第4章
1
夏の残暑も消えて、木々が美しい紅葉の準備をし始めていた。気温も下がり、長袖のシャツに衣替えが必要になった頃、俺は一条を呼び出した。
『一条に依頼がしたい』
詳しいことは直接会って話す、そう追記してメッセージを送ると、アルバイト終わりに食事でもしながらはどうかと返信が来たので、日時と場所を決めてまた返した。
一条は依頼が何をさすのかは聞いてこなかったが、恐らく俺がどんな話をするのか分かってるのかもしれない。
冷製パスタ専門店の『フロストパスタ』は、北条がよくデートに使っていた場所みたいだ。というのも、真崎が撮っていた写真には、いつもここが映っていた。何度も写真で見ている内に俺も入ってみたくなり、ここを選んだ。
五分前に到着したが、店の前には既に一条が立っていた。
「早いな、バイトで少しは遅れるかと思ったけど」
一条は小さく首を振って、「終わり際のお客さんラッシュがなかったから」と言った。
店内に入り、席につくと一条は店内を見回す。
「よくこんな雰囲気いいお店知ってるね」
「まぁな」自分で見つけた訳ではないが、誇らしげな顔をしておく。
「どうせ、佐光君辺りに教えて貰ったんでしょ」
「違うわ」違うが自分で見つけたとは言えない。
食事を注文して、品がくるまでは他愛ない話をして過ごした。本題に入ったのは目の前にパスタが置かれた時だ。
「それで?今日は何の依頼をしにきたの?」
手慣れた手つきでフォークを巻きながら一条は尋ねる。
「その前に、佐光から中学の一条の話を聞いた。それを聞いて、一条が前に言ってた『こんな形で叶君と知り合いたかった訳じゃない』が余計に分からなくなった。元々鷹匠先輩の件がなかったら、一条はどうするつもりだったんだ?」
「それか。あれは失言だったな、動揺して言わなくて良いこと言っちゃった。どうするって言っても、変わらないかな。他に依頼を探して、叶君にお願いしたと思う」
「そこだよ、何で俺に依頼を、放課後恋愛俱楽部の活動をさせたがるんだ?」
一条は伏し目がちに笑う。
「簡単だよ。叶君に成ちゃんへ告白させる為」
2
叶は私が何を言っているのか、よく分かっていないようだった。当然だ、私は彼に言っていないことが沢山ある。でも叶が自発的に依頼のことを言い出してきた。チャンスはここしかない。
「私が言っている意味分かる?」
叶は難しい顔をしている。
「さっぱり分からない。何で一条がそんなこと」
「そうだよね。意味分からないと思う、だからちゃんと話すから聞いてくれる?」
叶は神妙に頷く。
私は中学三年生の頃、受験勉強をするのに利用するファストフード店があった。二階の隅のカウンター席が私の指定席だった。環境音がなければ、集中できない為、イヤホンなどはせずに周囲から聞こえてくる雑音をBGMに勉強をしていた。
自分の後方の席には、四人席があり私と同じようにそこを指定席としてたまに集まる三人組がいた。その三人は自分達のことを『放課後恋愛俱楽部』と名乗っていたようだった。
特殊な集まりがあるものだと、後ろから流れてくるBGMを聞きながら思った。どうやら三人は時折、恋愛相談を依頼と称して受けて、解決する為に活動している人達らしかった。聞こえてくるものは断片的で、ハッキリと内容を把握できなかったが、計画を立てて告白の手筈を整えたり、メンバーの一人が変装して情報収集したり、なんだか面白そうなことやっていることは確かだった。
当時、私も受験勉強に必死の中、クラスメートの男子から告白されて受けるべきかどうか悩んでいた時があった。見知らぬ三人だが、相談してみようかなんて考えていたが、当然そんなことできなかった。
そう思っていたが、後方から聞こえてくる会話が、正に私と同じようなことで悩んでいる依頼を受けているようだった。思わず手を止めて、話を聞き取ることに全力で集中
した。議論しているのは以前チラリと見た、背の高い秀才タイプ男子と、ザ・お嬢様の上品な女の子のようだった、その話に中世的な顔をした男の子が二人に言い放った。
「好きじゃないなら、付き合っても時間の無駄だ。断るのが無難だろ」
聞こえてきた答えは、案外普通で少しがっかりした。こんなものかと勉強を再開しようと手を動かし始めると、また声が聞こえてきた。
