最終話 ありがとう



 白い、何もない空間を誰かに引っ張られるように進んでいく。

 突然視界が開き、カサンドラは目を細めた。



 ――ポンっと、何の支えもない空中に放り出される。




「きゃぁぁあああ!?」


 そのまま落下し、お尻を強かに打ち付ける覚悟をして目を固く閉じたものの……

 固い床の洗礼を受ける事は無く、カサンドラの体はしっかりと誰かに抱き留められた。


 恐る恐る瞳を開ける。





「……お帰り、キャシー」





 ずっと聞きたかった、会いたかった人の声が頭上から降ってくる。

 視界に一杯広がるのは、見慣れていたはずの王子の顔だ。


 彼は少しだけ泣きそうな表情で、こちらを見下ろす。

 そしてそのまま強くぎゅうっと抱き締められる。


 こちらに戻ってすぐそんな状況に置かれるとは思っていなかったので、カサンドラは内心大混乱だ。

 ふと自分の姿を確認すると――元の世界での仕事帰りの姿のまま。

 白いブラウスにひざ丈スカートという格好で、完全にОLの装いである。


 今の姿形はカサンドラという生まれながらに派手でゴージャスな顔立ちの女性、決して似合ってはいないだろうが。

 スウェット姿じゃなくて本当に良かった……と、カサンドラはこの期に及んでそんな些末なことで胸を撫でおろしていた。


 いきなり芋ジャージ姿のカサンドラが召喚されたら、召喚してくれた方だって気まずいどころの話ではない。


「良かった……」


 王子の声が、胸にゆっくりと、だが確実に染み渡っていく。




   ああ、自分はこの世界に帰って来たのだ――



 苦しいくらい強い力で抱えられていると。

 自分を抱える王子まで巻き込むように、わぁっと三つ子が縋りついて来た。


 横から強い衝撃を受けて、その場に放りだされてしまうのではないかとハラハラのカサンドラ。

 だが、彼女達が涙ぐみながらしがみついて離さない。



「カサンドラ様ーー! もうどこにもいかないでください!」


 感極まったように泣いているのはリタ……?

