海王と海の聖女 ショート

なつき

第1話 海のコウモリ

「何で海にコウモリが居るんだ?」



 ブラウンの髪に無精髭の壮年『ラインバルト』が食料の魚を獲っていた朝、網に蝙蝠がかかっていたのだ。


 ◇◇◇


「あの、ラインバルトさま。食料が危ういかも知れません」



 彼が漁に出掛けたのは。朝に副船長の『如月ハルカ』が彼に告げた事から始まった。



「そんなに危ないか?」


「はい。生鮮食料品が少々。鮮度は私が保っているので大丈夫ですが数が……」



 ラインバルトの問いに肩を越えるまで伸ばした艶やかな黒髪に愛らしい丸い眸、そして綺麗な『白蛇の一枚皮のローブ』が目を引く十六歳の美少女が告げた。彼女は如月ハルカ。誇り高い船乗りの白魔導士。浄化の魔法で食料品を保ち新鮮な水を確保するのが仕事だ。



「船長。野菜類はピンチだ」



 すぐ隣で黒い鎧の少年竜騎士『クロム・ハラウト』も腕組みして言ってくる。彼は船番の戦士で戦うのが仕事。だからこそ戦線を維持する為の食料には気をつけている。



「ラインバルトさまどうしますか?」


「ハルカちゃん。俺は港町フォーニーに一旦帰港するのを勧めたいな」


「私はその意見に賛成します。クロム様はどうなさいますか?」


「母港があるなら帰港は賛成だ」


「私も賛成します」



 副船長と戦闘員、及び彼の愛飛竜は賛成してくれた。



「なら一旦帰港だ。ハルカちゃんは現在位置とフォーニーへの航路を出してくれ」


「はい」



 力強く頷くハルカ。



「クロムとエリスは船の番を頼む」


「了解だ船長」


「承知致しました」



 クロム少年と相棒の氷竜『エリス』が答えた。



「船長は何を……?」


「俺はその間に漁をしてなるべく魚を獲ってくる。ハルカちゃん、魚の浄化は任せた。捌いて干し魚作りは俺がやる」



 ハルカの問いに小舟を降ろす準備をしながら答えるラインバルト。



「了解です船長」



 敬礼しつつハルカは見送った。


 ◇◇◇


 そんなこんなで漁を始めたラインバルト。



「おぉ、大漁だ」



 そして今日はいつになく魚が獲れる日だった。波の騒がしい場所を探して網を放てば魚が飛び込んでくる。そんな日だ。



「……嫌に気味が悪いな」



 だからこそラインバルトはぶるりと震えた。元は海で生きる漁師の彼にとってこれは良い予知には感じなかった。魚群の様子もバシャバシャと海上に向かうような慌ただしさがある。


 まるで……何かから逃げているようだ。



「噂に聞いた『クラーケン』でも居るのかな?」



 ふと空を仰ぎながら。ラインバルトは船乗りなら誰でも知っている海の魔物の名前を思い出した。


 まぁあれは伝説だよな。ラインバルトはそう頭を振って仕掛けた網を引く。魚は相変わらず大漁。捌いて干物にしつつハルカちゃんに浄化して保存を頼もうとラインバルトは顔を綻ばせる。


 そしてその時に。大漁の魚網の中に『それ』を見つけたのだ。



「何だこりゃ? コウモリか?」



 ラインバルトはそれを怪訝そうに見つめる。


 ラインバルトは呟いた通り、薄い皮膜のあるその生き物は蝙蝠にそっくりだった。


 しかし問題はそこじゃない。



「何で海の中にコウモリが居るんだ?」



 ラインバルトの疑問は真っ先にそこだった。普通に蝙蝠が生息するのは陸地の洞窟か屋根裏で、こんな所にいるはずはないし……もし溺れて漂流していたのだとしても。こんな沖合いまで生きていられるはずがないだろうからとラインバルトは首を捻る。



