未来視マッチ

そーいち

第1話

 加山浩二は馬券を握りしめていた。


 このレースの予想には自信がある。今度こそは当たるはずだ。加山は自分が賭けた馬を必死の形相で見つめた。

 競走馬たちが最終コーナーを曲がった。ゴールまであと数メートルだ。加山の賭けた馬は先頭を疾走している。


「いけ、そこだ。そのままいけっ」


 加山は馬券を握りしめ必死に叫んだ。

 加山の賭けた馬とは別の馬が後ろから追いついてきた。

 二頭はゴール前数メートルのところで並び、加山の賭けた馬を追いぬいた。

 加山は必死に応援するが、その声も届かず加山の賭けた馬は一着を逃した。

 加山は、ちくしょうと叫び、握っていた馬券を地面に叩きつけた。


 競馬場から出ると、加山は近くのベンチに腰掛けた。懐から煙草を取り出すと、口にくわえ、ライターで火をつけようとする。

 しかしオイル切れらしく、火はいっこうにつかない。

 加山は舌打ちすると、ライターを近くのゴミ箱に投げ捨てた。投げたライターはゴミ箱からはずれ、地面に転がり落ちた。

 それを見て加山は益々不機嫌になり、口にくわえていた煙草を地面に叩きつけ思いっきり踏みつけた。

 まったく今日はついてない。あともう一レースあるが、今日のところはやめておいたほうがいいかもしれない。

 気分転換がてらパチンコにでも行くかと思い、立ち上がろうとしたとき視界の隅に何かが目に入った。

 ベンチの傍らに視線を移すと、そこに黒い小さな箱があるのを見つけた。

 自分がベンチに座ったときにはこんなものがあっただろうか。疑問に思いながらも、加山は黒い箱を手に取った。

 箱を持ち上げると、箱の中から何かが動く音が聞こえた。

 箱の側面は茶色っぽい色をしている。どうやらマッチ箱のようだ。マッチ箱の中身を確認すると、十本のマッチ棒が入っていた。

 加山はパチンコに行く前に一本吸っておくかと思い、懐から再び煙草を取り出すと口にくわえた。

 マッチ箱からマッチを一本取り出し、箱の側面でマッチを擦った。

 すると突然、目の前に競走馬が疾走するシーンが映し出された。

 数頭の馬が疾走する中、三の数字をつけた馬が先頭をきってゴールを駆け抜けていく。

 あちっ、といって加山はマッチ棒を地面に落とした。マッチ棒は根元まで火に包まれ、燃え尽きた。

 加山はきょろきょろとあたりを見回した。ベンチから見える光景は変わっていなかった。

 今のは何だったのだろうか。

 突然目の前にレースの場面が映し出された。

 自分は白昼夢でも見たのだろうか。

 しかし加山の脳裏には、三番の馬がゴールしたシーンが鮮明に焼きついていた。


 まさかな――。


 加山はそんなことはありえないだろうと思いつつも、馬券売り場へと足を運んだ。

 もうすぐ次のレースが始まろうとしていた。加山はベンチに腰掛け、先ほど買った馬券を眺めていた。

 三番単勝の馬券だ。財布に入っていた有り金すべてをつぎ込んでいた。

 自分でもバカバカしいとは思いつつも、あの脳裏に焼きついた場面がどうしても気になり、馬券を買っていた。

 レースが始まり、競走馬が一斉に駆け出した。

 三番の馬は後方を疾走していた。そのまま走り続けるが一向に先頭集団に追いつく気配はない。

 やはり駄目だったか――そう思い、半ば諦めようとしたとき、三番の馬が順位を上げてきた。

 加山は目を見開いた。

 三番の馬は次々と前方を走る馬たちを追い抜き、最終コーナーを曲がるころには先頭集団の中にいた。そのまま集団の中を飛び出し、先頭をきってゴールした。

 それはまさに、先ほど加山が目にしたあの光景だった。


 居酒屋のテーブル席に、加山と津軽恭介が向かい合って座っている。

 加山がビールジョッキを飲み干した。


「今日は俺のおごりだ。遠慮なく飲め」

「今日はえらく気前がいいな」

