第1話 Lou Reed 「Metal Machine Music」

 「退屈だ……」

 「退屈ですね……」


 水谷くんがかけてくれたルーさんのレコードは、出だしこそ、うおお!とこみ上げる衝撃があったものの、その後延々と続くだらだらとした展開に20分ほどで飽きてしまいました(ミカちゃんは5分でソファに沈みました)


 「むー」


 「だから言ったのに」

 紙袋をガサッと鳴らして苦笑しつつ、水谷くんがレコードを片づけます。

 「これはどういうやつがどういう神経で聴くんだよ……」

 「最初からノイズが好きな人なんて早々いないよ。いろいろ掘り下げていった結果、一定数の人がたどり着いちゃう沼みたいなものじゃないのかな」


 「むー」


 「おまえこんなのばっか聴いてるから不健康なんだよ。もっとこう、WANIMAとか聴けよ」

 「ロックファンをうかつに刺激しないでよ」


 「むー」


 「どうした藍。さっきからむーむー言って。お嬢様特有の鳴き声か?」

 「múmっていうアイスランドのグループならいるけど、何なら流そうか?」


 「ーーなんだか、胸がざらざらします」


 ざらざらするのです。

 たしかに退屈でした。飽きました。

 本来の目的である、わたしがあの日ライブハウスで聴いた曲だったのかについても、「似てるような違うような」としか言いようがありません。


 でもーー何かが引っかかります。ここにあるものを受け止めるには、私の方が至っていないのではないかという感覚。むーとしか言えません。

 

 水谷くんはしばし珍獣を見るような目でわたしを眺めていましたが、「じゃあ」と呟いて部屋中をごそごそと漁り出しました。

 「こっちのCD盤でよければ、関連作品と一緒にいくつか貸してあげる」

 「良いのですか?」

 「いいよ。どうせ此処の音源ほとんど、処分するはずだった親のコレクションを僕が引き上げてきたものだし」

 「あ、ありがとうございますーー!」


 水谷くんの好意で、内なるざらざらと向き合えることになりました。

 ーーですが、それより!何より!

 「CDの貸し借り!わたしが高校生活でお友だちと叶えたかった3大目標のひとつです!」

 「今日知り合ったばかりだけどね……」

 水谷くんの呟きは、わたしの耳に届きませんでした。

「ちなみにあとのふたつは何だよ」とミカちゃん。


 朝まっくと恋バナです。




/

 夜も更けて、自室ーー


 今週はいろいろなことがありました。ミカちゃんと知り合って、ふしぎな音楽を聴いて、水谷くんのところを訪れて……静かだったわたしの高校生活に、たくさんの雑音が流れ込んできたよう。

 その上これからまたノイズを聴こうとしているのですから、縁は奇なものです。


 目まぐるしさに少し疲れましたが、まだ大丈夫。

 眠い目をこすりながら、わたしは部室で水谷くんが話してくれた解説を思い起こしましたーー




/

 「先に言っとくけど、退屈だよ」


 水谷くんが淡々と説明します。


 「ルー・リードの『Metal Machine Music』、1975年作。60年代の伝説的バンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでフロントマンを務めていたルーが、ソロになった後5枚目に出した問題作だね」

 「ヴェルヴェットなんとかは名前だけ聞いたことがあるような気がします」

 「アンディ・ウォーホルのバナナの絵が描かれた1stが有名だよね。僕が買ったやつが棚の何処かにあるはずだから、後で聴いてみようか」


 わーい、バナナは好物です。


 「さておき、『ワイルド・サイドを歩け』などのヒットで既にポップスターの名声を獲得していたルーが、いきなり世に放った60分強のフィードバックノイズ。世間は賛否両論まっぷたつだったみたい……ロックの到達点と言う人もいれば、ポップスターの自殺行為と嘆いた人もいたとか。リアルタイムじゃないから詳しくは解らないけどさ」