「まぁ考えても仕方ないな。おーいコウモリ、生きてるかー?」



 ぷにぷにとしたお腹と頬を突っつくラインバルト。しかし眼を回した小さな蝙蝠君は中々反応しない。



「こりゃハルカちゃんに頼んで治療して貰うかな――」


「ギャアーッッ!!」


「お、生きてた」



 元気良い鳴き声と羽根の羽ばたきを聞いて、ラインバルトはほっとした。



「しかしお前さんホントにコウモリか? 何かやたらとコウモリっぽく無いようなコウモリみたいな……?」



 ギャアギャアと鳴きながら飛び交うコウモリを見てラインバルトは唸る。ラインバルトの疑問は自然な物だ。何故ならこの蝙蝠君、皮膜は普通より厚いし足も水掻きが付いていて太い。


 まるで。海中で生きているような生物だ。



「腹でも減ってるのか? ほれ、取れたての魚でも食うか?」



 とりあえずラインバルトは鮮魚を一匹差し出してみる。


 しばし不思議そうに眺めていた蝙蝠君だが。



「ギャアー!」



 嬉しそうに魚に噛りついた。



「うまいか? なら良かったよ。沖合いの魚はスレて無いから獲りやすくてよいな」



 夢中で魚を食べている蝙蝠君を優しく撫でながら。ラインバルトは呟いた。



「ギャアー!」


「お代わりか? いいぞ食え食え。こんなに獲れても仕方ないからな」


 

 更に魚を食べる蝙蝠君の横でラインバルトは網を投げた。


 ふとその時だ。音も無く霧が辺りに立ち込めた。



「ん? 何だいきなり……?」


「ギャア?」



 網を止めて立ち上がり。周りを見渡すラインバルト。蝙蝠君はパタパタと彼の周囲を旋回している。



(薄気味の悪い霧だなぁ)



 ラインバルトは指を口元に当てて唸る。漁師として生きて二十数年、海霧かいむが発生した時は良い予兆の無い時しかなかった。


 改めて海上を見据えれば。あれだけ慌ただしかった魚群に動きが無い。


 ひっそりとした様子は何か『恐ろしい存在から逃げた』ようだ。



「コウモリ君よ」


「ギャア?」


「何かあったら逃げろよ。お前さんまだちっこいんだからな」



 一応言ったが、首を傾げる仕草を見ていると伝わったかは不明だとラインバルトは感じた。


 同時にポコ、ポコ……と気泡が弾けるような音が聞こえてきた。



「ん?」



 ラインバルトはちらりと視線を海原に落とす。


 彼の視線の先、漆黒のさざ波の波間に幾つもの気泡が上がっていた。



(黒い海――?! まずい! 早く逃げないと!!)



 普通ならあり得ない色の海を見て、ラインバルトは即座にオールを手に取る。


 しかし彼の行動より早く、海上に巨大な『ソレ』が姿を現したのだ。


 ◇◇◇


「こりゃあ何だ……? 初めて見たぜ……」



 腰を抜かす一歩前の状態で、ラインバルトは呻いた。


 一言で言えば『ソレ』は『巨大なイカ』だ。


 しかし全身に大きな目玉が八つあるソレをイカと呼んで良いのかと言われたら迷うだろう。



「おいおいマジか。ホントにクラーケンなんか居たのかよ……!」



 その異形を前にラインバルトは震えつつ、そっと屈むと銛を掴む。


 瞬間。合図と言わんばかりに巨大イカは一番長い足、触腕を蝙蝠に高速で伸ばす。



「おい逃げろコウモリ君よ!」



 触腕に負けず劣らずの速度で蝙蝠を押し飛ばすラインバルト。



「ギャ?!」



 ラインバルトに突き飛ばされて一瞬呆ける蝙蝠君だが。



「ち!!」



 触腕に掴まれラインバルトが海中に引きずり込まれるのを目の前で見ていた。



「……! ギャアーッッ!!」



 そして叫び声と共に。海中に飛び込んだのだ。


 ◇◇◇


 触腕に引きずり込まれたラインバルト。目の前にはあの化物イカがいる。どうやら自分を食べるつもりらしいなと、吸盤に吸い付かれつつ悟るラインバルト。


 だが彼は逃げ出さない。それは生きる事を諦めた訳では無かった。



(息が続くまでが勝負だ……。海中は奴の場所、勝ち目はねぇ)



