第4話 間宮からの手紙

 高部へ


 君がこの手紙を読む頃には、僕はもうこの世にいないだろう。


 という定番の書き出しで初めてみたのだが、俺には似合わないだろうか? そもそも、手紙というもの自体、俺には似合わないような気がする。


 俺がいなくなった後の世界で、お前はどんなふうに過ごしているだろう?

 サークルのメンバーで、馬鹿な俺を偲ぶ追悼パーティーでもやってくれただろうか?

 それとも、崩壊した世界の中で、必死に日々を生きているだろうか?


 俺がわざわざ、柄にもなく手紙を書いている理由は、お前に嘘をついてしまったことを謝りたいからだ。

 なんとなく、メールやボイスメッセージよりも、気持ちが伝わるんじゃないかと思ってね。


 まずは、一つ目の嘘。

 それは、実験について相談した時、被験者に危害を加える意図はない、と説明したことだ。この言葉を信じて、お前は俺の実験に協力する決意をしてくれた。


 だが俺は、最初から大多数の人間に危害を及ぼす明確な意図を持って、この実験を設計していた。

 理由は単純だ。

 いつかお前にも話したことがあったと思うが、俺は小学生の頃、幽霊を見たことがあったんだ。夕暮れ時の公園で、オレンジに染まった夕焼け空の中に、真っ黒な人型の影がそびえ立っているのを見たんだ。

 極度の怖がりだった俺は大急ぎで家に駆け込んで、母親に泣きついた。

 だけど母は、どうせ木の影かなにかだろうと、信じてくれなかった。

 それから、いつまでたっても怖がり続けることに痺れを切らした母親は、俺を精神科に連れて行った。医者にさえろくに信じてもらえなかったときは、絶望に突き落とされたような気分だったよ。

 俺が精神科送りになったって噂は、すぐにクラス中に広まった。細身で色白だった容姿とも相まって、幽霊だ幽霊だと散々いじめられた。

 その時決めたんだ。いつか幽霊を手懐けて、俺をバカにしてきたこの世界に復讐してやるって。

 十数年越しに抱いてきたその夢が現実になったことを想像するだけで、顔がほころんでくる。


 長くなってしまったな。次にいこう。

 二つ目の嘘。それは、心霊現象の発生条件をこちらから設定する方法を、すでに実証済みだと言ったことだ。

 霊界は、別次元に隔てなく存在する、途方もない大きさのエネルギーの塊だ。そんなものを思い通りに操作する方法なんて、存在するはずがない。

 たった一つを除いてな。


 怨霊が発生するメカニズムについて話したことがあったろう。

 恨みを抱えて死んだ人間は、恨みを向ける張本人の意識に反応するプログラムと化して霊界に取り込まれる。ということは、自分自身がプログラムとして霊界に取り込まれてしまえば、膨大な霊的エネルギーを自在に操ることも可能なんじゃないかと考えたんだ。

 もちろんこれも実証されているものではない。文字通り命を賭けた、一度限りの賭けだった。


 次で最後の嘘だ。

 三つ目の嘘。俺はこの研究を成功させることで、お前と共に、日本の心霊研究の歴史に名を刻みたいと言った。

 だが、そこに刻まれることになるのは、高部、お前一人の名だ。


 俺が刻んだのは、気が触れて少女を誘拐し、醜態を全世界にさらけ出した、哀れな自殺者としての名だろうか? 

 それとも、自らの命を捧げることで未曾有の大殺戮を巻き起こした、人類史上最悪の不能犯としての名だろうか? 

 その答えを、今のお前は知っているはずだ。





 あの事件によって、日本は崩壊した。


 世田谷区で発生した立てこもり事件を中継したニュース番組の視聴者が、相次いで原因不明の死を遂げることとなった。

 死亡推定時刻から、事件の犯人である男が自殺したこととの関連性があることが推測されているが、直接的な死亡の原因や、そもそもこれが殺人事件であるのかどうかさえ、真相は不明のままだ。


 正確な死者数も、未だに公表されていない。というよりも、もはや調査が追いつくような規模に留まるものではない。

 間宮からの要求と、SNS上での情報拡散の結果、中継は大きな注目を集めていた。それが仇となったか、視聴率から推定される死者数は少なく見積もって五百万人以上を数えた。


