堅物近衛騎士と皇女殿下のお話

騎士メア

第1話

「ご苦労様です。ゼネーライト殿」


「ええ。引き続き警護を頼みます」


「はっ!」


 日暮れから暫く。

 王城内部の見回りを終えた少女―――フォルニス・ゼネーライトは、その日の夜間警護を担当する兵士たちに挨拶をしてから、日課を果たすべく中庭へ向かった。


 カツカツと、城内の渡り廊下に響く軍靴の音。


 月明かりに照らされて露になったのは、烏の濡れ刃色の長髪に、藍晶の双眸。細身の体躯に纏うは近衛騎士の白い制服。腰に精緻な薔薇細工の施された蒼剣を佩いたその姿は、まるで絵画の中から出てきたように一つの美としての完成形を示しているようであった。




 セレスタニア皇国において最も誉れ高い職の一つとされる皇族直下の近衛騎士団に、フォルニスが配属されたのは二年前。若干十六歳での異例の抜擢に、周囲の反応はきれいに二分された。必要以上に媚びへつらい、愛想を振り撒いてフォルニスを持ち上げてくる者と。そして公爵令嬢というフォルニスの出自故にその不正を疑い、コネで栄誉を賜った恥知らずと影で罵る者と。


 ただし後者は、彼女の有能さが証明されるまでの話であったが。今日に至るまでめざましい成果をあげ、第一皇女、引いてはその皇女を溺愛する国王からの信も篤い彼女を表立って糾弾できる者は最早誰もいない。


 だからこそ、皇族やその類縁でもない自分がこうして夜に城の中を一人で歩いても咎められないのだが。


 と、フォルニスがそんなことを考えながら歩いている内に、目的地である見晴らしの良い中庭に到着した。


――――やはり、今夜もここにおいででしたか。


 フォルニスの視線の先には、薄い寝間着に身を包んだ幼い少女がいた。


「そのような格好で夜風に当たられては、お風邪を召されてしまいますよ。と、私は何度も申し上げているはずなのですが、姫殿下」


 腰まで伸ばされた桜色の髪を風に遊ばせて振り返る、フォルニスに殿下と呼ばれた少女。つまりセレスタニア皇国の第一皇女であるヴィルヘルミナ・ディア・セレスタニアは、フォルニスの諫言など耳に入らなかったように、長い睫毛に縁取られたローゼライトを輝かせた。


「フォルー!」


「おっ、と」


 抱きつくような勢いで走ってきた、というか実際勢い余って抱きついてきた彼女をふわりと受け止める。羽のように軽いので、フォルニスにもヴィルヘルミナにも全くダメージは無いのだが、問題はそこではない。


「はぁ。殿下、どこに人目があるかわかりませんから」


「フォルは、いや?」


 一旦離れてから、上目遣いで抱きつかれるのが嫌だったのかと問うてくるヴィルヘルミナに、フォルニスはうっと眉に皺しわを寄せる。そんな涙目で見ないでほしい、と。表情に乏しい自分にすら常の無表情を崩させるのだから、幼子の涙とは恐ろしいものだとフォルニスは思う。


「嫌とは申しません。ですが、もう少しご自身のお立場を考えて下さい」


「かんがえて、こうしてるんだよ」


「?何か仰いましたか?」


「べつに」


 一人ごとだったのか、小さく何事か呟いたヴィルヘルミナは若干頬を膨らませて返した。


 そんなちょっとむくれ気味の皇女に、しかしフォルニスはあまり強く出ることができない。


 フォルニスが彼女と出会ったのは、騎士団に入隊してから半年ほどたった頃のことだ。公務で隣国へと赴いた際、その道中に護衛として盗賊から彼女を守ったことがあった。職務の一環であったために、フォルニスの中では取り立てて特別なことをしたつもりはなく、数ヶ月も立つ頃には忘れてしまっていたのだが、ヴィルヘルミナにとっては違ったらしい。


