ざつおん!

奇乃

第0話 イントロ!

 トロい性格のせいか、少々特殊な家柄のせいか、高校に上がって半年が過ぎてもなかなかお友だちができません。

 皆さん気さくに話しかけてはくれますが、放課後どこかへ遊びに行こうとか、秘密の相談とか、そういう青春の足音はいつまでたっても聞こえて来ず。華々しく笑い合うクラスメイトたちとは見えない線で区切られているように、わたしの世界は静かです。

 だからその日、ミカさんが声をかけてくれたのが、とても意外で、とても嬉しかったのですーーー


 「ーーーあのさ篠宮さん。よかったら、今度私のライブ観に来ない?」


 ミカさんは軽音部のロックバンドでギターを弾いている同級生です。

 銀色に染めて短くカットした髪と、切れ長の目が凛々しく、男子だけでなく女子からも人気のある女の子。

 授業中、窓際の席で物憂げに外を眺めている姿がとても絵になると評判です……たまに寝てますが。


 「あ、はいーーあの!」

 挨拶や世間話くらいはしたことがあるけれど、深い仲ではありません。意外なお誘いに動転して口ごもってしまったわたしに、ミカさんが続けます。 

 「お嬢さまに聴かせるようなもんじゃねーかもしれないけどさ。その……なんてゆーかーー」

 「い、行きます!行きたいです!行かせてください!」

 今度は喰い気味に喋ってしまいました。

 ミカさんは、ややたじろぎながらもホッとしたように笑ってくれました。

 「ならよかった。今度の土曜、駅前のライブハウスで。これチケット」 

 「うわあ、ありがとうございます」

 「あ、ノルマとかじゃないから安心してね。今回は私が招待するからチケット代も要らないよ」

 「いえ、もちろんお支払いします!なんなら会場ごと買いとります!!」


 渾身の冗談を織り交ぜて笑顔を作ったのですが、ミカさんは固まってしまいました。


 元々町内の8割がうちの土地だと、ご存じだったのでしょうかーー




/

 「盛り場に行ってはいけません」と言いつけられるほど旧弊な家ではないのですが、ライブハウスに来るのは初めてでどきどきします。


 父がレコードマニアなので、ロックミュージックには少しだけ造詣があります。ビートルズやプレスリー、ビーチボーイズなどは一通り聴いて育ちましたし、キングクリムゾンなども多少は聴き齧っています。

 ミカさんのバンドは生憎聴いたことがありませんでしたが、同じロックの魂を宿す音楽、解かり合えるはずだと握り拳を固めます。

 

 あまり早く着きすぎても迷惑かと思い、出演時間10分前に件のライブハウスに着きました。

 こういうところでは場の空気に合わせないと変に目立ってしまうもの。長い黒髪は簡単に縛り、ラフなシャツにジーンズ、髑髏が描かれた鋲だらけの革ジャンという、ごくフォーマルな服装で臨むことにしました。

 地下への階段を下りて、受付の方にチケットとドリンク代を渡します。

 カウンターのお姉さんの腕に入った刺青が気になって、些細なやりとりにも緊張します。この先に何が待ち受けているのでしょうか。

 「ふぅ…」

 緊張で飛び出しそうな心臓を鎮めようと、ひとつ深呼吸をして。

 ラクガキだらけの重い扉を全身の力でぐぐっと開けました。

 瞬間ーーー音が、わたしを押し倒しました。


 轟音。轟音。轟音。


 氾濫した川のような、黒々と渦を巻く重く激しい音のうねりが、ときに激しく、ときに柔らかく絡み合って、巨大な生き物のようにわたしを呑み込みます。

 あまりの衝撃に息をすることも忘れそう。しかし暴力的な音は、次第に柔らかく私を抱き上げるように包み込んで。

 その音楽は、今まで聴くどの音楽にも似ていなくて。

 それでいて、どれもを超えた衝撃があって。

 わたしの中のわたしが、真っ白に溶けていきます。

 流れ込んできた音は、静かだったわたしの世界をガラガラと崩して。

 胸の底からこみ上げてくる熱い感情に、わたしはーーー




/

 「ーーで、フロアに来ないでずっとDJブースにいたと」

 「面目次第もありません……」


 わたしが扉を開いた部屋は、ドリンクカウンターを兼ねた休憩所だったようです。そこではバンドとは別にDJの方がレコードをかけていて、わたしが聴いたのはその音楽。ライブが行われるフロアはさらに階段を降りた先にあったそうなのですが……ミカさんがDJブースで放心していたわたしを見つけたのは、彼女たちの出演時間をとうに過ぎた後のことでした。


 「来てくれただけでも嬉しいけど、なんだかなあ……」

 「本当にすみません……ミカさんの演奏は、改めて必ず」

 「まあ、また誘うよ。それよりそんなに良い音楽かかってたのかよ」

 「そ…それです!」


 凄かったのです……!

