ヒミツ
@tumayozi
第1話
「それ、私のタイツなんだけど」
そう声をかけられた。いや、状況的にはかけられてしまったと言った方がいいのかもしれない。雨の降り続く梅雨のある日、蒸せるように暑い女子新体操部の部室、その一角で僕……
しかもそれは同級生…同じクラスの女子生徒。2年生のこの時期まで、同じクラスであったものの一言すら話したことのない彼女、
6月も半ばに差し掛かり、連日の雨の影響かジメジメとした空気が教室を包む。しかし学校生活の中でも楽しみな部類に入るであろう昼休みまであと少し、時計の短針と長針が両方ともてっぺんを指したあたりから生徒たちは浮き足立っていた。
そんな教室の雰囲気とは真逆で、廊下側の窓際一番後ろの席で僕はため息混じりに、ただじっと考える。一体どうしてこんなことになってしまったのか。
「ねえ」
ビクッと体を震わせ、ヒソヒソと声をかけてきた隣の席の女子を見る。彼女は普段人前で見せる大人しそうな雰囲気が嘘であるかのように、蠱惑的で艶めかしく微笑み一言だけ発した。
「今日も行くよね?」
……ほんと、なんでこんなことになったんだ…。
ーーーーーー
数日前、同じように空気のベタつく雨の日だった。
昼休みを告げるチャイムと同時に僕は席を立ち、教室を後にする。別に、購買に昼飯を買いに行くとか職員室に呼ばれているだとか、なんとなく1人になりたいだとかそんな理由ではない。クラスメイトは僕のことを気にしない。僕の名前を知っているかすら怪しいほど、クラスの中で僕は空気だった。
勉強は中の下、スポーツもあまり得意な方ではなく友達といえば小学校の頃まで遡らないと覚えがないほどの孤立ぶりだ。ただ、毎日決まって昼休み12時30分から13時20分までの50分、僕にはやらなければならない日課があった。もはやルーティンと言っても過言ではない。それほど僕にとってそれは、重大な意味を持っていた。
2年生の教室がある3階から1階まで降り、1年生の教室がある方向とは逆、玄関口を隔ててこの時間誰も使わない特別教室が並ぶ廊下を進み食堂へと続く渡り廊下に出る。しかし雨が屋根にぶつかる音を聞きながら僕は食堂を通り過ぎてその奥にある建物へと向かう。その建物とはこの学校の体育館だ。
僕は誰にも気づかれることなく体育館へと入る。正確には体育館の鍵はしまっているので、裏へと回り込んだ場所にある鍵の壊れた小さな小窓からだけれど。
裏へ回った時少し雨に濡れてしまったが気にしない、傘も持ってきていないのに近くのコンビニへメシを買いに行くやつもいるし、雨の日の廊下はかなり汚れているから濡れていようが気にする者もいないのだ。体育館に入り、出入り口とは反対側にあるトイレや室内運動部の部室の並ぶ廊下へと行きある部屋の中へ入る。
そこは、新体操部の部室。
女子生徒数人で週2回放課後に練習があれば良い方の部活とは名ばかりの同好会のようなものだったが僕にとってそんなことは重要じゃなかった。なぜこの部屋に入ったかといえば、鍵が開いていたから。他の部室は鍵がかかっており、入れなかった。
ここだけ開いていたのも不思議だったけれど、おそらく顧問の先生が女子にかなり甘い数学の宮崎ということも関係があるのだろうか。まあどうでもいい。
本当に偶然だった。ある日教室で寝たふりをしているのも億劫なので暇な休み時間を使い学校の隅々まで見てみようとした僕が見つけた、僕だけの世界。ここだけは外のジメジメした空気も、むせ返るような雨と土の匂いも、なにより僕以外の誰も存在しない場所だった。
ここを見つけてからというもの、僕は昼休みにこの部室に来て一人で弁当を食べ、スマホをいじって時間を潰す。そんな日々を送っていた。でも、僕のヒミツはこの場所そのものではない。
それは本当に偶然、いや出来心だった。
ある日のこと、一度だけひとりの女子生徒が教師の許可を得て忘れ物を取りに来たのだ。体の柔らかさには自信があったからなのかは今でも分からないが、僕は咄嗟に人1人がやっと入れるかと思われるロッカーに隠れて事なきをえた。
しかし、それがダメだった。
部室の中に漂う女子特有の香水だとかの甘い匂いとは違う、もっと濃い
汗や、体臭や、香水や、なにか男子には分からない。
そんな
一瞬目眩がするほどの衝撃を受けた。女子というのはこんな香りがするのかだとかいろいろ考えが浮かんだが、とにかく女子生徒が部室を出るまでじっとすることにした。
女子生徒が部室と体育館を後にしたのを確認して、僕は自分が今まで入っていたロッカーを見る。名札には立花と書かれていたが、ありふれた苗字である事以外なんの気も止めなかった僕は先程自分を襲った臭いの正体を確かめるべく扉を開け臭いを嗅ぐ。
正直、物凄く興奮した。今までないほどに息を荒げ臭いを嗅ぐ僕はロッカーの中に鞄が置かれているのを見つけ、手を伸ばす。
ん?待て待てなにをしようとしてるんだ自分は……と思いとどまることもなくただ自分の探究心を得るためだけに鞄のチャックを開けその中から靴下を取り出した。
練習中に履くものだろうか?