「それに断わった後に後悔するなら、今度は自分から告白すればいい。その時はまた依頼を受けよう、やり直しがきかないものじゃないだろ?」
姿は見えないが、他二人が頷いたように思えた。そして私も頷いた。
彼の言う通り、目の前にある選択肢が全てと思えるが、その先もあるのだ。選択を違ったとしても、やり直すことができる。
私はクラスメートの男子の告白は断った。恋人が欲しい気持ちもあったが、それは自分が人を好きになったらにしようと思えた。
その一件から、私は『放課後恋愛俱楽部』なる倶楽部のファンになった。三人から聞こえてくる言葉は、容姿や性格に対するアドバイスもあり、そんな話は新鮮で私に色んな活力を与えてくれたのだ。
元々暗い性格で友達も少なく教室の隅でひっそりと生きているようだったが、 彼らの言葉に勝手に励まされ、性格や容姿に気を遣い始めてから変わっていく自分が楽しくなった。彼らは知らない内に私を変えたのだ。
その後、高校入学してしばらく経ち、見覚えのある人を見かけた。俱楽部のメンバーである中性的な男の子だった。
彼の言葉は私に影響を与えた、感謝を伝えたいが、急に声を掛けたら気持ち悪いだろうか、さんざん悩みながら彼を見ている内に気づいてしまった。
そこいたのは、昔の自信のある彼ではなかった。いつも一人で息を潜めるように生きている、まるで昔の私のように見えた。
私は悔しかった、私を変えた張本人がこんなことになってるなんて。これが自分のエゴだとしても、彼には昔のようになって欲しかった。
でも何もできずに月日は過ぎて行った。しかしアルバイト先に清が来て、成沢と知り合い、鷹匠先輩の件をきっかけに彼に接触する機会を得た。
「叶真澄君だよね?」
成沢に聞いた彼の本名を聞いた時、願いを叶えるなんて倶楽部のメンバーにピッタリだと思った。
一通り私が話しを終えると、叶も息を吐いた。
「俺が佐光から聞いた話と変わらないな。ただ、佐光が言ってた高校での俺の表現はもっと酷かったけど」
「何て言ってたの?」
「いてもいなくてもいい存在、空気以下だって。でも空気はかなり上位にくるはずだからおかしいよな」
叶はぼそぼそと不満を言っている。
「佐光君の脚色だから、私は言っていないよ」
「だろうな」と叶は少し笑った。
「でも結局分からないな、俺が普段一人なのは単純に気の合うやつと知り合わなかっただけだし、現状に不満はない。一条は倶楽部の活動を通して昔の俺のようになってくれたら、なんて思ってるだろうけど、それはただのお節介だ」
「違うよ」私は静かに首を横に振る。
「何が違う?」
「倶楽部の事を通してという部分はあってるけど、もっと根本的なことを変えたかった、叶君にやり直しはきくということを思い出して欲しかった」
「根本的?」叶は分からないようだ。
「私が佐光君や成ちゃんに話した内容は、意図的に間を除いたの。私の口から言う勇気が出なかったから。でも今日は全部言うね」
「まさかお前」叶の目がいつもより見開いている。
「私は倶楽部解散の経緯を知ってる。何より、叶君の成ちゃんへの告白が失敗した原因は私よ」
叶は口の端で笑って、マジかよと小さく言った。
3
今でも忘れないあの夏の日、夏期講習に行く為に、駅のホームで私は電車を待っていた。ふと隣を見て、心の中で叫んだ。あの中世的な男の子がそこに立っていた。どうやら行先が同じらしい、あまりじろじろ見ていると気づかれそうで見れない。当然彼は、私のことなど知らないだろうが。
私は模試が近くて、少し寝不足気味の上体調があまり優れなかった。そんな時に彼に会って、私は自分の体調のこと忘れて一人興奮していたのだ。
そして、電車の中で事件は起きた。自分の体調が想像以上に悪いことに気づかず、乗った車内で私は貧血を起こして、座り込んだ。彼はそんな私を心配して、大丈夫かと声を掛けてくれた。電車の揺れで酔ってしまった私は、言葉も出せずにただ吐かないように耐えていた。一刻も早くに電車から降りたいという気持ちで、停車するのを待った。
そして、ようやく止まった駅で、彼は私に肩を貸して車外に出してくれたのだ。しかし、車外に出て安心した瞬間、私は胃の中のものを全て戻した。しかも彼の服に、私の吐しゃ物がかかってしまっていた。
それからの事はよく覚えていない、駅員に連れられて休憩室にて介抱してもらい。落ち着いた頃に、親に迎えに来てもらった。いつからか分からないが、彼はいなくなっていった。駅員に尋ねると、何やら急ぐように去っていったようだと聞いた。