 この惨劇は、日本の社会秩序を根本から破壊し尽くすこととなった。

 最も広域かつ普遍的な影響を与えたのは、空気の変化だろう。

 一瞬で五百万体以上の死体が地上に溢れかえったのだ。発見の行き届かない死体は、至る所で腐乱を進めている。運良く発見されたとて、死体処理場や墓地も不足している。

 死体は日々積み上げられ、都市は死臭に覆われることとなった。


 経済的な打撃も計り知れないものとなった。

 単純に消費者の絶対数が減少したことで、当然ながら消費も減退し、日経平均株価は史上最大の大暴落となった。

 死に覆われたムードの中では、エンタメ産業も壊滅状態。テレビでは、今日新たに見つかった死亡者の名前が、延々と画面に流されている。

 事件は、当然ながら海外のメディアでも大々的に報道された。空港はかろうじて機能しているが、死臭に満ちた日本をわざわざ訪れる外国人など皆無。観光産業も衰退した。


 教育の分野にも大きく影響した。

 立てこもり事件の人質が女子小学生だったこともあり、教育現場の関心も高かったのだろう。多くの教員が命を落とし、臨時休校を余儀なくされる学校が相次いだ。

 夕方ニュース番組のメインターゲットである主婦層の被害も目立ち、託児所や保育所の不足もあって、受け入れ待ちの子供達は路頭に迷うこととなった。


 二次的な被害も多発した。

 原因不明の集団死に対する不安は、日用品や食料品に対する急速な需要の増加をもたらし、トイレットペーパーや保存食を求めてスーパーマーケットは長蛇の列となった。

 もっとも、混乱した状態では供給は十分とはいえず、暴動や消費者同士での奪い合いが多発した。

 結果として、中継映像の視聴を直接の原因としない二次的な死傷者も、増加の一途をたどっていた。





 俺がお前に謝りたいのは、世界に破滅をもたらしてしまったことじゃない。ただ、お前に嘘をついてしまったこと、それを謝りたい。本当に申し訳なかったと思っている。


 なぁ、高部。お前は今、俺に対してどんな感情を抱いているだろう? 

 悪魔に魂を売って罪なき人々の命を奪った、最低の人間だと憎悪しているだろうか? 

 人生を通して追い求めてきた心霊現象をついに現出させた英雄として、崇拝しているだろうか? 

