、それのみならず、その解決も見いだせるかと思います。ここに百合の目標の一つを号したいと思います。


 悪魔的なものとなって、回帰してくるものは、身近にあって見過ごされていたもの。それは女が時折見せるリリスとしての一面です。男性の幻想によって作り上げられたイブとしての女は、存在しえません。リリスとしての女を、私たちは見つめる目を持たなくてはなりません。私たちが、リリスとしての女を見つめることができたとき、それは女のイデアを見つけることです。イデアとは、これも見過ごされがちですが、目にできる本質のことではなく、見え方そのものを見ることだとアガンベンは述べています。


「イデア(idea)」という単語は、動詞の語根「id」から直接形成されている――のであって、名詞の語根「eid」から形成されているのではない。この単語は、見るという意味を最大限に表現している。だがイデアは、あらゆるイメージを超えたところにあるまた別のイメージであるのではない。イデアとは言葉を見るということ、それぞれのイメージをイメージとして構成する当のものを見るということである。⁴⁰


 ここから私が、川崎さんの百合論に寄せた感想「そして私はこの秀逸な論考を読んでいるうちに、常識的女性を外れた百合的女性に女のイデアを見たくなったのでした」における女のイデアとは、こういう風に言うことができます。


 見え方を変えること、悪魔的だとされた身近にいる女への見え方を変えること。つまりそれは女を悪魔的と見るその見え方そのものを見るということ。それこそイデアを見ることに繋がるのではないかということです。目を向けるのは、アダムでもイブでもなく、アダムとイブが作り上げている社会構造でもありません。ハーモニーとは、調和のとれた形ある社会のことではありません。その社会構造を連接させているものそのもののことです。


 調和に目を向けることです。アダム/イブ。見方を変え、その二項対立を構成する当の「/」に目を向けること。つまりリリスに目を向けること。それがそのままイデアを見ることに繋がるはずです。ここに私たちは、女のイデアを見せることができる百合に、今日日性の調和の力を見つけることができるのです。


 この感情を書き置くことに、言葉は時に不向きかもしれませんが、伝わるものがあるというのなら、警句を弄しましょう。すべてはまだ始まりにすぎません。狭間に潜んでいたリリスを見つけたことにより、私たちは男性的主権権力のアダムと衝突することもあるかもしれません。それこそ担わなければならないものです。


「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」は、荒野が幕切れです。イザヤ書第三十四章十四節では、荒野にリリスが降り立ちます。現代にはリリスが降り立っています。私たちはリリスに眼を向け、耳を傾け、口を利き、混迷な時代を変えていかなくてはなりません。百合はその始まりです。その萌芽です。たとえ私たちに贈るものも返せるものもなにもなくとも、その風景の調和になれるのなら誇らしい。



 その荒野に満開のリリーが咲くことを想い想って。







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 註

  ̄


 1. ジョルジョ・アガンベン, 訳, 岡田温司「スタンツェ 西洋文化における言葉とイメージ」(筑摩書房, 2008), 277.

 2. ジョルジョ・アガンベン, 訳, 高桑和巳, 「ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生」(以文社, 2003),103-104.

 3. Ibid., 119.

 4. Ibid., 29.

 5. Ibid., 120.

 6. Susanne Claxton, Heidegger’s Gods: An Ecofeminist Perspective (Rowman & Littlefield International Ltd, 2017),110.

 7. Jože Krašovec, The Transformation Of Biblical Proper Names (T&T Clark Bloomsbury Publishing Plc, 2019), 8.

 8. Ibid.,10. 強調筆者。

 9. S.Claxton, op.cit,

 10. Ibid., 112.

 11. Loc. cit.

 12. Ibid., 113-114.

 13. Ibid., 114.

 14. Ibid., 115.

 15. Ibid., 116.

 16. Loc. cit.

 17. Ibid., 117.

 18. Loc. cit.

 19. Ibid., 118.

 20. Loc. cit.

 21. Ibid., 120.

 22. ジョルジョ・アガンベン, op.cit., 121-122.

 23.  S.Claxton, Loc. cit.

 24.  川崎めて仟, 「崇高なる力の百合論 ラカン・レーニン・ヴァイニンガー」(2019,11),「オットー・ヴァイニンガーと男の情けなさ」,『4章 ヴァイニンガーと闘争領域の拡大』

 25. Ibid., 「世界の夜――女=<大他者の>享楽に至る者」, 『4章 ヴァイニンガーと闘争領域の拡大』

 26. Ibid., 「百合結婚!?とんでもない!!」, 『3章 ジェンダー・セクシュアリティ・フェミニズム』

 27. Ibid., 「百合結婚!?とんでもない!!」, 『3章 ジェンダー・セクシュアリティ・フェミニズム』

 28. Ibid., 「序論 理念の持つ物質的な力」

 29. Ibid., 「序論 理念の持つ物質的な力」

 30.  ジョルジョ・アガンベン, 訳, 岡田温司「スタンツェ 西洋文化における言葉とイメージ」(筑摩書房, 2008), 271.

 31. Ibid., 269.

 32. Ibid., 280.

 33. Ibid., 281. 

 34. Loc. cit.

 35. Ibid., 285.

 36. Ibid., 286-287.

 37. Ibid., 287.

 38. S.Claxton, op.cit., 119.

 39. ジョルジョ・アガンベン, op.cit., 310.

 40. ジョルジョ・アガンベン, 編訳, 高桑和巳「ニンファ その他のイメージ論」(慶應義塾大学出版会, 2015), 129.



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 参考文献

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 Jože Krašovec, The Transformation Of Biblical Proper Names / 2019: T&T Clark Bloomsbury Publishing Plc.


 Susanne Claxton, Heidegger’s Gods: An Ecofeminist Perspective / 2017: Rowman & Littlefield International Ltd.


 川崎めて仟, 崇高なる力の百合論 ラカン・レーニン・ヴァイニンガー / 2019,11: https://kakuyomu.jp/works/1177354054891892518. (2020, 04/03: 最終閲覧日)


 ジョルジョ・アガンベン, 訳, 高桑和巳, ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生 / 2003: 以文社.


 ジョルジョ・アガンベン, 訳, 岡田温司, スタンツェ 西洋文化における言葉とイメージ / 2008 : 筑摩書房.


 ジョルジョ・アガンベン, 編訳, 高桑和巳, ニンファ その他のイメージ論 / 2015: 慶應義塾大学出版会.


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ホモ・サケルから読む百合 「百合とリリス - Lily and Lilith - 」 葎織 蓮丞 @ritzori_rensuke

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