最終話 結婚式と、これから

「姫様っ! お化粧が崩れるから動いちゃ駄目ですよ!」



 お化粧道具をたくさん従えたクシェが、ぷんすこと怒る。私はそれに、我ながらへばった声を返した。



「だってクシェ……。もう二時間経ってるわよ……」


「今日ばっかりは姫様の我儘は聞きませんからね! 顔に塗りたくるのが嫌いだなんて、子供みたいなこと言わないでください!」


「嫌なものは嫌なんだもの……!」



 ふよふよと浮かせた筆やらアイシャドウやらを吟味しながら、クシェはぴしゃりと言い放つ。



「駄目ですよ!」



 そして、少し表情を和らげたわ。



「着飾らなくても姫様が美しいことなんて皆知ってますけど、せっかくの結婚式なんですから」


「……分かってるわ。ありがとう、クシェ」


「ふふーん。精一杯綺麗にしますからね!」


「頼りにしてるわ」



 ほかの侍女にも絶え間なく指示を出していくクシェ。てきぱきと働きながらも、その口は止まらない。



「『流れ星の奇跡』からこっち、姫様も陛下もずっと忙しくて、こんなに結婚が遅れるなんて思ってませんでした。だって三年ですよ、三年!」


「ふふ。仕方ないわ。世界中の人たち全員、みーんな魔族になっちゃったんだもの。混乱して当然よ」



 四人だけでパンデリオに乗り込んだ、あの日。ルシオンを止めるために使った能力が、思いもかけない方向へ作用した。


 これまで魔貴石にため込み続けた大量の魔力、暴走したルシオンの魔力、それから私の魔力のほとんど。これらを代償に、世界中の人たちが全員魔族化した。


 私を勇気づけようとしたリダールが言った通りに、他人の魔力を操ることができたの。最初からそうだったのか、あの時に覚醒したのかは分からない。今となってはどちらでもいいわ。


 とにかく、ルシオンは死ななかったし、魔族と人間の垣根もなくなった。


 もちろん、世界の混乱は大きかったわ。あちこちで暴動も起きたし、人々の生活様式だって今まで通りとはいかなくなった。


 それらを少しずつ解決して、ようやくここまで来たのよ。魔法によって生活水準は上がったから、民衆からは早い段階で受け入れられたわ。逆に施政者側には反発する人が多かった。これは仕方ないわよね。誰だって、自分の立場が揺らぐのは嫌よ。


 ちなみに、お父様はカリオが本当に殴り飛ばして従わせていたわ。パンデリオ王国は、マヴィアナ国に最初に隷属した国となった。


 それからは、あちこちと同盟を結んだり、吸収したり、支配下に置いたりと忙しかったわ。けれどようやく、敵対する国はなくなった。


 リダールはマヴィアナ国外で、「統治王」なんて呼ばれているらしいわ。今までは憎しみを込めて「魔王」と呼ばれていたのに、変わるものね。



「姫様まで目覚めなくなった時は、どうなることかと思いましたけどね」



 やや棘のあるクシェの言葉に、私は肩を竦めた。とっても心配をかけてしまったから、いまだに蒸し返されても文句は言えないわ。


 それに、リダールはあれがトラウマになってしまったみたい。私が少し体調を崩して寝込んだだけで、「このままセレアが死んでしまったら、世界を滅ぼして俺も死ぬ……。まずはルシオンから殺す……」って、光の無い目でずっと呟いてるの。ルシオン、恨まれすぎじゃないかしら? オルヴァンによると、三年前のあの時も同じことを言ってたらしいわね。