 お前がその感情を抱く頃には、俺にはもうそれを知る術はないし、どう思ってくれたって構わない。

 ただ本当は、「あぁ、間宮らしいな」と、いつも通りの目を向けていてほしい。これを書いている俺は、そんな自分勝手な願いを抱いている。


 そういえば、あの女の子について気になってるだろう? 俺の代わりに前に立って、詩を読んでくれた女の子。

 あの子は、実験に協力してもらうために、数ヶ月前から仲良くなった、近所に住む小学二年生の女の子だ。

 名前は黒羽結衣。

 幼い頃に父を亡くしていて、現在は母親と二人暮らし。母が仕事から帰るまでの間、よく公園で一人遊んでいるのを見て、声をかけた。

 もちろん最初は警戒されたよ。だけど何回か会っていくうちに、結衣も寂しい思いをしてたんだろう、だんだんと心を開いてくれるようになった。

 実験の数日前には、俺は結衣のことを本当の妹のように感じさえしていた。

 まぁ、結衣にとっては、俺はおじちゃんと思われていたけどね。


 結衣は本当にいい子だった。

 大学の帰りに、結衣といつもの公園で遊ぶのが心の底から楽しかった。

 実験の日が近づくにつれ、サークルも行かず、少しでも長く結衣との時間を過ごしたいと思った。

 俺は、結衣を愛していた。

 そしてその愛こそが、結衣を実験に巻き込み、なおかつ結衣を傷つけないために必要だったんだ。





 間宮の血を頭から浴びることとなった少女は、ショックで意識を失っていた。

 少女に限らず、アパートを中継していた報道陣や野次馬たちも同様に倒れこんでいたが、彼らは全員死亡していた。

 駆けつけた救急隊によって生存していることが認められ、優先的に病院へ搬送された少女は、搬送から約十二時間後に意識を取り戻した。

 彼女は、事件前後の記憶はおろか、間宮という男に関する記憶を、綺麗さっぱり失っていたという。





 高部。お前に重要な役割を与える。お前がこれを成し遂げることで、真の意味で、俺の研究は完成される。

 俺の最後の頼みだ。聞いてやってくれ。


 あの事件の瞬間、一体何が起こったのか。

 俺はあの日、小学生の女の子を人質に取ったという連絡を、各テレビ局に入れた。

 集まった報道陣によって俺の姿は中継され、自分が実験台になろうとは思いもしなかっただろう多くの視聴者たちが、テレビ画面に釘付けになった。

 ここまでは、お前も予想できていることだろう。

 SNSで話題が広まっていくのも確認しながら、十分に被験者が集まったと判断した段階で、俺は部屋の奥から結衣を呼び、詩を読んでもらった。


 どうだった、あの詩は? 俺が書いたんだ。

 ああいうのを書くのは初めてだったし、少し恥ずかしいが、俺の自信作だ。結衣も気に入ってくれたみたいで、公園で一緒に読む練習をしたよ。


 この実験の方法は、被験者個人の持つ記憶や知識によらない共通の認識を植え付けることで、霊界との接触を促すものだ。そのためには、誰もが共通して意識を向けられるような普遍的な対象が必要だ。


 そこで俺が考えたのが、人間の身体そのものだった。

 人間を構成する一つ一つの細胞の動きや、人間の身体の中を循環する血液の流れ、自分の意思とは無関係に繰り返される生命の営みに意識を向けさせる。

 穢れのない純粋な視点から世界を見つめる結衣の語りは、言葉の持つ力をより強めて、我々の意識の中に深く入りこんでいく。

 そして、俺が自ら命を絶ち、身体から溢れ出る血を目の当たりにさせることで、生命活動の崩壊に対する本能的な恐怖を呼び覚ます。

 そして俺は「生命活動の崩壊に対する本能的な恐怖を抱く人間を殺害する」プログラムとして霊界に取り込まれ、即座に霊障を発動させて被験者の命を奪う、という算段だ。


 それだけじゃない。さらに俺はもう二つ、霊界にプログラムを持ち込んだ。


 一つは、協力者・黒羽結衣の中にある間宮という男に関する記憶を消去し、彼女を保護すること。

 これにより彼女は、事件に関する記憶を失い、不必要なトラウマを抱くことなく生きていくことができる。


 もちろん、それで万事解決といくような話ではない。

 いずれ彼女は、自分が過去、想像を絶するような凄惨な事件の当事者となってしまったことを知るだろう。そして嘆き悲しみ、自分を責め、自ら命を絶つことすら考えるかもしれない。

 彼女を愛している俺にとって、それは堪え難い悲しみだ。

 だが、それでも俺は、この実験を実施することを選んだ。愛よりも、復讐を選んだ。

 この祈りは、彼女の人生にせめてもの救いがあってほしいという、俺の自分勝手な償いだ。


 そしてもう一つは、お前が今読んでいるこの手紙を、お前の部屋まで届けること。

 事を起こす前にこれを読まれるわけにはいかないし、だからといって郵便なんかは、事が起こった後でちゃんと機能している保証はない。

 だから俺は、霊界の力を借りてこれをお前に届けようと思ったんだ。

 怪談話に、捨てても捨てても戻ってくる人形の話なんかがあるだろう。霊界の力を借りれば、思いの込められた物体を操る事だってできる。

 まぁこの手紙は、別に捨てても戻ってきたりしないから、安心してほしい。 





 インターネット上では、原因不明の大量死について、日々白熱した議論が交わされている。

 特定班によって、間宮の名前、出身高校・大学と在籍する学部、卒業アルバムの写真などが、あっという間にネット上に晒されていった。

 一部の界隈は間宮と少女を神の遣いだと考え、この大量死は黙示録の序章に過ぎない、という持論を展開している。

 一方で、間宮はただの哀れな精神病患者に過ぎないと考えるオカルト否定派も存在するが、彼らもまた、「あの大量死は一体何なのか?」という謎に対して科学的な仮説を展開することはできていなかった。





 俺の復讐心によって構築された怨霊が、多くの人々を殺した。そして、俺の愛によって構築された守護霊が、黒羽結衣の記憶を消した。

 高部、お前に与える役割は、この摩訶不思議な怪事件を研究し、それを世の中に知らしめることだ。


 俺の行為が、研究として認められることはない。そんな当たり前のことは、俺にだって分かっていた。

 だが俺は、知らしめなければいけない。霊はいるのだと。霊界はあるのだと。霊界の力によって、この惨劇は巻き起されたのだと。俺の言葉を信じなかった世界に知らしめなければいけない。

