シングルファーザーのハイエナ

鼓ブリキ

 やけ酒はしご酒、何処をどう歩いたものやら、私は路地裏の寂れたバーの前に立っていた。風雨に曝された張り紙、「あなたの恨みつらみ お聞かせください」の文字はほとんど消える寸前だ。

 その時私はかなり酔っていたから、よしじゃあ恨みをぶちまけてやろうなんて考えで店に入った。『場末』という言葉を建材にして造ったようなバー。禿頭の強面が「いらっしゃい」と声を掛けた。

「取り合えず生、ジョッキで」散漫な思考回路でそう言った。

「お客さん」強面が私の顔を見据えて言った。「張り紙を見たね」






 それから二日後、私は指定された喫茶店の一番奥に座っていた。どうも落ち着かない、仕事は何故か休んでしまった。

 『彼』は約束した時間のきっかり五分前に店内に入って来た。ウェイターにココアを注文すると私の向かいに腰を下ろした。初め私は『それ』が『彼』だと分からなかった。

「あの、すいません。待ち合わせをしてるんで、相席は――」

「『私』が待ち合わせの相手です、」彼は苦笑した。

 これからする『仕事』の話とは全く無縁そうな、美青年と言っても良い人物だった。日本人離れした顔立ちは、昔見た洋画の俳優、何て言ったか、そうだアンドレアス・ピーチュマン。若い頃のピーチュマンによく似ていた。素人目でも高級品と分かるジャケットを嫌味なく着こなし爽やかな笑みを浮かべるその姿はベンチャー企業の若き社長と言っても通用しそうだった。

「私がご紹介に与りました、マックス・ムスターマンです。生憎名刺はございませんが、どうぞよろしく」ココアが運ばれて来た。

「え、外国の人?」外見に反して日本語の発音は完璧な東京語だ。訛りすらない。私は混乱した。

「生まれも育ちも日本ですよ? 両親の国籍はともかく。マックス・ムスターマンというのは、まあ平たく言えば『名無しの権兵衛』のドイツ語版といったところです。こういう仕事では本名を明かさないのがマナーみたいなものですから」彼は懐に手を入れると何かを取り出した。一口サイズに包装されたチョコレートだった。彼はそれを湯気を立てるココアに放り込むと優雅な仕草で啜った。

「さて、の話を致しましょうか。といっても大体は元締めマスターに伺っていますが、念のためもう一度、志藤さんの口からお聞かせ願えますか」笑顔で彼が言う。私は暗澹たる気持ちが湧き上がるのを抑えられなかった。

「――標的ターゲットは近衛翔介。息子の、クラスメイトだった」あのバーで強面のマスターに聞かせたのと同じ話だ。

「息子は虐めに……いや、あれはそんな生温いものじゃない。拷問みたいな事だったんだ。息子は、涼は……突然自殺した。遺書があった。近衛は警察の上層部に知り合いが何人もいるからと、暴君のように振る舞うんだそうだ。どうやら本当だったらしい。涼の自殺はどこのマスコミも取り合ってくれない。警察も碌に調べずに終わりにした。あいつは、四月から外国に留学すると言っているらしいが、私には高跳びにしか思えない。そうしたらあの、バーを見つけて、それで……」声が震え、枯れたと思っていた涙がまたこみ上げて来る。

「私はあいつに、涼と同じくらい苦しんで欲しい。金ならある。涼が将来、大学に進学しても大丈夫なようにと貯めてあったものだ。涼がいなくなったのに、持ってても意味がない――」

「報酬金をお支払い頂けるのは結構ですが、奥様はそのようなお金の遣い方に納得しておいでで?」ぼやけた視界では彼の表情は見えない。ただ穏やかな声だけはっきり聞き取れた。

「妻は、いない。涼を産んだ時に……。私は、金の事ばかりで、涼に構ってやれていなかった……」

「成程。了解致しました」手の甲で涙を拭うと彼は相変わらずにこやかだった。この場に不釣り合いな程。「少し早いですが、翔介くんは『卒業』させましょう。三日以内に致します。報酬の支払いは元締めマスターの指示に従ってください」



* * *



 小学校の裏手に回る。その学校では放課後の図書室を学童保育に利用していた。窓越しにこちらを見た指導員の女性が娘を呼びに行くのが見えた。

 こちらが出入り口に着くのと同時に引き戸が開き、赤いランドセルを背負った小さな女の子が出て来た。指導員に挨拶をして、娘の手を引く。彼女が「せんせー、さよーならー」と引き戸の方を振り向いて言った。