「競馬で大当たりしてな。しかも万馬券だぜ」

「万馬券とはまた、すごいじゃないか。よっぽどついてたんだな」

「それがツキじゃねえんだな、これが」加山は新しくきたビールジョッキに手を伸ばした。

「ツキじゃないってどういうことだよ? まさかどの馬が勝つかわかってたっていうのか」

「そのまさかだよ」

 津軽はきょとんとした表情を浮かべると、とたんに笑い出した。

「おいおい、もうそんなに酔ったのかよ。お前そんなに酒が弱かったか」

「酔っちゃいねえよ。俺は本当にどの馬が勝つかわかったんだ」

「へえ、どうやってわかったっていうんだ? 怪しげな予想屋にでも大金を払ったのか」

「これだよ」加山は懐から黒いマッチ箱を取り出すと、テーブルに置いた。

「なんだこりゃ?」

 津軽はテーブルに置かれた黒い箱を手に取った。「マッチ箱か。今時めずらしいな。それでこれがどうかしたのか」


「この箱のマッチを擦って火をつけるとな、未来が見えるんだよ」

「はあ? お前何言ってるんだ。やっぱりもう相当酔ってるんじゃないのか」

「嘘じゃねえって。見てろ」

 加山は津軽の手から黒いマッチ箱を奪いとると、箱からマッチを取り出した。黒い箱の側面にマッチの先端をこすり火をつける。

 加山の目の前に、アパートが炎に包まれている光景が浮かび上がった。アパート正面の門柱には『内田荘』の文字が読み取れた。

 あちっ、といって加山はマッチから手を放した。

「馬鹿っ。なにやってんだっ」

 津軽は根元まで燃えているマッチの上におしぼりを覆いかぶせると、灰皿に燃え尽きたマッチを捨てた。

「危ないだろっ。火のついたマッチ持って、ぼうっとしやがって」

「お前、今の見えなかったのか」

「見えなかったって、何がだよ?」

「アパートが火事になってる光景が見えたんだ」

「はあ? 何いってんだよ。俺には何も見えなかったぞ」

 どうやらマッチが見せる未来の映像は自分にしか見えないらしい。

「おい、加山。お前大丈夫か。マッチ擦ったとたんぼうっとしたり、わけのわからないこといったり。やっぱりお前酔っ払ってんじゃないのか」

「本当なんだって。アパートが燃えている光景が見えたんだ。たしか門柱のところに『内田荘』って書かれていた」

「なんだって? おい、本当に『内田荘』って書かれていたのか」

「あ、ああ」津軽の剣幕にやや気圧されながら加山は頷いた。

「それ、俺の住んでるアパートの名前だぞ」

「まさか」加山は目を見開く。

「おい、お前な。酔ってるとはいえ、あんまり笑えない冗談だぞ」

「冗談なんかじゃない。本当に俺は見たんだ。それに俺はお前の住んでるアパートの名前なんか知らねえぞ」

「まあ確かに、お前に俺のアパートの名前をいった覚えはないが――」

 そのとき、津軽の手元のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。津軽はスマートフォンを手にとる。

「誰だ? ちょっと出ていいか」津軽はスマートフォンの画面を見つめながらいった。

「ああ」加山は生返事をするとジョッキのビールを飲んだ。

 津軽は、えっというと、驚きの表情を浮かべて加山の顔を見つめた。

「なんだ。どうしたんだ?」

「俺の住んでるアパート、火事になったって……」

 加山は声を失い、ビールジョッキをテーブルに置いた。

 二度目とはいえ、やはり的中すると驚きを隠せない。やはりこのマッチは未来を見通すことができるのだ。

 津軽も心底驚いているのか、呆然とした表情で黒い箱を見つめていた。


 加山と津軽はパチンコ店の前に立っていた。

 その後二人でこのマッチの使い道を話あった。一番大きく稼げるのは宝くじだろうが、まだ宝くじが売り出される時期ではない。宝くじが売り出される時期まで待ってもいいが、二人は早く稼ぎたかった。

