拝啓、戦場の花々へ

夕凪

拝啓、戦場の花々へ

「エレン」


木々も枯れ、草は燃え、砂と岩だらけになった荒野の真ん中。

僕は、木の幹にもたれるようにして蹲った彼女の名を呼び、その顔を覗き込んだ。

彼女の服装は僕と同じ、とある兵団の戦闘服だ。

しかし今は、僕も彼女も服のところどころが裂けて汚れた傷口が見えていた。

特に彼女の腹に空いた穴は、どくどくと血をまき散らしながら緑色の戦闘服に染み広がっている。


彼女、エレンは、砂ぼこりに塗れたブロンドの髪を揺らして少しだけ顔を上げ、僕を見た。


「リオ……ごめん……意識飛んでた」


「しょうがないさ。焼夷弾まともにくらってたもんなぁ。立てる?」


「……難しそう、かなぁ」


エレンは自分の裂けた腹を必死に抑えながら、掠れた声で言った。

僕は彼女に聞いた。


「じゃあ、死ぬ?」


エレンは何も言わなかった。

ただいつものように、曖昧な笑みを浮かべていた。

さっきの質問は、ささやかな彼女への意地悪だった。分かり切ったことだ。

腹が裂ければ、兵団は手当してくれない。長くはもたないからだ。

治療にはお金も人手もかかる。しがない少年兵と少女兵にかけるお金も人手も、この国はもう持ち合わせていない。


「そうか。君はここまでか……」


僕はうわごとのようにそう呟くと、エレンの隣に座った。

離れたところで兵団が兵たちを集めて、怪我人の救護をしている。

何か柔らかく湿ったものに手が当たったと思い視線を向けると、誰かの腹からこぼれた臓器だった。

よく見ると、地面のいたるところに同じようなものが落ちている。

人間の手だけだったり、足だけだったり。胴体だけになっていたり。


そんなものを見てもどうにも思わなくなってしまった自分に苦笑しそうになるのを堪え、僕は空を仰いだ。


「残念だなぁ、エレン。君が死んでしまうと、きっとたくさんの仲間たちが悲しむだろうぜ。エリックも、フレシアも、ローレンスも。君はあの三人と今夜トランプ勝負をする約束までしていたのに。僕はあの白熱した勝負を見るのが好きだったんだよ」


「……ごめん……」


「なに、心配することはないさ。君が死ぬのは悲しいけど、きっとまた立ち直れる。……君が眠るまで、僕が傍に居よう。最後が僕で不満だろうが、許してくれ」


エレンはもう笑わなかったが、首を微かに縦に動かして、言った。


「リオが居てくれるなら……安心、して……眠れそうね」


僕はおどけるように笑った。

極力エレンのことを見ないようにしていたのかもしれない。

残酷なくらい青い空ばかりが視界を埋め尽くしていた。


「そうかい? それならいいんだけど。無理に話さないでいいよ。そうだ、僕が話をしよう。冥途の土産にでもしておくれ」


視界の端に移った木の枝の先に目を向けると、今僕らが寄りかかっている木が桜の木だと分かった。

春になるとたくさんの桃色の花びらをつける。ずっと昔に見た桃色の記憶が頭の隅をよぎった。


「この木は……桜っていうんだ。君、桜は一度も見た事がないと前に言っていただろう。見せてやりたかったなぁ、これがもう少し後だったら、春になって綺麗だったろうに。桃色の花が咲くんだよ、そうだなぁ、ちょうどフレシアの髪色のような。たくさん花が咲いて、それでもすぐに散ってしまうんだが、その吹雪のように散っていく様がとてもきれいなんだ」


耳元で鳴るエレンの吐息と呻き声が、少しずつ小さくなっていく。


僕はそれを聞かないふりをしたまま、話をつづけた。


「いいことを思いついたぞ。僕が君の分までいろいろなものを見てやろう。美しいものも、汚いものも、全て。僕が君の目になって、鼻になって……ああ、君と僕の感じるものが、似ているものであればいいな」


一度目を閉じてみた。

兵器が吐き出す煙によって空気は悪い。砂ぼこりも待っていて風もよどんでいる。

が、エレンに触れている手に灯る温もりだけは、本物な気がした。


目を開けると、視界を鳥が横切った。

トンビだ。どこまでも高く飛び、得物を狙う末恐ろしい鳥。

独特な鳴き声を上げながら、僕とエレンの頭上を回っている。


「……鳥だ。見えるかい? 彼らの世界には、きっと僕らなんていないんだろうなぁ。鳥たちには、歴史も命もくそもないんだろう。全てのものは移ろいゆくためだけにあるというのに。人間は、あまりにも守るものが多すぎる。その意志を得た根源こそが何よりも美しい瞬間だったことが、もう誰にも見えなくなってしまった」


返事はない。

エレンはただ黙って赤黒い肉の海から漏れ出たはらわたを見つめていた。


「そういえば、昨日ローレンスが猫を拾ったらしい。君にも話したがっていたよ。猫も不運なことだ。こんな戦場に迷い込んでしまうなんてね。それでも猫はたくさん子供を産んでいた。こんなに小さい子猫を、たくさん。それでも母猫は、全ての子猫を愛しているようだったよ。いくら食べるものがなくても、か弱くても、一匹たりとも諦めている様子はなかった。……君は猫が好きかい? 俺は近づいたら逃げられてしまったが、夕飯を分けてやったらこっちをじっと見つめてくるようになったよ。まったく、人を殺して暮らしている僕らでも、命をもたらせるのは驚きだね。なんだか笑えてきてしまうな。だってこんなの、白々しいじゃないか」


僕はそこまで話して、息をゆっくり整えると、僕の肩に寄りかかって来ていたエレンの重みを改めて感じた。


「なぁ、君もそう思わないか? エレン」


問いかける。

が、答えはなかった。


「エレン?」


僕が態勢を崩すと、それと同時にエレンの体がどさりと僕の膝の上に倒れ込んだ。

膝枕をするような姿勢になり、それが少し嬉しくて僕はエレンの目にかかった前髪を払う。

エレンの瞳孔は半開きのまま固まっていた。触ると、少しずつ体が硬くなっているのが分かる。

ただ、エレンの温くなった体温だけが、生々しくそこにあった。


「眠ってしまったのかい?」


僕の声に彼女が答える事は、もうない。

永久に。


目を合わせることも、たわいのない話で笑いあうことも、トランプで真剣勝負して悔し泣きすることも、眠れない夜に星空を見上げて綺麗だと呟くことも。


叶わない。


「ねえ、エレン。僕は――」


僕はエレンのブロンドを撫でつけながら、言った。


「僕は、君が好きだったんだ」


直後、乾いた笑いが漏れる。

頬を伝いだす滴があまりにも透明に、エレンの頬にぽたりぽたりと落ちた。


「……ようやく言えたなぁ」


僕は、血だらけのエレンを抱きしめるように両腕で包み込んだ。


「君と桜が見たかった。美しいものも、汚いものも分かち合いたかった。僕のすべての意志も生きる意味も、君に守られていた。君ともっと命を感じたかった」


言葉と同時に溢れ出すこの感情はなんなのか。


もうとっくの昔に忘れてしまっていた。


エレン、君はもう戻ってこない。


戻ってこないんだな。



「――全部、君を愛した話だよ」

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拝啓、戦場の花々へ 夕凪 @suisen-sakura

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