夏の桜

Umigame

第1話     渚に映った君

 この夏、君に会えていたなかったら、僕はもっと晴れやかな気分で夏休みを終えただろう




 2020年。セミがけたたましく鳴きわめいた初夏。僕は、夏休みということで父方の実家に帰郷していた。

 車での移動だったから、移動中は車内で適当にスマホでゲームなんかしてうつらうつらと揺られていた。バイパスを通って、市街地から外れた景色を眺めていると、夏が来たな、と度度感じる。ビル群ばかりの場所だと、期間限定のイベントやら何やらで賑わっていて季節を感じるものだが、この磯の香りとセミのさざめきと木々の調和が、夏らしさをいっそう強く感じさせる。

 父方の実家についた頃には、長時間同じ体勢をとっていたせいか、体がけだるかったので、両手を上に突き上げて伸びをした。

 

「よく来たねぇ、しょうちゃん」


 祖母が、玄関前で出迎えてくれた。傍らには、トイプードルを連れている。今年、70になるが、元気な様子で何より。トイプードルの散歩に行っているからか健康体である。

 

「お久しぶりです。お義母さん。これ、あっちの土産物です。つまらないものですが」

「ああ、お気遣いありがとね」


 僕は、世間話もそこそこに肩掛けの鞄を持ってスニーカーをはきはじめた。


「あれ!あんた、どこか行くの?」

「海の方いってくる」

 

 僕は、スマホをちらつかせて言った。

 母は、それで納得したようだ。


「お昼までには帰ってくるのよ」

「分かってる」


 僕は、矢継ぎ早に行動すると、ささっと家を出て、海の方へと向かった。

 手元のスマホには、数年前に大流行していたゲームアプリを起動させてある。

 ARとGPSをフルに利用し、モンスターを探すゲームシステムは、運動の意味合いも兼ねて、中々できたシステムだ。

 まぁ、熱の入れすぎには注意が必要だけど。

 本来は今年はオリンピックイヤー。チケットまで購入して観戦を心待にしていたのだが、とんだ拍子抜け。ウイルスの影響で延期になってしまった。そんなわけだから、大して遊んでいなかったゲームに再度熱を入れてみようかというところだった。

 

 父方の実家から、海までは徒歩20分くらい。海辺は市民公園になっていて、ジョギングコースとして最適だ。

 砂浜の砂が風に飛ばされてきたのであろうが、公園内の道は砂のざらついた感触が絶えずある。

 僕は、公園内に入ると、点々とある松ノ木の間を潜り抜けて、砂浜へと向かった。

 しかし、顔をしかめる。

 季節だからか、海水浴場は人で溢れかえっていた。ときどき鳴るアナウンスでも、注意喚起を行っているが、そんな音もかき消さんばかりの騒々しさだ。

 僕が、げんなりしたのは言うに及ばない。

 そして、スニーカーの中に入ってしまった砂の感触が気持ち悪い。

 軽く靴底の砂をはたき落とすと、ため息をついて、松ノ木の木陰に座り込んだ。

 さぁ、モンスターはっと………いたいた。

 手元のスマホを前にかざしてAR機能で背景を写して─────


「わっ」


 思わず手元のスマホを落としてしまった。


 目の前に少女の顔があった。

 花柄模様の白いワンピースに、少し大きめな麦わら帽子を被っている。

 長い前髪の合間に見えかくれするどんぐり眼には、青い虹彩を湛え、背中まで流れる黒髪は太陽の反射を受けてきらきらと艶かしく輝いていた。

 そして、突然にっと笑った。


「顔を見せてくれた」


 眩しいばかりの笑顔だ。ただ────


「えっと………親御さんはどこかな?もしかして、迷子?」


 幼い顔立ちと、背の低さ的にしょうがくせ──


「ちがーう!わたし、高校生!ぴちぴちの高校生!」

「いや!何の冗談だよ!明らかに幼女じゃん。その背丈で高校生は無理があるだろう」

「ぶー。初対面の人に失礼じゃないか。身長のこと気にしてるんだからぁ。でも、今に見てなさい。成長期になったらグラマーな大人な女性になるんだから」

「────、ああ、そうですか。じゃあ、僕はお暇しますね。家に帰らないと」

「ちょっ。何でそう嫌そうな顔してるの。わたしの方が嘆きたいくらいなのにさあ。って、ホントに背を向けて帰ろうとするんじゃないわよ!何?そのじゃあねって別れ際の手の振り方は。ちょっ、待ちなさいよ」

「いや、まじ勘弁。そういう面倒ごと嫌いなんで。あんたの妄想話に付き合ってやれるほど暇じゃないんだよ」


 僕は、そうやって急いでその場からずらかった。

 ホントに勘弁してほしい。せっかく静かな夏休みを過ごしたいと思っていたのに、海は混んでるし、変な女の子には絡まれるし、こんなことならクーラーの効いた家でアイスを頬張っているんだった。

 こうして、この日は疲労だけを溜めて家に帰った。


 翌日。今度は早朝に海の方へと行った。この時間帯なら、昼間からしか動けないような家族連れは来れやしないし、さぞ閑散としているだろう。ああ、恋しいな波のささやくような心地よい音。ほのかに香る潮の匂い。朝日に照らされながら、シルエットになった松ノ木ごしの海は何たる絶景か。