そんなことを想像しながら鼻に押し当て、息を大きく吸う。
目の前が真っ暗になった。
それほどの衝撃を受けた。
気付いた時には、鞄の中からタイツやシャツ、タオルなんかを取り出し僕は臭いを嗅ぐことをやめられなくなっていた。
字面だけだととんでもないことだが、僕にとってはそれがやらなければならない日課として定着するようになった。もちろんこんなこと誰にも言えない。言えば最後、下手をすれば退学だろう。正直、自分がこんなことをするようになるなんて思ってもいなかったがこの行為をするようになってから僕の眼に映る風景は色づいたような、そんな気がしたのだ。
人に言えない、最低で、最高で、恥辱的で、そして生きていると実感できる僕のヒミツはこうして形成されていった。
あの日までは…………
「ねえ、なにしてるの?」
「うわあっ!?」
扉の開く音とともにかけられた声にバランスを崩しひどく不恰好に崩れながら、声の方を見ると1人の女子生徒がこちらを見下ろしていた。少し太めの眉毛と肩ほどで切りそろえられた黒髪、おっとりとした表情のいかにも可愛らしいといった雰囲気の女子はいつまでも固まったままの僕を見かねたのかもう一度声を出す。
しかしそれは、先ほどまでの雰囲気とは全く違うものだった。口角が釣り上がり、目は細められ、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供の様な印象を受ける。それほど無邪気な笑顔と声だった。
「それ、私のタイツなんだけど」
「え…?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまうほど、女子生徒から発せられたそれは堂々と、それでいて人のことを嘲笑うかのようなそんな涼しげな声だった。
「だから、今君が被ってるタイツ。それ私のなんだって」
「あっ!これは…その…」
終わった。学校生活はもちろんのこと僕の人生が崩れる音が聞こえた。こんなコトを知られてしまったのだ。どう考えても反省文では済まない。これから先、毎日のように新体操部の部室に入り込み女子の所持品の臭いを嗅いでは興奮していた、そんな童貞ゴミクズ変態クソ野郎として、家内 陽満の名前は報道されたりするのだろう。
僕がそんなことを考えていると女子生徒はもう一度口を開いて言う。
「それ、毎日やってたの?」
一瞬なにを聞かれたのか分からなかった。
いかにも落ち着いた雰囲気で彼女はあろうかとか僕に質問を投げかけたのだ。普通、こういった行為を目の当たりにした女子というのは叫んで助けを求めたり、逃げたりするものではなかろうか。
「いや、その…」
「ふふ、家内君がいつも急いで教室を出て行くから気になってつけてきたけど、面白いもの見ちゃった。」
僕の苗字を口にした女子に対して、さらに驚く。そして、今までなぜ気がつかなかったのか不思議なほど自分が犯していた過ちに気付く。
「お前…立花…?」
「なにその反応、初めて会ったわけじゃないのに」
自分の愚かさに、怒りすら湧き上がる。
なぜクラスメイト一人ひとりの名前と顔くらい覚えておかなかったのか、なぜ
立花あきが言葉を紡ぐ。
「黙っててほしい?」
「え?」
先ほどからこの女子はなぜこうも落ち着いているのだろうと驚きながらも言葉を返す。
「黙ってて…くれるのか?」
「でも条件があるの」
もう、驚きすぎて意味わからなくなってきた。だけど助かるためにはなんでもしよう。しなければ、待つのは死だけなのだから。
「……条件?」
立花は先ほど見せた無邪気な笑顔でこう言った。
「私の言うことをなんでも聞いて、私だけのおもちゃになって。」
「……は?…なんだそれ…」
「まあ、返事は聞かないし家内君に拒否権は無いけど。」
そう言いながら、立花はスカートのポケットからスマホを取り出しパシャリと一枚写真を撮った。え?女子のスカートってポケット付いてたの?という疑問を即座に捨てるほどの絶望が僕を襲う。部室に忍び込み、あろうかとか女子のタイツを頭にかぶった姿を写真に撮られてしまった。とっとと外しておけばこんなことには…とも思ったが忍び込んでいる時点でアウトだった。
「ちょっ!?その写真どうするんだよ」
「ん?いやあ流石に私と君だと力に差があるからさ、いざという時の脅しの材料にするの」
「脅しって……」
「それより、はい」
立花がスリッパを脱いで、足を僕の前に差し出す。
「え?」
「舐めて」
顔を赤らめ、普段教師や友人には絶対に見せないであろうひどい笑顔を晒し立花は言う。
「返事は聞かないし、拒否権は無いって言ったでしょう?誰にもバラされたくないなら…舐めて」
こいつ、自分がなに言っているのか分かってんのか?いや、こっちもこっちでなにしてるんだって状況だけどとにかく逃げ道は無い…それなら、やるしかない。そう判断してからの行動は早かった。決して立花の、黒タイツで包まれて蒸れた足を舐めたくなったなんてことは断じてないが自らの名誉を守るために僕は被ったタイツを口元からおでこあたりまで上げて、立花の右足の親指あたりを舐めた。
「契約完了だね。」
なるほど、これは契約だったらしい。
……契約なら仕方ないね。
「そろそろね、家内君終わっていいよ。」
どれほどの間足を舐めていただろう。梅雨の季節でただでさえ蒸れていたタイツがベトベトになる程度には舐めた。ひどく興奮して、頭がくらくらする。
