ご挨拶
『拝啓。弟君や。挨拶に来るなら土曜日に来なさい。兄は仕事忙しき義に付き時間があまり取れず。浅草の花屋敷にでも来がてら、うちに来られたく候。尚、昼飯は用意する。今度の土曜日、上野駅にこられたし。早々』
兄から手紙の返信が来た。渉の兄は浅草に住んでいる。官吏をやっており、それなりに忙しいらしい。兄は齢三十五で兄嫁と子供がいる。早速次の土曜日に結婚の挨拶に向かおうと思い、瑠璃子に手紙を出そうと葉書に文句を書き始めた。
『拝啓、愛しき人よ。兄への結婚の挨拶であるが早速次の土曜日にいこうと思う。瑠璃子さんのご予定は如何ですか。返事はいつまでも待っている。早々』
「愛しき人ですか。嬉しいことを仰っていただけますね。渉さん」
後ろを振り向くと、そこには瑠璃子がいた。瑠璃子は机に向かう渉の後ろに立ち、微笑んでいた。
「瑠璃子さん、盗み見はよくないですよ」
「でも、それは私の手元に届く手紙ですよ。次の土曜日ですね。かしこまりました。浅草に行きましょう」
渉にとっては緊張の一週間であった。兄も兄嫁もそれほど気難しい気性ではないのだが、瑠璃子のこと、今後のこと、出会い等色々と突っ込んで聞かれるかと思うと背中中が痒くなる思いであった。思えば、この三ヶ月間、色々あった。瑠璃子と出会い、糸魚川まで翡翠を取りに行ったり、喧嘩したり、あげくはお見合いに乗り込み、瑠璃子を掻っ攫うことまでやらかしてしまったのだ。兄に何と言われるか想像を絶する思いであった。
一週間は直ぐに過ぎ去っていく。あっという間に次の土曜日になってしまった。瑠璃子とは横浜駅で集合にしてある。渉は歩いて駅に向かうことにした。
「渉さん、こっちです」
横浜駅に着いた渉を待ち受けていたのは、洋装をしてリボンをつけた瑠璃子であった。いつもの女学生姿ではない。渉は瑠璃子に見惚れていると瑠璃子は恥ずかし気にその場をくるりと回る。
「似合いますか」
「ええ。とっても似合いますよ。サテ、行きましょうか」
二人は横浜から列車に乗り、山手線に乗り換えて上野から歩くことにした。瑠璃子は渉とのデェトに浮き浮きしているようであったが、渉はそうはいかない。ほぼ唯一の身内への挨拶である。渉の緊張は頂点に達していた。
「渉さん、どうしましたか」
「イエ、別に、何も……」
「もしかして……緊張していらっしゃいますか」
「ちょっとだけ」
瑠璃子が寄り掛かってくる。渉はそれを肩で受け止める。
「俺の父母はとうの昔に亡くなって、今は兄と兄の家族しか身内がいないんです。おまけに年始の挨拶も葉書だけですから。ほぼ五年ぶりに兄と会うのです」
「まぁ。昔はお兄様とは仲良しだったんですか」
「兄も俺も変わってますから。仲はそこそこ良かったと思いますよ」
「では大丈夫ですよきっと」
二人は無言で列車に揺られていく。乗り換え駅に着けば、逸れぬよう手を繋いで移動する。上野駅に着く。おそらく渉の兄であろう人物であった。上野駅で渉はとある人物を見つけた。兄は渉にそっくりであるが最後にあったとき既に髪が鼠色になっていた。シワといい、髪といいおそらく兄であろう。
「清兄さん」
渉はその人物の名を呼ぶ。その人は軽く手をあげ、声に応える。渉は瑠璃子と共に清に駆け寄る。
「随分お仲がよろしげじゃねぇか。渉。そちらのお嬢様が婚約者かい」
「瑠璃子と申します。よろしくお願いします。お兄様」
「ふぅん……お前ら迎えに来てみたら……瑠璃子さんは随分お若いようだな」
「ハイ。今年十七になりました」
「そうかい。渉、うちへ向かおう。車を拾ってな。お前相変わらずの貧乏暮らしなんだろう。勿体ない。その脳味噌があれば何にだってなれたのによぉ」
「だから、学者になったのです。俺は馬鹿ですから」
「そぅかい。母ちゃん待たしてるからな。早く行こうや」
三人は車を拾い、浅草を目指す。清は瑠璃子のことを気にすることなく、煙草を蒸す。
「あの……私の見た目のこと……なんとも思わないのですか」
清は渉を一度見る。そして瑠璃子に向き合った。
「渉が選んだ女の子だ。何とも言わないさ」
瑠璃子の顔が華やぐ。渉は瑠璃子が自分の見た目を気にしているのを知っていた。故に受け入れられたことを彼も嬉しく思っていた。
「ところで渉、このあとどうすんでぃ。俺のところに来たあと何か考えてんのか」
「ええ、兄さんの言う通り、花屋敷に行こうと思います」
「ふぅん。申し訳ないが、うちのチビも連れてってくれねぇか。母ちゃんがちょっと参っててな。二人の時間が欲しいんだと」
「まぁ。奥様想いなんですね」
「ま……まぁな」
おそらく兄は奥方の尻に敷かれているのであろう。その様子を渉は微笑ましく思った。やがて清の家に着く。そこには耳隠しをした一人の女性がいた。三人が車を降りると、女性が清に駆け寄って来る。
「あんた、おかえんさない」
「おう、ただいまよ。母ちゃん。こっちが弟の嫁さんになる瑠璃子さんだとよ」
「瑠璃子です。お初に御目にかかります」
「可愛らしいお嬢さんね。私は葉子よ。よろしくね。さぁ、中に入りなさいな。お昼ご飯用意してあるから」
今日は長い一日になりそうだと渉は思った。同時に自分の家族とも言える存在に瑠璃子を受け入れてもらえたようで、渉の胸はいっぱいであった。
ときには、周り道を。 石燕 鴎 @sekien_kamome
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