不要な外出と、密室殺人はお控えください

ぎざ

雨後の筍



 2020夏、新型ウィルスの脅威により、自宅待機命令が下っていた。

 かと言って、探偵稼業をたたむ訳には行かない。依頼が無ければ食い扶持ぶちを探さなければならない。ウィルスに冒されなくたって、仕事が無ければ死ぬ。人間、死に方は様々だ。

 ただまぁ、人様に迷惑をかけるのも探偵の美学として避けなければならない。安楽椅子探偵として、自宅から依頼を解決するというのが今出来る最大限の譲歩だろう。


 さて、自宅待機命令が下っているにも関わらず、人々の悲鳴は鳴り止まない。事件だという。

 現場は9階建ての、武鋸たけのこマンションの一室。東棟と西棟が向かい合っている。ビル同士は10メートルほどの間隔が空いている。


 9階建てのマンションのちょうど中間に位置する5階に住む、Aという男が殺された。東棟の5階の一室だ。

 名前に意味は無い。記号で充分だ。被害者はA。


 彼は明らかに他殺という殺され方をしていた。しかし、入口のドアにはカギとチェーンがかかっていて、なおかつドアの前の監視カメラには侵入者は映っていなかった。

 ベランダの窓は開いていたが、その日の在室率は100%。夏の暑い最中、ちょうど太陽の陽の当たらないマンションの内側に位置するベランダの窓は、開けている部屋も多数あった。そこからは5階のベランダは向かいの棟から丸見えだ。そのベランダから誰かが出入りすれば、どこかの棟の誰かが必ず目撃しているはずである。


 しかし、実際には誰にも目撃されていない。

 ベランダの手すりには避難用の縄梯子がくくりつけられて、1階に届く長さが揺らめいていた。実際に降りることはできた長さだが、5階から1階までの長さを、誰にも目撃されずに降りきることは可能なのだろうか。

 実際に目撃されていないのだから、目撃されなかった、という線で捜査されている。


 過程はどうあれ、結果から類推するしかない。

 容疑者はB、C、D、Eの四人。


 まず一人目。容疑者B。被害者Aの同僚だ。被害者Aの向かいの棟の西棟、7階に住んでいる。

 当日は、死亡推定時刻のそれぞれ1時間前と、1時間後の計2回、外の廊下にゴミ袋を置く姿が監視カメラに写っていた。


 電話で事情を確認する。

「昨日の午後2時ごろですか? たぶん、部屋で一日中掃除してましたよ。引っ越ししたてで、段ボールとか梱包材とか、あとはちょっとした生ごみとかもベランダにゴミを放置していたんですよ。でも、Dだったかな。あいつが、ベランダにカラスが来て迷惑だから、片付けてくれって言うから、なら一緒に部屋の片付けもしちゃうかぁって」


 事件現場のベランダから見上げると、向かいの棟にBの部屋のベランダが見える。今はゴミは片付けられているようだ。備え付けの室外機が置いてある。それは他のどの部屋とも変わらない。

「引っ越しと言っても、カーテンやシーツ、家具のほとんどは部屋に既に設置されている、家具込み物件だったんですけど、まぁ、マンガとかフィギュアとかを良い位置にしまってたら、一日かかっちゃいましたね」


 部屋の外に出ていないのは監視カメラから明らかである。

 ベランダのゴミを部屋の中に入れる姿が住人から目撃されていた。それは死亡推定時刻の1時間ほど前だ。そのゴミを、廊下にそのまま出していたのなら、監視カメラの映像とも一致する。

 そもそも、Bの棟からAの棟まで10メートルあるのだ。とても現実的ではない。


 次に、Cの事情聴取を始める。

 CはAと同じ東棟の、8階に住んでいた。

「昨日の午後2時頃? 自宅謹慎って言うから、ずっとネットで動画見てたわ。視聴履歴を見てもらえばわかると思うけれど。それとも、見た映画の内容でも話す? 光学迷彩技術を施した透明マントを付けて、完全犯罪をするってストーリー。楽しいでしょう?」


 映画の内容を話せても、それはあまり意味がない。視聴履歴などは、動画つけっぱなしでも履歴は残る。

 Cのベランダからは、Aのベランダは真下に位置するからか、見えない。逆に、Bのベランダは向かいの棟の高い位置にあるからすぐにわかった。

 Cのベランダはずっと開いていた、とDが証言している。


「Dが? どういうことだ?」


 Dの部屋は被害者Aと同じ東棟の3階に位置する。DはCと同じ棟に住んでいるのだから、Cのベランダの様子を確認できるはずがない。


 Dの事情聴取をすることにした。

「昨日の午後2時頃ですか? あー、えーと。部屋で映画見てました。透明マントで完全犯罪するやつです。ネタバレしましょうか。あれ、実は鏡みたいに、反対側の景色を投影しているだけなんですよ。だから、反対側に予想外の物が映りこんでいるとばれちゃうんです。それで、映画の犯人は捕まっちゃってました」


 だから、聞いてないって。

 ……ん? それは、Cが見ていた映画と内容が同じようだ。

「Cと同じ部屋にいたのか?」

「い、いいえ!! そんな、恐れ多い!! 俺にとって、Cは女神ですから! アイドルであり、太陽! 光! 同じ部屋にいるなんて、そんなことできませんよ!」


 でも、Cのベランダがずっと開いていた、みたいなこと言ってなかったか?