 その日、フォルニスは夜間警護の担当で城内を巡回していた。すると中庭を通りかかったところで、座って空を見ているヴィルヘルミナを見かけたのだ。驚いて声をかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。その顔に涙の後があるのを確認したフォルニスは、やや戸惑いながらもなにか嫌なことでもあったのかと問いただした。すると、ヴィルヘルミナは少し恥ずかしそうに、でもやはりどこか泣きそうな顔で、"寂しい"のだと教えてくれた。


 ヴィルヘルミナを産んだ皇妃はその後まもなく亡くなっており、彼女は母親の温もりを知らずに育った。唯一の皇女として、彼女に良くしてくれるものは沢山いるけれど、そのほとんどが彼女を皇女としてしかみておらず、振り撒かれる笑顔も大半が虚構。年齢に似合わず聡明な少女にはそれがわかってしまった。


――――みんながあいしてくれているのは、私じゃなくて、皇女ヴィルヘルミナなんだ。


 彼女は愛に飢えていた。ただ皇女ではない自分を見てくれる人を欲していた。


 それが皇女として産まれた彼女の宿命だとしても、フォルニスにはあまりに少女が憐れに思えて。何ができるわけでもないとわかっていながら、彼女の寂しさを紛らわせることができればいいと思い、話し相手になったのだった。


――――あとから以前助けたことへのお礼を言われて、一瞬なんのことかわからず固まってしまったのは内緒である。


 何が面白いのか、ヴィルヘルミナはどうやらフォルニスの騎士としての体験談を聞くのがお気に召したらしく、なし崩し的に二人の関係は続き。夜、彼女の寝室で彼女が寝付くまで話をするのがここ一年ほどの前からの二人の日課だった。


 本来なら皇族が寝室に他人を連れ込むなどあってはならないことだが、皇妃である母親を幼くして亡くし、かつ普段は泣き言一つ言わない聡明な皇女の我が儘だ。同性ならば大きな問題はないだろうということで、二人の関係は半ば黙認されていたのだが。


 ここ一週間ほど、フォルニスは急を要する案件で城を離れており、今日が一週間ぶりの再会だった。一応昼間にも会って話してはいるのだが、流石に公の場では立場上礼節ある態度で接するべきだ。ヴィルヘルミナもそれを弁えているからこそ、今のうちに甘えようとしているのだろう。


 そういうわけで、フォルニスはこのヴィルヘルミナという皇女には弱いのだった。


 だから、仕方有りませんね、と嘆息して。


「確か、剣舞の大会での話が途中でしたか。これ以上御身を夜風に晒すわけにも参りませんから、お部屋に行きましょう、ミーナ様」


 二人きりの時だけの呼称を使いフォルニスが手を差し出すと、それだけで機嫌が直ったのか無邪気な笑みを浮かべたヴィルヘルミナが小さな手をのせた。


 フォルニスは、自分はどうやら彼女からの信が篤いと言われているみたいだが、これは信頼云々というより懐かれていると言った方が正しいのではないか。と思いながら、幼い皇女殿下の寝室に向かった。






☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 






「……そうして剣を突き付けたところで、相手の剣士が降参したというわけです」


「じゃあ、フォルのかち!?」


「はい、私の勝利です」


「いちばんつよい!?」


「……はい、まあ大会の出場者の中では、ですが」


「さいきょー!?」


「…………はい、さいきょーなのです。ですからミーナ様、少し落ち着いてください。そろそろお休みになられませんと、明日も朝はお早いのですから」


 テンション高く詰め寄ってくるヴィルヘルミナを窘めながら、しかし彼女がこんなに喜んでくれるのなら悪い気はしないなとフォルニスは思う。


 無表情がデフォルトであるフォルニスは、初対面の人間にはだいたい怖がられる。まあ極稀に「怒ってる?」と直接聞いてくる強者もいるのだが。あと別に怒ってない。


 実は表情を作ることが出来ないのはフォルニスにとってコンプレックスの一つなのだが、それを相手が知る由はない。


 一応、フォルニスはゼネーライト家の侯爵令嬢なのだが、基本的に力業で解決する武闘派の家系で育った彼女に令嬢の微笑みも何もない。笑顔とは威嚇行為である、というのがゼネーライトの教えの一つだ。


