第2話 Sunn O)))「Black One」

 10月になりました。

 最近は、覆面同好会の部室でお昼休みをとっています。

 CDやレコードの山に囲まれた古いソファは、今にも押しつぶされそうで少々窮屈ですがーー憧れの"お友だちグループでランチ"です!そんなことでめげてはいられません。

 今日のわたしたちはと言えば、ミカちゃんは購買部のパンを持ってぷらぷらと現れ、仙人系の水谷くんは霞を食べています。わたしも持参したスープジャーを取り出します。


 「そういえば藍ってふつうの弁当なんだな。お嬢様の昼食って、学校に板前呼んでその場で寿司握らせたりするのかと思ってた」

 「やろうと思えばできますがーー目立ちますし」

 「できるんだ……」


 ちなみにわたしのお昼ご飯はビーフシチュー。

 ジャーを開くと、湯気と共に美味しそうな香りがふわっと広がります。


 「あ、ミカちゃんのパン、わたしのシチューにつけて食べたら良さそうですね。お裾分けしようと思って多めに容れてもらいましたので、半分どうぞ」 

 「おー、美味そう!んじゃお言葉に甘えて」


 ああ、まんがタイムき○らのような、些細な会話がうれしいです……!

   

 「ところで今日ビーフシチューにしたのは他でもないのです。水谷くん」

 「え、僕?」


 霞(ーーと思ったら手にカロリーメイトを持っていました)を紙袋の下でもそもそ囓っていた水谷くんが、キョトンと顔を上げます。


 「先日お借りした『めたるましーんみゅーじっく』を聴いたとき、わたしはこのビーフシチューみたいだなと思ったのです」

 「こないだはキリンやカモメがどうとか言ってなかったっけ……」

 「彼らは出汁です」

 「出汁?!」

 横でミカちゃんがパンを喉に詰まらせました。


 「そう。一見退屈にも聴こえる混沌とした音を丁寧に聴いていくと、たくさんの発見がありました。ノイズの海の底で、楽しい音が鳴っていたり、メロディが隠れていたり、感情が見え隠れしたりするーー」


 わたしは言いながらシチューにスプーンを入れます。そっと掬い上げると、匙の上にホクホクと湯気を立てるじゃがいもが現れました。


 「中に具がごろごろ入っているシチューのようだなと思ったのです」


 「前半怖かったけどーーなるほどね」

 それはとても素敵な聴き方だと思う、と微笑む水谷くん。

 「シチューのような音楽だから、作者もルーさんというのでしょう」

 「怒られるよ……」


 「話の途中で悪いんだけどさ、藍……このシチュー、牛肉が一瞬でとろけて気絶するほど美味しいんだけど、何が起きてる?」

 そういえば静かだったミカちゃんが、茫然自失したまま問いかけてきました。


 「えっと、今日はたしか丹沢牛でしたか。レシピはアラン・デュカスか誰かのものだったと思います」


 聞くなりミカちゃんはふらふらと崩れ落ちてしまいました。

 なんてこと。貧血でしょうか。お肉、足りなかったかな……




/

 「太った……」


 結局あれから追加のパンを買い足しに走り、シチューと一緒に3コほど平らげたミカちゃん、悔恨の一言です。


 「ミカちゃんは元々スリムですから、多少太ったほうがいいですよ」

 「う、うん。全然わからないと思うな」


 水谷くんとふたり慌ててフォローしますが、ずううんとした気配が既に重いです……


 「ここに来るようになってから食べ過ぎなんだよ……もうすぐ体育祭も近いってのに」


 そうでした。

 来るべき体育祭に向けて、わたしたちのクラスでは日々練習が行われています。

 ミカちゃんはたいへん運動神経がよく、リレーのアンカーに選ばれていました。それでいて、練習中に怪我した女子生徒を「保健室連れてくわ」と抱え上げ、颯爽と去っていく凛々しさたるや!

