「……やっぱり、いたんだ」

「何者……? いつからそこにいたの?」


 呆れ半分、安堵半分で、マニエリの様子を窺うロココ。

 一方ルネは、思わぬ来訪者の出現に狼狽して、焦り混じりにマニエリを睨み付けた。


「邪魔立てしにきたってわけ? だったらまずあんたから殺すわよ!」

「さて、どうです? 今でも考えは変わりませんか?」


 しかしマニエリは、ルネを一切気にとめず、ロココの方を見てにこやかに話し始めた。


「……考えって」

「まだ僕の魔法を借りるのをよしとしないか、ということです。不躾ながら、今し方勝手に魔法をかけさせていただきました。そうしないと、死ぬところでしたからね」


 やはり突然不自然に強くなったのは、マニエリの手によるものだったのか。

 ロココは合点がいった気分だった。


「まあ、そんなところだろうと思ってたけど……」

「それで体験してみてどうでした? 攻撃面だけでなく防御面でも、僕の力があれば貴女は最強になれる」

「……」


 確かに最強にはなれるだろう。

 だがそれは、ロココでなくてもいい話だ。

 ロココには、他の誰でもない、自分でなければならない何かというものがないのは、やはり心持ち残念に思えた。

 だけど、そんな贅沢を言ってられるほど自分の状況に余裕がないということも、今回の出来事で思い知った。

 ロココのような弱い人間は、強者のほんの気まぐれで、簡単にその未来を摘み取られてしまう。

 だったら、力を借りることにもはや何のためらいもない。


「とりあえずルネさんを倒すまでは、そのままでお願い」

「はい、分かりました。では全方位にまんべんなく強くなった新生・ロココ=フラゴナールをどうぞご堪能下さい」


 恭しくお辞儀をするマニエリ。

 ロココがルネに視線を移すと、いつの間にか彼女はどこからか持ってきた大斧を手にして青筋をひくつかせていた。


「クッソ下らない茶番を見せられた気分だわ……!」


 激しく下を打ち鳴らしながら、ルネはロココに近づいてくる。

 荒々しい足音が、静かなあばら屋に響き渡る。


「何が魔法使いよ! 何が最強よ! 妄想アベックは二人まとめてぶっ殺してやるわ!」


 妄想だと思い込んでの怒りか、妄想だと思わずにはいられないからこその怒りか。

 ともかくそういった衝動に任せて、ルネは大斧を振り下ろす。

 だが、応戦して振りかざされたロココの短刀によって、それはあまりにもあっさりとはじき飛ばされてしまった。


「……~~~!!」


 吹き飛んだ斧が壁に刺さった。

 ルネは再び、至近距離でロココに殴りかかる。


「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! 認めないわ、こんなの!」


 ロココはルネが振りかざした拳一つ一つを、その場を動かずあっさりと受け止めていく。


「これじゃ、まるで! まるで!」


 やがてルネの方がばててきて、攻撃が散漫になっていく。


「――――本当に、魔法使いがあんたに味方したみたいじゃない!」


 そのタイミングでロココがルネの肩を軽く叩くと、ずしんと深い音がして、ルネは沈むように腰を抜かした。


「……なんでよ。――――なんで、そんな雑魚に味方するのよ!」


 背後から見守るマニエリを見ながら、ルネは掠れた声で叫ぶ。


「魔法なんて、そんな都合の良いもの持ち出されたら勝てるわけじゃないじゃない! 理不尽よ、こんなの!」


 マニエリは軽く頭を掻いてからそれに答えた。


「でも彼女は、ずっとそんな理不尽に耐えて戦ってきたんですよ。生まれ持った才能という、残酷なまでに都合の良い理不尽にね」

「……!」


 言葉を失うルネ。マニエリは肩をすくめて、改めてロココに向き直った。


「さあ、これで後は貴女の思うがままですよ。煮るなり焼くなり、好きなようにしてやってください」

「……しないよ、そんな酷いこと。借り物の力でそんなことやったら、私がただの悪い人みたいじゃん」


 ロココはおもむろに、ルネの前にしゃがみ込んだ。

 そしてどことなく憐憫の籠もった声で、静かにルネに語りかける。


「ルネさん」

「……何」

「きっとルネさんにも、辛いことがあったんだと思う」


 そんな言葉をかけられるとは思っていなかったのか、ルネの目が丸くなった。


「ちょっと……やめてよ」

「私には、ルネさんの気持ちは分からないけど……」

「やめてって、言ってるでしょ」

「……ルネさんがここまでしてしまうってことは、きっと」

「あんたが……みっともなくて弱っちいあんたが……」

「でも、こういうことで鬱憤を晴らすと、ルネさんが幸せになったのの何倍も傷つく人が出てしまうから」

「いつも私にべったりで、私に頼り切りだったあんたが……」

「こういうことは、私で終わりにして。約束してくれたら、私はルネさんに何もしないから」


 たまらなくなって、ルネは顔を手で覆った。


「私を、哀れむような目で見ないでよおおお……!」


 ルネはその場にうずくまり、芋虫のように縮こまった。

 そんな彼女の様子を見て、ロココは静かにため息をつく。

 かつて尊敬していた人が、こんな風になってしまったのは、ロココにとってもあまり気持ちの良いものではなかった。


「これだけ、返してもらうね」


 ロココは、ルネの手首からシノワズリの腕輪を抜き取り、自分の手にはめ直した。


「……それじゃ、さようなら」


 そしてロココは廃屋を後にして、町へと戻っていく。

 マニエリも後ろから、それに続いた。



 森の中を抜けながら、ロココはマニエリと少し会話をした。


「いくつか、確認させてもらっていいかな」

「はい、なんなりと」