 だから、と言い訳をするわけではないのだが、自分は決して人に、特に子供に好かれるタイプではないと思う。ましてヴィルヘルミナは、フォルニスが盗賊をズバズバと斬っていく様を見ていたかも知れないのだ。恐がられて避けられこそすれ、懐かれる理由などないはずである、と。


 そんな思考も、目の前で嬉しそうに耳を傾けている彼女の前ではどうでも良くなってくるから不思議だ。フォルニスの言うことを素直に聞いて横になったヴィルヘルミナに羽毛の布団を掛けてから、その桜色の頭を撫でる。子供特有の、細くて柔らかい髪の感触を指に伝わせていると、ふいにヴィルヘルミナが声をかけてきた。


「ねぇフォル」


「何でしょう?」


「あしたもおはなししようね」


「ええ、明日も、明後日も。ミーナ様の気が済むまで」


「……やくそく、だよ」


 言いながら、眠気が来たのだろう。先程まであんなに元気だったというのに、目を瞬かせながらヴィルヘルミナが大きな欠伸をする。


 可愛らしいその仕草に、ほんの少しだけ口角がつり上がるのを自覚しながら。


「お休みなさい、ミーナ様。良い夢を」


 彼女の額に、親愛を込めて、優しく唇を落とした。










 ヴィルヘルミナが寝入ったのを確認してから、起こさないよう足音を消して静かに退出する。


 騎士団の寮に帰りながら反芻するのは、眠る直前の彼女のことば。


「あしたもおはなししようね」と。たった一週間でも、彼女にとっては待ち遠しかったのだろう。


 あるいは、不安にさせてしまったのかも知れないと。半ば無意識のうちに腰の剣鞘に手を当てる。


 二月前のフォルニスの誕生日に、なんの戯れかヴィルヘルミナから贈られたそれは。その、青い薔薇の描かれた細剣は。セレスタニア皇家が有する国宝、である。


 誕生日プレゼントだと言われた、十八年の人生で家族以外から初めて貰ったそれに心を躍らせて、その正体を知って仰天。


 王城が買えるとすら噂される、そんなものをたかが一騎士に過ぎないフォルニスに受けとれるはずがない。そう言ってつき返そうとしたのだが、何故かヴィルヘルミナが泣きだしてしまって。冗談じゃない。泣きたいのはこっちだと、羽のように軽い筈なのにとてつもなく重く感じるその剣を、しかし返すこともできずにもて余していると。仕える皇家や騎士団の上司から何を言われるかとびくびくしていたのに、何も言われることなく何故かあっさりと、所有権がフォルニスに移されていたのだ。


 しかも、壊すわけにはいかないからと佩くだけ佩いて実戦は別の剣で行っていたら、ちゃんと使えと命令までされてしまった。それがヴィルヘルミナの望みだと、そう言われてしまえばフォルニスに断れるはずがない。


 それでも流石は国宝と言うべきか、煌びやかな装飾が施されているにも関わらず剣としての本来の価値を微塵も損なうことなく、刃こぼれ一つしない。無論手入れは欠かしていないが、驚くほど手に馴染むその剣は、最早フォルニスにとって手離せない存在となっていた。


 誕生日に剣を贈られた意味は、なんとなくわかっている。幼い彼女なりに、フォルニスのことを案じてくれたのだろう。……できればもう少し安い物であれば、素直に喜べたのだが。



 母親代わりか、年齢的には姉の方が近いのかもしれないが。自分が、彼女の心の拠り所になれればいい。あの優しい少女を、守ってみせよう。皇族である以上直面せざるを得ない、あらゆる悪意から。この身で、この剣を以て。


