第五話   メイドカフェのニャンニャンパフェ 

 JR秋葉原駅・夕刻――

 俺は電気街口の改札からぶらぶら出てきた。飯田橋での編集者との打ち合わせが終わったところだった。

 ここ数年、東京での宿は秋葉原のビジネスホテルと決めている。電気街口から歩いて五分。俺のお気に入りのホテルだ。出版社はほとんど中央線沿いにあるから、交通の便もいい。安いうえにサービスもそこそこいい。

 何よりも最上階に露天風呂があるのが素敵だ。アキバのど真ん中に露天風呂があるなんて、アキバに集うオタクたちでも知らない人間が多いのではあるまいか。もちろん塀で囲まれていて、外からは覗けないのだが。

 しかも脱衣所のすぐ外の休憩所には、コーヒー牛乳の自販機があるのだ。それも紙パック入りじゃなくビン入りのやつだ。風呂の後のコーヒー牛乳! これはもう「分かってる」としか言いようがない。

 だが、ホテルに撤収するには、まだ少し時間がある。夜の秋葉原を巡るのもいいが、その前に腹に少し何か入れておきたい。

 しかし、何にしよう。ケバブは食べ飽きたし、ロイヤルホストも今一つもの足りない。

 俺は交差点に立ち、JRの高架の向こうにある〈肉の万世〉の看板を見た。万世のステーキもいいんだが、前に東京に来た時に食べたからなあ。

 そう言えば『孤独のグルメ』にも万世が出てきたな。あの作品が描かれた頃は、アキバはまだぜんぜん萌えの街じゃなかったんだが、十数年でずいぶん変わったもんだ。今では大通りの両側のビルを美少女のイラストが埋め尽くしている。

 そう言えば、しばらくメイドカフェにも行ってないな。

 うん、久しぶりにメイドカフェで食事というのもいいか。


 俺は大通りから路地に入った。

 確かこのあたりに……おっと、あった。雑居ビルの前に〈メイドカフェ めいどりおん〉という看板が出ている。

 二年ほど前に来たきりで、詳しいことは忘れたが、味はそんなに悪くなかったと記憶している。

 ここにするか。

 俺はエレベーターで上階に上がった。店の前でかわいいメイドが迎えてくれる。

「ようこそ、めいどりおんへ! 当店のシステムはご存じでしょうか?」

「ええ。前に来ましたから」

「それではご案内します。夢の国にようこそ!」

 店内に入った俺を、メイドたちはいっせいに「ようこそ!」と迎えてくれた。そう言えばこの店は、「お帰りなさいませ、ご主人様」じゃなかったんだな。

 ん?

 席に着こうとした俺の視線は、店の奥の一角に吸い寄せられた。テーブルをはさんで客と親しく会話しているメイドがいる。

 小学生!?

 そのメイドは他の客よりかなり小さくて、小学生にしか見えないのだ。いや、いや、まさか。小学生がメイドカフェでバイトしないだろ。もしかしたら客かもしれない。他の店では女性客にメイド服を貸し出すサービスもあった。この店でもはじめたんだろうか。

「ご主人様、お食事でしょうか、お飲物でしょうか?」

 俺を案内してきたメイド(不確定名「メイドA」)の声で、俺は我に返った。

「あっ、食事で」

 俺はメニューを見た。やはりオムライスが無難か。

「ええっと……オムライスお願いします。セットでホットコーヒー」

「コーヒーはお食事の後でお持ちしましょうか?」

「いえ、いっしょでいいです」

「分かりました。少々お待ちください」

 立ち去るメイドA。

 入れ替わりに、主人公の前を、あの小さいメイド(不確定名「メイドB」)が通り過ぎる。

 やっぱり小学生じゃなさそうだ。ロリ体型だけど未成年じゃない。

 驚いたな、リアルぽぷらだ。顔もかわいいし。俺に小鳥遊みたいな性癖があったら、ど真ん中ストライクだぞ。

 幸い、俺のロリは二次元に特化されてるから、心動かされることはないが……。

 メイドAがコーヒーを持ってきた。

「お待たせしました。ホットコーヒーです」

「あ、どうも」

「それではこれから、コーヒーが美味しくなる魔法をかけさせていただきます」

「は?」

「萌え萌えビーム、美味しくなあれ♪ とやりますので、ご主人様もいっしょにやってくださいね」

 しまったあ、この店はこれがあったんだ!