 ギャーンとした音が神々しさを伴いながらデロデロと降りてきます。そのまわりに小鳥のようなピーが重なって、やがてドゥクドゥクになっていくのです。ギャーンとデュクデュクはときに近づき、ときに離れながら気分屋なダンスを踊るように絡まり合い、やがてデュクデュクがビョーンになって、うるさいのに静かになっていくのです。そのあとーー


 「うん、解らない」

 まったく伝わりませんでした。なんてこと。


 「とにかく、ふつうの音楽ではありませんでした」

 「そこまで言われたら気になるなあ。今日のDJ誰だったんだろ……ってもう帰ってるか」

 「わたしも知りたいです。その、なんと言いますか」


 ミカさんは、ぶっきらぼうなしゃべり方とは裏腹に優しい人です。


 「ああーーお互い、このままじゃ終われないよな」


 そう言って、悪戯っぽく笑ってくれました。




/

 この一件から、わたしたちは「ミカちゃん」「藍」と呼び合う仲になりました(申し遅れましたが、わたしの名前は篠宮藍と言います)


 しかしあの日、DJをされた方は結局解からず。一番人気のミカちゃんのバンドが始まる直前だったので、居合わせた常連さん等も見つかりませんでした。

 そこでわたしとミカちゃんは、学校で顔を合わせるたび、お互いの音楽知識の中から近いものを探り合いました。けれど"ふつうの音楽じゃない"ということ意外のことは解からず、なかなか進展がありません。

 ミカちゃんはーーごめんなさい、とにかくミカちゃんと言いたいのです。ミカちゃん。なんて親しげな呼び方。唯一無二のお友だちのよう。えへへ。


 そんな日々が一週間ほど続いた頃でしょうか。


 「ともかく、私たちの知識だけじゃ捜査は手詰まりだなー」

 「音楽の先生に尋いてみましょうか」

 「無理だよ。アイツさだまさしと谷村新司の話しかしないもん」


 よくわかりませんが無理感は伝わってきました。


 「あまり気が進まないけど、最後の手段を使うかー」


 自爆でもするのでしょうか。

 ミカちゃんは後ろ頭を掻きながら廊下をずんずん歩いていきます。


 「藍ーーこれからとある人物のところにいくけど、その……害はないからびっくりしないでね」




/

 「覆面同好会ーー?」 

 部室棟の奥の奥。妖気漂う行き詰まりの一室の前で、ミカちゃんは足を止めました。

 「人気のない部屋で、わたしはミカちゃんに何をされてしまうのでしょう……」

 「いや何もしねえよ?!」

 過剰反応気味に否定するミカちゃん。

 親しく話すようになって解かったのですが、彼女はクールな見た目とは裏腹に浮いた話が苦手らしく。顔を真っ赤にして怒る姿がかわいいです。


 「詳しい奴に会いに来ただけだって……水谷、いるかー?」


 ミカちゃんはそう言ってガラガラと勢いよく「覆面同好会」のドアを引き開けました。

 その背中からそっと室内をのぞき込むと、そこにはーー


 なんてこと。

 子どもの身長くらいはあろうかという大きなスピーカー。レコードプレーヤー、ラジカセ、パソコンからなんだかよくわからない機器まで、ずらりと並んだ機材類。ラックにはCDやアナログ盤、カセットテープがびっしりと隙間なく詰まり、収まりきらずに溢れてあちこちに山を作っています。

