3

俺と悠二の間を、湿った風が通り抜けていく。

重い沈黙。


俺は少しの間黙ったあと、ふと笑って見せた。


「なんだ。気づいてたのかよ」


そう。

俺は二日前、交通事故で死に、とうにこの世から消えている人間だった。


俺の言葉を聞くと、悠二は困ったように顔を下に向けた。


「当たり前だろ。明日はお前の通夜があるんだぜ」


「そりゃそうだ!」


はは、と白々しく返す。

悠二はそれにつられるようにおどけて言った。


「で? どうしたんだよ、今日は。この世に未練でもあったか?」


「そりゃあもう! 童貞のまま死ぬなんてごめんだった! 女の子つかまえて卒業してから逝こうと思ったんだけどよ、まぁ普通の女の子に俺が見えるはずもないしな~」


そこまで一気に言って、悠二の優しい視線が痛くなり、俺は言葉を止めた。

悠二の目が、生前から苦手だった。

なんでも見透かされているようで。


「……まぁ、なんていうの。俺もよく分からねぇんだけどさ」


ぽつり、と話し始めると、悠二は「おう」と軽く頷く。

それがありがたかった。


「急にこんな姿になってて。でも、何となく分かるんだよ。たぶんこれは『やり残したことをやりつくす』ための時間なんだろうなって。そう直感で思ったんだ」


俺は自分の奥からこみあげてくる感情を誤魔化すように、空を仰いだ。

青空と夕焼けが混ざり、紫色の境界線を作っている。

そうだ。この墓地は、俺の家の墓がある場所だ。――


「いろんなところに行ったんだぜ。学校に行って、先生に会って、元カノのところに行って、もちろん母さんと父さんにも会ってきた。誰一人、俺のこと見えてなかったけどな」


「………」


「んで、最後にお前に、ちゃんと言いに来たんだよ。『さよなら』って」


俺が言葉を切ると、悠二は息を吐くのと同時に肩の力を抜いた。


「そうか」


次の瞬間。

俺は、悠二の腕の中にいた。

突然のことで、驚きを隠せなかった。


「……なんで、お前だったんだろうな。隼人」


耳元でくぐもった悠二の声がする。

俺を抱きしめる悠二の腕に力がこもった。


「俺たち、ただ生きてただけなのにな。なにも悪いことなんてしてないのに。理不尽だなぁ」


「……ゆう、じ」


「未練なんて、数えきれねぇよな」


俺はついに、こみあげてくる感情を抑え切れなかった。

目から滴が溢れ出し、悠二の肩を濡らした。


「………いいんだ、もう。悠二」


俺が悠二の肩をもち、体から離すと、悠二も泣いていた。

中学からの付き合いだったが、こいつが泣いたところなんて初めて見たな。


「俺、俺なぁ、悠二」


「なんだ」


「俺………誰も俺のこと見えてないって気づいたとき、すげぇ怖かったんだ」


学校と家の途中の交差点で。

まだ片付かない、俺をはねたトラックの残骸の中で目が覚めたとき。

血塗れで脳味噌が潰された自分の体を見たとき。

いくら声をかけても誰も気にしてくれなくて。


「でも……よかった、最後にお前と話ができた」


必死に笑った。

泣きながらも、最期くらいは笑っていたくて。

ほんとうの最期のときはできなかったけど、今回くらいは、笑って終わりたくて。


「なぁ、悠二」


「ん?」


「これからも、俺の最高の友達でいてくれるか?」


俺が問うと、悠二は俺に笑い返した。


「当たり前だろ、ばか」


その時。

俺の体は、唐突に透き通り始めた。

よく見ると指先や爪先など、末端からだんだん光の紐のようにスルスルと消えていっている。


「……時間、なのか」


そう聞く悠二の顔は不安そうだった。


どうやら俺の体は、もうこの世にはいられないらしい。


「ああ、お別れだ」


俺はふわりと笑った。


未練は消えない。

もっと生きていたかったに決まっている。

でも、それでもいいやと思った。


「今までありがとう、悠二」


ありがとうと言える。

さよならと言える。

これでいいんだ。


「借りてた五百円、返せなくてごめんな」


「いいよ、今世は許してやる」


絶対に拗ねると思っていた俺は、少し驚いてしまう。

その直後、悠二はもう上半身だけになって光お帯び始めた俺の胸に、左拳を当てた。


「来世でまた会おうぜ、隼人。それまでに五百円用意しとけよ?」


俺は、つい吹き出すように笑った。


「ああ!」


体が空に溶けていくような感覚。

これも悪くない。

光に包まれながら、目を閉じてーー。


「約束だーー」




俺は、黄昏時の空に消えた。









隼人が消えたあと、悠二は手に持っていたエーデルワイスの花を空に投げ上げた。


隼人からも、その花が見えるように。


高く。


高く。



「さよならーー隼人」




白い花弁が、紫色の空に散った。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天国への贈り物 夕凪 @suisen-sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