Tの悲劇



 体に過度を超す重力がかかったのか、割れるほどの偏頭痛が襲った。

 僕はベッドで重い目蓋をひらき目覚めた。どこか知らない白い天井があった。

「お目覚めね」

 ショートヘアで白衣姿の女性が見下ろしている。

 彼女は僕に近づき、医療用のライトで眼元、口もとを調べた。

「うん、外傷には異常がないわね。どこか痛いところある?」

「頭痛が……」

「頭ね。重力と時間の狭間を通ってきたんだから、そこは仕方ないわね。じきに治まってくるわ」


 重力と時間の狭間? そうか、ここは2020年なんだ!


 どうなったのかを女性に訊いた。

「あ、あの……」

「あ、私は研究所のプロジェクトチーフを担当してるつむぎひかると言います」

「そういうことじゃ、なくて」

「わかってるわよ。貴方が20年後の世界からきたってことは。

 すぐにシライ博士と会ってもらうけど、その前に頭痛薬を持ってくるから待ってなさい」

 気が強そうな印象を紬さんに持った。



 実験施設へと向かった。紬さんは、すでにシライ博士に話してあると語った。

「博士、シライ博士!」

 彼女が後ろ姿の白衣の男性を呼んだ。スラリとした長身で肩幅が広く思えた。スポーツで鍛えた筋肉質が窺える。振り返り細縁の眼鏡をはずし、

「うむ、戸岐原龍美とぎはらたつみくんで間違いないね」

 と答えた。

「は、はい」

「私の実験の手伝いを、と思ったが」

 博士は抑揚のない表情をする。

「紬くん、彼を棚橋さんのところへ案内してもらえるか?」

「……?」

「事情は彼女から話を聞いてくれ」

「戸岐原くん、行くわよ」

 彼女は実験施設を後にして、駐車場へと連れてきた。

「紬さん、どこへ?」

「移動時に話すわ。乗って」

 紬さんの運転で車が発進した。


 運転中、彼女が優しく話しかけてきた。

「戸岐原くん、この時代の出来事はまだ覚えがある?」

「ちょうど、父が5月に大流行したウィルスにかかって……」

「そうよね、ピークはいつ頃だった?」

「棚橋ツグミさんと何か関係があるんですか?」

 軽く制された。目の前の通行止めの看板が目に飛び込んでくる。

「困ったわね。道路を大きく迂回する必要がありそうね」

「聖火ランナー? なんで? 延期されたはずじゃ?」

 設置された看板に目が釘付けになった。

「この時代は、君の知っている過去2020年と微妙にズレがあるの。だから東京オリンピックも開かれる」

「じゃ、じゃあ、ウィルスの大流行は?」

「やはり、ズレがあるの。けど、不運なことに棚橋ツグミさんは……」

「ウィルスで重篤に?」

 彼女は頷いた。

 僕らは、どうにか彼女ツグミさんの入院している病院へとたどり着いた。


 病院に入るなり紬さんは、エレベーターで6階を目指す。彼女の足取りから何度も訪れていることがわかった。

 ツグミさんの病室へと入る。呼吸器装置に支えられているようだ。

「博士、彼女の病室へ到着しました」

 いつの間にか紬さんは、小型の通信機を持っている。

『うむ、わかった。急いで装置を取り付けてくれ』

「了解」

 彼女は大量の小型装置を、棚橋ツグミさんに身につけはじめる。

「いったい何をするんですか?」

「簡単に言えば、瞬間移動ね。貴方も手伝って」

「瞬間移動? でも、病人なんですよ!」

「この人を救うにはこの方法を試すしか他にないの。これ以上、ここには置けないし、研究所なら確実に彼女を助ける治療法があるのよ!」

 紬さんの言っている意味は理解できた。けど、納得できない気持ちがあった。僕は項垂れ黙るしかなかった。命を救うには病人でさえ、被験者にされてしまうのかと、拳に憤りの力がこみ上げてきた。

 ツグミさんが、僕の手を握ろうとした。すぐさま僕は握り返した。彼女の顔に小さい笑みがあった。

「紬さんから話は訊いているわ」

 彼女の手には生きたいという力が籠もっていた。

「私はね、紬さんを信じるわ! 生きたいもの。生きて妹に……会うために」

「ツグミさん……」

 間近で見るのが辛く感じた。

「紬さん、お願いします」

 うなずく彼女は、再び博士と会話を始める。

「博士、スタンバイ、OKです」

『わかった』

 病室内に眩い光が立ち込める。一瞬にして、彼女が跡形もなくベッドから消えた。

「研究所に戻りましょう」

 病室をあとにした。



「戻りました。どうでしたか?」

 紬さんは、シライ博士の反応を窺っている。

「成功だ。実験は成功したよ! 大成功だ!」

「彼女は? 棚橋ツグミさんには、すぐ会えますか?」

「勿論だ! だが、特殊な薬物の副作用でぐっすり眠ってる」

 すぐに医務室へと向かった。


 静かに入ると彼女は安心した顔つきで眠っていた。

 彼女と同じ立場の僕は安堵に包まれた。


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Tの悲劇 芝樹 享 @sibaki2017

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