 我ながらなんて馬鹿馬鹿しい質問だろう。

 そんなことを考えながら、ロココはマニエリに背を向けたまま問う。


「この強化は、貴方が魔法をかけたときにしか機能しないんだよね?」

「ええ。ただ、貴女が望むならいつでも、僕は貴方にこの魔法をかけにはせ参じましょう」

「……別の冒険者を気に入って、私と縁を切る可能性はある?」

「決してありません。貴女は僕にとって理想の人です。

「この魔法を私にかけることで、私に何か呪いのようなものがかかったりする可能性は?」

「貴女の未来を奪うようなペナルティは、一切存在しません」

「対価のようなものは」

「一切発生しません」

「……ははっ」


 ロココは思わず笑った。

 マニエリの存在が、あまりにも自分に都合が良すぎるものだったから。


「なにそれ。まるで神様が私に味方してくれているみたい」

「本物の神様が貴女に味方してくれなかったのだから、僕くらい味方したっていいでしょう」


 そう言って、マニエリはくすりと笑った。


「もっと色んな道があるはずの魔法使いさんが、よりにもよって私を助けてくれる理由、ずっと分からなくて、だから気持ち悪かったんだけど……」

「言ったでしょう。僕は面食いなんです。華奢で、できないことをできるようになるために無謀でも必死に頑張り続けるような人が」

「!」

「だから僕は、それを応援したかった。ただそれだけなんですよ。それだけでいいんです。人の行動原理なんて」

「……なにそれ」


 ちょうどよく森を抜けて、町の灯火がすぐ側に近づいてきた。

 ロココは足を止め振り向いて、マニエリに向かって笑顔を見せた。


「それって、面食いとは言わないよ」




 次の日の夕方。

 部屋のベッドに寝転がっていたロココの元に、マニエリが訪ねてきた。


「こんばんは、ロココさん。今日は珍しくお休みですか?」

「……」


 押し黙るロココを無視して、マニエリは手近な椅子に座った。


「ルネ=アリオストは、どうやら昨日の朝一番にこの町を出たようです。ギルドの名簿からも名前を消していました。相当、昨日のことがこたえたんでしょうね」

「……」

「彼女は、貴女のように向上心の強い冒険者でした。昔は都会のギルドに所属していたようで、その頃は精力的に活動してきたと聞きます」


 ルネがロココに過去の話をしたことは一切なかった。

 それだけ自分に心を許していなかったのかと、ロココは少し悲しい気持ちになった。


「しかし実力者犇めく都会では彼女程度の冒険者は腐るほどいます。一山いくらに埋もれるのが嫌で、彼女は都を出てこの地方都市にやってきた。だけど、そこにも自分を上回る存在がいて、一番にはなれなかった……」

「だから、私を見るとかつての自分を見ているようで気にくわなかったってこと?」

「それもあるでしょうし、下を見て安心していた側面もあるでしょうね。はい、リンゴどうぞ」


 全部が全部、貴女に対する直接の悪意ではなかったと思いますよ。

 そう言ってマニエリはロココにリンゴを投げた。

 リンゴは明後日の方向に飛んでいき、床の上に転がった。


「歪んだ優しさでしょうけど、面倒を見てやろうという気持ちも少なからずあったと思いますよ。結局極まって殺人未遂に至った以上、何の気休めにもなりませんがね」


 遠くでカラスが鳴いた。

 窓から差し込んでくる夕日を見ながら、ロココはむっすりとふくれた。


「そう。まあ、それはいいんだけどさ」


 マニエリがロココにみかんを投げた。

 みかんはロココの顔に当たって、ベッドの上から転がり落ちた。

 ロココの目は、石のように冷え切っていた。


「ところで、朝から体が動かないんだけどこれはどういうことなのかな?」


 マニエリはしばらく黙った。




 夜が明けてから、ロココはベッドの上から一歩も動けなくなっていたのだ。

 少しでも体を動かそうとすると、酷い筋肉痛が全身に広がって、悶絶する羽目になる。

 働き者の彼女が今日部屋を出なかったのは、それが全ての原因である。


「どういうことって、反動で筋肉痛になったんじゃないですか? それなりの強化魔法をかけて体に無理をかけましたからね」

「……ちょっと待って。強化魔法ってノーリスクじゃないんですか」

「基本的にリスクはないはずなんですが……よっぽど身体能力が低ければ、負荷の影響で体が多少の悲鳴を上げる可能性はあります」


 多少ってものじゃないぞ。そんなロココの視線も、マニエリにはどこ吹く風だった。

 彼はロココを一瞬じっと見つめてから、馬鹿にしたような笑顔で彼女の肩を叩いた。


「は? ちょっと、話が違――――」

「僕は一目見ただけで相手の身体能力を見抜けると言いましたが、訂正します。貴方の身体能力の底は読めませんでした。まさかここまで酷いとは。賞賛を贈ります。すごいすごい」

「そんなこと今更訂正されても困る!」


 神様だなんだと昨日は言ったが――――ロココは内心で認識を改める。

 この男は、神は神でも邪神の類だ。でなければ悪魔だ。


「うわー! 騙された! やっぱり強化魔法なんかに頼るべきじゃなかったんだ――――!!」



 ぼろぼろの冒険者寮に、ロココの嘆きが響く。

 これが、やがて偉大な英雄として世界に名を馳せることになる女冒険者ロココと、それを支えた魔法使いマニエリの、始まりのエピソードとなることを――――今はまだ、誰も知らない。

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強化魔術師は最弱冒険者を最強にしたい イプシロン @oasis8000000

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