『片恋』

 とある古びた貸本屋。店主はいつもならのんびりと本を読んでいるが今日は違う。今日日人気の本『片恋』が入荷されたのだ。『片恋』は最近女学生に人気の小説で、とある作家先生と妾の女性の短い夏を描いた作品らしい。店主は流行り物には飛びつかない主義であり、今日ものんびりと自らのお気に入りの小説を読む。

 開店してすぐに来たのは店主の予想通り、女学生二人組であった。片方は生糸のように肌が白く、髪に光が当たれば鳶色に見える。もう片方の女学生は眼は鳶色だが、黒々とした髪で、まるで日本人形を想起させるような子であった。

 日本人形の子と西洋人形の子、まるで対象的であると店主は思う。しかし、二人は手を固く繋いで入店してきたことから、かなり仲の良い友人関係であると推測された。やがて、二人は散々となり、お目当ての本を探し始めた。

 西洋人形の子が詩集を探している中、日本人形は『片恋』に手をかける。しかし、女の子は恥ずかしそうだ。恋愛小説は人気なのになぜだろう、そう店主は考える。やがて、女の子はパラパラと頁をめくり始めた。店主はそれを観察する。すらりとした手足に長い黒髪、整った唇に長いまつ毛。女の子はその清い唇を少しだけ開けて本を読み始める。店主はあまりの美しさのあまり女の子を観察せずにはいられなかった。やがて女の子は表情をくるくると変え始める。微笑んでみたり、ときには驚いてみたり。その表情の変化は店主にとって見ていて気持ちの良いものであった。

「お姉様、何をお読みになっているんですか」

「ああ。これよ。最近人気の『片恋』よ」

 西洋人形は青い目をしている。その青い目を瞬かせた。

「かたこいですか」

「そう。主人公が綺麗なお姉様に懸想する話」

「まあ。その恋は成就するのですか」

 日本人形は何故だか寂し気に微笑む。店主はその一挙一動に訳も分からぬ感動を覚えていた。

「それは読んでみないと分からなくてよ」

「そうですね。お姉様はそれを借りられるんですか」

「そうね。借りてみようかしら」

 日本人形は『片恋』を借りていった。主人は何故、彼女があの表情をしたのかがとても気になっていた。その答えが、本の中にある。そう思うと『片恋』を開かずにはいられなかったのである。

『花のかほりを胸の内に取り込むと、Kという女性を思い出す。Mといふ小説家はKに激しい思慕の情を寄せていた。Kは美しい女性であった。すらりとした手足に白い肌。耳隠しがよく似合う。最初に彼と彼女が出会ったのはさる港町の軍港であった。Mは軍港の風景をスケッチしに行くと、そこには儚げな美女が居たのである。』

 店主は頁をパラパラとめくる。巡るめく恋物語。それは男が勝手に懸想しているだけなのだが、男は真剣なのだ。やがて、男の告白の情景が描かれる。

『真っ赤に燃え上がる夕日の前、MはKの前に跪く。Kは穏やかな笑顔を片時も崩すことはなかった。MはKの哀れな身の上を知っていた。それでもKを慕わずには居られなかったのだ。』

物語のクライマックスが近づいてくる。店主は柄にもなくどきどきしていた。

『「最初に逢ったときから貴女のことをずっとお慕いしておりました」MはKの顔を見られなかった。花のよふに儚い恋だと知っても、言わずにはいられなかったのだ。Kは微笑みながら云ふ「でも、先生……」Kは俯く。違う、MはKにそのやうな顔をさせたくはなかった。心の中でさう叫ぶ』

 もうすぐ、日も暮れる。閉店の準備をしなくてはいけないのに続きが気になって仕方がなかった。

『「先生はどこまでご存じなのでしょうか」Kは清ひ唇をゆがませた。その姿でさえ、美しく思えた。「すべてを存じております」Mは悲し気に云ふ。しかしKは笑っていた。「良ひのです。私は女として興味が無ひと云われても、あの方を慕い続けております。ですから、貴方の想いにはお答えできません」Mは微笑う。Mは恋に敗けたが爽やかな気分であった。「片恋ですね」とMは云ふ。「お互い、叶いもせぬ恋を続けておりますね」さう云ふと、どちらともなく笑ひ始めた。まるでその想ひの儚さは真昼に浮かぶ月のやうであった。』

 そうか。あの子もきっと片想いをしているのか。それもかなわぬ恋を。主人の胸には不思議な感情が胸の内に芽生えていた。

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