「はい。萌え萌えビーム、美味しくなあれ♪」

 メイドAはにっこり笑って、胸の前でハートマークを作る。俺もハートマークを作り、小声で「お、美味しくなあれ……」と唱和した。

 こ、この歳になってこれは恥ずい!

 でも、これがこの店のスタイルだからなあ……。

 コーヒーを飲んでいると、二人の若い女性客が、メイドに案内されて入ってきた。珍しそうに店内を見回している。メガネをかけている娘の方は、少しおどおどしているようだ。初々しい反応だな。初心者か。

 メガネの娘の方は、ほむほむっぽくていいな。

 でも、お上品にしていては楽しくないぞ。常識を忘れて幻想にひたることのできる者だけが、メイドカフェを楽しめるのだ。

 ここは仮想現実空間なんだから。

 三人目のメイド(不確定名「メイドC」)がオムライスを運んできた。

「何か絵をお描きしましょうか?」

「あ、お願いします……」

「何がいいですか? クマ? ネコ? ウサギ?」

「じゃ、じゃあウサギで……」

「分かりました。まだ新米なんで慣れてないんですけど……」

 ぎこちない手つきでケチャップを操るメイドC。

 やがてウサギの顔の絵が描き上がった。

「これでいかがでしょうか?」

「ええっと……」

 正直、あまり上手くはない。

 しかし、「一生懸命描きました」感がにじみ出ている。

「うん、いいですね」

「良かったあ。『下手だ』って言われたらどうしようかと思ったんですよ」

「ははは……」

 そんなことを言う客はいまい。

「それでは、美味しくなる魔法をかけさせていただきます」

 またか!?

「では、ウサギさんバージョンでいきますね」

 メイドCは頭の上に手をやり、ウサギの耳の形を作った。俺もしかたなく真似をする。

「ピョンピョンピョン、美味しくなあれ♪」

「美味しくなあれ……」

「それではお召し上がりください」

 メイドCが立ち去ると、俺はほっとした。

 恥ずかしいならやらなきゃいいのに、やっちまうんだよなあ。真似しないと、メイドさんも気まずいだろうから。

 さて……。

 スプーンを持ち、オムライスを食べスポットライトが回転しはじめた。

 な、何だ!?

 メイドAがマイクを持って、俺の隣に座っている太った男の前に立った。

「こちらのご主人様がギガギガドリームランチをご注文になりましたーっ!」

 何だそりゃーっ!?

「とびきり美味しくなる魔法をかけたいと思いますので、みなさんご協力をお願いしまーす! こうやって」と両腕を高く上げて、「頭の上でギガギガギガ♪ と手拍子してくださいねー!」

 俺もやるのかーっ!?

「さん、はい。ギガギガギガ♪」

 頭上で「ギガギガギガ♪」と手拍子をするメイドたち。客たちも「ギカギガギガ♪」とノリノリで手拍子している。

 やむなく俺もスプーンを置き、手を挙げて小声で「ギガギガギガ……」とやる。

「ご主人様に♪ ギガギガギガギガ♪」

「ギガギガギガギガ♪」

「魔法の呪文♪ ギガギガギガギガ♪」

「ギガギガギガギガ♪」

「美味しくなあれ♪ ギガギガギガギガ♪」

「ギガギガギガギガ♪」

「美味しくなあれ♪ ギガギガギガギガ♪」

 横目で見ると、太った男は店内の注目を集めて恥ずかしそうだ。こんな儀式があるとは知らなかったのだろうか。

 俺はこのランチは絶対に注文しないぞ!