「あと10分で昼休みも終わるし今日は終わり。明日また昼休みにここに来てね。」
「ああ…うん、わかった。」
「あ、あとそれから…」
なにか思い出したかのように立花は、自らのスカートの中に手を突っ込みおもむろに黒タイツを脱ぎ始めた。
「えっ!?なにやってんの!」
思わず口に出して驚いてしまったが、立花はシュルシュルと黒タイツを脱ぐと、僕の方へ近づきそして今の今まで僕が被っていたタイツを取って
履いた。
そして僕に先ほどまで履いていた黒タイツを被せると立花は鼻歌交じりにひとりで部室を出て行く。
「あ」
放心状態の僕がぼーっとしているとドアを再び開けひょこっと顔を出した立花が、あの邪悪な笑顔でこう言ったのだ。
「2人だけのヒミツだよ。」
立花 あきは、良くも悪くもごくごく普通の女子生徒だった。ごく普通の地方の公立高校2年生の17歳。授業態度はいたって真面目で部活動にも参加している。そんな普通の女子高校生。の、はずだった。
あの日僕、家内陽満のヒミツを知るまでは…
昼休み、誰も居ない体育館の中にある新体操部の部室で僕は今日も立花のわがままーー否、命令を聞くのだ。なぜ、このような関係なになってしまったのか…それはもう考えるだけ無駄である。
立花に僕がタイツを被って鼻息を荒くしている写真を人質にされている以上、僕は立花に逆らえないし抗えない。そういう契約だ。あの日の翌日から、僕は毎日昼休みに立花と部室で会いそして彼女の出す指示にただ従う。そんな日が続いた。足を舐めることから始まったそれは、案外僕が思って居たようなことだらけではなく次の授業の課題の答えを教えろだの、僕が普段なにをしているかを質問されるだの、そんなたわいもないものもあった。しかし、だからこそとてつもない命令が出された時にひどい興奮を覚えてしまうほど、僕を立花あきという存在が蝕んでいった。
湿度と気温だけが夏の到来を予期しているかのように高くなっていき、雨の音がすこし弱まった今日もまた昼休みを告げるチャイムが鳴る。横の席に座る立花をチラリと見るが、こちらなど気にもなっていないかのように周りの女子たちとお喋りに興じている。それを確認して、僕は席を立ち教室から出る。
基本的に、僕と立花は部室以外で会話をしない。部室に行くのも僕が先で、すこし経ってから立花が追って来る感じだ。友達と昼飯を食べなくていいのかと聞いてみたら、普段からご飯は一人で食べる派だと返された。なるほど、それなら怪しまれないかと普段クラスメイトの食事風景を知らない僕は納得せざるをえなかった。
部室に着いて、すこし経つとガチャリとドアが開き続いて立花が入ってくる。
「よしよし、今日もちゃんといるね」
「まあやることもないし、行くとこもないしな」
「よろしい、じゃあ早速今日の命令を聞いてもらおう」
すこし息の荒い?様子で言う立花に警戒しつつもそれに反比例するように僕も興奮してくる。ヒミツを知られた日は家に帰って死にたくなった。うじうじと悶える僕を見て妹にはキモがられるし母親と父親には何か察せられような態度をとられて本当に辛かった。唯一姉だけはいつも通り接してくれたが、それも逆に辛い。でも、それも立花との新しいヒミツの回数を重ねるごとに薄れていった。
自分が変態だなんてことわかっていたが、今目の前にいるこの女は自分以上に異常な奴だということもまた1つの事実だとわかったのだ。
僕の目の前まで近づいた立花は一言。
「屈んで、上を向いて口を開けて。」
それだけで、今から彼女がどんなことをするのだろうと僕の心臓が高鳴る。彼女の指示通り屈んで上を向き口を開ける。
彼女の顔を見る。
ああ、この顔だ。この顔が僕の目を、心を掴んで離さない。まるで人を化かしてほくそ笑む狐のようなこの笑顔。
可愛らしさの残る顔を歪ませて
「これ、口に溜めて。」
そう言って彼女は僕の口へと唾(つば)を垂らした。
顔が溶けそうなほど熱かった。彼女の唾が入れば入るほど鼻腔を彼女の匂いが駆け巡る。ただ彼女が満足するまで、待つ。彼女が「いいよ。」と言うまでは僕に命令されたこと以外の行動は決して許されない。
酷い背徳感となんとも言えない高揚感が僕を包み込む。
満足したのか立花が「飲んで」と言うので僕は口の中の唾を飲み干した。
「じゃあ、また明日ね。」
そう言って立花が部室を去る。僕はいそいそと立花のロッカーを開けて鞄からポケットティッシュと靴下を手に取る。きっと立花も気づいているのだろうが、あえて口には出さないんだと思う。いや、そう思いたいが…
毎日の命令である意味調教されかけている僕は毎日ムラムラして仕方ないのだ。イソイソと自分の処理をしてトイレのゴミ箱にティッシュを捨ててから僕も体育館を後にした。匂いでバレているという情報をネットで見たが、童貞の僕には実感の湧かない。さして意味のない噂話だ。きっと大丈夫だろう。
今日は火曜日、女子新体操部の活動日だ。
人間と動物の違い、それは誰にも言えないヒミツを持っている…つまり隠し事をする事と、僕は勝手に考えてはいるが実際問題人に言えないヒミツを持った人間が一体どれだけいるんだろうか。寝たふりを決め込む僕の横の席で、真面目に授業を受ける彼女。立花あきは僕とある意味で主従関係を結んでいるというヒミツをもつ。