後日、彼に謝ろうと私は何度か例のファストフード店に寄ったが、中々遭遇することはできなかった。それでも、一週間程経った時に彼は現われた。
いつもの席に彼らが座るのが分かったが、いつ声を掛けようかと悩んでいる内に彼らは話し始めた。その日は、男の子二人だったので、彼が一人になったタイミングで声をかけようと会話を聞きながら機を伺っていたが、聞こえてきた会話の内容は私の心を折るには十分だった。
あの日、彼は一人の女の子に告白しようと、待ち合わせ場所を指定して呼び出した。そして、そこに向かう途中に電車で隣に立っていた女の子突然体調を崩した。車外に連れ出して、駅員に引き渡すことができたが、彼女の吐しゃ物が服にかかってしまった。
待ち合わせまでは時間があったので、一度家に帰り着替えてから、また電車に乗ったが今度は人身事故の影響で電車が停止した。
再開した頃、呼び出した相手は炎天下の中待ち続けてくれていたが、たまたま通りかかった友人が体調を心配して、その人を連れて別の場所に移動していたのだと言う。
結局告白することは叶わなかった。呼び出した場所に行けなかったことを詫びて、大した用事ではないと誤魔化したらしい。更に、倶楽部の活動を停止したいという話しも聞こえてきた。
私はいたたまれなくなって店を出た。そして、家に向かって歩きながら、声を出さずに泣いたのだ。私が泣く資格なんてないと分かっていても、どうしようもなく涙があふれた。
「これが私が除いたお話。私が変わるきっかけを与えてくれた、その直後の出来事だった。当時物凄く落ち込んだけど、受験勉強も自分を変える努力を惜しまなかった。そうすることで、私は彼の事、いや叶君のこと忘れないようにしたの」
叶は額に手を当てて、何かを考えているようだ。
「今思えば確かに似てる、見覚えがある気がしたけど、その時に会ってるとはな」
「そもそも、図書室で声を掛ける前に、校内で何度かすれ違ってけど気づいてなかったね」
「学校じゃ基本下向いているからな」
「今更遅いけど、あの時は本当にありがとう。見ず知らずの私を助けてくれて」
私は食べ終わったパスタの皿に、顔がつきそうなくらい頭を下げる。
「隣で人が倒れれば、そりゃ助ける。真っ青な顔してて焦ったよ」
「怒ってないの?」叶はそんな人ではない、分かっていても尋ねずにはいられなかった。
「体調不良だった人間に怒れるかよ。それにどの道、人身事故で足止めは食らってた、どの駅で足止めされるかの違いだよ。一条が気にすることはなかったのにな」
叶が笑う、過ぎた時間は戻らない。そう、今更私が何を言おうとも意味はない。
「叶君は優しいね、そう言うと思ってた。ねぇなんで倶楽部を解散したの?」
これはずっと疑問だった。経緯は知っていても理由は知らなかった。
「いや前に言ったか忘れたけど、受験があったからだよ。人の相談に乗る余裕はなかった。それに停止の提案をしたのは佐光からだから、詳しい話はあいつに聞くといい」
「そうだったんだ」あの時は動揺していて、どちらの声かは聞き分けられていなかったということか。
「それで、俺は成沢に告白できなかったから、教室の隅に生きるような人間になってしまった。そう言いたいのか?」
「うん」
「馬鹿馬鹿しい、あの時、告白していても何も変わらない。結局成沢には清がいる」
「成ちゃんのこと好きなんでしょ?現在進行形で」
「ああ、好きだよ」
「え?」私は呆気にとられる。
「何驚いてんだよ」
「そうだね。私は今日呼び出された側だったね」
私は自分のことで手一杯ですっかり忘れていた。
「そうだよ。一つの質問から長々と話しやがって、昔のことなんて今更気にしてないっつーの」叶は呆れている。
「ごめん、じゃあ今日は一体?依頼って?」
一呼吸置いて、叶が答える。
「成沢に告白するから、段取り一緒に考えてくれ」
4
七瀬に、『本当にこのままでいいのか』と言われた時に俺は思わず、心の中で言いわけないと反論した。成沢への気持ちを抱えたまま、俺はただ悶々としている。
須山に言った『告白しなきゃ後悔する』という言葉は正に自分に対しての言葉だった。俺は中三のあの日、告白に失敗した時点でもう一度告白するか、諦めるかのどちらかを選ばなきゃ行けなかった。この言葉を引き出させる為に、あの状況を仕組んだ佐光には感服する。
