あなたの笑顔が見たいから

タニオカ

あなたの笑顔がみたいから

実は私はゲームのモブキャラである、と言う話を同僚の佐藤ちゃんに話したら笑われた。


仕事の話の合間に突然私が変なことを言い出したものだから、佐藤ちゃんははじめは面食らっていたが、じわじわと笑いがこみ上げてきたようで、

「もう、田中さんったら急に変な冗談言わないでくださいよ〜。」と明るく笑ってくれた。


—よしっ!今日も一日頑張れそうだ。


鈴を転がすような声で笑う彼女の笑顔にとても癒されると気がついたのはいつの頃だっただろうか。


この会社に入社してから?

入社試験の1次面接の時に同じグループになった時から?


それとも…。


過去の記憶を辿っていると視界の端で佐藤ちゃんがちらりと腕時計を確認しているのが目に入った。私もそれに倣ってドアの上に設置されている壁掛け時計を見ると、2本の針の先端が頂点に近い位置に来ていた。

道理でお腹が空くわけだ。


となりのデスクで早く仕事を切り上げられるように、真剣に仕事に取り組み始めた佐藤ちゃんをからかうように、茶化す。

「愛しのダーリンとお昼ですか〜?」

すると、赤い頰をぱっとこちらを向けながら恥ずかしそうに

「何でわかるんですか〜。田中さんにはいつも見透かされちゃいますね。」

「だってにやけてるもん。すぐわかるよ〜。」

「えー!そんなことないですよ!ちゃんと顔引き締めてたもん!」


可愛らしい彼女はぷりぷりという擬音がよく似合うように怒って、私はごめんごめんと軽く謝る。

そんなやりとりをして、少し仕事を片付けているとお昼を告げるチャイムがオフィスに響いた。

皆それぞれロッカーにお弁当を取りに行ったり、外のコンビニやご飯屋さんに向かって行ったりと、三々五々と散り散りに席を立ち、オフィスにいる人はどんどん減っていく。


佐藤ちゃんも私におつかれっといってお昼に向かって行った。

その後ろ姿を見送ると私は足早に、1つ下の階にあるロッカールームは向かった。


ロッカールームはすでに閑散としていて、私1人しかいなかった。自分のロッカーの鍵を開け、中にあるスニーカーと今履いているパンプスを取り替え、ロッカーの中の網棚に乗っている紙袋を素早く取り出し、ジャケットをハンガーに掛け、すぐに外に出るべく階段で下に向かう。


早足で階段を降りながら紙袋の中からニット帽と伊達眼鏡とブルゾンを取り出して、急いで変装をする。


自社のビルから出る頃には、普段の私とは雰囲気が違った服装に変装が完成していた。近づかなければ私だと気がつく人は少ないだろう。実際この3年間、同じ部署の人間とすれ違ったりもしたが、その程度では誰も私の正体に気がつくことはなかった。人は自分が気にしているほど人を見てはいないということがよくわかる。


キョロキョロと辺りを確認すると、ビルの入口から少し外れた植え込みの前にまだ佐藤ちゃんはいた。待ち合わせをしている彼が少し遅れているようだ。


—間に合ってよかった…。

安堵のため息が溢れる。


彼は少し離れたビルにオフィスを構える弁護士事務所の人物だということは聞いている。

そわそわと腕時計を気にしている佐藤ちゃんは何かに気がついたように、カバンを漁り、スマホを発掘し、耳に当てる。どうやら電話がかかってきたらしい。


スマホ越しに彼と話しながら歩みを進めるので、私もそのあとに一定の距離を保ちながら続いていく。着いた先はお洒落な喫茶店だった。ガラス張りの店内にはランチをしている女性が多く見受けられた。お昼休み時ということもあり、テーブル席と外に向いたカウンター席にはほとんど空いているところはなかった。


佐藤ちゃんがガラス越しに目的の人物を探していると、カウンターの1つに座っていた男性が軽く手を挙げた。それを見た彼女は嬉しそうに足取り軽く店内へ入っていく。

私もそれに続きたいが、流石に同じ店ではリスクが高すぎる。幸い2人は外に向いた席に座るようなので、観やすく、ありがたいことだ。


私も昼食を摂るべく、道路を挟んで向かい側にある、チェーン店のドーナツショップに向かった。この時、2階席の窓辺側に空席があることを確認するのを忘れてはいけない。


店内に入るとパイやらドーナツやらを適当に見繕って、目星を付けていた2階席の窓際に陣取ると、楽しそうに食事をとる2人がよく見えた。2人から目を離さないようにカバンを漁り、イヤホンを取り出し装着する。