 「なんでいきなりンな厄介なもの出したんだよ」

 ミカちゃんが突っ込みます。


 「知らないけど、なんかイライラしてたみたいだよ?このアルバム以外の俺のCDは全部クソだー!とか、このアルバムはリスナーを攻撃しているんだー!とか言ってるし」

 有名人ともなると、いろいろ大変なのでしょうか。

 そういえば海外のロックスターは全員27歳になったら死ぬんだとお父様が言っていました。なんてこと。


 「では、ここに込められているのは怒りなのでしょうか」

 「うーん。個人的にはその後に続く言葉が的確かなと思う」

 水谷くんは、一息ついて続けました。

 「『このアルバムを聴いてるときは何も考えられない』ーー批評を全部拒んで、ただ純粋に音が鳴ってる作品。自作につきまとう言葉や感情が面倒臭くて、言葉にしようがないノイズで応戦したんじゃないかなあ」


 分かるような分からないような感じです。


 「いまいちしっくりきません……」

 「本当に分かってる人なんかいないから大丈夫だよ」

 でも皆、このアルバム語るとき語気が強いんだよなあ……とぼやく水谷くん。

  

 「あ、そうだ。もうひとつ謎のエピソードがあった」

 「これ以上混乱させるなよ……長えし」

 すっかり話に飽きたミカちゃんが、じっとりした目つきで水谷くんを睨みます。

 いいな、わたしもジト目で睨まれたい……


 「ごめん、これで最後。えっとね、ある音楽ライターが、ルーにこの作品のことをインタビューしたんだけど、いまいち話が噛み合わなくて、しょんぼり帰って行ったんだって」

 たしかに中身がノイズではインタビューも難しそうです。


 「で、後日。編集部にルーから海苔が届いた」


 「は?おにぎりに使う、あの海苔?」

 「その海苔。"君ならこの海苔でアルバムの真意が分かるはずだ!"って。結局分からなかったらしいけど」

 「何なんだよその話……」


 シュールすぎて太刀打ちできません……

 怖じ気づいたわたしを勇気づけるように、水谷くんはこう結びました。


 「まあいろいろ言われてるけど、ノイズミュージックの中では比較的聴き易い入門盤だと思うよ。クラシックぽい要素もあるから、篠宮さんには向いてるんじゃないかな」




/

 海苔しか印象に残っていません……

 ともあれ百聞は一聴にしかず。わたしは長期戦を覚悟して、紅茶を煎れ、クッキーを開けると、ヘッドフォンを被って水谷くんから借りたCDをデッキにセットしました。雑音開始です。




 Lou Reed 『Metal Machine Music』





①Metal Machine Music A-1 (16:01)


 ギターのぐわぐわがゆっくりと立ち上がっていく様は、ゆっくりと首を持ち上げて起きあがるキリンのよう。ニャーニャーと猫のような鳴き声も聴こえます。追ってやってきたぴろぴろが小鳥のように空を舞い、るーらーが絡まってふしぎな祝祭感。動物園!ここは清澄な朝の動物園です。  

 なんて美しいはじまりでしょう。部室で聴いたときも、この感動は格別のものでした。


 ややすると、ぐわぐわが一歩引いて高い音がメインになり、曲は谷間に入ります。

 なんだかクラシックみたい。交響曲の出だしの部分が永遠に繰り返されているようで、意識がぼんやりとしてきました。


 10分前後、今度は左側で鳴るキュルキュルが面白くなってまいりました。愛しく耳で追っていると、歯医者さんのドリルみたいなキーンになってしまいました。ポケモンさんがかわいくない進化を遂げてしまったような心境で、少し悲しいです……




②Metal Machine Music A-2 (16:01)


 カモメの鳴き声みたいな「おわぁ」が響き、ノイズはボボボボとくぐもった響きに変わっていきました。港です。出港が近づいています。


 中盤でイルカのようなキュキュキュが自由に遊びだしたかと思うと、音は少しずつ小刻みになって、また少し表情を変えます。


 部室で聴いたときはこのへんでリタイヤしてしまったのですが……

 なんてこと。スペクタクルです!大展開しています!