 ああそれに、あんなに泣いてるリダールを見たのも初めてだったわ。子供の頃はべそをかいていることもあったけれど、大きくなってからはそれもなかったし。



「今となっては笑い話ね」


「笑えませんよ。あたしたちは気が気じゃなかったんですから!」



 私が目覚めるか、世界が滅びるかの二択じゃ、確かにそうね。


 クシェは話しながらも手を止めず、最後に唇に紅を乗せて満足げに口角を吊り上げた。



「さあ、できました! どうですか?」



 差し出された鏡を覗き込む。思わず顔に触りそうになった手は、素早く掴んで止められた。



「お化粧ってこんなに顔が変わるの? リダール、私だって分かるかしら」


「陛下が姫様を間違うわけないでしょ!」



 呆れ返った返事に被せるように、規則的なノックの音がした。侍女が開いた扉から、姿を見せたのはカリオだったわ。



「姫様。魔王陛下がお待ちかねのようです。つい今しがた、五つ目のグラスが壊れました」


「まあ、リダールったら!」



 女性の身支度を急かすなんて、と侍女たちは怒っているけれど、私としては「よくここまで待てたわね」と思うわ。



「いいのよ、あのお馬鹿は気にしないで! セレちゃん、ドレスは大丈夫?」



 そして、しっしっと手を振るのはおば様。おば様に促されるまま立ち上がって、ウェンディングドレスを見下ろした。



 リダールがうんうんと唸って決めたドレス。私はほとんど口を出さなかったけれど、すごく気に入っているわ。ふんわりと広がったベルラインのシルエットで、後ろに裾を長く引き、首元はレースを重ねたオフショルダー。ちなみに試着の時にクシェが泣いたわ。



「ええ、問題ないわ」



 顔が緩んでしまう。とってもふわふわした気分。カリオが差し出した手に指先を乗せて、足を踏み出した。



「姫様、とてもお美しいです」


「ありがとう、カリオ。クシェ、おば様、皆も」



 涙ぐむクシェは、この後参列する予定なんだけど間に合うのかしら? おば様がついているから、きっと大丈夫ね。


 部屋を出て、カリオと二人で式場として整えられた大広間に向かう。今のカリオは、私の騎士ではなく従兄のお兄様ね。柔らかい表情をしているわ。


 こうしてカリオだけと話せる機会なんて最近は少ないから、ちゃんと言っておかないといけないわ。



「これからもよろしくね、カリオ」


「今までありがとう、ではないんですね」


「もちろんよ」



 それと、と付け加える。



「早くクシェにプロポーズしなさいよ。愛想尽かされても知らないわよ?」


「いっ!?」



 そんなことないとは思うけれどね。でも傍から見ててあんまりにもじれったいから。



「従妹からの忠告よ、カリオお兄様?」


「……肝に銘じる」



 うんと小さい頃の呼び名を引っ張り出せば、カリオは渋い顔で唸ったわ。


 それに満足して、カリオから手を離す。大広間の扉の前で、リダールが待っていた。


 白いタキシードを着た姿がとっても新鮮。黒い服やマントを着ていることが多いから。だけどさすがリダールだわ。一部の隙もなくて、思わずうっとりと眺めてしまう。



「……セレア。その、今日も綺麗だ」



 気づいたら、リダールも私をじっと見つめていた。いつもまっすぐに愛を伝えてくれるリダールが、頬を赤くしているのは珍しいわ。私の顔も熱くなる。



「リダールも、すごく素敵だわ」



 リダールが広げる腕に、そっと体を預けた。初めてキスをした時みたいにドキドキするわ。困ったわね、緊張で式の手順が飛んじゃったらどうしようかしら。


 そう思ったけれど、見上げた先にあるリダールの顔にも同じことが書いてあって、吹き出しちゃったわ。



「なんで笑うんだ」


「二人して緊張しているから、おかしくなったのよ」



 リダールも眉尻を下げて、そして釣られたように笑った。


 うん、少しは楽になった。もう大丈夫ね。


 リダールと腕を組んで、扉の前に立つ。高鳴る胸を押さえていると、ぽつりと言葉が降ってきた。



「セレアは今、幸せか?」



 ほんのちょっぴり掠れた、ともすれば泣き出しそうな声だったわ。



「……私、リダールの傍にいられるなら、他に何もいらなかったの」



 リダールと魔王城で夜景を見た時、これ以上の幸せなんてないと思ったわ。リダールならその予想を覆してくれるかもしれない、って。



「だけど今は、それだけじゃ足りないわ。私、リダールといろんなことをしたい。もちろん、やるべきこともたくさんあるけれど……。この世界は、始まったばかりだもの」



 かもしれない、じゃないわ。リダールと一緒なら、この幸せに終わりなんてない。欲深い私は、どうしたって聖女には相応しくないけれど。



「だから、この先もずっと、一緒に幸せを作っていきましょう。リダール魔王陛下?」


「……はは。ああ、救世の聖女セレステア。喜んで、一緒に行こう」



 両開きの扉が重い音を立てて開いた。大広間から漏れた光が足元に道を作る。眩しさに目を細めながらも、私たちは一歩を踏み出した。

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魔族殺しの道具だった聖女は、溺愛してくれる魔王と一緒に世界征服いたします! 神野咲音 @yuiranato

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