夢見る金魚

野沢 響

夢見る金魚

 彼女と出会ったのはちょうど一年前の今日だった。

 あの日はちょうど四日間開催される祭りの初日で多くの人でごった返していた。

 しかも、俺だけが一緒に祭りに来ていた友人たちとはぐれてしまった。

 慌てて周りを見渡しても友人たちの姿はない。

 そうこうしているうちに酔っぱらった知らない兄ちゃんにぶつかった。

 睨み付けられ、凄まれる。相手は顔が真っ赤で結構酔っているようだった。

 謝っても、許してくれる様子はない。

 通り過ぎる人たちは皆怪訝な視線を寄こして去って行く。

 俺はもう一度謝って頭を下げた後、とっととその場を後にした。

 何とか人込みを抜けて一息吐いていると、

 「これ、良かったらどうぞ」

 目の前に水色の瓶が差し出された。瓶の中にはビー玉が入っていて、ゆらゆらと揺れている。

 「あっ、どうも」

 驚きつつ礼を口にして、ラムネを受け取った。

 顔を上げると、目の前には自分と同じ年ぐらいの女の子。

 金魚の柄が描かれた紺色の浴衣は彼女によく似合っていた。


 ――――


 「すごい勢いで人込み掻き分けてたね」 

 「ああ、あれは……」

 俺は一緒に来ていた友人たちとはぐれたこと、その際に酔っ払いにぶつかって、謝ってもしつこくからまれて逃げてきたことを彼女に話した。

 「そうだったんだ。私も気を付けよう。私もね、友達とはぐれちゃって」

 「え? そうなの?」

 「うん、皆で飲み物買ったあとにね。ラインしたんだけど、まだ返事来なくて」

 彼女は持っていたスマートフォンの画面を確認する。

 返信はまだないらしい。

 返事と聞いて、俺もポケットからスマートフォンを取り出したが、こっちも連絡はなし。

 俺も今いる場所を入力して友人の一人に送った。

 「友達から返事来た?」

 彼女は持っていたラムネの瓶を口から離してそう訊いた。

 「いや、今俺から送ったよ」

 そう答えてから瓶のフタを開けてゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。おかげで一気に半分くらい減ってしまった。

 顔を戻すと、彼女の結い上げた髪付近で何かが揺れていることに気付く。

 揺れているのは髪に挿されたかんざしの飾り。青い球体の中に小さな金魚たちが数匹描かれている。それが彼女が動くたびに、または夜風が吹くたびに揺れる。

 そのまま見つめていると、彼女は不思議そうな顔で、

 「どうしたの?」

 あっ、また揺れた。さっきよりも金魚たちが大きく動く。

 「あっ、えっと、かんざしの飾り……」

 「かんざし? ああ、これね。一カ月くらい前にネットで偶然見つけたの。一目惚れしてすぐに買ったんだ」

 彼女はその金魚の球体を指でつまむと、嬉しそうにへへっと笑ってみせた。

 「花飾りとかは見たことあるけど、金魚は初めて見た」

 毎年祭りに参加しているけど、女の子たちの髪飾りまで注目したことはない。

 「夏らしくていいね。それに」

 俺は持っていた瓶に視線を落としてから、続けて、

 「なんかこの瓶と同じ色で涼しそうで……」

 上手いことを言いたかったのに、口に出たのは自分でもよく分からない例え。

 それを聞いて彼女は一言大きな声を上げた。

 「えぇっ! 何その例えー?」

 驚きつつも笑いながらそう彼女が尋ねる。

 「いや、これは涼しさを何かに例えようとっ」

 慌ててそんなことを言い出す俺を見て更に笑う。

 「君、面白いね。ねえ、お互いまだ名前知らなかったよね。あたし、七瀬海来ななせ みらい

 「俺は遠野渚斗とおの なぎと

 「いいね。二人とも夏らしい名前だ」

 「おお、確かに」

 俺たちは顔を見合わせて笑った。


 ————


 俺達はその日を境に仲良くなった。お互い通う高校は別だったけれど、夏休み中に頻繁にラインでやり取りして、何度か遊んだ。

 お互いの高校の学校祭にも行ったりして、その年の冬になる前に付き合うことになった。

 そして年が明けて、現在2020年6月29日(月)。

 俺は自分の部屋のベッドの上でスマートフォンをいじっていると、突然海来からラインがきた。

 送られて来たのは文章ではなく、金魚鉢に入った金魚の写真が数枚。

 どのの写真も自宅で撮ったもので、飼っている金魚たちを映したものだった。

 その数枚の写真の中に一枚だけ違う形の金魚鉢の写真が混じっていた。真ん丸の形をした金魚鉢の中には金魚が合計5匹。

 最初は本物かと思ったけど、よくよく見たらそれらは本物そっくりな作り物だった。

 日の光を受けて、鉢の底には影の黒色と金魚の赤色のコントラストが出来ている。

 俺が、『本物かと思った。これガラス?』と送ると少ししてから、『うん、当たり! ガラス細工で出来てるんだよ。本物みたいでしょ?』と返信が。

 文の最後にニコニコマークまで付いている。

 訊けば、幼稚園の頃に家族で祭りに言った際、屋台で金魚すくいをしたのをきっかけにずっと金魚を飼っているとのことだった。

 その時は金魚の話でだいぶ盛り上がった。

 そして、次に連絡が来たのは一週間後の7月6日(月)。その日もガラス細工の金魚の写真が送られて来た。

 そこで何か異変を感じたけど、その時は何なのかすぐに分からなかった。

 俺が不思議に思っていると、

 「あたしからの挑戦状。先週の写真と何が違うか分かる?」

 それは突然送られてきた彼女からの挑戦状だった。


 ————

 