 銛をぎゅっと握りしめ。ラインバルトは双眸をを細める。


 そう。彼はあの化物イカを仕留めるつもりなのだ。


 チャンスは一回。奴を仕留めるにはその一回を掴まないといけない。


 その為には奴に引き寄せられないと勝負にならない。ラインバルトは元漁師で潜水には自信があった。



(まずは先制だ。悪く思うなよ)



 触腕に掴まれた状態でラインバルトはナイフを抜くと、化物イカの触腕を切りつける。


 触腕が千切れ、暴れる化物イカ。しかしすぐさまもう一本の触腕を伸ばす。


 ラインバルトは当然ナイフを死角に隠しつつ掴ませ、また同じように触腕を切り落とす。



(これで残り足は八本。もう掴ませねぇぞ)



 真っ直ぐに闇より深い深海の化物を見据え。ラインバルトは勝負をかける。


 刹那。周りが更に黒くなる。



(な――しまった!)



 イカの墨吐き攻撃だ。ただでさえ暗い深海で視野を奪われてしまう。


 やられる! とラインバルトが諦めかけた瞬間。


 コォォォォンッッ! という甲高い音が海中を揺らし。化物イカに直撃した。



(――?! なんだ?!)


「ギャアーッッ!!」



 ラインバルトが驚き振り向いた方向から、あの小さなコウモリが海中を突撃してきたのだ。


 信じられない事に海中を羽ばたきながら、まるで魚が泳ぐような超高速で。


 再度あの音を放つコウモリ。音の波はあの墨の防壁ごと化物イカに直撃する。


 化物イカの動きが鈍る。どうやらあの音に撃たれて参っているらしい。その証拠に足の動きがラインバルトすら捕らえきれないぐらいに遅く、力も無かった。


 その瞬間コウモリは空気の塊を八つ作り出し、墨の防壁に隠れた化物イカにお見舞いしてやる。



(チャンスだぜ!)



 ラインバルトはすぐさま墨の幕に目掛けて突入し。


 目前に迫る眼球の中央に銛を打ち据えたのだ。


 そのまま動きが止まり。ゆっくり浮かぶ化物イカ。


 ラインバルトもそのまま海上目指して泳いでいった。


 ◇◇◇


「お前さんのお陰で勝てたよ。ありがとさんよ、コウモリ君」


「ギャアーッッ!!」


「だが何とか仕留められたけどよ……どうするかね」



 死んで浮かぶ化物のイカの巨体の上で。ラインバルトは盛大なため息をついていた。


 そう。何とか倒したはいいが小舟は全壊、魚は海の藻屑。おまけに霧は晴れていなくて方向も不明と来たものだ。一応このイカの死骸に乗っているから沈まないとはいえ……血の臭いを嗅ぎ付けて鮫が来ないとも限らないのがますます憂鬱な気分にさせてくる。



「さすがにこのイカは食えないな。無茶苦茶臭いから」


「ギャ、ギャ!」


「……お前さんは食うのかよ?」



 死んだ化物イカと降りて噛りつくコウモリ君を交互に見やるラインバルト。



「ギャッ!」


「ん? どうした?」



 ペッペッと何かを吐き出すコウモリ君。



「石か?」



 拾いあげたラインバルト。確かに彼の見立て通り、それは小さな石みたいな物だった。どうやらこの化物イカの胃袋にあったらしい。

 

