第14話 パンケーキ

 不思議だ……

 全ての痛みや苦痛、不安、それに欲望など意味は知っているし感覚も憶えているのに僕にはすべてない。

 それでもなぜか美に対する何かしらの想いみたいなものは残っている。

 そもそも僕は死んだはずではなかったのか?いま目が覚めたみたいにここにいるが死んだ瞬間はよく覚えている。


 絵の仕上げをして対になる光と並べた時、はじめてこの世界と自分が強い関係で結ばれたような充実感で満たされた。感情などと無縁の牧田やスタッフ連中がぼくの絵を見て涙を流していたのを見た。僕は牧田の「世界は救われました」といった言葉で力尽きその場に倒れ込んだ。

「西島さん、申し訳ありませんが私たちはあなたの寿命に関与することができませんでした。私たちの科学をもってすればこの時代の病などすぐに根治可能なのですが、私たちのネットワークはこちらの生きている人間への寿命提供に否定的です。死んだあとは勝手ですが」

 死んだら解剖でもされるのだろうか?

 朦朧とした僕の手をSな牧田が優しく握っているのが変で奇妙な気持ちになる。

 きっと牧田なりの感謝の表現なのだろう。

「牧田さん、寿命提供できないということは、美由紀もだめなのか」

約束が違うと怒鳴る気力はなかった。僕はまた役立たずの芸術家崩れなのだろう。

「その事でしたらご心配なく」そう言って牧田が笑った。

 綺麗な笑顔だ。

 僕は急に背中から苦しくなり深い穴にでも落ちるように沈んでいった。体の体温が先端から失われていく、横になっている枕が僕の顔を包み込んでくるように暗闇にとらわれて息ができなくなった。かすかに感じる牧田の手の感触、離したら全てが終わるんだろう。


 見覚えのあるエントランスホールで自分が描いた対の絵を眺めながら立ったままでぼんやり牧田を待っていた。

「それでは行きましょうか」

 後ろで牧田の声がする。

 僕は一度自分の手のひらを見てから何度かグーを握り上手く動くか確認した。

 それから正気に戻ったように牧田に向き直る。

「牧田さん、僕はどうしてここにいる?死んだはずでは?」

 牧田が僕の肩をポンポンと叩いた。

「やっと気が付きましたか、さっきまではプログラムに従って行動していましたが、インストールが終了しました。今回線がつながったのですよ、セットアップ完了です」

「僕はサイボーグ戦士にでもなったのか?」

 ニカッとして牧田がおもしろそうに口元を右手で押さえた。

「生身ですよ、人間ではないですけど、ちなみに脳以外は新品の培養ボディーです、よって私たちと同じ生体ということになります。もっとも西島さんは意識もこの世界のオリジナルですからちょっと違いますが」

 地球人類にしてみれば大変な変化なのだろうが何も感じない。深く考えようとも思わなかった。ただ呼吸をするだけだ。

「美由紀はどうなった?」それを言うと少しからだが疼く。何だろうこの感覚はと思う。

「それはご心配なく心臓病は奇跡の臓器提供で完治しました」

 ああ、美由紀は心臓が悪かったのかと思った。

「ありがとう」と機械的な反応で礼を言ってみたが牧田が「約束ですから」無表情に言った。

「むしろあなたのほうが礼を言われるべきですね」

 牧田が僕の胸に手を当てた。

「拒絶反応ならご心配なく我々は未来人ですからそれぐらいの調整は何てことないです」

 そういって背を向けて先に歩き出す。

「心臓だけでも幸せになれますよ」

 牧田の言葉を聞いて、自分が泣いていることに気がついてどうしてなのだろうと思った。

 

 冬晴れの田舎道を走る。

 川沿いの球場では少年野球の応援に励む親たちの歓声が聞こえてくる。小さな少年が大きなヒットを打ち2塁でガッツポーズをしているのが見えて何故か拍手を送った。牧田が笑う。

 走る道は道路事情が悪いのか時々タイヤが大きな音を立てて体が浮いた。

 僕は欲望こそないが、感覚はデリケートなようで日差しが暑かった。エアコンの設定を最大にする。

 郊外の小高い丘の中腹にある国立がんセンターの駐車場に漆黒のメルセデスを止めた。

 僕たちは病院のロビーでタブレットをスクロールしてめぼしをつける。

「西島さん、説明したとおりです。手順は覚えましたね、それでは初仕事です」

 数人の中から選んだターゲットは、若い女性だ。二十四才のOLさん、芸術才能系、技能判定Bプラスと表示されている。

 僕は才能譲渡の儀式で脳のスイッチが入ったらしい。それは人の精神にアクセスしてコントロールする稀有な能力だということだ。この仕事やるなんて一言も言ってなかったのにご丁寧に才能買取人の資格証まで発行してくれた。

 どうでもいいけど。

「あの、もっと長く生きたいと思いませんか」

 顔色の悪い女性が不審者でも見るように僕を見た。

 牧田が横で人差し指に息を吹きかけ(シー)をすると風景が変わる。

 それから僕は彼女の左目を覗き込み彼女の中にある才能を確認した。


 初仕事が終わり牧田と譲渡先の人物に会うため懐かしい駅前に来た。

 初冬の匂いがして僕の中で少しだけ心が揺れた。

「駅ビルでパンケーキ食べないか?」

 牧田が不思議そうに僕を見た。

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パンケーキ ハミヤ @keneemix

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