死んじゃえば、いいのに。

楪 玲華

第1話

「うぐっ。」

ようやく離れた男の手を掴み、私は肩で息をする。

「まずっ。」

「でも好きじゃん?お前。」

「好きなのはそっちでしょ。」

ブラのホックを外しながら、適当な返事をする。

「早くしろよ。」

「もうちょっとムードというものがないんですかあなたは。」

「もうそういうのいいだろ?俺ら。」

そう言って私の胸を揉む男。その手はやがて下に降りて、私を濡らす。私の甘い声を聞いた男は、好奇心の溢れる少年のような目をしていた。


あーあ、明日も仕事か。だるいな。今日部長、機嫌悪そうだったな。明日めんどくさそうだな。あーあ。


男が私を抱く間、ずっと下らない事が頭を埋め尽くす。一通り考え尽くして、もう全部どうでもいいやと思ったくらいに、男は絶頂に達する。だから私も合わせて演技する。もう全部、どうでもいいから。




「浮気、ばれちゃった。」

そうヘラヘラしながら言ったあいつは、あれから二度と連絡してこない。あいつに抱かれたのが二日前。私、また捨てられたのかな。あの子可愛かったし。あいつ、女を抱くのだけは上手かったのになぁ。幸せになるな、とか願ってしまっている自分が怖かった。私が本命じゃない事くらい、ずっと前から、知ってたのに。


あいつはあの子にも、同じことをするのかな。ブラのホックは外してあげるのかな。ゴムは自分でつけるのかな。抱きながら好きって言ったりするのかな。名前は間違えちゃだめだよ。あーあ。なんであんな奴の心配してんだろ。捨てられたのは私なのに。


私も、女なのにな。なんであの子はあんなに綺麗で、私はこんなに汚れているんだろう。いや、あの子も決して綺麗な訳じゃない。綺麗なふりをしてるだけ。なのに。一体何が違うんだろうな。あの子だって、あの汚い男に抱かれてるはずなのに。


もし、私の汚さが、あの男を通して、彼女に、あの可愛い子に、伝わっているとしたら、それは、すごく申し訳ない事だけれど、でも同時に、私を興奮させる種子にもなった。私の体で、あいつの男の部分は汚されている。でも彼女はきっと、そうとも知らずに、あの男に抱かれていたのだろう。薄っぺらい愛の言葉を囁き合いながら。


ああ、馬鹿みたいだ。私はあの男の向こうに、可愛いあの子を描いていたのかもしれない。いや、自分に、可愛いあの子を重ねたいのかもしれない。少なくとも、私はあの男を愛してなどいなかった。別にあいつじゃなくても良かった。あいつが、男であること、そして私が女であることを、お互いの凹凸を埋め合って確認しているだけだったから。




私はあの男が羨ましかった。あの男が持っていた、あの不思議な形をした器官が欲しいと思った。あれを使って可愛い女の子の顔が歪むのを見たいと思った。一日だけあいつの体を借りれたらいいのに。そうしたら、私は自分の手で彼女を汚すことができたかもしれないのに。


別に、心は男だとか、そういう訳ではない。たとえそうだったとしても、要らない感情にはずっと蓋をしてきたし、これからもきっとそうして生きていく。だけれど、私も彼女と同じ”女”だという事実に、こう、胸が痒くなるのだ。




女性用と銘打つAVは一目見ただけで嫌いと分かった。それより女性が泣き叫んでいるものの方が好きだった。テレビに映るイケメン俳優とか、アイドルなんかも一切好きになれなかった。それより可愛い声の女の子の方が好きだった。


それだけじゃ無かった。他の人には見えなくて、私にだけ見える壁がいくつもあった。私にとって、この世界はあまりにも生きづらかった。その生きづらさに立ち向かうための方法は自分を汚すことだけじゃない、そう気づいた頃にはもう手遅れだった。




出会い系アプリのチャットには、今夜寝る相手を探す女が沢山いた。私もその一人だ。このアプリを知ったのは十六の時だが、私のプロフィールには「始めたばかりで分かりません(汗)仲良くしてください♡」と書いてある。半分は嘘だが半分は本当だ。このアプリも、あの男がいる間は開いていなかったのだから。


別にお金が欲しい訳ではなかった。大人になりたいとかでもなかった。それなのにこんな世界に足を踏み入れた昔の私を笑ってほしい。知らない男達に、まだ綺麗だった体を簡単にあずけて。私は簡単に沼に沈んでいった。ねえ、十六の君。君のなりたかった大人とは、私のようなのでしょう?


ファーストキスは甘くなんかなかった。初めての相手は顔も名前も忘れてしまった。それが普通じゃない事は知っていた。だから自分が気持ち悪くて仕方なかった。気持ち悪い自分を隠すために、何度も何度も、知らない男で上書きをした。子供の頃の何も知らない私を、私はもう思い出せない。



見つからないや、あーあ。返信の来ないチャット画面の更新ボタンを押し続ける。自分が誰にも見えない透明人間のようにさえ思えた。こんなに加工で飾ったのに。承認欲求は満たされないまま純粋な性欲に変わる。今日は誰にも抱いてもらえないのに。


男の味を知ってしまったこの体じゃ、自分の短い中指は物足りなく感じた。最低限の物しかない殺風景な部屋。声は出さない。必要ないから。あるのは自分の裸体と、違法サイトの動画を流すスマホと、あとは少しの憂鬱。一人だって二人だってすることは変わらないのに、一人でいるときの方が悲しくなるのは何故。零れる涙は止まらないまま、白い乳房に流れていった。




死んじゃえば、いいのに。なんとなく呟いたこの言葉が向く先は、二度と連絡してこないあの男でもなく、若かった私を愛したあの男達でもなく、私自身だ。全部、自分が好きで選んだ道だから。別に後悔はしていない。ただ、死ぬ理由にするにはまだ足りない。いつになったら死ねる?もう私は綺麗じゃない。誰かに心から愛されている訳でもない。生きている理由もないのに。それでも生きねばと、誰に言われたわけでもなく、私は一人、快楽に身を寄せるだけ。

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