そんな僕と彼女の所属するクラス。37人というこの小さな1つの世界で、誰にも話せないようなことを隠し持ったものが居たりするのだろうか。そういえば最近ひどく思い知ったが、ヒミツというものを守るのは結構難しい。
僕が中学の時友人から借りたある一冊の本。それがつい先日、妹に見つかったのだ。学習机の棚をわざわざ二重底にしてまで隠していたのにだ。あれから妹は口を聞いてくれない。それくらい簡単に、そして脆くヒミツというのは簡単にバレてしまうことがある。
まるでそれは砂の城のように、崩れ去る。
ヒミツを持つことを人間の特権のように考える僕にとってそれはまた、《人間》もヒミツと同じように簡単に壊れてしまう。脆い存在なんだと改めて認識するきっかけとなった。
そう、彼女との出会いもまた…
梅雨が過ぎ、日が暮れる時間が伸び始めたある日の放課後。僕は授業中に寝ていたとかどうとかいう教師からのいちゃもんを付けられ階段の掃除をしていた。なぜ課題を用意するとかではなく階段掃除なのかといえば、教師が僕を困らせるために急に出題した問題を答えてしまったためだ。
もちろん、急にあてられた僕はビビり倒していたがふと隣を見ると、立花がその問題の答えをノートの隅に書いて教えてくれたのだ。立花さまさまである。ふぅーーーと息を吐いて、構内に三ヶ所ある中で唯一屋上へと続く階段を見る。
「正直、屋上は立ち入り禁止だし別にいいか」
1階から順番に三ヶ所全ての階段を掃除してきたんだし、誰も使わない場所ならほっといても大丈夫かと思いその場を後にしようとする。その時、ほんの少しだけれど僕の頬を風が撫でた。
もう夏だというのに少し冷んやりとした、やわらかい風。
「鍵、閉まってるよな?」
嫌な予感がよぎる。なんでも十数年前に生徒が飛び降りるという事件が起きてから、体育祭の時に応援旗や飾り付けを付ける時、部活動の応援幕を付ける時以外の立ち入りを禁止するために鍵がかけられているはずなのだ。そのため上から風が吹いてくるなんてことはあり得ないはず…建物の構造とかに詳しくないからあんまり分からないけど多分そうだ。
幽霊だとかそんなものは信じない方だが、一度気になってしまうと治らない性分の僕は自分でも気づかないうちに屋上へと続く階段を登っていた。
「やっぱ、閉まってるな」
思った通り、ドアは閉まっていたし反対方向にある窓も開いていない。ゴクリと唾を飲み、一応ドアに手をかけ開けようとしてみる。
ガラララっと音を立て簡単にドアは開いた。
「おいおい、鍵空いてんのかよ…どっかの部室じゃないんだから…大丈夫かこの学校。……ん?」
ふと前方を見ると、ひとりの女子生徒が立っていた。
「っておいおい危ねえぞ!」
女子生徒が立っていたのは屋上の床ではなく、腰より少し高めに造られた申し訳程度の壁の向こう。一応その壁の向こうには人がひとり立てる程度の空間と転落防止用のフェンスが設置されているが、彼女はそのフェンスに手をかけよじ登ろうとしていたのだ。
「やめろ!」
叫びながら駆け寄るが女子生徒はこちらに見向きもせず、フェンスに手と足をかける。しょうがないと思いながらも、壁を乗り越えて彼女の足を掴み力強く引っ張った。
「!?」
「いてて…なんで飛び降りなんてしようとしたんだよ…」
自分の上へ落ちてきた女子生徒を受け止めた時、腰を打ってしまいかなり痛かったが女子生徒への質問を優先する。場合によっては、職員室に報告に行かねばならないだろうと思いながら彼女の返事を待つがその返事はいつまでも返されることはなかった。
ひどく驚き、怯えた様子の女子生徒はなにか声にならない声を絞り出そうとしているのか口をパクパクさせるが努力むなしく、空振りに終わる。しまった、助けたつもりがかなり怯えさせてしまった。女子の扱いなんて母親、姉、妹、変態しか知らない僕にこの手のタイプの相手ができるだろうか。
そう、彼女は美少女だった。
腰まで届こうかという黒髪、程よく長い睫(まつげ)、薄いが存在感のある唇。そのどれもが美少女という言葉がふさわしいレベルで整っていた。もちろん僕基準なのでなんとも言えないが、立花がどこか幼さの残る可愛い系だとすればこの女子生徒は清楚系美少女だ…しかしほんとになにも喋ってくれないな…
そう思っていると女子生徒はおもむろにスマホを取り出す。
あれ?この展開まさか写真を撮られたりするのか?そして美少女へと無理やり襲いかかる変態の証拠として脅されたりするのか?まさかこの短期間に人生の危機が襲い来るなんて……
そんな僕の一抹の不安をよそに、彼女は自分のスマホを指差してから今度は僕の方を指差す。
「え?…スマホ?僕もスマホを出せばいいの?」
確認をとると、彼女はしっかり頷いた。
不思議に思いながらもスマホを取り出すと彼女がある画面を見せてきた。それはhimoと呼ばれる若者の間で大人気のメッセージアプリのQRコードだった。
「登録しろってことか?」
彼女は頷く。とりあえずQRコードを読み込んでみると画面にアイコンが表示された。その下に彼女の名前らしきものが載ってある。
しかもそのまんまフルネームか、今時珍しいなあ…
「
すると野美乃さんは早く登録してくれと言わんばかりに画面をタップする動作を促してきた。
「へいへい、わかったわかった」
登録ボタンを押しーータタタタタッ
ポン!