耳に聞こえてくるのはジジジッと不快な音ばかりだが、イヤホンが繋がっている機械を少しいじることで段々と音がクリアになっていく。


『ザーッ、これ、ジー、いしいですね。』

『さすがザーッ、店の一番人気!』

『ジジ、佐藤さんのお陰でここに来られて良かったです。女性ばかりだと少し気が引けて…。』

『そんな…。私の方こそ職場が違うのにお昼いっしょに食べられて嬉しいですよ〜。』


付き合い始めてそろそろ1ヶ月となるお2人だが、まだ少し緊張があるのか、初々しい会話をしている。しばらく2人の会話を聞いてから、トレイの上の食べ物を食べ進める。


ビーフシチューパイを食べ終え、カフェオレで口の中をリセットする。美味しいと思うが、普段から盗聴中はあまり味など気にしていられないので、黙々とドーナツとカフェオレを口に運んでいく。


特におもしろい事も起こらず、食べ物や仕事の話で盛り上がる2人の会話BGMに、3つ目のドーナツを一口食べた時、耳に衝撃的な言葉が飛び込んで来た。

ドーナツの表面にに散りばめられた黄色い砂糖菓子がボロボロとトレイに落ちていく。


『あのー…、もしよかったらなんですけど…、今晩、うちに来ませんか?』


2枚のガラスと道路を挟んで、私は彼の方を睨みつける。


—こいつ、ふざけるなよ?


『えっ!あ、えっと…。あはは、随分と急ですね〜…。』


—ほら見ろ!佐藤ちゃん、困ってるぞ!


『で、ですよね〜…。ちょっと焦っちゃってますね…。すみません。忘れてください…。』


自らの突然の行動を恥じているのか、ぽりぽりと頰を掻く仕草をしているのが、遠目にも分かった。佐藤ちゃんは俯いているようだった。

2人の間に気まずい沈黙が生まれ、マイクは周囲の人の会話をぼんやりと拾っていた。

私はふぅっと一息ついてから、ドーナツを食べきり、飲み物も飲み干して、トレイの上を片付け始めた。


—佐藤ちゃんは奥手だから、まだ誘いには乗らないはず、高校の時もそうだったし…。

それよりも早く戻らないと、お昼休みが終わりそう…。


そう思い右耳のイヤホンを外し、もう片方に手を伸ばした時に


『…ですよ…。』


—え?

慌ててイヤホンを戻す。


『えっ!今なんて…。』

彼の方も聞こえなかったようで、ありがたいことに聴き返してくれた。


『だっ、だから、別にいいですよって言ったんですぅ…。』


相当恥ずかしかったのか、佐藤ちゃんの声は後に行くに従い、小さく消え入るようになっていた。


—…なんで?今までこんなことなかったのに…。


彼が嬉しそうに、やれプライムだから映画が見放題だ、やらオススメのテイクアウトのイタリアンがあるだのといっているのがとても遠くに聞こえる。佐藤ちゃんも嬉しそうに話している雰囲気だ。


—…もう聞きたくない!


乱暴にイヤホンをとり、そのままカバンの中は突っ込むと、店から飛び出して、帰巣本能のなせる技で、気がついたら会社のロッカールームにいた。


とりあえず午後の始業には十分に間に合っているので変装道具を片付け、デスクに戻って突っ伏した。


—おかしい…。佐藤ちゃんはあんな簡単に男の家に行ったりなんかしない。


佐藤ちゃんは高校の時も大学の時も彼氏はできたことはあるが、今時珍しい程、相当奥手らしく、せいぜい手を繋ぐのが精一杯で、キスをする事もできずに別れていた。それを今回は付き合ってたったの1ヶ月で…。


—どうにかして今夜のイベントを阻止せねば…。


その時ふと、初めて佐藤ちゃんを見た時を思い出した。



あれは高校の2年の冬のことだった。

美術部員だった私は、暖房が効き始めていない早朝の寒い美術室でコンクールに出すための絵の下書きを描いていた。

テーマは『恋』

その時私は恋なんてものは漫画でくらいでしか知らなかった。それが理由だったのか、ほかの部員たちは下書きを終え、どんどんと次の段階へと進んでいたにもかかわらず私のキャンバスは真っ白なままだった。


—恋ってなんだよー…。


机に突っ伏して、潰れていると、綺麗なピアノと歌声が聞こえてきた。隣の音楽室からだ。

まだ部活の時間には早く、美術棟には私しかいないと勝手に思っていたため、少し面食らった。


—綺麗な声だなー。こんな朝早くから来るなんてどんな奴だろう?