 そしてお前なら、それが可能だ。

 この実験そのものでは認められないのだとしても、この実験を含む「間宮という男」そのものを分析し、人物研究として認めさせることはできるはずだ。

 そうして書かれた論文は、世界最高峰の不能犯研究としても、世界最高峰の心霊研究としても、金字塔を打ち立てることになるだろう。

 世界は、高部という男の言葉を通して、霊界の存在を確信することになる。


 論文を書くには、俺の人生の軌跡が必要になるだろう。

 先日、オカルト研究会の部室にダンボールを一箱置いてきた。「高部へ」と大きく書いておいたから、すぐに見つけられるはずだ。

 その中には、今までにサークルで発表してきた心霊研究の論文や、授業で提出したレポート、卒業文集、読書感想文、日記帳… 俺が書いてきたあらゆる記録が入っている。ぜひ活用してほしい。


 部室に行ったとき、もしオカルト研究会のメンバーがいたら、よろしく伝えておいてくれ。最後の挨拶もちゃんとできなかったからな。

 聞いた話では、俺とお前がデカい研究を企ててるって噂になってるらしい。「答えはYESだ」と自信満々に言い放ってやれ。

 一つ下の早坂は、俺たちのBL小説を書いているみたいだ。俺はそっちの趣味はないんで読んでないが、その小説の世界では俺もまだ生きてて、二人で幸せに愛を育んでるのかもしれないな。もし早坂が生きてたら、読んでやってくれ。


 さぁ、そろそろお別れとしようか。

 なにせお前は、これから論文執筆で忙しくなるんだからな。こんな手紙はさっさと読み終えて、早速資料を取りに大学へ向かってくれ。

 俺はこっちの仲間と一緒に、お前が作り変えていく世界を楽しみに見守っているよ。


 最後に。

 もしも寂しくなった時には、心の中で、俺との思い出を強く呼び起こしてくれ。

 俺からの、ささやかな贈り物だ。

       

             


              

 死臭の漂う夜更けの街並みで、僕は大学に向けて自転車を走らせていた。

 夜道には、誰の人影も見当たらない。まるでこの街が僕一人のものになったかのように感じて、僕は自転車を漕ぐ速度を上げた。

 遠くには、夜の闇に紛れて、煙が立ち上るのが見える。溢れ返った死体を焼き払っているのだろうか? その煙は道しるべとなって、彼らの魂を霊界へと導く。


 間宮に対する感情は、僕自身にもよく分かっていない。

 僕たちの平和な日常を奪ったことに対する怒り。彼の側にいながら、彼のことを何も理解できていなかった虚しさ。彼が破壊した世界が、私たちに何をもたらすのだろうかという高揚感。

 複雑に絡み合い溢れ出した感情が、僕の心の中にいる間宮という虚像を満たしていく。


 だが、それはいつか実像にしなければならない。僕たち人類は、間宮という男の真実に向き合い、彼が変えてしまった世界を生きていかなければならない。

 そのためにはまず、僕が彼を理解することだ。彼を理解して、それを世に知らしめる。

 それは彼の願いであり、そして今は、僕自身の願いでもある。


「お化けの話してると、本当に寄ってきちゃうわよ。」


 幼い頃の僕に、母がよく言っていた言葉は、思わぬ形で現実となった。

 お化けの話をし続けて、間宮という男に出会った。彼ともまた、お化けの話をし続けて、彼は霊界の真実を呼び寄せた。そしてそれは今、僕の手の中に受け継がれている。 


 畑道に差し掛かった。大学へ向かう近道となるが、街灯もなく、この時間では自転車のライトが照らすわずかな範囲が目に入るだけだ。


 ふと、手紙の最後に書かれた言葉が頭をよぎる。間宮からの、ささやかな贈り物。

 一面の闇につつまれた、たった一人の世界で、僕は間宮に思いを馳せる。間宮との出会い、間宮と過ごした時間、間宮の言葉、そして間宮の最期。

 ひとつひとつの思い出を、頭の中で紡いでいく。


 気配を感じて、僕は自転車を止めて後ろを振り返る。

 僕が今走ってきた道の真ん中に、女が立っていた。

 長い黒髪が腰の位置まで垂れ下がり、白装束を着て、こちらを向いて呆然と佇んでいた。


 僕はそれを見て、まさか自分が、そんなありきたりな姿を思い浮かべてしまったことを恥ずかしく思って、


「全く。間宮らしいな。」


 と照れ混じりに呟くと、再び前を向いて、自転車を走らせはじめた。

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