「え!?」
ほぼ登録完了画面になった瞬間、目にも止まらぬ速さで野美野さんからメッセージが届いた。はっや、なんだ今のスピード…
メッセージ画面を開くとそこには
【なぜ陽満君は私を助けてくれたのですか?】
そう書かれてあった。
あれ?僕は彼女に名前を、それも漢字まで教えただろうか?ああ、アカウントがはるまって名前だし、わからないこともないか?しかしなぜ止めたのか、そう言われても困る。飛び降りようとしていた奴がいたから急いで止めたっていうのが本音であるものの、果たしてそれが正解なのだろうか?そんなことを考えながら紡ぎ出した答えは
「君が、可愛かったからさ!」
そんな、どうしようもない言葉だった。おそらくこれは彼女を助けて実際に彼女の姿をきちんと見てから抱いた感想のはずが、そのまま口に出ていたのだ。野美乃さんを見ると耳まで赤く染めて目を見開いている。
いや、今は日も傾いてかなり夕日に照らされているので顔の色は勘違いかもしれないけれどたしかに彼女は驚いて、そのまま立ち上がるなり校舎への入り口にパタパタと移動してこちらを見た。
ポン!
またか、と思いながらスマホの画面に目をやると
【お願いします…】
と、たったそれだけ書かれたメッセージが送られてきていた。意味をあまり飲み込めずにいた僕は野美乃さんの方を見たがすでに彼女はそこにはいなかった。
「なんだったんだ…」
夕日に照らされて、燃えるようなオレンジに染まった屋上でひとりぽつりと呟いた。
放課後、野美乃 莉音との衝撃的な出会いを経験した僕は、掃除道具を片付けまた教師からこってり怒られてから家路についた。それでも僕はあまり気落ちしていない。最近、なんだか人生が楽しくて仕方がないのだ。もちろん勉強やクラスの連中と話したりするのは御免だが、立花と野美乃さんとの出会いはなかなか新鮮味のある出来事だと思う。
上機嫌に家に帰った僕だったが、ひとつ肝心なことを忘れていた。そう、先日妹にムフフな本が発見された件である。当初はすぐ忘れるだろうと思っていたけれど、もうじき1週間が経とうというのに未だに妹は口を聞いてくれない。
「ここはひとつ、素直に謝るか」
ブツブツと呟きながら家に入る。玄関から正面の廊下を進むとリビング、キッチン、風呂、トイレ、そして両親の寝室があり玄関に入ってすぐ左手の階段を上がり2階に上がれば妹、姉、僕の順にそれぞれの部屋がある。
自分の部屋に行くついでに一言謝っても良かったけれど、どうやらまだ妹は帰ってきていないようだ。
仕方ないから、そのまま自分の部屋へと入った僕を待っていたのは僕のベットの上に座った美女。もっと簡潔に紹介するのなら、僕の姉だった。
しかし、僕は姉が辛そうにしているところを見たことがない。もしかしたら家族には迷惑かけまいと強く振舞っているのかもしれないが、病人は病人らしく大人しくしておいてほしいものだ。とにもかくにも、部屋に居座られても困るので姉に質問をなげかける。
「姉ちゃん、人の部屋で何やってんだ。」
「…しお」
落ち着き払った、僕にだけ聞こえる程度の大きさで姉は言った。
「…え?」
「しお」
「し、思緒姉ちゃん…」
「よろしい」
姉はなぜか、僕に必ず名前を呼ばせたがる。
果たしてそれになんの意味があるのか、姉ちゃんだけではダメなのか偶に疑問に思うがもはやこれは小さな頃からのお約束とも言えるので、あまり文句を垂れ流すのはやめておこう。
「ていうか、ここで待ってたってことは俺に用があるんだろ?」
僕が家族に対して、俺と使うのは単に家族の前で僕と言うのが恥ずかしいお年頃だからだ。気にしてはいけない。
「仲直りはしたの?」
単刀直入だった。
恐ろしいほど切れ味のある一言にたじろいてまった。
「まだだよ…」
「そう、なるべくはやく仲直りしてね。それと…」
そう言いながら、ベットから立ち上がった姉はゆっくり僕に近づく。頭ひとつ分背の高い姉が近くに来ると見上げなければならないし、なによりその全てを見透かしたような綺麗な目の威圧がすごい。
スンスン…
姉は僕の首元で鼻を2度ほど鳴らし、耳元で囁く。
「2匹…」
「…なにが?」
「なんでもないわ。あぁ、ハル君お風呂にはやく入りなさい。汗臭いわよ」
「う、うん…わかったよ。」
長い髪をたなびかせ、思緒姉ちゃんは部屋を出ていった。僕はそんなに臭いだろうかと自分の匂いをチェックするがあまり実感が湧かず、とりあえず風呂にだけはいっておくことにした。
晩御飯の時に、母から妹が友達の家に泊まることを聞きなんだかホッとした気持ちと問題が先延ばしになったなんとも言えない気持ちによるジレンマでなかなか寝付けなかったのだが、その夜問題が起きた。メッセージアプリの通知音がおよそ10分おきに鳴り響くのだ。
もちろん相手は野美乃さんである。そもそも僕のスマホに登録されているのは、家族以外では中学の時の友人か野美乃さんしかいない。しかし、女子はSNSとかが大好きだと聞いたことがあったがまさかここまでとは…
メッセージの内容は単純な世間話程度のもので今何をしているだとか、ご飯はなにを食べのだとかそういう類のメッセージがひっきりなしに送られて来る。僕は数十分おきに返すにとどまっているが、その間も御構い無しに鳴り続けるスマホにある意味恐怖を感じ結局朝まで怯えて過ごしたのである。
野美乃さんからのメッセージの嵐のおかげで、ほとんど寝ることはできなかった。ぼーっとしながらトーストを食べて、制服を着る。家の外からは蝉の鳴き声がちらほらと聞こえ始め、早朝にしては高い気温が今年の夏の厳しさを教えてくれる。
「あんた、たまに早起きしたと思ったらダラダラして〜はやく学校行きなさいよ」
そう言いながらニュースを見ているのは僕の母親、容姿については特に言及することもないだろう。強いて言うなら、なぜこの母親からあんな娘が生まれるんだ?という感じだ。
ピンポーン!