それなのに、俺は何も選ばずにいた。佐光があの時、倶楽部の停止を提案してくれて良かった。何せ、自分の事は何も決められない男が恋愛相談に答える資格はなかった。
「一条が依頼を持ってきて成沢が来ると聞いた時、嬉しかった。やっぱり俺は成沢のことが好きなんだなって思ったよ。でもあいつにはもう清がいる、だから諦めるつもりだった。でも一条に、佐光に、七瀬に好き勝手言われて吹っ切れた」
俺は自分のエゴを貫くことにしたのだ、須山にそうさせたように。
「そっか、倶楽部を再開させたかいあったよ。私の自分勝手な贖罪から始まったけど、今では良かったって思える」
一条はスッキリした顔で言う。彼女がいなければ、俺はこういう気持ちにはならなかっただろう。
「何か終わった顔してないか、まだこれからが本番なんだけど」
そうでしたと、一条は笑う。
それから二人で、どう成沢に告白するか段取りを考えた。あーでもない、こーでもないと考えた計画は、結局前と同じ様なものだった。
シンプルに呼び出して、雑談を交えてから告白。難しく考える必要はない。一条の目の前で成沢に連絡をして、日時と場所を決める。なんだかトントン拍子に決まるのが、可笑しかった。昔はあんなに考えながらだったのにと笑う。
「頑張ってね、叶君。今度体調悪い人がいたら、他の人に任せるんだよ」
帰り際、一条が念を押すように言う。俺は曖昧な返事をすると、一条は不満そうな顔でバイバイと言った。俺も帰るかと歩き出そうとすると、また声がした。
「言い忘れてたけど、叶君。放課後恋愛俱楽部、最後の依頼承りました。最後の依頼者がメンバーなんてエモくていいよね」
と言って一条は去っていった。
「本当にな」
そうして俺も歩き出した。
5
叶は前と同じ様に駅に成沢を呼び出して、雑談がてら駅近くの公園に向かい、そこで告白する。という流れを計画していた。
そして、計画の当日というのに、曇り空が広がりどんよりとした雰囲気だった。
私は早朝シフトを終えてから、空を見てあちゃーと声を上げる。
「天気悪いなぁ、ひと雨きそう。ていうか叶君、運悪すぎない?」
独り言をぶつぶつ言いながら、いつもの公園で朝ごはんを食べようと歩いていた。ひと雨くるようならすぐに帰ろうと決めた。
昨日、佐光へ何故倶楽部の活動を停止したのかを聞いてみると、打つのが面倒だからと言って電話が掛かってきた。
「そもそも、放課後恋愛倶楽部を作ったのはな。叶の為なんだよ」
「叶君の?」
「そう、あいつは他人に対しては鋭いけど、自分のことは結構鈍い。成沢への気持ちなんて、最初からバレバレだった。でもあいつは頑なに認めようとしなかった、恋愛経験値の低い中学生男子だったから仕方ないけどな。だから、俺はあいつに恋愛経験を積ませる為に、倶楽部を作った。あいつに恋愛させるんじゃなくて、他の人間の恋愛を見せることで、自身の恋愛感情を自覚させた。結果はご存じの通り、倶楽部の活動が一年に達する頃には成沢に告白するって言い始めた。大成功だ、俺はそうやって叶の気持ちを変えることができて満足だったから、その先にある成沢の告白がどうなるかなんてどうでも良かった。だから倶楽部の活動を停止した、意味はもう成していたから」
一息で語られる佐光の設立秘話を聞いて、なんて恐ろしい男だろうと怯える。これと上手くやっていた叶を尊敬する。
「でもなんで、私の倶楽部の再始動に乗ったの?目的は果たしたんでしょ?」
「何言ってんだよ。一度諦めた恋心を再燃させる、その為の倶楽部だろ?面白いに決まってる」
「最低」
人の気持ちで楽しみやがる男だ。
「叶は知ってたけどな。あいつは俺のそういう所を理解してる、だから友達なんだよ」
分かってないなという風に話す佐光にイラっとくる。私が怒るようなことではないので我慢しよう。
「佐光君と友達やれてる、叶君も大概ってことね」
「そうだよ、あいつは意外とふざけたやったりするんだよ」
そう佐光は笑っていた。
噴水近くのベンチに座り、空を見上げると雲はまたより色濃くなっていた。急ぎで食べた方がいいかもしれない、周囲には家族連れもカップルもいない。こんな天気で外にでないのだろう。