 いや、他の二人も肩を震わせて滂沱している。


 シリウスが言っていたように、この世界は自分が去った後二年近い歳月が流れているとか。



 まともに身動きが取れないカサンドラのことに気づき、王子がそっとカサンドラを床の上に降ろしてくれた。

 カサンドラに三方向からしがみついてくる彼女達は、勿論見覚えがある。

 リゼと、リタと、リナだ……と、思う。



「皆様、ええと……

 ご無沙汰しておりました。随分、お変わりになられたのですね」



 今まで判を押したように同じ髪型だった三つ子達。


 しかしリゼは伸ばした髪をサイドテールにまとめ、肩から胸の前に垂らしている。 

 どこか冒険者っぽい雰囲気だ。


 リタはいわゆるポニーテール姿、リナは背中が半分以上隠れるほど、髪が伸びている。


 カサンドラとしての感覚は一月会わなかった程度だが、彼女達の変わりようは確かに歳月を感じさせるものであった。

 肉体的には、自分の方が二歳年下ということになるのだろうか。


 しかし中身は以前のままなのだろう。

 キラキラと綺麗な蒼い瞳でじっとカサンドラを見つめ、全身全霊で自分を迎え入れてくれる姿にカサンドラの目の縁に少し涙が浮かんだ。



「よぉ、戻って来たな。

 見た感じ、お前はあの時のままか?」


 三つ子の頭の間から、ジェイクの声がすり抜けて聴こえる。

 更に体格が良くなったような気がする彼の隣には、ラルフが立っていた。彼は外見上の変化は殆ど見られない、それに少し安心する。


「カサンドラが戻って来てくれて本当に良かった。

 全く、どうなることかと」


 ラルフは手に持っているヴァイオリンをケースにしまいながら、大きく肩を竦めた。


 ようやく、ここがどこなのか正確に把握しようと思い至る。

 カサンドラは周囲をぐるっと見渡してみた。

 神殿の祭祀場のような厳かな空気漂う、大理石のタイルが広く張り巡らされた部屋のようだが……


 床にはカサンドラのいる場所を中心に何やら職人芸のように細かく気が遠くなりそうな複雑な文様が幾重にも描かれ、これが召喚魔法陣なのかと理解する。



「ただいま戻りました。

 長らくこちらを留守にして申し訳ありません」


 何となく、癖で一歩下がった物言いになってしまう。するとジェイクとラルフは互いに顔を見合わせ、苦笑した。



「ホントホント、お前がいなくなってから滅茶苦茶忙しかったし大変だったからなぁ。ま、お前は世界を救うっていう大仕事やったんだ、少々サボっても文句はないけどさ。

 戻って来てくれただけで十分だ」


「何より、あのままだと僕らもとても困ってしまうからね。

 君がいないと、リタも皆も元気がなかったから。

 帰って来てくれて有難いよ」




「ああ――全くだ。

 このままだと、王家の後継ぎ問題が発生するところだったからな。

 ……お前の事を諦めろと言っても、駄々をこねてきかない奴がそこにいるものだから」

 

「シリウス、事実と異なる事は言わないでもらいたい」


 額を押さえ、隣に立って自分を支えてくれる王子が苦言を呈す。

 しかしその訴えをシリウスは鼻で笑って退けた。


「事実だろう。

 ……カサンドラが戻らなければ誰も娶る気は無いなど……

 王太子に生涯独身宣言されたこちらの身にもなれ」


 代わる代わるカサンドラに抱き着いてくる三つ子と再会を喜んだ後、じっとこちらを見つめる視線に気づく。



「姉上、お帰りなさい」


 二年経った後の変化が最も著しいのは、アレクだっただろう。

 すっかり身長が伸び、カサンドラの背を追い越している。もうそんな歳になるのか、と彼の成長ぶりに目を瞠る。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、とはまさにこのことを指すのかもしれない。



「アレク。……心配をかけてしまいましたね」


「ええ、本当に。

 ですがもう一度貴女に会えて、嬉しいです」


 彼は指の間に、見覚えの在り過ぎる封筒を挟んでいる。

 ひらひらと揺れるその手紙を前に、カサンドラは生きた心地がしなかった。

 こんなものを人前で読まれたら確実に恥死量を越えてしまう。


「それでは、帰還したのですから――わたくしのプライバシーを返して頂けないでしょうか?」


「返す? ああ、手紙これのことですか?

 無理ですよ」


「え?」


「兄様が家宝にするって言ってましたから。

 はい、どうぞ兄様。お返しします」


 アレクは過去そうであったように、飄々とした涼しい表情で――隣に立つ王子にそう言いながら手紙を手渡す。

 王子も澄ました表情で受け取り、素早くジャケットの内ポケットの中にしまい込むではないか。


「―――!?」


 思わず指先を戦慄かせ息を呑み、カサンドラは王子の顔を見上げる。

 あの日渡せないままだった、彼への『思い』を綴った渾身のラブレター。

 まさか自分を再召喚するために使用されるなど思ってもみなかったが……


「いくらキャシーの頼みでも、これだけは返せないかな。

 ……私にとって、この二年を支えてくれた大切な宝物だから」


 思わず絶句する。

 カサンドラはここを発って一月しか実時間が経っておらず、しかも殆どさっきまでこちらの世界の出来事を忘れていたのだ。


 それと比べて、ここにいる皆は二年近くもの間、あの悪魔復活からの街の損傷、その復興に忙しくしていたわけで。



 二年は長い。

 その間ずっと、自分のことを想ってくれていたのか、誰も諦めることなく喚んでくれたのかと思うと胸がじんと熱くなる。


 自分がいない間、王子がどんな想いだったのか……

 想像するだけで胸が締め付けられるようだった。不可抗力だが、自分が忘れていたということも含めて凄まじい罪悪感に襲われる。

 逆の立場だったら、堪えられるかどうか。


 いたたまれず、つい顔を下げてしまう。




 靴音が聴こえる。

 自分に近づいてくる、誰かの影。



「キャシー、顔を上げなさい。

 いや、違うな。

 ――顔を見せてくれないか」


  

 ここで自分を待っているはずのない人の声が聴こえ、カサンドラは全身を震わせた。


「お父……様……?」


 レンドール侯爵であるはずの彼が、何故ここに?

 王子達がいるのだから、ここは王都のはずだ。

 厳めしい表情は変わらない、父クラウスの姿にカサンドラは完全に不意を突かれた形となった。



「姉上がいらっしゃらない間に、色々変わったんですよ。

 今、侯爵はこの国の宰相を務めておいでですから。

 今日の召喚の儀式も是非立ち会いたいと仰って……!