「あら、誰かしらこんな時間から」
チャイムの音が聞こえ母が出て行く。
「眠い…休みたい…」
文句を垂れながら準備を整え、リビングを出て玄関の方を見ると母と誰かが喋っていた。いや、母が一方的に喋りかけているだけのようにも見えるな。
あれはうちの制服だろうか?
姉の友達…な訳ないか…
「ちょっと、陽満!あんたこんな可愛い彼女がいるんだったら早く紹介しなさいよ!」
僕の方へ振り返り母がわけのわからないことを言い始めた。
「なんだよそれ、俺に彼女なんて……」
その時、母の陰からひょこりと顔を出しにこりと微笑む美少女の存在を確認し、僕は絶句した。
「野美乃…さん…なんでここに」
「あら〜野美乃ちゃんって言うのね〜、うちのバカ息子のこと頼むわね〜〜」
相変わらず意味のわからんことを言う母に対して、ぺこりとお辞儀をする野美乃さん。
「うんうん!じゃあ邪魔者はとっとと退散としますかね〜」
「うっせ!」
ニヤニヤしながら部屋に戻る母を見送り玄関に立つ野美乃さんに向き合う。
「えっと…おはよう?」
ポン!
とりあえず挨拶をすると、やはり野美乃さんはメッセージで返事してきた。相変わらず返事を打つのが速い。
【はい、おはようございます。】
とりあえず、僕はすぐに準備をして野美乃さんと共に学校へ行くことになった。
【それでは、学校に行きましょう。】
玄関を出るやいなや、野美乃さんは腕を絡めて来る。え?恋人かな?
女の子と2人で並んで登校なんて始めての経験にドギマギしながら、家を出てすぐ左に曲がったあたりでふと二階を見る……姉が見ていた。じっとこちらを凝視していたのだ。野美乃さんは気づいていないようなので急いでその場を後にした。
「ふーん、じゃああの子とはそういう関係じゃないんだ。」
「ふぁからふぉうひっへるふぁろ?(だからそう言ってるだろ?)」
昼休み、いつもの部室で僕は立花たちばなから尋問を受けていた。
「だっていきなり家内くんが可愛い女の子と手を組んで登校して来るんだもん、びっくりしたよ〜」
そう、結局あのまま登校した僕は学校の玄関口で一度野美乃さんと別れようとしたが彼女は離してくれなかったのだ。それどころか親切にもそのまま僕の教室まで送り届けてくれたのである。
「ふぉろろいうぁのふふぉひふぁふぉ(驚いたのはこっちだよ)」
ちなみに、今僕の顔には立花の足の裏が押し当てられている。ちょうど鼻を足の親指と人差し指で挟みこみ、足の裏を口元いっぱいに擦り付けるように立花が動かす。一体なにをやっているんだろうと思うよりも、立花の足の臭い、それも親指と人差し指の間という最も臭いのキツくなるだろうところから醸し出されるその香りに舌鼓ならぬ鼻鼓を打って堪能しているあたり僕はもう後戻りできないのだろうと、将来に対する大きな不安と今現在の状況に対する絶対的な幸福感を満喫していた。
「忘れちゃダメだよ、家内君…君は私の所有物なんだから」
あれ?立花と結んだ契約はそんな内容だっただろうか?そんな疑問を消し去るが如く立花がさらに強く足を擦り付けるので足が動くたびにヒラヒラと危なっかしく揺れるスカートへと集中する。
「ちょっ…ど、どこ見てんの!?」
「ふがあ!?」
立花が急に足を力強く伸ばしできたので、僕はそのまま後ろに倒れた。
「今日はもう終わり、また明日ね‼︎」
急いで立花が出て行く。
なんだろう、パンツを見られるのがそんなに嫌だったのだろうか…こんな状況で恥ずかしがるとは思っても見なかったので呆然としているとポン!最近よく聞くメッセージアプリの着信が響く。
【放課後、屋上で待ってます。】
それだけ書かれたメッセージ
「なんだか…怪しいニオイがするな…」
鼻周りに残った香りを堪能しつつ僕は呟く。
放課後、屋上へと行くとすでに野美乃さんは待っていた。陽が傾き始めたといってもかなり熱い、床からの照り返しによりジリジリとした鬱陶しさも感じる。太陽を背にした野美乃さんは全体的に薄暗く、夕日の赤と影の黒がはっきりと別れているように見えた。
後光がさす…というよりも黒を際立たせるように赤い光が包んでいる。
【来てくれてありがとうございます。】
僕がつくと同時にメッセージが送られてきた。そうだ、今こそ聞きたかったことを聞こう…ゆっくりと野美乃さんへと近づいて行く。近づけば近づくほどに夕日が眩しくなり、彼女の影が大きくなっていく。まるで彼女自体が闇に呑まれていくかのように錯覚するほどその影は濃い。ある程度近づいて、彼女の存在を手繰り寄せるように今まで聞かなかった…否、聞こうとしなかったことを彼女へなげかける。
「なんで…直接喋ってくれないんだ…?」
