第3話 推し作家と前日譚②
橘と穏やかに昼休みを過ごしたその日の放課後。
「おぉ……」
「わぁ……」
俺が借りていたボロアパートは燃えた。
それはもうごうごうと燃え盛っていた。
「よく見とけ橘……いつ燃える家を描くか分からねえだろ……」
「い、いくら作家でも友達の家相手にそんな気にはなれません……」
「そっか……優しいな、橘は……」
「柊くん……」
橘が俺に同情と困惑の視線を向ける中でも、俺が高校入学時から一年と少し住んでいた愛すべき我が家は燃え続け。
やがて家具一つ残らない形で大惨事は幕を閉じた。
大家さんの寝煙草によって起きたその火事は、避難が手早く済んだ事もあり奇跡的に犠牲者こそ出なかったものの俺から瞬く間に住処を奪っていった。
「川はいいな橘……心が洗われるようだ……」
「柊くん……」
近所の河川敷に座りながら黄昏る俺に、律儀にも橘はついてきてくれた。
「しかし、これからどうするかな……。ま、実家に帰るしかねぇか」
「実家、ですか?」
「あぁ。都会に出たくて家を出たんだが、情けない話金欠でな……。あのアパートならバイト代でどうにか暮らせてたんだが、あんな安い物件そうそうないだろうし……これは、大人しく田舎へ帰れって神様からのお告げなのかもな」
「じゃ、じゃあ、学校はやめちゃうんですか……?」
「まぁ、そうなるだろうな……残念だ。せっかく橘と仲良くなれたってのに」
「…………っ!!」
「とりあえず家に連絡するか。悪いな橘。家でもてなしてやりたかったんだが、今日はここでお開きにさせてくれ」
「ひ、柊くん……」
「悪い。……よかったらいつか遊びに来てくれ。米と野菜しかねぇけど、全力でもてなすから」
あまりにも唐突な青春の終わりに思考が追い付かないまま、それでも彼女には笑顔を見せようとどうにか言葉を紡いだ俺に。
「……あ、あの!」
橘は、普段の大人しい様からは想像もできないような大声を出して。
「……っ」
何かを決意するようにぐっと両の拳を握り、じっとこちらの目を見つめて。
「私の……私の家に住みませんか!?」
「……は?」
そんな、突拍子もない提案をした。
「橘、何言って……」
「私が柊くんを家政夫として雇います! ご飯と寝床を提供する代わりに、柊くんには家事をしてもらいます!」
困惑する俺の眼前、橘は一生懸命にその小さな身体で言葉を紡いでいく。
「私は家事をしてもらえて、柊くんは住む場所が得られる。お互いWin-Winだと思うんですが、ど、どうでしょうか……?」
「そ、それはそうなんだが……」
いつになく真剣な面持ちの彼女に気圧されながら、それでも俺はおいそれと首を縦に振れない。
「いや、でもさすがに男女で同居は……」
「柊くんなら大丈夫です!」
「お、おう……」
『お前はヘタレだ』と力強く断言されてしまった。心がしんどい。
「しかしだな……」
なおも渋る俺に、橘は上目遣いでこちらを見つめて、
「……ダメ、ですか?」
「っ……」
それが致命傷だった。
親愛なる推し作家に、そして大切な友人に希われ、いよいよ俺は折れざるを得なくなった。
「……橘は、いいのか? その……俺なんかと一緒に暮らしても」
「はい! 柊くんなら大歓迎です!」
「随分信頼されたもんだな……」
家主が歓迎というなら仕方ない。
がしがしと頭を掻きながら、俺は言葉を紡いだ。
「……分かった。橘がそこまで言うなら、甘えさせてもらう」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ。ただ、迷惑になったらすぐ言えよ? 橘の負担には絶対なりたくねえからな」
「わ、分かりました! ……でも、きっとなりません」
「だといいけどな……」
苦笑する俺に、橘はくすりと微笑んで。
「これからもよろしくお願いしますね、柊くん」
「……あぁ」
彼女の木漏れ日に似た優しい笑みを見ると、胸の内に巣食っていた不安は嘘のように消えていった。
「……よろしく、橘」
「はい!」
笑いかけた俺に、彼女もまた太陽のように眩しく笑って。
そんな経緯の末、俺はクラスメイトの女の子と同居する事になったのだった。
推し作家と同棲(くら)してます。 やもげ @yamoges
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