僕のバロンドール

秋野トウゴ

僕のバロンドール

「好きです。付き合ってください」

「またぁ? 何回目?」

 僕の部屋のベッドに横たわり雑誌をめくっていたユナねえは気怠そうに僕の告白に応える。

 その格好はTシャツにショートパンツ。もちろん化粧もしていない。

「今のでちょうど20回目」

「もうそんなになるんだ。それにしても、君も飽きないねぇ?」

「だって、しょうがないだろ。ユナ姉が『あたしにサッカーの1対1で勝つまで付き合ってあげない』なんて言うんだから」

「そんなこと言ったっけ?」

 にへらと笑いながら言うユナ姉。

 まったく、自分の発言にはちゃんと責任を持ってほしいものだと、僕は抗議の視線を送る。

「そんな怖い顔しないでよ?」

「誰のせいだと思ってんの?」

「……もしかして、あたし?」

「他に誰がいるんだよ。さっさと行くよ?」

「えー、だって外はまだ暑いしー」

「そんなこと言ってていいの? いくらオフだからってずっとゴロゴロしてたらすぐに体がなまるよ」

「プロは休むのも仕事なんだよぉ」

 そう言ってユナ姉は、駄々をこねる幼児のようにベッドの上で足をバタバタさせる。

 ベッドが壊れるからやめてほしい。

 だって、ユナ姉はプロのサッカー選手だから。


 実家は僕の家の隣。

 小さい頃から一緒にボールを蹴り合ってきた仲だ。

 小学生の時は同じスポーツ少年団だった。けど、三つ上のユナ姉は、僕を置き去りにしてどんどん先へ進んでいく。

 この春には、関西のプロサッカーチームに鳴り物入りで入団した。

 正月明けの高校選手権でMVP。年代別の代表ではキャプテンも任される技巧派のボランチ。

 2020年夏、世界中のトップアスリートたちが東京に集まる大会にも日本代表として出場するんだと僕は信じて疑わなかった。

 でも、ユナ姉は選ばれなかった。

 その大会開催に伴うプロリーグ中断で与えられた1週間のオフ。実家に戻ってきたユナ姉は「何が足りないのかな?」って力なく笑ってた。

 僕が中学生の頃から1対1の勝負を何度挑んでも勝てない無敵の女の子が落ち込んでる姿は見たくなかった。

 だから、僕は久しぶりに告白した。

 もちろん、元気を出してほしいってだけじゃない。

 僕も高校生になって、多少は実力が付いてきたはずだ。

 地元のプロ「鹿児島ユニティ」のユースチームに入って、プロ選手を目指しているんだ。

 今日こそ、勝つ。

 勝って、ユナ姉に彼女になってもらう。

 そんな思いを込めて、もう一度、ユナ姉に声を掛ける。

「さぁ、行くよ」


 結局、僕はあの後1時間ぐらいかけてユナ姉を説得して外に連れ出していた。

 家から歩いて5分の所にある屋外型のフットサルコート。

 予約はしてなかったけど、幸いすぐに1面借りられた。

 肌に突き刺さる真夏の日差しの下で体を動かしたいなんて人は少ないみたいだ。

 この人も例外ではない。

「あづいよぉ」

 ユナ姉は僕に恨めしそうな目を向けている。

 肩にかかるぐらいの栗色の髪を後ろで一つに束ねて、体を動かす準備はしてきてくれたけど、まだまだ弱音を吐いている。

 ここは、少し挑発でもしてやる気を出してもらおうと、僕は意地悪な笑みを浮かべる。

「そんなことばっかり言ってるけど、ほんとは僕に負けるのが怖いんじゃないの?」

「……あたしが君に負ける? 面白いことを言うようになったねぇ」

 そう、ユナ姉は負けず嫌いなんだ。ちょっと煽ればすぐに乗ってくる。

 でも、もうちょっと。

「面白い? 最後に勝負した半年前と比べると、僕も上手くなってるんだよ。もう、そう簡単には勝たせてあげないよ」

「勝たせてあげない、と来たか。上等だね。コテンパンにやっつけてあげるっ!」

 ビシッと僕を指差してくるユナ姉。その丸くて大きな瞳は、ギラギラと輝いている。

 その瞳を僕は見たかったんだ。


 ストレッチと軽くランニングをすると、僕たちはパス交換で体を慣らす。

 僕はボールが足に馴染むように、足の内側で確実に芯を捉えてユナ姉に向けてボールを蹴りだす。

「プロの生活はどうなの?」

 ユナ姉はろくにボールも見ずに足元でピタっと止めると、優しいパスを返してくる。

「うーん、どうなんだろ?」

 よく分からない答えに苦笑しながら僕はパスを受け取る。

 今度はボールをフワっと浮かせる。

「疑問で返されても困るんだけどな。やっぱりレベルは高いの?」

 ボールはユナ姉の胸で吸い込まれるように勢いを殺し、足元に収まる。

 僕を試すように緩く曲がるパスをユナ姉は送ってくる。

「レベルはやっぱり高校までより高いよ。けど、付いていけないってほどじゃないよ。試合にも出してもらえてるし」

 回転がかかったボールを、僕は足先で何とか止める。

 チラリ、ユナ姉の顔を見る。

 なんでもないって顔をしてる。

 なら、と、僕は足を大きく振りかぶる。

 軸足をボールの左側にしっかり固定して、ボールの真ん中を右足で強打する。

 パスと言うよりほとんどシュート。

 ボールは空気を切り裂き、低く這うように進む。

 今度こそ、ちょっとは慌てさせられるかな、なんて思ったけれど。

 ユナ姉は右足をちょっと上げると、足裏でボールをスポっと難なく止めた。

「おっ、ちょっとはいいボールを蹴れるようになったねぇ」

 なんて微笑んでいる。

