第3話 生命の循環
〝その日〟がやってきた。
間宮から伝えられた、実験の実施日。
大学の講義が三限目で終了し、現在は大学構内のラウンジスペースで、間宮からの連絡を待っている。
考えてみれば、〝実験〟と呼べるものを行うのは、今日が初めてだ。
僕が所属しているのは文学部で、授業やゼミは実験と無縁だ。サークルも、基本的には週に一度集まって駄弁り合うだけだし、間宮の考えた説に関しても、本格的な実験まで行うことは一度もなかった。
初めての試みに少しばかり緊張しながらも、ついに心霊現象を体験できるかもしれないという期待に、胸の奥底を踊らせていた。
テーブルに置かれた携帯電話が振動する。間宮からのメッセージだ。
実験に関する連絡だろうと確信し、すぐさま開く。
その確信は間違ってはいなかった。だが、それを読んだ僕はしばらくの間、文章の意味を理解することができなかった。
僕に与えられた指示は、自宅に待機していることだった。
自宅に向けて自転車を走らせている間、僕は間宮の指示を素直に受け止められず、あらゆる可能性を思索していた。
まずは、実験が中止になり、別日に変更になった可能性。
これは最もありそうな線ではあるが、それなら僕にもはっきりそう伝えて、解散にすればいい話だ。わざわざ自宅に待機させておく必要がない。
僕の家でなくては実施できない実験なのだろうか?
だが、何の変哲もないワンルームの賃貸アパートで、距離も大学から自転車で二十分以上はかかる。わざわざ被験者を連れてくるくらいなら、オカルト研究会の部室でも使えばいい。
もしかしたら、何もかも間宮の冗談なのかもしれない。
実験なんて最初から行うつもりはないし、そもそも〝霊界接続説〟なんてものも存在しない。
家のドアを開けたら、オカルト研究会のメンバーが部屋中を勝手に飾り付けして、僕へのサプライズパーティーでも企画してくれているのかもしれない。
あれこれと妄想を膨らませているうちに、自宅に到着した。
駐輪場に自転車を置いて、階段を登り、自室のドアを開ける。いつもと変わらない、僕の部屋だった。
ポケットから携帯電話を取り出すと、自宅に着いたら電話をしてくれ、と間宮からメッセージが届いていた。
すぐに間宮に電話をかけ、三回目の着信の後、間宮の声が聞こえた。
「高部か。もう自宅には着いたんだな?」
「ああ。一体どういうことなんだ? 今日の実験は中止か?」
「テレビをつけて、ニュース番組を見てくれ。」
そう一言だけ言い渡されると、すぐに電話は切れてしまった。
何が何だか分からないまま、言われた通りテレビをつける。
チャンネルを変えるまでもなく、画面には夕方のニュース番組が映し出された。
「世田谷立てこもり事件 女子小学生が人質に」という見出しで、カメラはアパートの一室の窓から顔を覗かせる男を捉えている。
その男は、まさに今日会うはずだった、僕のよく知る男だった。
「繰り返しお伝えいたします。現在、世田谷区にあるアパートの一室で、推定二十代前後の男が、下校途中だった小学生の女の子を人質とし、立てこもる事件が発生しています。男は十六時ごろ、小学生の女の子を監禁している、と自らテレビ局に連絡し、駆けつけた報道陣に対しては、自分の姿をカメラで捉え続けることを要求しました。また、この番組、および他局のニュース番組で放送中の中継を見る視聴者に対しても、女の子を助けたいのなら中継を見続けろ、と要求しています。」
間違いなく、間宮だった。
これのどこが、心霊現象の実験なのか? 僕は、何か恐ろしい企てに巻き込まれてしまったのだろうか?