 ようやく「ギガギガ」が終わり、俺はオムライスをゆっくり口にすることができた。

 メイドカフェのオムライスは、純粋に味だけ見れば、特筆するほど美味いわけではない。しかし、「女の子が自分のために作ってくれたオムライス」というコンセプトが、独身男性にはたまらないのだろう。

 まあ、妻帯者である俺は、毎日毎日、愛する女の作った料理を食べてるわけだがな。

 これだってきっと厨房では男のコックが作ってたりするんだろう。そうとも、俺はこんなもので騙されたりはしない。

 幻想を幻想として楽しんでいるだけだ。


 オムライスを食べ終わり、腹はふくれた。そろそろ退去してもいいかな。

 そこへ、あの小さいメイドBがやって来た。

「お皿、お下げしてよろしいでしょうか?」

「あ? うん」

 皿を片づけるメイドB。俺はその顔を間近で観察した。

 ほう、近くで見てもなかなかかわいいな。メイド服だからまだいいが、これで小学生の恰好とかしたら、ほとんど犯罪だな。

 まあ、俺は騙されはしないがな。

 しかし、見れば見るほど実写版ぽぷらだ。こんなキャラクターがリアルに存在するとは驚いた。

「ぽぷらみたいだね」って言ったら喜ぶかな、怒るかな? いや、もしかして背の低さにコンプレックスがあるかもしれない。触れない方が良かろう。

 メイドの名札をちらっと見る。〈このみ〉と書いてある。このみちゃんというのか。無論、本名ではなかろうが……。

 突然、このみが顔を上げた。俺と視線が合う。俺はどきっとした。

「ご主人様、前にもこの店に来られたことありますよね?」

「ええ、ありますけど……?」

「やっぱり!」このみはにっこり笑った。「お顔に見覚えありますもの。私の顔、覚えてますかあ?」

 俺は狼狽した。

「あ、いえ、ごめんなさい。人の顔覚えるの苦手で……」

 二年前に一度来ただけの客の顔を覚えてるだとお!?

 まさか! そんなに記憶力のいい人間がいるのか!? それとも俺はこの娘の記憶に残るほど印象的だったのか!?

 いや、待て待て、落ち着け。これは孔明のワナだ。

 きっとこの娘は来る客みんなにそう言ってるに違いない。だいたい、こんな目立つ娘がいたなら記憶に焼きついているはずじゃないか。

 そうとも、ワナに決まってる!

 俺は騙されないぞ。そんなテクにひっかかるほど単純ではない!

「何かデザートはお召し上がりになりますか?」

「あ、お願いします」

 このみはデザートのメニューを差し出した。

「どれがよろしいですか?」

 メニューには、ネコ、クマ、ウサギ、イヌなどの顔をかたどったパフェが載っている。それぞれ〈にゃんにゃんパフェ〉〈くまきちパフェ〉〈うさぴょんパフェ〉〈わんわんパフェ〉という名前が付いていた。

「じゃあ、このにゃんにゃんパフェというのを……」

「はあい。にゃんにゃんパフェですね。少々お待ちください」

 立ち去るこのみ。

 ……頼んでしまった。

 べつにデザートなんか食べたくなかったのに、衝動的に注文してしまった。

 いやいや、俺は実はパフェが食いたい気分だったのだ。

 そういうことしよう。

 そうとも、騙されてなんかいないぞ!


 数分後、このみがパフェを持ってきた。

「では、デザートが美味しくなる魔法をかけさせていただきますね」

 またか。

「パフェにちなんでにゃんにゃん魔法で行きたいと思います。ごいっしょにお願いしますね」

「は、はい……」

 にゃんにゃん魔法って……魔法に系統があるのか?

 このみは両の拳を頬の横に持ってきて、ネコのようなポーズをした。

「はい、にゃんにゃんにゃん♪」

「にゃんにゃんにゃん……」

「美味しくなあれ♪」

「……なあれ」

「はい、どうぞお召し上がりください」

 このみが去ってから、俺はパフェに口をつけた。

 あんな魔法なんて嘘っぱちだと頭では分かっているが、何となく美味く感じられるから不思議だ。

 ……ん?

 ちょっと待て。このパフェ、錯覚じゃなく、本当に美味いんじゃないか?

 ほら、このコーンフレーク、柔らかい。

 前にも小説で書いたことがあるが、俺はパフェにはちょっとうるさいのだ。ほとした時、突然、店内が薄暗くなりとんどの店のパフェでは、底の方のコーンフレークはぱりぱりの固いままで、それが気に食わない。ところがこれは溶けたチョコレートとクリームが適度に染みこんで、いい具合にふにゃっとなっている。

 たまたまそうなったのか、それとも客への配慮なんだろうか。後者だとしたら侮れない。このパフェを作った奴を尊敬する。


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おたくのグルメ 山本弘 @hirorin015

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