最初から…いや、実際にやり取りをしてみてその答えには辿り着いていた。でも、彼女がそれを隠しているのだろうかと思うと怖くて聞けなかったのだ。
もし、これが彼女にとってのヒミツなのだとしたらそれを知らないままの方が僕は良かった。ヒミツがヒミツでなくなればそれは人間が人間でいられなくなることのような気がしたからだ。少なくとも、ヒミツを知ったものはその人物との関係が壊れるかよりきつく絡まることとなる。
しかし、彼女は自分から僕へと近づき関係を築こうとしている。さらには自らの手でヒミツを明かそうとしているのだ。隠し事が人にバレるということは、それだけで死にたくなるほど恥ずかしい…はずだ。少なくとも僕はそうだった。
それを覚悟して僕に近づく彼女は、僕にとって初めての存在でもあった。
立花は僕のヒミツを暴く代わりに2人だけの契約を結ぶことで僕にそれを新しいヒミツとして受け入れさせた。
しかし今までの野美乃さんの行動は自らヒミツをさらけ出すだけの行為に等しかった。彼女にとって僕ははヒミツをうちあけるほどに大きな存在になったのだろうか?この短期間のうちに一体何が彼女にそこまでさせるに至ったのか考えても考えても、その答えにはたどり着けなかった。
だからこそ今僕は自分の口から野美乃さんに聞いたのだ。
一方的に人が隠していることを打ち明けられるなんてサラサラごめんだ。そんな状況に陥るなら、自分から片棒担いで一緒にヒミツを守り通す。それが僕と野美乃さんの関係を人間同士という範疇に収めるのに、一番ふさわしいと思ったのだ。愛くるしい大きな目をさらに見開いた野美乃さんはかなり驚いた様子だが、すぐに微笑んで口を開いた。
「ぁ……ァ………」
掠れたような、必死にもがくような声とも音ともいえない息のようななにかを吐き出し、野美乃さんは口を閉じる。そして
ポン!
スマホ画面に、僕が出した答えと同じ内容が映し出された。
【私は喋ることができません。】
やっぱり…そうか…
自分で想像したよりも、遥かに重い重圧…
これからきちんと向き合っていけるかどうか不安に駆られる、そんな僕をよそに野美乃さんは壁にもたれるように座ってポンポンと右横あたりの床を叩く。
となりに座れってことかな?
とにかく彼女の隣に座り、さらに送られてくるメッセージを見る。
【私が喋れなくなったのは2ヶ月前、お医者様からはストレスが原因だろうと言われました。幸いにも治る可能性は高いようです。】
「そうなのか!良かった…な」
【はい、ですので声に関してはあまり気にしていません。それに、嬉しかったです陽満君が気にかけてくれて】
「え、気にしてないのか?」
この時、僕の中でなにかが崩れた気がした。
喋れないことはそもそも彼女の中でヒミツでもなんでもなかったのだ。いらない心配をしてしまったのかもしれないと、申し訳なさげに画面から彼女の方へと顔を向けて言葉を失った。
彼女は見たこともないほど笑顔だった。
しかしそれは、恐怖を覚えるほど歪なものだった。
ポン!
と再びスマホが鳴ったので一瞬目を向け【やっと、私を見てくれた】
画面に表示された文を読む前に、野美乃さんは僕を壁に押し付ける形で覆い被さってきた。向かい合って座るような形で、急に目の前に現れた彼女の目はどこか虚ろだったがそれでいてしっかりと僕を…僕だけを捕らえていた。
「ハァ…ハァ…んっ」
最初はなにが起きたか分からなかったが、野美乃さんが僕にキスをしているのが分かると急に怖くなって離れようともがいた。が、信じられないほどの力で両腕を掴まれ両足も野美乃さんの太ももでがっちりとロックされている。必死に口を閉じて抵抗していた僕の唇にしゃぶりついていた野美乃さんは次に顔全体を舐め回し始めた。驚いて思わず口が開くと、その隙を逃さず舌を入れてこじ開けてくる。
歯を、舌を、歯茎を、鼻を、耳を、唇を、舐められ、蹂躙される。
体が熱い…頭もぼーっとしてきた。
彼女が唾液を僕の口へと送り込めば送り込むほど、意識が遠のいていく。今までの美少女然とした顔が嘘であったかのように顔を真っ赤に染め上げて、肩で息をしながら餌を貪る獣のような汚い笑みを浮かべ…
彼女はただひたすらに、僕を喰った。
何分経ったか分からない程、顔中舐められベトベトになった。満足したのか野美乃さんが立ち上がり僕を見下ろす。僕はまだ体に力が入らないほど興奮して、ぼーっとしていた。僕を見下ろす彼女の顔は、うっとりとしていながらもかなり歪んだ笑顔だった。
【可愛い…陽満くん】
野美乃さんからまたメッセージが送られてくる。
【私は、貴方のヒミツを知っています。】
「…え?」
この子は、なにを言ってるんだ…?