 そこで手っ取り早く稼げるとしたらやはり競馬ではないかとも思ったが、万馬券などそうそう出るものではない。

 結局無難にパチンコに行くことで話はまとまった。パチンコであれば、出る台がわかれば、その台を使い続けることである程度は稼ぐことができる。

 加山は懐から黒いマッチ箱を取り出した。

 黒い箱の側面にマッチをこすりつけ火をともす。

 加山の眼前にパチンコ店の店内映像が浮かび上がった。加山は素早く目店内を見回し、玉が出ている台を探した。

 あちっ、といって加山は地面にマッチを投げ捨てた。マッチは燃え尽き、黒い灰と化した。

「どうだった?」津軽は期待のこもった目で加山を見た。

「ばっちりだ」加山は親指を立てると意気揚々と店内に入っていき、その後を津軽が続いた。

 その後も二人はパチンコ店をはしごし、店から出るたびに大金を手にした。

 二人は手にした金で普段は出入りできないような高級クラブに行って気前よく金を使い、酒を浴びるように飲んだ。

 加山と津軽は夜通し飲み続け、気がついたときには加山のアパートに倒れるように眠りこけていた。

 加山が起きたときには正午を回っていた。 

 傍らには津軽がまだ気持ちよさそうに寝入っている。二人ともしがないフリーターなので起きる時間が遅くなろうが関係はなかった。

 加山は床に転がっている煙草の箱を手にとり、一本取り出すと口にくわえ、ジッポーライターで火をつけた。

 このライターはパチンコで稼いだ金で買った十万以上する高級ライターだ。一度は使ってみたかった憧れの品だったが、まさか使える日が来るとは夢にも思わなかった。

 これもすべてあのマッチのおかげだ。

 加山は煙草を吸い終わるとくわえていた煙草を灰皿に押しつけた。そして床を見渡し、転がっている黒いマッチ箱を見つけると手に取った。

 中を確認すると、残りは二本になっていた。

 加山は今日もパチンコか、はたまた競馬で万馬券でも出るかなと思いながら、マッチを擦った。

 加山の目の前に突然、トラックが目の前に迫ってくる映像が浮かび上がった。

 加山は、うわあっと叫びマッチを投げ捨てた。床に転がったマッチは一瞬燃え盛り、やがて燃え尽きて黒い灰となった。

「なんだ、どうした?」津軽が加山の叫びに驚いて起き上がった。 

「いまマッチを擦ったら、トラックに轢かれそうな映像が浮かんできた……」

 津軽は息を呑んだ。「それって、つまりお前がトラックに轢かれるってことなのか。場所はどこなんだ? それがわかれば――」

「それが、突然のことだったからすぐにマッチを投げ捨ててしまって場所までわからなかった……」

「じゃあ、もう一度マッチで見ればいいじゃないか」

「あ、ああそうだな」加山は床に転がっている黒いマッチ箱を拾い上げると、最後の一本を取り出した。

 これが最後の一本だ。もう金儲けはできなくなるがそれどころではない。自分の命がかかっているのだ。この一本でさっきの場所がわかるだろうか。いや、きっとわかるはずだ。 

 加山は必死の思いでマッチを擦った。

 加山の眼前に公園の映像が浮かびあがった。子供たちがゴムボールで遊んでいる。ボールが公園の外に転がっていき、男の子がそのボールを追いかけて公園から飛び出していく。

 あちっ、といって、加山はマッチを取り落とした。マッチの炎は消え、黒い灰となっていった。

「どうだった? 何かわかったのか」

「子供が公園でボール遊びをしていた……」

「なんだそりゃ?」

「だから、子供が公園で遊んでいた映像しか浮かばなかったんだっ」

「じゃあ、お前が轢かれる場所はわからなかったってことか」

「そうだよっ」加山はちくしょうっといって黒いマッチ箱を壁に投げつけた。

 壁に当たったマッチ箱は軽い音をたて、床に転がり落ちた。

 加山の胸中には怒りと動揺が渦巻いていた。なぜ最後の最後にこんな未来を見せられたのか。今までいい目を見ていた見返りだというのか。

 もう一度確認しようにも、もうマッチはない。もう二度と未来を見ることはできないのだ。

「もうマッチは本当にないのか」津軽は訊いた。

「……もうない。あれが最後の一本だったんだ」加山は項垂れ力なく答えた。

「なあ、あのマッチってたしか競馬場で拾ったっていってたよな」

 ああと、加山は生返事をした。

「だったら、もう一度競馬場に行けばあるかもしれないんじゃないのか」

 加山は、はっとした表情になった。たしかにそうだ。あれは競馬場のベンチで拾ったものだ。もしかしたらもう一度あそこに行けば、同じ物が手に入るかもしれない。そんな都合のいい話があるとも思えないが、可能性はゼロではないはずだ。

 加山は素早く立ち上がると、アパートを飛び出した。

 加山は、全力で通りを駆けて抜けていった。その道中、公園の前を通り過ぎたとき、あっと声を上げて立ち止まった。

 公園のほうをゆっくりと振り返る。

 そこにはボールで遊んでいる子供たちがいた。その光景は先ほどマッチの炎が見せた映像と同じだった。

 どういうことだ――。ここがあの公園の場所だというのか。

 まさかと思い、公園の入り口近くの道路に視線を向けた加山は、大きく目を見開いた。

 向こう側から大きなトラックが向かってきていた。それはまさに、マッチの炎が見せたあのトラックだった。

 加山は公園のほうに再び顔を向けた。ボールが公園を飛び出し、男の子がボールを追いかけていた。

 再び道路のほうに目を向けた。

 トラックが公園の入り口に向かってきている。

 そういうことなのか――。

 やはりマッチが見せたあの映像はこの場所だったのだ。このままだと男の子はトラックに轢かれるだろう。そして加山があの子を助ける代わりにトラックに轢かれるのだ。

 加山は、ここで自分が動かなければ助かると思った。しかしそれではあの子が轢かれてしまう。

 男の子はボールを追いかけ、道路に飛び出した。

 トラックは急ブレーキをかけるが間に合いそうにない。

 加山は、気がついたときには道路に飛び出し、男の子を道路の向こう側へ突き飛ばしていた。

 加山の眼前にはトラックが迫ってきた。

 加山は、ああやっぱりあのマッチの炎が見せた映像そのままだなと思った。


-完-

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未来視マッチ そーいち @toritake_1

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