 鮮やかな銀髪を揺らしながら遠ざかる背中に「白王子」「白王子だ…」と皆が感嘆していたのも、致し方なしと言ったところでしょう。


 ちなみにわたしはと言えば、校庭の隅っこで、お嬢様作法に乗っ取ってハンカチを噛みながら抱えられた女生徒を羨ましく見守っていました……


 「そういや藍はリレー出ないのか」

 「わたしは足がおそいのです……」


 文武両道をもって良しとする篠宮家ですが、残念ながらわたしは"文"専門。ちょっとした護身術ていどは嗜んでいるものの、純粋な運動能力は空っきしです。

 "武"の方は、「ちょっとアウトドアしてくる」と称してアマゾンの奥地などに行っては死にかけて帰ってくる、困った愚兄の方にすべて遺伝してしまったようで。

 

 「家族からは力の兄、技の妹と言われています」

 「怪人から地球の平和を守りそうな兄妹だな……」


  「重いのと遅いのかーー」


 水谷くんが誰にともなくボソっと呟きました。


 「太りはしたが重くはない!」

 「小学生よりは少し速いです!」


 自分で言うのは良いけれど、他人に言われると腹が立つもの。

 キッと振り返った私たちに、慌てて手を振りながら水谷くんが答えました。


 「いやごめんーー今日紹介するCDが決まったよ」


 決まったそうです。




/

 「というわけでSUNN O)))『BLACK One』です」


 部室に備え付けてあったポッドで食後のお茶を淹れて一息、水谷くんの講義が始まりました。


「ドゥームメタルの名盤だね。僕個人としては前後のアルバムの方が好きだけど、入門にはこれが一番」


 「不思議なグループ名ですね」

 「アンプのメーカー名から取ったらしいよ。メンバーはギタリスト2人組なんだけど」

 「ドゥームメタルってなんだ?」


 だから、重くて遅いやつだよ、と私たちを見回して言う水谷くん。

 後で紙袋を燃やしてやりましょう、ミカちゃんとアイコンタクトを交わし、頷き合います。


 「技術や速度、メロディが重視されたメタルのメインストリームに反して、重く、遅く、ドラッギーな音作りを追求したメタル、ってとこかなあ。SUNN O)))に至っては、もはやドラムすらない」

 「カウンターカルチャーなのでしょうか」

 「いや、好きでやったらそうなった、みたいな感じ」


 どうして人は好んで道なき道へと向かうのでしょうか……

 

 「あ、でもこのアルバムは分かりやすいと思うよ。ゲストもブラックメタル人脈ばかりで雰囲気がしっかり出てるし、ある程度は曲にもなってる」

 「ブラックメタルってのは何だよ」

 「悪魔崇拝して、教会燃やしたり人殺したりするメタル」

 「……」


 ミカちゃんどん引き。

 本筋から逸れるからそれは後で調べてよ、と水谷くんが付け加えます。


 「ともあれ、延々続くドローンと激重リフが渦巻く闇のどろどろギターアンビエント。日本でも地味にファンが多い、名バンドの名盤だよ」


 「ーーいい」

 「藍?」

 「いいですね……!」


 一方のわたしはーー静かにテンションが上がっていたのでした。

 お恥ずかしい話ですがーー好きなのです、暗黒。

 少女時代、お父様の書斎に忍び込んで江戸川乱歩を読み耽って以来、猟奇怪奇は私の血肉になっています。なかでも「芋虫」「人間椅子」「屋根裏の散歩者」などは、ばいぶると言っても過言ではありません!


 「特にエグい短編群が並んでるなあ……」

 「藍に友達がいない理由の一端が見えた……」


 ミカちゃんと水谷くんの視線に距離感を感じますが、燃え上がってきました。暗黒の名盤、喜んで挑もうではありませんか。


 「もう少し西洋的な悪魔観だけどね。あと前回同様退屈には違いないから、まあ覚悟は必要ってことで」


 水谷くんはそう言って軽く釘を指しつつ、 

 「あ、でもひとつだけ。聴くときに、なるべく音量上げて聴いてごらん」

 と助言してくれました。


 「『最大のボリュームは最大の効果を発揮する』ってのが、彼らの信条だから」


 「何だよその『力こそパワー』みたいなの……」

 「なんでも彼らのライブに行った人、あまりの爆音で身体が振動して、肩こりが治ったりするらしいよ。眉唾だけど」


 一気に胡散臭くなったのでした。




/

 退屈音楽は独りで聴く。

 前回の経験を踏まえて、水谷くんにCDを借りて帰ったわたしは、自室で引きこもりの準備を整え、ヘッドフォンを被りました。

 アドバイス通り、耳が耐えられるギリギリまで音量を上げ、しばし心を落ち着かせてリラックス。

 さて、参りましょう暗黒世界ーーー雑音開始です。





Sunn O))) 『Black One』




①Sin Nanna (2:17)


 左右に揺れる羽音のようなジジジと、何かが軋むキィキィ。

 底の方で低い音がぐおーんと小さく鳴っています。

 じわじわとしたオープニングに期待感が膨らみます。




②It Took the Night to Believe (5:56)