今頃、叶は成沢と待ち合わせている頃だなと思う。天候が悪くなるようなら、どこかお店に入るのだろうか。叶は清への配慮で、成沢とはあまり長時間二人きりにならないようにと考えていた。彼氏持ちの女の子だから、当然と言えば当然だか。
そもそも成沢は清に今日のことを伝えているのだろうか。成沢のことだ、何故呼び出されるのか分かっていなさそうなので、正直に言うかもしれない。
一連のことが終わったら叶は私に連絡をくれることになっている。『どうなろうとも一条にはちゃんと言うよ』そう言っていた。とは言え、連絡がくるのは夜だろうなと思う。
「隣いいですかな?」
驚いて声の方を見ると老人が私の隣を指している。
「ど、どうぞ」
警戒しながら答える。他にもベンチがいくつもあるし、人もいないので選び放題なのに、何故隣に来るのか。
「お嬢さんは朝ごはんですか、いいですね」
老人はこちらを見ずに正面を見たまま、話し始める。なんだか怪しいので、この場を去りたいが食べ始めたサンドイッチは完食してから、席を立ちたい。
「そうなんです。少し遅めですけど」
老人を盗み見ると、くたびれたシャツとズボンを穿いて傘を杖替わりにしているようだ。
シャツもズボンもお孫さんのものだろうか、やけに若々しい。
「雨が降りそうですね」
「ふぁい、そうですね」口にサンドイッチを頬張ったまま喋ってしまった。
「傘はお持ちでないのですか?」
「こんなに天気が悪くなると思ってなくて」早朝は天気が読みづらい。
「傘お貸ししましょうか?」
「いえ、そんな大丈夫です」
随分親切なおじいさんだなと思う。
「遠慮なさらずとも良いですよ、私はあなたに感謝しています」
「感謝?何のことですか?」
「私の長年の悩みを解決してくれました。告白せずに諦めていた私の背中を押してくれた。あなたは自分のせいだと思っていたかもしれないが、それは違う。あなたは何も悪くない、感謝しかないのですよ」
私は段々と声が若返っていき、やがて聞き覚えのある声になった時、思わず聞いたのだ。
「なんでここにいるの、叶君」
老人と思っていた人は、正面を向いたまま顔についている装飾を外していく。顔のメイクを落とした時、叶真澄がそこにいた。
「何してんの?」
「一条、傘持ってなかったから。持ってきた」
「告白は?」
しないなら、私はいったい何の為に。色んな感情が押し寄せて止まらず、却って声にならない。
「したよ。さっき電話で」
「はぁ?」
その答えで納得いくと思ってるんですか、という心の叫びを具現化した表情を叶に見せる。
「待て待て。ちゃんと説明するから」
叶が手で落ち着けとジェスチャーする。それを見て、私は叶に詰め寄っていた身体を戻す。
「成沢に告白するのに、最初から場所なんてどこでも良かったことに気づいたんだ。俺はただ成沢に好きだってことを伝えるだけなんだから。いい雰囲気でとか、こんな場所でとか、そんなの彼氏がいる成沢にすることじゃなかった。だからさっき電話で伝えた」
叶は晴れ晴れとした表情をしている。嘘を言っているようには見えない。
「成ちゃんはなんて?」
「知ってるって。今も昔もあんたの事は、友達として好きだけど恋愛感情じゃないってさ」
「そっか。結構ハッキリ言うね」成沢ならもっと気を遣うかと思った。
「成沢なりの優しさだな。でもスッキリしたよ、憑き物全部落ちた」
叶はスッキリしたようだが、私はスッキリしない。
「それは良かったけど。本当、何でここに来たの?変装なんかして、変なおじいさんに絡まれたと思って焦ったんだけど」
叶は愉快そうに笑う。
「最後の倶楽部活動だからな、怪人二十面相最後の変装だ」
「馬鹿」無駄に声帯模写が上手いのが、ムカつく。
「後、ここに来たのは、直接一条に感謝を伝えに来たのと、」
「それと?」
叶は少し悩んで私の方を向いて言う。
「成沢は炎天下の中、待ちぼうけで熱中症になりかけている所を清に助けてもらってから意識し始めたらしい。だから同じ要領でピンチの時に現わればいいのかと思ってな」
そう言って叶は存在をアピールするように、傘を開いたのだった。
“恋愛に不器用・不得手なすべての方々へ当倶楽部がご支援します”
*当倶楽部は解散いたしました、ご愛顧ありがとうございました。
放課後恋愛倶楽部 陸村 無夏 @nanananatu
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