「ねえユキ」

「んー?」

「ユキは、学校でみんなと仲良くしていますか? 嫌な事を言われたり、されたりしていませんか?」

 ユキは少し考え込む素振りの後に口を開いた。「なんにもないよ。みんな普通だよ」

「そうですか、それなら良かった」

「どうしてそんな事訊くの?」

「さて、何故でしょう? 晩御飯はハンバーグでいいですね?」

「うん」玉葱はあらかじめ炒めてある。





 夕飯を食べながら話をした。

「ユキ、お父さんは今夜もに行かなければなりません。朝までには戻って来ますが――」

「うん、いつも通りちゃんと一人で寝てるよ」

「……ユキは本当にいい子だ」思わず頬が緩む。彼女は私が何をしているか知らない。知らなくていい。




* * *




 を見つけたのは、早朝のランニングに勤しむ陸上部の女子高生だった。

 彼女は視界に奇妙なものを捉えた。電柱に吊るされた、大きなもの。それはちょうど彼女の弟の背丈と同じくらいの大きさで――

 が何か理解した瞬間、彼女は口をあんぐりと開けて立ち尽くした。悲鳴は一拍置いてからでなければ思い出せなかった。

 執拗に破壊された人体――口と右手だけは手付かずなのがさらにそれを異形じみた形に演出し――腹は大きく切り開かれ――引き出された腸が首に掛けられ、それで電柱に吊られている――五寸釘で左手に紙片が止めてあった。

『ぼくはしどうりょうくんをいじめてじさつにおいこみました しんでおわびもうしあげます くりつだいよんちゅう にねんさんくみ このえしょうすけ』





* * *





 近衛翔介の殺害はセンセーショナルに報道された。遺体の状態についてはどの局も申し合わせたみたいに何も言わなかったが。

 マスコミや警察が躍起になって調べているらしいが、どうでもいい。涼はもう灰になって妻と同じ墓に収まっている。

 これで良かったのかなあ、と私はぼんやり思った。出張からの帰り道にコンビニに寄って缶コーヒーを手に取った。レジのカウンターに立つ店員を見て、驚愕のあまり缶を落としそうになった。

 上着こそコンビニの制服だが、あのアンドレアス・ピーチュマンによく似た顔を間違えるはずがない。マックス・ムスターマンだ。ネームプレートには『九之河くのかわ』という名前が顔写真付きであった。

「あんた、こんな所で何やってるんだ」思わず敬語を使うのも忘れて私は身を乗り出した。彼は不思議そうに首を傾げると苦笑した。

「申し訳ございません、お客様。どなたかとお間違えではないでしょうか」その苦笑いも記憶にあるものとそっくりだった。





* * *




 店長が「もう上がっていいよ」というのでその通りにした。着替えて通用口から店を出るとポケットの電話が鳴った。マスターからだった。

「はい、もしもし」

「あそこまでやる必要はなかっただろうが」前置きとか、そういうのが不得意な人間なのだ、マスターは。

 私は相手に聞こえるように溜め息を吐いた。「マスター、貴方の義侠心は尊敬しています。ですがね、仕事人アベンジャーズなんて今日日きょうび流行らないんですよ。今の時代は鮮烈な娯楽サーカスこそが求められているんです」

「求めているのはお前だけだ」

「それは否定しませんが。そんな小言を言うなら、最初から私以外に頼んだらどうです」

子供ガキ殺しなんて誰もやりたがらない。お前だけなんだよ。業腹だが」

全指切断ブタエンコにしなかったのは自分でも進歩したと思いますよ。身元の特定を早く出来ますし、『反省文』も書いてもらえたし。依頼通りにやったんです、何が不満だって言うんですか?」

「……お前、まさか依頼者に同情したんじゃないだろうな。奥さんを亡くして、子供一人を――」

「ご冗談を。そんな事するガラじゃありませんよ。娘は掛け替えのない存在ですし、一度死んでしまうでしょう。だから他の子供を狙う。普通の事ですよ。チカチーロだって自分の子を手に掛けなかった」

 尚も何か言って来るのを無視して、通話終了のボタンを押した。夕陽が街を赤く染める。私は手にあった携帯電話を川に投げた。音もなく消えて行った。のはまた新しいのを買う事にしよう。

 私の頭は暫し報酬の使い道でいっぱいになった。に使った空き倉庫ガレージの使用料を払ってもまだまだ余る。来月はユキの誕生日だ。何を買おう? 春物の服、靴、本、玩具――選択肢は色々ある。本人に何が欲しいか聞くのも良いかもしれない。日帰りで箱根でも――これは流石に喜ばないか。

 そこまで考えた時、ふとある事を思い出した。

「あー、学童保育の料金の支払いがまだだったな……」

 太陽が西へ堕ちていく。

 

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