 ギュイイイン、ズウウンと地鳴りのような低音が鳴り響きます。

 おおお、重いです!!何本ものギターが同時に鳴っているような。

 ド低音はゆったりとした反復フレーズを奏で、悪魔が現れました。

 何を言っているのかは分かりませんが、地の底から響くような声でなにやら話しかけてきます。


 「愚かな人間どもよ、時はきた!」(イメージ)

 低い悲鳴ーー否、歓声でしょうか。やはり耳障りな叫びが悪魔の呼び声に答えます。

 「魔王様万歳!」

 「いまこそ人間どもを根絶やしにしてくれようぞ!」(イメージ)

 「魔王様ぁ!」

 「大量の殺戮を果たした者には、和牛券かマスク2枚を配ってやろう!!」

 「魔王様ぁぁぁ!!」

 そんなような地獄の会話が交わされています。たぶん。




③Cursed Realms(Of the Winterdemons) (10:13)


 強風、雨音が響き渡り、極寒の荒野が眼前に広がります。

 先刻とはまた別のジャリジャリした悪魔ボイスが語りかけ、風も次第に耳障りなキイキイへと変化していきます。

 6分ほどでザザザと雑音。強風はいよいよ荒れ狂い、遠くでモールス信号のようなピーピピピも聞こえてきます。悪魔の語りは催眠的な色を帯び始めーー魔が胎動しています。


 ああしかし、なんてこと。

 ここまでの道のりで、わたしの心はすっかり魔族。音楽にすらなっていない悪魔の喧噪が、どこまでも心地よいのです。




④Orthodox Caveman (10:00)


 前曲から続く曖昧なザザザが、ついにしっかりした音楽を形作り始めます。

 しかし展開はどこまでも重く、遅く。

 間延びした時間感覚に、意識が朦朧としてきました。

 悪魔たちもいなくなり、世界がわたしと音だけ。

 音が鳴り、空気が震え、耳が喜ぶ。ただそれだけの至福。

 ぼんやりした頭で思います。


 なんてメロディアスな曲なんでしょう。




⑤CandleGoat (8:04)


 気高く美しい鍵盤の音が真っ黒いザラザラに汚されて、これまでよりさらに重く、どろどろとしたズズズが容赦なく続きます。


 ここにきて、わたしの意識は不思議な反転を感じています。

 うるさいのにーー静かなのです。

 轟音の中にある静寂。

 そのようにしか形容できない感覚の境地へ、わたしは足を踏み入れていきました。


 4分頃、ふたたび悪魔が現れ「よくぞここまでたどり着いた……」とわたしを誉め讃えます。わたしは陶酔した目で無表情に頷くと、彼の手を取り先へ進みます。UFOが発するようなヒュヒュヒュが聴こえはじめ、悪魔的色彩を宿しながら、音はいつまでも続きます。




⑥Cry for the Weeper (14:40)


 静寂に到達したわたしに呼応するかのように、轟音も鳴り止みました。

 不思議な浮遊感をもった、侘び錆びのあるウウウンと、軋むようなギギギが続きます。

 と、4分。賛美歌のようなウィーウィーとお馴染みのズオオオンが地の底から現れ、反復を始めました。

 時間の概念が消し飛んだわたしは、不思議な快感に身を委ねながら、音の波に翻弄されるばかり。




⑦Bathory Erzsebet (15:59)


 ふたたび静寂へ。

 鐘のようなコーンと、ブツブツとした空気の揺れが続きます。

 もう私には轟音と静寂の区別がつきません。

 「我が剣は天地とひとつ」と謳い、無刀の境地にたどり着いた剣聖の領域です。


 そして7分。鳴り響いた一音の美しさたるや!

 この遍歴の、それは終点なのでしょう。

 一際繊細な低音が、じわじわと表情を変えながらうねり、流れ込んできます。悪魔も「藍、ここまでがんばったね」とニコニコ囁いてくれます。


 荘厳さ、悲しさ、暗さ、美しさ。

 あらゆる印象が混沌と渦巻くBlack Oneーー


 わたしは、ついに見つけたのでした。




 ヘッドフォンを外すと、途端に部屋の明るさが目に沁みました。

 旅。

 長い長い、魔界への旅でしたーー

 わたしはドッと疲れたような、成し遂げたような、不思議な満足感でベッドに倒れ込みました。


 どぅーむめたる、すごいです。




/

 そして迎えた体育祭当日。

 心なしか肩こりが消えたわたしは調子よく徒競走を駆け抜け、人生初の1位を獲得しました。


 前を走っていた4人が奇跡的に全員転んだのはーーBlack Oneの悪魔が力を貸してくれたのかもしれません。


(了)

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