正清とふみ

 爽やかな陽気が続く七月。ふみは宇喜多と共にお見合いに向かっていた。親が決めた縁談だ。今まで幾度となく蹴ってきたが、今回は別である。父母に正清の存在が漏れてしまったのだ。ことの起こりは正清の手紙にあった。ふみが正清と「契約」して以降、正清は律儀にふみに手紙を送っていたのだ。当然父母は怒った。あの、「妹」にお熱であった正清が今度は自分の娘に手を出そうとしているのだから。そして、父母は正清と愛する娘を引き離そうと、縁談を仕組んだのだ。ふみは勿論抵抗をした。しかし、今回ばかりはしきれるものではなかった。ふみは一応正清に縁談を親に勧められた旨の手紙は出したが、返信は無かった。ふみは怒った。彼の胸の内の瑠璃子の存在はそれ程のものであったのか、という怒りである。ふみはやけを起こした。会ってもいないのに、この縁談を受けようと心に決めたのだ。

 花緑青の車が料亭に着く。ふみと宇喜多は先方が待つ部屋へと通された。そこにいたのは、平凡そうな青年であった。ふみはいつもの仮面を着ける。戦闘態勢は整った。宇喜多が一礼し、部屋を出て行った。戦闘開始だ。

「こんにちは、小西さま。今日は暑かったですね」

「ええ、そうですわね。私、暑くて着物着るのも嫌になるくらいでしてよ」

 ふみは日本人形の顔になる。愛想よく微笑む。この顔なら万人が自分を好んでくれる。そう思った。お見合いは和やかに進んでいく。ふみは青年のくだらない冗談にも微笑みで返し、さらに混ぜ返して会話を展開させてゆく。内心苛立ちをふみは隠していた。こんな時間は光のように過ぎ去れば良いとも考えた。しかし、時というものは無情にもゆっくりと流れてゆく。ふみは隠していた苛立ちを少し表情に出す。青年は気づこうともしないでべらべらと先程と同じ話を繰り返す。その時だった。宇喜多が「失礼」と部屋に入って来た。

「宇喜多、どうしまして」

 ふみは苛立ちを器用に隠し、涼しい顔を作る。宇喜多はふみの耳元に小声で囁く。

「お嬢様、お嬢様は恋人とこの青年、どちらがご自身がお幸せになれるとお思いですか」

 それだけを囁き、宇喜多はまた部屋を出て行った。

「何事だったのでしょうね」

 ぼんやりとした青年は呟く。ふみは涼しい顔で「さぁ、なんでしょうね」とだけ言う。ふみは思巡する。宇喜多の問いかけは一体何事であったのかと。ふみが口を開こうとしたその時であった。襖がゆったりと音を立てずに開く。そこに立っていたのは宇喜多ではなく、帽子を被った背の高い男であった。茶色いスラックスに白い開襟シャツにサスペンダー。到底紳士とは思えない男である。男は座っているふみの隣に跪くとその帽子を取る。目鼻が整った顔立ち。睫毛が長く凛々しい眉毛。一本筋の通った鼻に整った唇。加藤正清だ。

「迎えに来ましたよ。お嬢様……いえ、ふみ」

「な、なんなんだい君は」

 青年は動揺している。正清はその整った唇を薄く開いた。

「何も、私は加藤正清。ふみの恋人です」

 そう言うと正清は青年に見せつけるように、ふみに接吻をする。ふみは驚いた。あの「契約」以外でこの男が接吻や身体的接触をするとは思わなかったからだ。

「あら、随分乱暴な口付けね。正清」

「失礼。貴女が他の男と楽しそうにお話しされているのを見てつい」

「僕が楽しそう。君の目は節穴かい」

 思わずふみは仮面を取ってしまう。青年にとってそこにいたのは、廃れた表情をした美しい日本人形であった。

「な、なんだ……君たちは……。ふみさん、これは一体」

「私を捨てて、こんな男をとるのですか」

「そんなこと、しないよ」

「ならば」

 正清はふみを横向に抱き抱える。

「逃げるに限りますね。ふみ、しっかり捕まってて下さい」

 ふみは正清の首に手を回す。正清はふみをしっかりと支えて立ち上がる。

「お、おい待ちたまえ……おい」

 その声を聞かず、正清は自分の花緑青色の車に向かう。宇喜多は正清に一礼をする。

「お嬢様を幸せにしてくだされ。ここは眼を瞑りまする」

「ありがとう。宇喜多さん」

 正清はそっと地面にふみを下ろし、自らの車の中へエスコートする。やがて車のエンジンがかかり、軽快に走り出した。

「君、僕と瑠璃子のことを捨てたと思ったよ」

「そんなことは致しません。お互いに仮面を取れる相手は一人しかいませんし、それに契約のこともありますから。契約履行していただかないと」

 ふみは清い唇をほんの少しだけ歪ませる。

「そうだね。とりあえず、このあとどうするんだい」

「とりあえず貴女のご両親に結婚宣言でもしに行きますか」

「君といると飽きないよ、正清」

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