第27話~命は尊いもの
抑えていた気持ちは、堰を切ったように溢れだし、離れることさえ苦しくなるほどに一晩中抱き合った。
夜中に目が覚めて、隣で寝息を立てている航太朗くんの長い睫毛をじっと見つめていた。
世界が色を失い、全てが無意味に思えて、もう二度と立ち直れない……そんなふうに思って悲願に暮れていた私を救ってくれたのは、この人なのだ、愛おしくて、そっと顔を寄せて頬にキスをした。
深い眠りは新しい朝をちゃんと連れてくる。
気がつくと、いつの間にか私は眠っていたようで、隣にいた航太朗くんの視線に気がついて、恥ずかしくて顔を両手で隠した。
「奏、おはよう、ちゃんと眠れた? 」
航太朗くんがいつも寝ている和室に置かれたシングルベッドで目が覚めた。
恥ずかしくて、下着をつけようと、探していると後ろから抱きすくめられた。
この温もりを手放したくないと思う。
「もう少し、そばにいて」
甘えるような航太朗くんの声。
愛おしくて、切なくて夢のような日々が始まった、手に入れるのを躊躇っていた想いはようやく二人を結びつけてくれた。
柊堂の休日は私に合わせてくれ土曜日になった。
それぞれ本を読んだり、夕焼けや夜空の星を見に散歩したり穏やか日を過ごしている。
日曜日は二人で柊堂のシャッターを開けて交替で店番をする。
匠くんは、私たちがただのルームメイトではなく、付き合い始めたことを自分の事のように喜んでくれた。
「さっさと子どもでも作って結婚してしまえばいいんだよ」と私たちをはやし立てた。
川沿いの道を歩きながら、沈む夕日を眺めるのが、二人の休日の楽しみになっていた。
今までと違うのは、自然に手を繋いで歩くこと。
そんなある日の夜に、母さんから電話が入った。
「奏、父さんが今日、職場で倒れたとよ、脳内出血だって、帰って来れる?母さん一人じゃ不安やけん」
父さんは、地元の福岡の料理店で板前として働いている、私が子どもの頃は小さな店をやっていたけど、10年ほど前から店を畳んで、以前勤めていた割烹料理店の店主の紹介で、小さな店で腕をふるっている。
「意識は?意識はあると? 」
母さんは消え入りそうな声でゆっくりと話した。
「緊急手術は無事に済んで、今は眠ってる、回復するかどうかは本人次第だってお医者さまは言ってるけど、お願い!奏の顔を見せてあげて」
その日のうちに、上司に連絡して有給休暇を貰って、故郷の福岡に帰ることにした。
「奏、早く帰ってあげて、僕は大丈夫だから」
思いを伝えあってから、三ヶ月、春の風が吹きはじめた四月、トランクを手に新幹線に飛び乗った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
のぞみに乗って2時間と少しで
懐かしい故郷に着いた。
博多駅は、私が住んでいた頃と変わらず、優しく迎えてくれた。地下鉄と西鉄電車を乗り継いで、父さんがいる病院へと急いだ。
病院に着いて、すぐに母さんにLINEをすると、返事はホッとしてる母さんの電話だった。
近くにいる看護師さんに集中治療室の場所を聞き、足早に向かった。
消毒のアルコールの匂いは、不安を掻き立てる。
母さんはドアの前で待っていてくれていて、私の顔を見ると溢れそうな涙をハンカチで拭った。
ベッドに横たわる父さんを見ると涙が溢れた。
頑固で、いつもは優しいけれど怒ると怖い父さん、色んな装置を付けられて、私の知っている姿ではなかった。
髪の毛に白い物が増えていることにもショックだった。
そばに行き手を取った「父さん奏だよ、帰って来たよ」
反応は全くなくて、心臓の波動を伝えるモニターから聞こえる音が、部屋の静かさをより際立たせていた。
「あんたにあいたかって、いつも言うとんしゃとったとよ、目が覚めたら喜ばしゃるやろ」
母さんの話す博多弁を聞くと、私も一瞬にして、懐かしい言葉になる。
「お父さんがんばりいね、お父さんの作るお刺身食べたかけんね」
点滴の管のついていない、左手を擦りながら、何度も声をかけた。
温もりはあるけど、動かない指先。
「父さん、まだ親孝行もしてないっちゃけん……」
何度も耳元で父さんに聞こえるように話し続けた。
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