 といって、興奮するのでもなく、退屈するのでもなく。

 半覚醒のふしぎなゾーンに入って、わたしは無心に音を追いかけます。




③Metal Machine Music A-3 (16:01)


 音がキラキラしはじめました。ぴろぴろしたフレーズが絡まって、このあたりはかろうじて音楽と言ってよいのではないでしょうか。とても綺麗です。


 やがてメロディは輪郭がぼやけてぐねぐねと変形していき、真ん中あたりからキャララランが始まります。

 少しずつ新顔の音が増えていき、動物園の仲間たちが大集合を始めます。盛り上がってきました。盛り上がってませんが。




④Metal Machine Music A-4 (16:01)


 カモメ!2曲目で飛んでいたカモメにまた出会えました!思えば長い航海を続けたものです。

 音の混沌もピークを迎えます。今まで以上に雑多な響き。動物たちが補完計画されて生物団子になっていきます。

 5分ほどで音量がグッと小さくなって、鉱石のような秘めやかな輝きを放った後、ついにメロディが顔を出します。

 ああ、メロディ!

 ノイズの砂に埋まってはいますが、これはまごうことなきメロディです。60分の旅路の果て、わたしはついにメロディに到達したのです。ルーさんの仏心でしょうか、感無量です。そして歓喜の中、音楽は大団円を迎えますーー


 


 ーー気がつくと、60分強が消し飛んでいました。


 ずっと集中していたわけではないのですが、瞑想を終えたような満足感。うまく言葉にできません。

 はふぅ、と深呼吸をします。

 聴いて何かが分かったというようなことはなく、ただ、音が心地よくて、面白くて。

 これは、こうして独り秘めやかに楽しむときに輝き始める音楽なのではないでしょうか。なにか新たな扉が開いてしまったような感覚に、じわじわと興奮がこみ上げてきます。

  

 ああ、それともうひとつーー強く感じたことがありました。

 

 ルーさんは、この作品を作っているとき怒っていたと聞きました。

 しかし、わたしにはーー


 祈っているように、聴こえました。




/

 翌日は勉学どころではありませんでした。

 この感動を誰かに伝えたくて、居ても立ってもいられません。 


 授業の終了を告げるチャイムがなると、そわそわと荷物をまとめ、寝ぼけ眼のミカちゃんを引きずって「覆面同好会」へと向かいます。

 幸い、道中の廊下で見覚えのある紙袋頭を見つけました。


 「水谷くん!ルーさん、凄かったです!!」


 興奮して詰め寄るわたしに水谷くんはちょっと面食らいながら(たぶん)も、はにかんだように笑って(たぶん)頷いてくれました。


 「よかった。それじゃああれが君の探してる音楽だったのかな」

 「それは正直分からないままです……でも、こんな不思議な気持ちになったのも、今みたいに誰かに伝えたくてたまらなくなったのも初めてでーー」


 どうやらわたし、ノイズが好きみたいです。


 わたしはそう言って笑いました。


 「ーーー変わってるなあ、篠宮さんは」

 「あの日の曲探しも勿論ですが、もっといろんな音を聴きたくなってしまいました。だから、その……」

 「うん、また部室においで」

 水谷くんは穏やかに答えてくれました。


 「あ、それとですねーー」


 ノイズにばかり夢中になってしまいましたが、他にも借りたCDがあったのでした。そちらも、とても素敵だったのです。

 テンションが上がりきっていたわたしは、興奮して顔を真っ赤にしたまま、大きな声で伝えました。


 「ーー水谷くんのバナナも、凄かったです!」


 そのあと、真っ赤になって崩れ落ちているミカちゃんと、なぜかげっそりと疲労感を漂わせた水谷くんをせっつきながら部室へ向かったのですがーー


 周囲の方々の視線が、やけに気になりました。 

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