 いや、その笑顔はかわいくてドキっとしちゃうけど、人の渾身のキックをそんなに簡単に止めないでほしい。自信がなくなるから。

「あたしはそろそろ準備できたけど、君はどう?」

「……僕も大丈夫だよ」

「ん? どうしたの、急に元気がなくなったけど」

「いや、なんでもない。ちょっと自信をなくしただけだから」

「ハハハっ。あたしとパス交換をしたぐらいで自信を失うようじゃ君もまだまだだねぇ」

「『あたしと』とかさ、高校選手権でMVPを取るような人が言うセリフじゃないでしょ?」

「だって、日本代表には選ばれないんだよ」

 そうつぶやく顔には少し寂しさが浮かぶ。

 だから、僕はあえて無神経なことを言うことにした。

「そうだね、今日はこの後、僕にも負けるしね」

「なっ、何を言ってるの? 君があたしに勝つなんて10年早いよ」

「そうかな? 今日のユナ姉にだったら簡単に勝てそうだけどな?」

「そこまで言うなら、さっさとやろう」

「はいはい、ユナ姉が単純な人で僕は嬉しいよ」

「……単純って何のこと?」

「分からないなら、いいよ。その方が幸せだろうし。けど、ユナ姉が変な人に騙されないか、僕はちょっと心配だよ」

「いや、だから、君はさっきから何を言ってるの?」

「いいから、さっさとやるよ」

 ユナ姉はまだ何か言いたそうだったけど、僕は無視してボールをセットする。


 勝負はいつものルール。

 僕がオフェンスで、ユナ姉がディフェンス。

 ゴールを決めたら僕の勝ちで、防いだらユナ姉の勝ち。

 僕はボールから視線を上げてユナ姉を見る。

 ゴール正面のペナルティーエリアの線上。セットしたボールから5メートルほど離れて、「いつでもいいよ」と不敵な笑みを浮かべている。

 笑う時にできるえくぼがいつも通りかわいいけど、今はこの勝負に集中する。

「行くよ」

 声を掛けて、僕は足裏でボールを前に転がす。

 ユナ姉は、まだ動かない。

 僕は右側からの突破を狙う。

 トン、トン、と細かくドリブルを刻む。

 距離が3メートルぐらいになったところで、ユナ姉が一歩距離を縮めてきたのを視界の端で捉えた。

 ここで動く。

 ドリブルの距離をわずかに半歩分だけ長くする。

 ユナ姉がさらに一歩、こちらに近付く。

 よしっ、狙い通り。

 僕は自分からさらに一歩、前へ出る。

 ゼロコンマ何秒かだけ逡巡したユナ姉は、わずかに動きが遅れる。

 その隙を待っていた。

 ボールをまたいで、僕はすかさずユナ姉に背中を向ける。

 ボールとユナ姉の間に僕が立つ形だ。

 背中にすごい圧力を感じる。

 女子選手だけれどプロだけあって、簡単にはボールをキープさせてくれない。

 でも、負けない。

 今日こそは勝つと決めている。

 軸足とする左足に力を込めつつ、右足の裏でボールをキープ。

 腕もうまく使って、ユナ姉がボールを奪おうと前に出てくるのを制する。

 もう一度、隙が出るのを待って、振り返ってシュートをするイメージ。

 慎重にチャンスをうかがう。

 そして、一瞬、ユナ姉の圧が弱まったのを感じる。

 ―—ここだっ!

 僕は右足の外側でボールを外に転がし、素早く反転。

 ユナ姉との距離を取る。

 つま先でボールを突いてゴール正面に持っていく。

 あとは、シュートを打つだけ。

 体が外に逃げそうになるが、左足を踏ん張ってこらえる。

 右足を振り上げる。

 余分な力はいらない。

 とにかく、ゴールに向かえばいい。

 ボールの芯を見極めるように、僕は目に力を入れる。

 右足を振り抜く。

 ボンっ――

 ボールがゴールへ向かう。

 ユナ姉はスライディングの体勢でボールに左足を伸ばす。

 その足先にボールがかする。

 だが、ボールの勢いがわずかに落ちただけで、方向は変わらない。

「いっけぇー」

 僕の声に押されるようにボールはゴールを目指す。

 ユナ姉はスライディングの体勢のまま、ボールの行方を眺める。


 ゆっくりと時間が流れた気がしたが、その間ほんの数秒。

 そして、

 ガンっ――

 ボールは左側のゴールポストを叩いた。


「あーっ、今度こそ勝てたと思ったのに」

 僕は思わずその場に倒れ込んでしまう。

 視界に広がるのは青い空。

 雲一つない。

 濃い青と突き抜けるような空の高さを見て、あぁ夏だなぁと、思う。

「今日は惜しかったねぇ」

 空に塗りつぶされていた僕の視界にユナ姉の顔が入り込んでくる。

 ニタニタ笑う表情を見て、ドキっとしてしまうのは、きっとこの恋が重症だからだろう。

「どうすればユナ姉に勝てるんだろうね?」

「さぁ? なんてったって、あたしは無敵の女の子だからね」

「自分で言うの、それ?」

 半身を起こした僕にユナ姉が手を差し伸べてくれる。

 僕はその手をつかんで立ち上がる。

 いつの間にか背丈が逆転していたユナ姉の目を見て、僕は力を込める。

「次こそは、勝つよ」

「うんっ、楽しみにしてるよぉ」

 無邪気に笑うその表情からは、すっかり陰が消えていた。

 良かった。

 そうでなくっちゃ。

 それでこそ、僕のバロンドールだ。

                                   (了)

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