 この涼しさも素晴らしい。これなら、ゲームも満喫してできそうだ。

 その前に──と。俺は手元にスマホを持ってくると、海にピントを合わせて撮影しようとした。あとで、SNSのプロフィール画像にでも張り付けようと思ったのだ。

 早速カメラモードに切り替えて───


「………またお前か」

「ふふふ、おはよう」


 また、彼女がいた。昨日と変わらない服装で、レンズ越しに僕を見ようとしてくる。

 ため息混じりに下ろそうとしたその手を彼女は握ってきた。

 急なアクションに戸惑いを覚えると同時に手元のスマホをするっと抜き取られた。

 唖然としていると、そのつかの間で彼女は僕の腕に自分の手を絡めると、スマホを自撮りの要領で構えた。


「はいっ、チーズ」

「はえ?」

 

 パシャッ。


 スマホから軽快な機快音が鳴り、気の抜けた表情をした僕の写真が保存された。

 

「っておい!何すんだよ、この幼女が」

「ふふふ。そうは呼ばせないよ。見よ、この生徒手帳を」


 そう言って見せびらかしてたのは、市内の有名校の生徒手帳だった。

 名前は、瀬戸山桜せとやまさくら

 しっかり高校2年生の証明だった。

 顔写真も本人と遜色無い。いや、若干リアルの方が幼いか?


「なー、どうだ。私は、高校生でした。わははは」

「年齢詐称幼女か」

「なっ、何を!そんなんじゃないもん」


 ばたばた手足をふって否定する彼女は、何だかマスコットみたいに見えた。

 彼女は、手足を洗うための水場のそばの岩に腰かけると、僕の方を見て、にっと笑った。屈託無い笑顔とはこういうものをいうのかもしれないな。

 干渉に浸っていたところを邪魔されて気が抜けた僕は、自販機でお茶のペットボトルを買ってくると、彼女の隣に腰掛けた。

 彼女は目を溢れんばかりにきらきらと輝かせて、僕の方を見ていた。

 僕は、視線を反らし怪訝な顔をすると、ペットボトルを傾けて、お茶を飲んだ。

 後の時間は、覚えてない。

 ホントに下らない話をしたのだろう。後になっても、このときの会話の断片すら思い出せない。ただ、その場に何ともいえない空気があったというくらいのことだろう。


 その日から、滞在している期間中、毎朝海に行った。彼女は決まって僕の意識の外から表れて、楽しそうに僕に話しかけてきた。

 面倒くさがりながらも、僕は彼女の話を相づちをうちながら聞いていた。

 

 ある日、突然彼女は松ノ木の葉を持ってきた。松ノ木の葉というのは針葉樹特有の形状をしていて、短枝と呼ばれる部分から生える葉は、1本1本棒状の形を成している。彼女は、その葉をV字に二つに分けると、俺の方にも一束同じものを渡してきた。


「よーし、ゲームをしよう。こうやって、葉っぱの根本同士で交差させて持って引っ張りあって先に切れちゃった方の負け」

「ああ、いいよ。じゃあ、やろうか」

「ふふ、私これ強いんだー」


 互いの松ノ木の葉の短枝の部分を噛み合わせると、それぞれ二つに分けた葉の部分を持った。


「そうだ、賭け事しない?これで、負けたら勝った方の言うことを何でもひとつ聞く」

「はは、ありがちだな。じゃあ、僕が勝ったらもう君に会わないようにお願いしようかな。いい加減、年齢詐称幼女の世話に飽きたってもんさ」

「ぶー。そんなこと言って。負けたら知らないかんね」


 せーの


 ぶちっ




 今日も僕は早朝の海に足を運んだ。やけに涼しい朝だった。

 決まって座っていた岩に腰掛け、空を仰ぐ。

 波の音が、心地よく僕の耳をうつ。 

 小鳥のさえずりが聞こえ、散歩に連れ添っていたのか、遠くで犬の鳴き声がした。

 やけに、静かな夏の日だった。

 

「どうもお世話になりました」

「いいのよ、また来てちょうだいね」

「行くわよ、しょう。ちゃんとおばあちゃんに挨拶しなさいな」


 僕は、そう呼ばれて立ち上がった。家族のところに向かいながら、後ろ髪を引かれた気がしてふと振り替える。

 潮風で舞い上がるビニール袋を目で追う。

 頭上まで来たので、軽く跳んでみた。

 あと少しのところで届かずに手は宙をかく。

 

 ポケットから取り出したスマホのホーム画面には一人気の抜けた表情でこっちを見る僕の姿が写っていた。隣にいた誰かさんは、影も形もなかった。

 

 僕は、スマホをポケットにしまい直すと、家族の方へと歩いていった。

 

 その跡に、砂に僅かに埋もれた生徒手帳が一つ。

 その中の彼女は、溢れんばかりの笑顔でそこにいた。


 この夏、季節外れの桜を僕は不思議な気持ちで眺めていた。

 







 

 

 


 

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