「えぇ、ずっと、見てましたから。西


 ようするに、DはCのストーカーだったようだ。Aの死亡推定時刻には、Dは西棟の9階に陣取り、Cの部屋を覗いていたという。だが、それによってCのアリバイを証明しているとは、皮肉な話だ。

「Bにベランダを掃除してくれと言ったのはあなたですか?」

「え、ああ。確かに、Cの部屋を覗くときにカラスが来たりして邪魔な時もありましたね。Cが「ベランダからゴミが見えるのが嫌」って言ってたので、代わりに俺が伝えてあげたんですよ」


 最後にEの話を聞きに行った。

 Eは西棟の4階に住んでいた。


 Eは目のクマがすごい。眠れていないみたいだ。

「午後2時頃ですか? たぶん、寝ていたと思います。Bのせいで全然眠れなくて」


 ベランダを開けると、鳥除けの風船が所狭しと並べられていた。

「カラスが嫌いなんです。子供の頃つつかれたことがあって……。Bの奴……、ゴミをベランダに出すから、カラスが来るんです。下の階のこの階にもたまに来るんです。怖くて寝れなくて……。何回言っても片付けてくれなくて……」


 そのゴミなら、Bが片付けていたので、少しはマシになるのではないだろうか。


 さて、関係者の話は全て話を聞いた。

 事件当時、被害者Aと同じ棟には8階でCが映画を見ていた。

 向かいの西の棟では、4階でEが寝ていて、7階でBが部屋を片付けていて、9階ではDがBの部屋を覗いていた。


 唯一Aと同じ棟にいて、犯行ができそうなCのアリバイをDが証明している。

 といっても、はるか上の階にいるため、どうやってAの階に行くのか。廊下の監視カメラに映らずに。それは、西棟にいるB、D、Eも同様である。


 自然死はありえない。

 ならば、結果から考えよう。

 この中で犯行が行え、かつそのための行動を起こしたのは、あいつだ。



    ◆



探偵は容疑者四人を集め、推理を披露する。

容疑者四人はそれぞれ自分の部屋で、グループ通話をしている。


「テレビ電話で失礼します。あなたたち四人の後ろには警察官がいますが、この事件の犯人を捕まえるために配置しているだけです。犯人ではない人を捕まえることはないので安心してください」


「さて、今回の事件。被害者Aの部屋は密室でした。ただ一つの出入り口を除いて。それは、もちろんベランダです」


「そのベランダには縄梯子がかかっていました。一方はAのベランダの柵に結ばれ、もう一方の端は1階に届いていました。ということは、その一方を逆に上に伸ばせば、9階にも届いたはずです。Aの住んでいる5階は、からです」


「そう、犯人は自らの部屋と、Aの部屋とを縄梯子で行き来したのです。しかし、そのまま行き来すると、誰かの目に留まってしまいます。なぜなら、その部屋は常時、監視されていたからです。Dという男に」


「だから、光学迷彩の透明マントをまといました。鏡のように向こう側を反射するため、行き来する自分の姿は目撃されません。行き来した後、自分の部屋に結んでいた縄梯子の端を離して、下に投げた。よって縄梯子はAの部屋から下に垂れ下がっていたのです」


「唯一、障害となる、ベランダに置かれたゴミの山。Bの部屋は、犯人の部屋からAの部屋に向かう途中にあり、ゴミの山を透明マントの鏡で映してしまい、犯行がばれる恐れがあります、だから『片付けてほしい』と伝えた。ゴミが片付いていれば、から透明になれました」


「Aの下の階のDもこの犯行を実現できますが、向かいの棟のEの鳥除けの風船が透明マントに写ってしまい、効力を最大限発揮できずに目撃されてしまうことから除外できます」


「よって、犯人はC。あなたがAを殺害した犯人だ」



    ◆



「透明マント、嘘みたいな話、信じてくれたのね」

 Cは楽しそうに。嬉しそうに笑う。

「ねぇ、探偵さん。名前を聞かせて?」


五十嵐いがらし 十五じゅうご。しがない私立探偵、ですよ」


「なにそれ、冗談みたいな名前」


「あなたの名前は?」


「さぁ、名前は記号だから」


 また会いましょう、と彼女はどこかに去っていった。

 配置していた警察官は、画面の端で倒れていた。


 名前は記号だな。

 名乗ったからと言って、相手も名乗るとは限らない。


 透明マントを開発できるくらいの才女だ。警察官を配置したところで逃げられる。その可能性を考えられなかった俺の負けだ。




「雨後の筍、か」


 4月の桜、6月の雨、そして、8月のこの事件。

 何かとてつもない大きな流れが、どうしようもない速度でこちらに向かってきている。


 夏の強い日差しの中、目に見えないウィルス、抗えない巨大な影を感じ、ちっぽけな人間の俺は、部屋に閉じこもっているしかなかった。


 かろうじて残る食い扶持で食いつなぎながら。


 止まない雨はない。そう信じて。



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