そんな興味本位からそっと美術室から音楽室の方へ向かう。入口の扉にはめ込まれた窓から中を覗くと、そこに天使がいた。

本当にびっくりした。

優しい笑みを浮かべながら、ピアノを弾き、鈴のような声で歌う、とても可愛らしい女の子。それが佐藤ちゃんだった。

何もかもが夢のような感覚を覚えた。ついさっきまで感じていた寒さなどあっという間に吹き飛んで、体の芯が熱くなった。


—これだ。これが『恋』だ。


急いで美術室に戻ると、すぐに下書きに取り掛かり、無事にコンクールに間に合わせることができた。


それからというもの学校でも、通学中でも休日の街中でも常に佐藤ちゃんを探すようになった。

廊下ですれ違えば後をつけクラスを知り、帰り道をつけては家を知り、休日には家の近くに張り込んで、彼氏がいることを知った。


彼女が別の人のものだとわかり、はじめのうちは悔しかったが、彼と過ごす彼女の幸せそうな笑顔を見ると、少しばかり諦めがついた。

彼女を付け回すのはもうやめようと、少しずつ距離をとり始めた矢先に、彼女の家の前で、彼氏と喧嘩をしているのを目撃してしまった。

第一志望がどうとか、東京に行くとか、そんなことが断片的に聞こえてきたのでどうやら受験生らしく進路のことで揉めているようだった。

言い争いをハラハラとした気持ちで電柱の陰からこっそりと覗く。

何分くらいそうしていたのかはわからないが、彼氏の方が怒りながら去っていき、喧嘩は止まった。

佐藤ちゃんは彼のいった方向を睨みつけながら、ポロポロと泣き始めた。


—なんて綺麗なんだろう…。


私は彼女の涙に心を奪われてしまった。

笑顔も好きだが、どうやら彼女は泣き顔もかわいいようだった。


—ずっと見ていたいな…。


しかし、そんな願いは叶わず、彼女が涙を乱暴に袖で拭いながら家に入っていく姿を見送り、私も帰路に着いた。


その後、あの喧嘩がきっかけで2人は別れたようだったので、私も距離を取るのをやめた。


いつでも彼女の笑顔と泣き顔をいつでも見ることができるように、彼女の志望校を調べ上げ、同じ大学の別の学部に進学した。


それからは高校の時とほとんど変わらず、後をつける毎日だった。もちろん佐藤ちゃんとの距離は縮まらず、ただしこちらは沢山の情報を仕入れて、時には陰ながら邪魔やら手助けやらをして、ついに就職活動の時が来た。


私は当たり前のように佐藤ちゃんと同じところを受けた。そして今の会社の1時面接の時に初めて会話をしたのだった。


面接のグループが一緒になった私たちは、試験がスタートするまでの間、同じ待合室にいた。彼女と同じテーブルに着くとは、こんなに彼女との距離が縮まったのは初めてのことで、面接以上に緊張していた。それが伝わったのか佐藤ちゃんは笑顔で私を気遣って

「面接ってなんだやっても慣れないねー。」

と声をかけてくれたのだった。


嬉しすぎて死ぬかと思った。


その後のことは覚えていないが、お互いにトントン拍子に採用試験をクリアしていき、今この状態になったのだ。


—話せるだけで幸せだったのに…贅沢になったなー。


思い出を振り返り現実逃避をしていた思考を元に戻す。


—彼との逢瀬を邪魔するにはどうしたらいいのか…。そもそも止める必要はあるのか?

佐藤ちゃんが幸せならそれでいいのでは…?


瞼を閉じればいつでも彼女の笑顔を見ることができる。

笑顔、笑顔、時々泣き顔。

彼女の顔が浮かんでは消えていく。


その時トントンと何かが肩に触れた。


「田中さん?大丈夫ー?もうすぐ始業だよー。眠いなら辛いガムあるよー」


私が突っ伏していたから、優しく声をかけてくれたようだ。

私が何を考えているのかも知らずに、彼女は本当に心配そう顔で銀紙に包まれた板ガムをそっと机の上に置いてくれた。


「ありがとう。ちょっと寝不足かも…。」

「寝不足は良くないよー。今日はちゃんと寝るんだよー。」

「うん。そうする。」


彼女は今、きっと今晩のことに想いを馳せているのだろう…。


ペンギンが並ぶ紙を剥がし、側の包みを開け、緑色のガムを取り出す。


口の中にほんのりとしたキシリトールの甘さとミントの香りが広がる。


改めてお礼を伝えようと彼女に向き直ると同時に始業のチャイムがなる。


所詮私は彼女の人生というゲームのモブキャラだ。


—主人公たちにもう余計なことはするまい。

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