 ふふ、陛下達の熱烈な要望あっての、まさに異例の大抜擢ですね!」


 どこか自慢げに、アレクはクラウスの事をそう説明した。

 父が宰相という事実にも驚いたが、では以前宰相を務めていたエリックは?


 そう思って自然とシリウスの方に視線を遣る。



「……父はあの日の騒動の中で死んだ。そういうことになっている」



 少し表情を曇らせ、眼鏡を上げる。


 混乱するカサンドラだったが、彼らが自分を騙す意味もない。

 そうか、諸悪の根源だった彼は死んでしまったのか。




「聖女や悪魔に関わる話の全て、私も聞かせてもらった。

 ――お前がこちらの世界へ帰って来てくれたことを私も嬉しく思う」


「……わたくしは……あの……」


 家族に帰還を喜んでもらえるのは嬉しい。

 しかし、心の中で後ろめたさが湧き上がってくるのだ。


 初めて自分がこの世界で”目覚めた”あの日、この世界にいた本物のカサンドラはいなくなってしまった。

 記憶も体験も経験も残っているけれども、香織のものと合わさってしまい――あの日、純粋な意味で香織とカサンドラというそれぞれは、新しい”自分”になってしまった。


 父であるクラウスを、ずっと以前の娘だとして騙していた事になるのではないか。

 そう思うと、何とも申し開きの出来ない重苦しい気持ちになるのだ。


 彼は苦虫を噛みつぶしたような顔で、諦めたように吐息を吐く。

 頬を掻きながら続きを呟いたのだ。仏頂面だが、少し照れくさそうでもある。




「話は全て聞いたと言っただろう。


 ……お前の中には、ちゃんと過去が残っている。過ごした気持ちも、経験も思いも幼い日のキャシーそのまま残っているのだろう?

 ならば変わらず、私の娘だ。


 今まで通り、自慢の娘なのだから。

 そんな顔をするのではない。


 ただ、向こうの世界にも当然親がいたのだろう。

 その人達にとっては申し訳ないとは思っているが……な」



 涙が一筋、頬を伝って零れ落ちる。

 捨ててきた形になった世界への郷愁か。


 しかし、もう自分はこの世界に骨をうずめると決めたのだ。

 後戻りもできない、後悔もしない。





 ごしごしと涙を袖口で拭いて、カサンドラはもう一度姿勢を正して広い室内を一望した。

 三つ子、そして王子にアレク。

 ジェイクにラルフにシリウス――父であるクラウスも。



 皆が自分を求め、必死に探して喚んでくれたのだと思うと感謝しかなかった。



「キャシー、二年の間に変わったことはクラウス侯のことだけではなく、沢山あるんだ。

 大丈夫、これからゆっくりそれを知って行けばいい。



 焦る必要など全くない。

 君が私達を選んでくれたことだけで、今はもう心が一杯だから」



「王子……」 



「ああ、それとね。

 今は学園の機能が停止しているまま。今後学園の在り方をどうするか、皆で再検討していかなけれないけない状態だ。

 当然、卒業式も出来なかった」


 王子の言葉に頷く。


 折角学園に入学したのに、卒業できなかったことは思うところがあるだろうが……

 あの大惨事の後の事、優雅に学園生活を送っている場合ではないことは容易に想像がつく。

 地方の生徒は皆実家がどうなっているのか心配だっただろうし、王都自体、都市機能をしばらく果たせなかったかもしれない。


「だけど特例で、卒業したとみなされ――正式に国王の後継者である王太子に指名されたばかりだ」


「お、王太子、ですか」


 今まで王子王子と言っていたが、立場が変わってしまったのなら呼び方を改めなければいけないのだろうか。

 王太子とは中々言いづらいかもしれない、呼び慣れないし、と。


 口の中で何度も繰り返しモゴモゴと口籠った。



「だからキャシー。以前も言ったかもしれないけど――

 私の事は、名前で呼んで欲しい。

 王太子なんて、呼びづらいだろう?」



 



