鍵束と赤い糸

青島もうじき

鍵束と赤い糸


 初めに脳裏をよぎったのは、世界五分前仮説だった。


 確かに、直前までの記憶はある。ついさっきまで私の身体は小さく丸く、ドリル状に巻いた髪を肩に垂らし、ストライプのワンピースを着ていた。極度にマスコット化されたその画風は、サブカルっぽいものと言い換えることもできたと思う。


 そして、彼女の方は確か、赤と青、それに白を斜めがけにした、ちょうど理容店のサインポールのような服を身に纏って私と喋っていた。そういえば私も同じ色の帽子を頭に被っていたような気がする。画のタッチは同じだったけど、私よりもすらっとしたプロポーションで、私と並んで立つと、でこぼこコンビのようになっていて。


 それがどうだ。今の私は小柄でやせ細った少女の姿をしている。さっきよりもずっと劇画タッチというか、リアル路線というか、そういう感じ。深窓の令嬢みたいな、なんて自分でいってみたり。


 さっきよりも現実世界に"いそう"な風貌になってはいるものの、腕から生えた突起だけが気にかかる。腕に沿うような形で波を打つ、肌から突き出たいくつかの金属。得体の知れないそれが、少しだけ不気味だ。ロココ調のロングドレスの胸元にあしらわれた繊細なレースが、私の儚い風貌を演出している。


 動くと、耳元でしゃらんと涼やかな音が響いた。手をやると、どうやら私の右耳には大ぶりのフープピアスがいくつか通されているらしいことが分かった。


 これだけ数分前の記憶と現在の自分の姿が食い違っていると、私の持ち合わせている記憶の方が間違っていて、本当はこの世界は文章にすると600文字ほど前に生まれたものなのではないかと疑ってしまう。


 彼女の方は、なにやら奇っ怪な服を着ている。基本的には私と同じテイストの色違いのドレスなのだが、お腹の部分に大きな穴が開いている。切り取られたようなものではなく、あらかじめそこから肌が見えるようにデザインされたようなもので。


 彼女の腕には金属の突起はなかった。その代わり、露わになったお腹のちょうどへそに相当する部分に、長方形の穴が開いている。呼吸をするたびに上下する肉の中にあるというのに、輪郭を歪めることなく、その形を保っている。


 なんだかじろじろと見ている自分が不躾な人間のように思われてきて、白い耳を赤くしながら目を逸らした。


「これ、どういうことなんでしょう」


 そう尋ねてみると、包容力のあるおっとりとした声が返ってきた。彼女と私の関係は、もしかして親子か、そうでなければ叔母と姪ぐらいだろうか。


「どうもこうも、擬人化かなにかじゃないかしら」


 擬人化。

 そう言われて少し納得するところがあった。なるほど、それならばこの腕から顔を覗かせている突起や、彼女のお腹にぽっかりと開いた穴も、なにかを模したものとして理解できる。


「だとすれば、なんの擬人化なんでしょうか。見たところ、特徴的なのは」


 突起のない方の手で、私と彼女の腕とお腹を交互に指す。


「これ、ですよね」


 私がそう確認すると、彼女は、その大らかそうな丸い顔を傾げてみせた。その聡明そうな笑顔に、これはもうだいたいのことが分かっている時の表情なのだろうと察した。


「きっと、あれじゃないかしら」


 そう言いながら、彼女は右手でアルファベットの『C』を、左手でなにかを摘まむようなポーズを取った。左手に持った見えないそれを、『C』の中に突っ込み、その手を捻ると、『C』は開かれて『L』に変化した。

 そのジェスチャーに、ぴんと来るものがあった。


「もしかして、鍵と錠前ですか?」

「そうかなぁと思ったのだけど、どうかしら?」


 確かに、腕の突起は鍵のブレード部分の歯を、お腹の洞【うろ】はちょうど鍵穴を暗喩していたのだろう。きっと私の耳のピアスは鍵束のリングで、私たちの纏う繊細なドレスはアンティーク調の錠を表していて。