僕のヒミツ?
【貴方が新体操部の部室でなにをしているかも、全部】
僕の心臓が跳ねる。
【でも大丈夫、誰にも言っていなし言うつもりもありません。】
バクバクと心臓の音が大きくなり、彼女にも聞こえているのではないかと思うほどの息苦しさに襲われる
【これは、私と貴方だけの《ヒミツです》】
歪んだ彼女の目がさらに細くなる。
体が震えてきた
手足の感覚が遠のいて行く
【私は貴方を愛しています。】
【あなたも私を愛してください。】
【私のことだけを見てください。】
【私をどうか見つけてください。】
【これからずっと、これは私と貴方の】
【《契り》として残します。】
1枚だけ、画像が貼られた
僕が新体操部の部員全員のタイツや靴下、ジャージのズボンを抱えて、だらしない顔で匂いを嗅ぐ……そんな姿だった。すっと一歩僕へと近づいた彼女は片手でスマホを持ち、空いたもう一方の手でスカートの裾をつまみ、ゆっくりたくし上げた。スカートが胸あたりまでたくし上げられ、露わになる純白の布は夕日のせいか真っ赤に燃え上がったように僕のことを照らす。
耳まで真っ赤になりながら、目尻に涙を溜めながら先ほどまで魅せていたような歪んだ笑顔とは違い下唇を噛み、まるで何かを覚悟したような表情で。
僕に最後の言葉を
声にならない言葉をなげかける。
【私を
目を開けると、2年間の学生生活のうち数えるほども来たことがない保健室の天井が見えた。固めのベットの上でぼーっとしていると
「良かった、目が覚めたのね」
声のする方に顔を向けると、見たことはあるものの入学してから一度も話したことの無い保健の先生が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「…あの…僕と一緒に、女子がいませんでしたか?」
「大変だったのよ?急に貴方をおんぶした女の子が入ってきたと思ったら泣き出しちゃって」
「とりあえずあの子は帰らせたけど貴方たちなにしてたのこんな時間まで」
「いや…えっと」
「まあ、ちゃんと避妊はしなさいね」
この先生、他人のことをなんでも決めつけるタイプに違いない。しかし
【私を壊して】
あのメッセージを見た後の記憶が酷く曖昧だった。恐らくは気絶したんだろう。彼女がここまで運んでくれたとのことだが、屋上からここまで運ぶなんてかなり大変だったろう。
「もう、大丈夫そうなんで帰っていいですか?」
「ダメよ、熱中症かもしれないし今お母様が迎えに来られてるからそのまま寝転んでおいて」
なんということだろう、この歳にもなって母親に迎えに来てもらわねばならないなんて…しかもあの母のことだ
「だらしないねえ!!」
なんて言いながら、僕の背中を一発叩くに決まっている。そしておそらく家に帰ってから姉による介護が展開されるのだ。
案の定、母は開口一番「だらしないねえ‼︎‼︎‼︎」と僕の背中を二発叩いた。僕の想像を超えてくる母に対し「まあまあお母様」と保健室の先生がなだめていたが母を止めることはできず僕はおまけでもう一発叩かれた。母とともに校舎を出て校門前に止めた車へと向かう途中、母から気になる言葉を聞かされた。
「ああ、車で野美乃ちゃんが待ってるから」
「えぇ?どういうことだ?野美乃さんは先に帰ったって先生が…」
「バカだなねぇ、アンタが心配だったんだろうよ〜私がつくまでずっと校門で待ってたたんだよ。全く見せつけてくれるねえ」
なんだか癪にさわる言い方ではあるけれど、その言葉が本当ならば少し覚悟を決めて行かなければならないなと思いながら、足を進める。
結論から言えば拍子抜けするほど何もなかった。母が車に乗った後、少しの時間外で野美乃さんと話すことになったのだが体は大丈夫なのかとか僕に対する心配と確認が主だった。僕は気になって仕方がなかったので思い切って彼女にどこまでやってしまったのかと聞いてみたが
【大丈夫、なにもしてませんよ】
と笑顔で答えていたので多分ほんとうに何もしていないのだろう。母さん、結局僕は何もできないクソ野郎だったよ。とりあえず、母と相談して明日は学校を休んでゆっくりすることを野美乃さんに伝えると彼女から
【ゆっくり休んでくださいね、あとこれからは苗字ではなく名前で呼んでください。】
と催促されたのでこれからは莉音(りおん)、そう呼ぶことになってしまった。女子の名前を、しかも呼び捨てで呼ぶやつなんて妹しかいなかったので恥ずかしい気持ちになったがまあ今更気にしてもしょうがない。
莉音と別れてからはおおよそ予想通り
家に帰るやいなや姉が普段の姿からは想像できないほど慌てふためき、身体中をくまなく検査された。そこまで心配するほどのことでは無いと言っても聞く耳を持たない姉に看病されながら僕の非常に濃い一日は過ぎていったのだ。
ヒミツ @tumayozi
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