すぐさま、間宮に電話をかける。
だが、電源を切られているのか、電話が繋がることはなかった。
オカルト研究会のグループLINEが、見たこともないような早さで更新されていく。
僕に対してのメンションが付けられ、「間宮はどこにいるのか?」「何が目的なのか?」と、こっちが聞きたいと言いたくなるような質問で溢れていく。
Twitterのトレンドでも、この事件に関連するキーワードがランキングに上がり、中継を見続けることだけを要求した動機不明の立てこもりは、数々の憶測をもたらしていた。
中継の視聴者数によって人質の命運が左右されるシナリオを設定することによって、市民全体を殺人事件の関係者に仕立て上げようという目的なのではないか。
はたまた、承認欲求の高まりによって暴走した、SNS時代が生んだ哀れな怪物か。
挙げ句の果てには、テレビ離れを解決するために、テレビ局側が用意した悪趣味極まりないエンターテイメントなのではないかという意見まで飛び出した。
だが僕は、男が立てこもる動機を知っている。
自ら提唱した〝霊界接続説〟という心霊現象の学説を検証するため、下校途中の少女を監禁し、テレビ中継に映っている。
知っている。知っているはずなのに、何もわからない。
テレビ中継を要求したのが、実験の被験者を増やすためだというのは想像がつく。
だが、少女を人質に取ったのは? 単に世間からの関心を高めるためか、それとも別の役割があるのか?
僕はこれから、いったい何をさせられるのか?
間宮は、僕たちの意識に、何を植え付けるつもりなのか?
アパートの中継が続いて二十分ほどが経過した。
現場には報道を受けて警察車両も到着しているが、テレビ中継以外の要求がない以上、現場は膠着応対が続くほかなかった。
間宮も動じることなく、窓から報道陣を見下ろしている。
程なくして、「世田谷立てこもり」「女子小学生」「動機不明」というワードが、Twitterのトレンドトップに並んだ。
各社テレビ局もこの現場を中継し続け、事件は大きな注目を集めることとなった。
「そろそろかな。」
テレビ画面の中の間宮が、そう口にした。
スタジオのキャスターは電話で話を聞いていた立てこもり事件専門家の分析を遮り、中継画面に注視する。
「もう出てきていいよ!」
窓際に立ったまま、部屋の奥に向けて、間宮が言った。その声に反応して、部屋の奥から一つの人影が、窓に向かって歩いてくる。
少女だった。
年齢は、小学校低学年くらいに見える。
窓の外の群衆を見つめながら、不安げな顔で間宮の側に寄り添っている。
この子が、間宮が人質に取った少女なのだろうか?
「けーさつの人いっぱいいる。おじちゃんわるいことしちゃたの?」
「そんなことないさ。おじちゃんは、ゆいちゃんが悲しむようなことはしないよ。」
「やくそく?」
「うん。やくそく。」
二人は微笑んで、指切りをする。
「立てこもり事件」の文字とともに、心温まるやりとりが映し出される、異様な光景だった。
「練習したとおりにできる?」
「うん!」
「そっか! よし、がんばろう!」
そう言うと、ゆいちゃんという名前らしい少女は、右手に持っていた原稿用紙を開き、窓の真ん中に立って、私たちに向けてゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
どくん、どくん、どくん
からだのなかに、なにかいる
むねのおくから、やってきて
からだのなかを、ながれてく
どくん、どくん、どくん
からだのなかは、うごいてる
ぼくのうごきは、とまっても
からだのなかは、とめられぬ
どくん、どくん、どくん
からだのなかに、とらわれる
ながれのわから、にげられぬ
からだのなかが、おそろしい
どくん、どくん、どくん
間宮が首を切った。
少女の言葉が途切れてからすぐの出来事だったか。それとも、途方も無い時間が過ぎていただろうか。
映像はすぐに切り替えられたが、我々の目には、間宮の首から鮮血が吹き出し、少女の美しい黒髪を真っ赤に染め上げるさまが、はっきりと焼きついていた。
どくん、どくん、どくん。
身体の中を駆け巡る生命の泉が、出口を見つけて溢れ出す。
心臓が鼓動を奏でるたびに、泉は押し出され、羽ばたいていく。
どくん、どくん、どくん。
少女の声が、脳に反響する。
意識から離れたところで繰り広げられる生命の営み。
身体の奥底で繰り返される生命の循環に、意識を向ける。
どくん、どくん、どくん。
鼓動に耳を澄ませる。動脈、静脈、毛細血管。
身体の中を駆け巡るひとつひとつの流れに、ひとつひとつの雫の塊に意識を向ける。
どくん、どくん、どくん。
細胞ひとつひとつの蠢きを感じる。
生きるものたちに課された、肉体という檻に、魂を繋ぎ止めるための枷に意識を向ける。
どくん、どくん、どくん、どくん、どくん。
気がつくと、部屋の中に間宮がいた。
満足そうに、微笑んでいた。
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