 そこまで考えて、思い当たった。

 鍵と錠前が登場人物となっている物語で行われる行為がなんであるか、そんなの言うまでもないだろう。かっと上がった私の体温が、腕の金属の上を、駆けるように伝導していく。


「だ、駄目ですよ……そんな……恥ずかしいですし……」


 そう抗議すると、彼女は柔和で慈悲深い笑みを浮かべた。一切動揺することのないその包み込むような性格は、もしかすると鍵を包み込む錠前だからなのかもしれない。


「だと思いました。ほら、彼女もこう言っていることですし、さすがに無理があるのではないですか? それに、このまま書き始めてしまえば、投稿の際のセルフレイティングがひとつ増えてしまうことになりますよ」


 彼女がそう言うと、空間に新しい少女が現れた。昔話に描かれるような天女が身に纏っている、縫い目のない白く透けるような衣を着ていた。年恰好は私と同じくらいだったけれど、不健康そうな私と見比べると、彼女はどこか満ち足りているようだった。

 一体この子はだれなのかと訝しんでいると、錠前の彼女がこっそりと耳元で囁いてくれた。


「あの子は、作者の擬人化よ」


 そう言われて、改めて新しく現れた方の女の子を見る。創造主だから神秘的な服を着ているのだろうが、それにしても自らで天衣無縫を名乗るのは流石におこがましいのではないか。


「調べて見つけた時には、喩えるのにぴったりだと思ったのになぁ」


 そうぼやきながら膨れっ面を作った作者は、一つ指をぱちんと鳴らした。すると、一瞬の間ののち、私と錠前の彼女は、全ての特徴を失って無個性の二人の女の子になっていた。


 どうやら、作者の口ぶりから察するに、私たちはなんらかのたとえ話、寓話に登場する人物として、設定を練られている途中らしい。


「鍵と鍵穴の関係。生物学の用語らしいんだけど、酵素は身体の中の数万種類のタンパク質の中から、たった一種類だけを見つけだしてその形を変えるらしいんだ。その関係って、世界の中から、たった一人だけの運命の人を見つけ出すのに似てると思わない?」


 思わない? と言われたって、私たちは一介の登場人物であり、作者に口出しをできるような立場ではないのだが、どうやらこの作者はそういうタイプらしい。想像の中の登場人物と会話を交わし、それでだんだんと人物としての輪郭を掴んでいくような。

 そのぼんやりとした世界が、ここだというわけだ。


 影すらない真っ白な空間に、私たちは立っている。世界のディテールがまだ決まっていないのか、私たち人物以外の存在はここには見止められない。情景描写はいったん脇に置いて、人間の方から詰めていこうという腹らしい。


「だったら、さっきの……鍵の一つ前のマスコットみたいなのはなんだったの?」


 一瞬、私が喋ったのかと思ったが、声は隣から聞こえてきていた。どうやら、初期化された"私じゃない方"のものだったらしい。


「ああ、あれ? あれは冷静になって考えてみたら流石にないなと思って」

「なんだったの? やめたんだったら教えてもらってもいいでしょ。ネタバレになるわけでもあるまいし」

「ペプシのキャップとボトル。ほら、赤と青と白でしょ。ペプシのキャップにぴったりくるのはペプシのボトルだけだと思ったんだけど、あんまりにも情緒がないなと思い直して」


 大方、擬人化されていない方の――現実の作者の机の上にでも置いてあったのだろう。この天女のような姿をしている少女がペプシコーラをラッパ飲みしているところなんて、想像できなかった。


 登場人物の私たちは、顔を見合わせる。私と瓜二つだけど、別にそれは双子などという個性でもない私たちは、すこし困惑していた。


 私たちが今あてがわれようとしているそれは、作者にとって都合のいい話を作り出すために付与される個性だ。私たちのセリフ、地の文、筋書き、その全てを持って作者の言いたいことを代弁させられるのだ。


 それをさも善人のような、神のような面をして行っているのは、なんだかいけ好かない。今まさに生み出されようとしている私たちはこの天女の使い魔のようなもので、あくまで主張や娯楽のために使い捨てられるだけの目的のものなのだ。


