第28話~いちご味のキス
私が早起きなのを知っている航太朗くんは、毎朝決まって6時にメッセージを送ってくれる。
スマホを手にそのメッセージを読むと、遠くにいても繋がっていることに安心する。
お父さんの意識は一週間を経った今も還らず、眠ったまま。
母さんの疲れた姿を見るのは辛くなった。
「帰らんでいいとね、会社にも迷惑かけてるとやろ」
と心配する母さんを安心させるために私は小さな嘘をつく。
「有給休暇がたくさん残っとーけん、心配せんでもいいとよ、会社には事情を言っとっちゃけん」
有給休暇は確かに残ってるけれど、使うことはそんなに歓迎されていない会社だと言うことはわかりきっている。
上司には有給休暇を消化したら退職すると伝えた。
「あんたには、彼氏がおるとやろ」
病院の帰り道に母さんに聞かれた。
「うん、おるよ」
「そうやったら、早く帰らんと行かんとやないとね」
どんな人なのかを聞かない母さんの優しさが嬉しかった。
「あんたが幸せになることだけを父さんは気にしとったからね、いつか会わせてやりたかね、いい加減早く起きんしゃったらいいとばってん」
「そうやけど、結婚するかどうかなんて分からんし、でも何となくだけど父さんは気に入ると思う、無口やけん、父さんに少し似てるかもしれん」
母さんは笑いながら。
「それは、前途多難やないとね、でもそんな人とは長続きするかもしれんよ母さんたちみたいに」
おしどり夫婦とまではいかないけど、両親は私からしたら理想の夫婦だった。
付かず離れず、お互いに好きなことをしながら同じ道を歩む。
「でも、三歳も年下やけん、結婚するか分からんちゃん」
私と航太朗くんがそうだったらいいのにと思う。
「でも、好いとっちゃろ、そんなら仕方ないっちゃないと、もしかして一緒に住んどうのはその人ね」
母さんは25歳の時に私を産んだ、小さなアパートで生活は苦しかったといつも笑いながら話してくれた。
「うん、そう、黙っててごめん」
「なんも謝ることはなかとよ、あんたも大人やけん……」
そう言った後すぐに
「帰りにおうどん食べて帰ろうか?たまにはごぼ天うどん食べたかろ」
と、私の背中を優しくポンと叩いた。
私は一度だけ、航太朗くんにごぼ天うどんを作ったことがある。
ごぼうの皮を剥いた航太朗くんの指がアクで汚れて黒くなったことをふと思い出した。
「これ美味い、俺これ好き」
航太朗くんは、近ごろ僕ではなくてたまに自分のことを俺と言う、そんなことさえ嬉しいと思う。
故郷に帰る日の朝、食欲の無い私に航太朗くんは、洗いたてのいちごを口に含ませてくれた。
甘酸っぱい味が広がって、いちご味のキスをたくさんした。
そんなことを思い出しながら、母さんの言葉に返事を返す。
「ごぼ天うどん、美味しいけんね、食べようか」
母さんと肩を並べて、春なのに少し冷たい風が吹く町を歩く。
私が住んでいた頃とは違うお店が増えているけれど、私の故郷なんだとつくづく思う。
空にはたくさんの星が綺麗に瞬いていて、この景色を航太朗くんにも見せたいと思った。
次の日の面会時間に病院へ行くと、父さんの妹である叔母さんが病室で待っていた。
「奏ちゃん、久しぶりやね、べっぴんさんなって、兄さんも嬉しかろ」
「叔母さん、ほんとにお久しぶりです、ゆきちゃんは元気ですか」
小さい頃よく遊んだ従姉妹のことを聞いた、ゆきちゃんは五歳も歳下なのに既にお母さんになっている。
「ゆきも会いたがっとったっちゃけど、まだ孫も赤ちゃんやし、奏ちゃんによろしく言うとったよ、奏ちゃんもそろそろ身を固めんとね、兄さんも安心出来んばい」
まだ目が覚めない父さんの手を握って心の中で、ごめんなさいと言った。
後から病院にやってきた母さんとしばらく話した後、叔母さんは帰っていった。
「何かあったら、夜中でも連絡していいけんね」
その言葉は悲しく私の心に響いた。
次の日の朝、病院に行く前の時間に電車を乗り継いで海を見に行った。
太陽は黄色でもオレンジでもなく、光そのものなんだということがわかる。
深く広い海を照らす、すごい威力の光の塊。
春の海はまだ静かで、ちょっぴり疲れている私を癒してくれた。
何枚かの写真を撮って航太朗くんに送った。
すぐに既読が付き、スマホには着信の知らせが入った。
「奏」
その声を聞いただけで、涙が溢れてきた。
「うん、航太朗会いたい」
素直な気持ちは、電波に乗って航太朗くんへと届く。
新しい恋は古びた本屋からはじまった あいる @chiaki_1116
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