 普通なら捨てるところだが。気になったラインバルトは持って帰る事にした。



「しかし石ころはともかくこれからどうしたもんか……」


「……。ギャアー!」



 刹那。またあの音を出すコウモリ君。霧の中で音は波紋を作り進み海上にも波を立てて。


 空中と海中で何かに当たって跳ね返る。



「おぉ! 大漁だ!」



 少し間を置いて。海中からはぷかぷかと魚群が気絶して浮かんできて。



「ラインバルトさまぁー! 無事でしたかー!!」


「船長! 大丈夫ですか!!」



 霧の掻き分け、クロムとハルカが氷竜エリスに乗ってやってきたのだ。



「あぁ。死にかけたが何とか無事だぜ。ちょっと船まで頼む。小舟がやられちまったからよ」


「任せて下さい――?! 船長!? その化物はいったいっっ!?」


「多分噂のクラーケンとやらだ」



 驚くクロムに突き刺した銛を抜きつつ、ラインバルトは答えた。



「よく倒せましたね……」


「漁なら何とかできるぜ。……怖かったがな」



 ハルカの驚愕に少しばかり震えつつも、ラインバルトは答えた。



「とりあえず魚は網にいっぱいだ。エリスさんに頼んでくれないか」


「もちろんですよ。エリス、良いよな?」


「了解ですよ、クロム」


「あのラインバルトさま。そのコウモリ君は……」


「何か懐かれてな。子どもだし俺の命の恩人だ。しばらく世話するよ」



 ラインバルトは周りを廻るコウモリを肩に乗せつつ答えたのだった。


 ◇◇◇


「――これは『ウミコウモリ』ですね」



 潮風が優しく吹き抜ける自慢の母港、『港町・フォーニー』。



「ウミコウモリ……ってな何なんだいルーティス君よ?」

 


 そのフォーニーの密やかな一角にある『何でも屋』。ハルカのお兄さんである『ユウキ』さんのお店に帰ってきたラインバルトはお客の少年にコウモリを見せていた。



「はい。これはウミコウモリと言って深海に棲んでいる蝙蝠姿の魔物ですね」



 光を溶かしたような白髪に透き通った闇色の双眸の、まだ八歳頃の少年。彼の名前は『ルーティス・アブサラスト』。如月ハルカの白魔法の師匠である。


 その彼が説明してくれた。



「深海の中でも海底に近い、海を廻る深層海流の中に棲んでいる魔物ですね。一息で数年は潜水していられる肺活量と高い知能、人には聞こえない音を出して武器にしたり肺活量を駆使した空気弾を放ったりする魔物です」


「って事は強いのか?」


「海の魔物なら五本指の、上位に入りますね」


「マジかよ」



 どうやらとんでもない生物から懐かれたらしいなと。ラインバルトはルーティスの手を離れ自分の周りを旋回するコウモリを見て冷や汗をかいた。



「まだ子どもとはいえ運が良いですねラインバルトさん」


「あぁ、ホントに驚きだぜ……。んで、あの石ころは何だったんだい『ユウキ』さん?」



「フーム、俺っちの見立てじゃこれは高純度のオリハルコンの結晶ですな」



 その質問にはカウンターに座るグラサン姿の柄が悪い大きな蛇が葉巻を吸いながら答えた。


 彼の名前は『ユウキ』。この何でも屋の主で――何とハルカちゃんのお兄さんである。つまりハルカちゃんはうまく人間に化けている亜人なのだ。



「オリハルコン?」


「希少金属ですな。海底には鉱脈があると聞きましたがまさか化物イカの体内でも見つかるとはねぇ……」



 うっかり食っちまったのかな? とユウキは鑑定しながら首を傾げる。



「高いのか?」


「この大きさと純度なら一代は遊んで暮らせますな」


「マジかよ」



 驚愕に目を見開くラインバルト。



「凄いですねラインバルトさま」


「あぁ、故郷の漁村にも手助けが出来るし船の食糧も買えるしな」


「あの、ラインバルトさま自身は……」


「あ、すまねぇ。ハルカちゃんやクロム君にエリスさんに給与を支払わないとな」


「いえ、そうでは無くて……」

 

「?」


「何でもありません」



 不思議そうなラインバルトにため息をつくハルカ。


 そんな二人をクロムとエリスはくすくす笑いながら見ていた。



「しかしこのウミコウモリ、名前なんにするかね?」


「どうしましょうかねラインバルトさま。『ゴールド』とか『ヤマト』とかどうですか?」


「いや『ブルース』とか『モリア』とかも良くないか?」


「船長、副船長。どちらも気に入っていないようです」



 クロム君に言われてラインバルトとハルカがコウモリに向き直ると。そこには心底嫌そうな顔をしたウミコウモリが無言の訴えをしていた。


 それを見た二人共、腕組みしてむむむ……と眉間に皺を寄せて唸り。



「じゃあ『アルム』にするか」


「じゃあ『アルム』にしますか」



 きっちり二人の命名が重なり「ん?」「え?」と首を傾げている。



「あーやっぱりこの空気を見るのが健康ですよねー」


「えぇ。良いですね」


「そうですね。幸せそうでいいですねー」



 それを眺めていたクロムとエリス、そしてルーティスは。笑顔でお茶を飲んでいたのだった。

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