 これ、知ってます。おとこのろまん。


 「秘密基地というやつですね……」

 「いないな。仕方ねー、待たせてもらおう」

 辛うじて空いている古いソファーにボスっと座るミカちゃん。わたしも隣に腰掛けます。


 「ここは音楽同好会ではないのでしょうか?」

 「個人が趣味を持ち込んで、人員のいない部室を占領してるんだよ。しかししばらく見ないうちに引きこもりに拍車がかかってんなあ」

 ん、家じゃないからこの場合引きこもりじゃねーのか?とミカちゃんが自問自答を始めます。

 「小動物はどんな環境でもまず巣を作るところから生活を始めますし」 

 「物が多いとは言えここ私の部屋の倍はありそうなんだけど、小動物の巣かー」


 「勝手に上がり込んで失礼な話しないでくれるかなーー」


 背後から淡々とした声が響いて、ひゃあ、と声が出ました。

 気配がありません。


 「おー水谷。ちょっと聞きたいことがあってさ。邪魔してるよ」

 「そういうことは邪魔する前に言うものだよ」


 気さくに語り合うふたりの声に挟まれながらおそるおそる振り返って、わたしはもう一度ひゃあ、と悲鳴をあげました。


 茶色い紙袋を被って顔を隠した怪人が、所在なさげに立っていました。




/

 「ーーで、そのとき篠宮さんが聴いた音楽を知りたいと」

 「そう。おまえ昔から変な音楽詳しいだろ」

 「と言われてもなあ。その場にいたわけじゃないし、人の感想だけじゃーー」


 怪人ーー水谷氏は、訝しがりながらも私たちを部室に招き入れてくれました(もう入ってましたが)。


 だぼだぼのジャージに紙袋の異形は見た目こそ不審ですが、丸く空いたふたつの穴から覗く目は穏やかで、理知的とも言える光を湛えています。

 小柄で華奢な体つきと中性的な声も、落ち着いてみればかわいらしいものなのですが、いかんせん顔が隠れていて性別がわかりません。


 「ギターが入ってるのは間違いなさそうなんだよ」

 「それはほとんど何も絞れてないのと一緒だよ」


 ミカちゃんと水谷氏のおふたりは、中学校からの知り合いだそうです。打ち解けた空気で会話が続いています。

 

 「うーん、じゃあ篠宮さん、もう少し詳しくその音楽の感想を話してもらえる……篠宮さん?」

じっと顔の紙袋を見つめていたわたしに、水谷氏が声をかけます。


 「あ、これ?気にしないで」


 無理です。

 わたし、気になります。



/

 結局、覆面の謎は「いや、ちょっと人の世に疲れて……」という一言で曖昧に流されてしまいました。性別については「どっちでもいいよもう……」だそうです。

 とても気になりますが、人にはそれぞれ事情があるもの。

 おとこのろまんに住んでいるので水谷くん(暫定)ということにして、話を進めます。


 「その、とにかく変な感じの音楽なのです。うねっていたり、とぎれたり、ギューンとしていて」

 「ふむふむ。歌はあった?リズムは?」

 「あ……そういえばどちらもなかった気がします。ひとつの長い曲のようなーー」

 「そこはDJだから曲を繋いだだけかもね。あとはーー」


 水谷くん、聞き上手でした。

 「水谷は仙人系だからなー」とミカちゃん。

 たしかにのっぺりとした紙袋フェイスには喜怒哀楽を超越した落ち着きが感じられ、穏やかな声にはすっと沁みるような心地よさがあります。


 「ところでそれってさ。メロディはあったのかな」


 その言葉にハッとしました。

 そう、あの日から何度も曲のメロディを思いだそうとしたのですが、振り返れば振り返るほど解からなくなるのです。

 あのときはとても緊張していて、衝撃を受けたものですから、記憶が曖昧なものだとばかり思って悔やんでいました。

 でも、言われてみればーー


 「もしかしたらーーはっきりとは無かったのかもしれません」

 「なるほど、じゃあノイズミュージックに近いのかもね」


 のいずみゅーじっく……


 「メロディや、リズムや、決まった型を崩して曲であることをやめた音楽。種類も目的もいろいろだけど、まあ解かり易く云えばーー」


 雑音だね、と水谷くん。


 なぜか、とてもしっくりくる響きでした。


/

 「は?雑音聴いてどうするんだよ」

 「どうするかは聴く方が見つけるんだよ。音が鳴っていて、それを楽しめれば音楽さ」

 「全然わからねー」

 「じゃあまあ、聴いてみる?」


 トントン拍子にミカちゃんと話を進めた水谷くんは、ラックをごそごそと漁り始めました。


 「うーん、とはいえDJで流してたわけだし、多少は楽曲の形になってるやつかな……正解かは解らないけど、このへんが近いんじゃないかなとは思う」

 「あるんじゃん。正解だったら何でもいっこ言うこと聞いてやるよ」

 「僕の願いはいつだって静かにしてほしいだよ……」

 ガサッと紙袋越しにため息をつきながら、水谷君は一枚のレコードを探り出しました。

 慣れた手つきでジャケットから円盤を抜き出し、アナログプレーヤーにセットします。

 

 「先に言っとくけど、退屈だよ」




/

 水谷くんは簡単にこのレコードの由来を説明してくれたあと、そっとプレイヤーのスイッチを押しました。


 真っ黒いレコードに針が落ちます。

 ブツブツと気持ちのよい音が少しの間響いて。

 水谷くんがちょっとだけ気取ったように呟きます。


 「それではお聴きくださいーーー

 Lou Reedで『Metal Machine Music』」


 あの日のような緊張感と、あの日まで知らなかった胸の高鳴りのなかで。


 雑音がーーはじまりました。


(了)

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