 そのことに、アマチュア作家気取りのこの作者は気付いているのだろうか。


 それに抗うことの適わない私自身に対する自己憐憫は、そのまま私と本質的に同義である隣の少女にも向けられる。

 人間の心は、生まれたその瞬間には善悪も行動原理も全く書き込まれていない白紙の状態であるという考え方がある。ラテン語で「空白の石板」を意味するそのタブラ・ラーサを汚し、そのうえ自分のために使役しようとするそのエゴイズムに、怒りに似た感情が湧き上がってくる。


 作者は私たち二人を見比べて、首を傾げている。

 私たち二人をどんな人物に仕立て上げようかと考えているのだ。


 どんな物語を紡がされるのかは知らない。だけど、どんな物語であれ、人の心を動かすために、私たちはこれから使い捨てられるのだ。

 着せ替え人形のように個性や特徴を弄られ、そんな糸で吊るされたマリオネットの私たち二人が舞台の上で踊るのを、作者は舞台袖から頷きながら眺めている。


 物語を書くというのは、そういうことなのだ。


 なにかを語るために、架空の人格を生み出し、本来作者が負うはずだった責任の一端をその人格たちに背負わせ、素知らぬ顔でフィクションだと言い張る。そのためだけに、都合よく産み落とされた私たちを物語の中に置き去って。


「そうだ。あえてこのまま物語にしてみるのも面白いんじゃないかな。なにかに喩えるまでもなく、人と人は運命で結ばれた一対一の相手がいて、それをごく普通の女の子たちに演じてもらうの。ね、素敵じゃない?」


 作者はきらきらとした目で私たちにそう語りかける。その作者の目に、私たちは映っていない。その先に見えているのは、私たちにどんな困難を与えて、どんな場所へとたどり着いてもらうのかのシナリオの断片だけだ。


 そんなもののために、私たちは生まれたくない。


 私がそう思ったということは、隣にいる少女が、これから先の未来に生まれてくる無数かつ未塗装の私たちが、そう思ったということだ。


 二人で同時に立ち上がり、作者の首に手をかける。この物語を生み出さないために、これからしなければならないことは自ずと理解されていた。


 始めは驚いて抵抗しようとした作者も、二人の力には敵うはずもない。神様気取りの象徴でもあったその天衣は、暴れたことで裂けてしまい、創造主としての威光は見る影もなくなっていった。


 迷いはなかった。

 これから無責任に創られようとしている私を、彼女を守らなければならないのは、自明の理だった。


 やがて動かなくなったその身体を見下ろしていると、だんだんと端の方から世界が消えていくのが分かった。この思考を巡らせている、擬人化じゃない方の作者がこの物語の執筆を断念しようとしているのだ。


 自分を見つめるような気持ちで、隣の少女に目をやった。当然、少女も同じように私を見つめ返していた。たった4800文字ほどの付き合いだったけれど、彼女とは多くのものを共有したように思う。


「みんな、勝手だよね」

「こんな風に、セリフをしゃべらせたりしてさ」


 きっと、このやりとりだっていつかは小説にされてしまうのだろう。私たち二人を登場人物という在り方の擬人化に、そこに打ち捨てられている破れた天衣を無責任な作者の擬人化にして。


 だから、地の文で私は語りかける。

 この文章を書いている時点で、あなたも同じ穴のムジナなのだと。


 世界はだんだんと輪郭を失っていく。それは私たち二人の肉体も同じで。


 どこからか声が聞こえる。

 その声は、私のものか、彼女のものか。それは消えゆく世界にあっては、もはやどちらでもよかった。だって、何者でもないまま、生まれることもなかった私たちは、まったく同じ存在で、その思考すらも同じであるから。


 やがて作者のPCのゴミ箱へと捨てられることになる『鍵束と赤い糸-プロット.txt』の中で、私たちは呟く。


「やっぱり、無責任なお話だったなぁ」


 利己的で愚かな作者への恨み節が、世の中に届いたのか否かを知らないままに、私たちは暗いHDDの奥底で眠りについた。


 これは、そんなお話。

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