 送られてきた文章を読んだ後、もう一度写真をガン見した。そしてすぐに先週の写真と見比べてみる。

 鉢の形もガラス細工の金魚の色も大きさも変わらない。

 何か違うんだ、と考えていると、あることに気付いた。

 俺は急いで海来に返事を送る。

 『ガラスの金魚の数? さっき送られてきた写真は金魚が一匹少ない』

 送信後すぐに、正解の文字と一緒にニコニコマークと音符マークが返って来た。

 『もしかして、これあと三回続くの?』

 『当たり。一匹ずつ減っていくよ。何を意味するか解いてみて』

 『分かった。これ期限とかあるの?』

 すると今度は少し遅れて、

 『7月27日(月)の夜七時まで。もし、解けたら一緒に見たいものがあるの』

 「一緒に見たいもの?」

 思わずでかい声が出てしまった。

 もう一度スマホの画面をガン見していると、また返信が。

 『場所は夏祭りの開催場所。去年と同じ場所で』

 「去年と同じ場所」

 俺の頭の中に去年の夏祭りの記憶が蘇る。人込みを無我夢中で掻き分けて、目の前にラムネが差し出されて、顔を上げたら浴衣を着た海来が目の前にいた。髪には金魚の髪飾り。記憶の中の飾りの金魚が夜の闇の中に揺れた。


 ————


 その日から、一週間に一度例の写真が送られて来るようになった。ガラスで出来た金魚は、前に彼女が言っていたように写真が送られて来る度に一匹ずつ減っていった。

 そして、現在7月27日(月)。残された時間はあと数時間。

 俺はベッドの上で胡坐あぐらをかいて、スマホの画面を見つめていた。画面には海来に送るラインの文が入力されている。後はこれを送信するだけ。

 たぶん俺の考えは当たっていると思う。

 自分で打った文をもう一度確認してから、彼女に送った。

 『挑戦状の答え。今日は俺と海来が初めて会った日。それから、金魚が減るのはカウントダウン。俺の答え、合ってる?』

 すると、少ししてから、

 『なぎくん、大正解! もしかして、簡単だった?』

 「全然。金魚が減っていくのはカウントダウンっぽいなって思ったけど、何で一週間に一回減っていくのかが分からなかった。

 それで、何となくカレンダー見てて気が付いたんだ。そういえば、毎年この日は祭りやってたなって」

 『なるほど。じゃあ、次はもっと難しい問題にしようかなー』

 『マジか! 勘弁してよ(笑)) ところで、一緒に見たいものって何?』

 すると、一枚の写真が送られてきた。

 それを見て俺は納得した。見たい物はこれか。

 『夜になっちゃうんだけど、外に出て来れる?』

 『大丈夫! じゃあ、また後で。開催場所で会おう』

 送信後、すぐに彼女から了解のスタンプが返って来た。

 俺も了解のスタンプを送信した時、近くで蝉の鳴き声が聞こえた。


 ――――


 待ち合わせの時間より少し早く付いた俺は辺りを見回した。

 当時の様子がありありと目の前に浮かんでくる。

 たくさんの出店、会場に集まった人たちの賑やかな声。笑い声だったり、話し声だったり。時々、ケンカをしているような怒号なんかも。

 でも今は——。

 あの光景が嘘のように静まり返っている。

 左右を見渡しても出店は出ていないし、人だっていない。

 いるのは俺一人だけ。

 海来もまだ来ていないのか姿が見えない。

 俺はズボンのポケットに手を突っ込んで、スマートフォンを取り出した。

 画面の明かりの眩しさに思わず目を細める。白文字の2020年7月27日(月)を眺めていると、背後から、

 「渚くーん!」

 振り返ると、淡い水色のワンピースに青いサンダル姿の海来がこっちに向かって歩いて来るところだった。

 左手に何か袋をぶら下げている。

 手を振っている彼女に俺も片手を上げて応えた。

 「おう」

 「もう着いてたんだね。はい、これラムネ」

 「サンキュ。ほら、もう出てるよ」

 俺が見上げる先にあるのは、天の川。夜の闇を切るように白い光の帯が見えていて、その周りには無数の星が出ている。すごく幻想的な光景だ。

 海来は嬉しそうに頷いた後、

 「うん! ネットやアプリを使って調べたら、今日見れるって情報があったんだ。天の川ってその時によって見え方が違うんだよ。北西とか南西とか方角によっても違うんだけど、今見えている南中が肉眼でもよく見えるみたい」

 「へえ。この上から下にかけて見えているのが南中?」

 「うん。あたしね、好きな人と天の川見るのが夢だったの。だから、今日渚くんと見れて嬉しい」

 「そうだったのか。俺、天の川ってテレビとかでしか見たことないから、実際に見るの初めてだよ」

 俺がそう口にすると、彼女はふふっと笑った。

 持っていたガラス細工の金魚を天の川に向かってかざす。

 彼女がそれを動かす度に、金魚が天の川を泳いでいるように見えた。

 俺たちは笑いあうと、

 「来年もこうやって見れるといいな?」

 「そうだねぇ。お祭りも来年は行けるといいね」

 そして、どちらからともなくこう口にした。

 「これからもよろしく」


                                  (了)

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