「……――! あ、ええと……は、はい。




   アーサー……様。」




 すると王子、いやアーサーはくすぐったそうな、嬉しそうな表情になる。

 喜びを抑えられないような様子で、ぎゅっとカサンドラの手を握って前に引っ張った。



「さぁ、キャシー。

 ここにいる皆の他にも、君を待っている人たちが沢山いるからね。

 どうにかしてキャシーを呼び戻したいという話をしていたら、遠くからも多くの人が訪ねて来てくれた。


 学園の生徒だった皆や、騎士団の面々や、教師や――

 君の屋敷に勤めている使用人達、君の事を知っている人が皆、駆けつけてくれたのだろう。


 この先の広場に大勢集まっているよ。

 元気な姿を見せに行こう!」




 え? え? と疑問符を浮かべるカサンドラであった。


 もしもそれで自分がこの世界に戻って来れなかったら、一体どうなっていたのかと冷や汗が止まらない。

 でも脳裏に浮かぶ学生時代の友人達の姿が次々に浮かび、懐かしく感じる。胸の中が暖かさで埋め尽くされるようだった。


 アーサーは本当に子供のようなキラキラした笑顔で手を引っ張って先導するではないか。




 カサンドラは戸惑いつつ、救いを求め後方に手を伸ばしたのだが。

 いってらっしゃーい! と、皆ニコニコ笑顔で手を振って見送り、彼の行動を止めてくれるつもりはなさそうだ。


 せめて…

 せめて着替えを!

 こんなОL仕様の格好で人前に出るのはどうかと!





 儀式を行っていた静謐な雰囲気纏う部屋を出た後――

 カサンドラは再び彼に抱き締められる。




「アーサー様?」




「もう一度言うよ。

 おかえり、キャシー」





 肩に手を添えられ、戸惑ったまま彼の顔を伺おうと視線を上げると。


 そのまま彼の顔が間近に近づいていて、あれっと思う暇もなく唇を塞がれた。




 彼の胸元に添えた手、そして重なる唇から伝わる体温。完全に時が止まる。

 長い長い、キスをした。






「これからはずっと、傍にいて欲しい」




 全身が熱くなり、思考が真っ白に塗り替えられる。


 徐々に、これが現実なのだと理解が進み、カサンドラは後ろに倒れそうになる。

 足元から崩れ落ちそうな自分をぎゅっと抱きしめてくれる彼の存在が。




 本当にいとおしくてしょうがない。








 「――はい。

  わたくしも、アーサー様を愛しています」










 ※







 一つの『ゲーム』を基に、生まれた世界。

 誰が創った世界なのかは 誰も知らない。


 ただ 繰り返される”世界”の中

 タイトルという運命に導かれ従うべく、延々と何度も何度も、

 世界に悪役を強いられる人物がいた。


 そうあるべき・・・・・・、と定められた世界の中で彼は孤独であった。



 彼を慕い 救いたいという想いが


 この世界の繰り返しを嘆き 救いを求める想いが




 そして彼らの周囲を支える想いが、奇跡を呼んだ。





 


 歩んできた軌跡の先、それぞれが望んだ未来へ世界は進む。

 









 ※ ※ ※ ※









 

 OL一人暮らしのアパート、煌々と照る室内灯の下で液晶テレビはずっと同じ画面を照らし続けている。


 突然、液晶から放たれていた真っ白な光がぷつっと消え、何事も無かったかのように電源が切れた状態に戻る。




 電気がついたままの部屋の中は、変わらず皓々と明るい。

 マジックペンで書いた、誰かのメッセージがテーブルに直書きで残されている。









    『  好きな人が出来ました!

       彼と一緒にいたいので そちらへいきます!


       急でごめんなさい。





       今まで本当に 本当に







          ありがとう!   そして さようなら!  』

 







 最後の方は本当に走り書きだ。

 蓋があいたまま、剥き出しのペンが床に転がっている。


 直接伝えることの出来なかったメッセージは、ただの悪戯書きとして処理されてしまうのかもしれない。

 人が一人消えた後のメッセージだ、事件性があると大騒ぎになるかもしれない。



 それでも、何か残さずにはいられなかった。













 空が白み始め、夜明けが近づいている。









 どちらの世界も――等しく、未来へ進んでいく。


 両手一杯に 皆の愛を乗せて。




















         『悪役令嬢の運命タイトル打破論。』







             ――完――

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悪役令嬢の運命打破論。 四季こよみ @koyomi_12

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