 ヴィルヘルミナと親しくなってからほとんど毎日のように胸に刻んでいるその誓いを、改めて刻み直す。


 次に任務が入っても、今度はできるだけ早く帰ろうと決めて、フォルニスは騎士団の宿舎へ戻った。






☆ ☆ ☆ ☆ ☆






「……ん」




 もぞり、と熱を持った体を冷ますように、ヴィルヘルミナは布団の中で小さく身じろぎした。


 狸寝入りだった。


 いや、正確に言うならば、本当に眠たかったのだ。もう少しもしないうちに、意識は深い夢の中に誘われていた筈だった。はず、だったのにーー


「きす、された……?」


 間違いなく、された。おでこに。柔らかくて温かくて、優しい口づけを。フォルニスに。


 すきなひとに。


「ぅ~~!」


 言葉にならないとばかりに、ヴィルヘルミナは悶えるような唸り声を上げる。眠気などすっかり吹き飛んでしまった、少女が想起するのはやはりフォルニスのことで。


 初めて会ったときから、なんとなく確信はあった。ピクりとも動かない無表情で、だけど宝石のような青の瞳の奥に宿る確かな温度と優しさ。皇女である自身に取り入ろうとする人間の濁った瞳ばかりを視てきたヴィルヘルミナにとって、それだけで信じるに値して。同時に、


――――ああ、わたし、このひとすきだな。


そう、そのときはまだ恋慕か親愛かも定かではなく、ただ漠然と思った。


 盗賊から自分を守るために振るわれるあの流麗な剣を見てからか、あるいは彼女と話しをするようになってからか。いつからなのかは定かではないけれど、それでもヴィルヘルミナがフォルニスに抱く"好き"のカタチは、フォルニス以外にも極僅か存在する、信頼を寄せる人間に対する好きとは明確に異なっていて。


 たぶん自分は彼女のことが、家族の代わりとしてではなく一人の女の人として好きなのだと、聡い少女は幼心に理解した。同時に、それがとてもおおやけにしてはいけないものであることも。


 今は子供だから黙認されているが、それも長くてあと数年の話だ。皇女が晩に寝室で誰かと会っているなど、口さがないものたちにとっては格好の的になる。良からぬ噂を建てられて、それが醜聞となるのはヴィルヘルミナだけではない。いや、むしろそうなったとき、真っ先に責を問われることになるのはフォルニスの方だろう。


 どんなにフォルニスを好きになっても、その想いは叶わない。告げられない。悟られるわけにはいかない。本当の気持ちを親愛の裏に隠して、いつか忘れられる日まで彼女にとって"妹のような皇女"であり続けなければならない。


 けれど、けれどそんなの、


「そんなの、むり、だよぅ……」


 世間体とか、同性だからとか。


 それらを気にして諦めきれるならあんなもの渡さない、とフォルニスの誕生日に贈った、というか押し付けたプレゼントを思う。




 薔薇細工の細剣。本当は赤い薔薇を贈りたかったのだけれど、その意味を知られるわけにはいかなくて、知られるのはほんの少しだけ恥ずかしくて。


 それにやっぱり彼女には、ヴィルヘルミナの大好きな、あの綺麗な瞳のカイヤナイトと同じ。あおいろが、似合うと思ったから。騎士であるフォルニスに誂えたような、その剣を贈ったのだった。




 月明かりだけが窓から僅かに覗く薄暗闇の中。ヴィルヘルミナは未だ火照りの収まらない、すきなひとの唇が触れた額に手をあてる。


 誰にも渡したくない。誰にも取られたくない。


少女が抱く恋情は、なくなるどころか独占欲を伴って強くなるばかりで。どんなに時間を経たところで、きっとこの想いは消えてはくれないだろうから。


 だから、ヴィルヘルミナは決心した。


 絶対に彼女と結ばれてみせると。どんな障害に阻まれようが、そんなものはこの国の主となってしまえば関係ないのだ、それまでにフォルニスさえその気にさせてしまえば。それが妹としか見られていない現状、一番の難題だが。


 まあ、幸いヴィルヘルミナはまだ幼いわけで。時間は沢山あるだろう。焦ることは無いのだと自分に言い聞かせて、ヴィルヘルミナは思考を放棄した。


 しばらくして再びやってきた睡魔に逆らうことなく、今度こそ幸せな夢の中へ誘われる。




近衛騎士団は皇族に直接帰属している。ならば、その一員であるフォルニスだって当然、皇族である―――


「わたしの…もの、だもん……」


小さな寝言とともに、少女は僅かに頬を緩めた。

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