第5話 些細なきっかけと最初の一歩

会いに来てくれるかな――なんて考えながら打つ文字は優しく不安定なものだった。


「どう?美味しいでしょ?ここのあんみつ」

 作家仲間として仲良くしていただいている三戸さんから「美味しいお団子屋さんを見つけたから今度一緒に行こう」とお誘いを受けたのが昨日の正午前。丁度、二人とも翌日がオフだったのでせっかくなら早く会いましょうと今度は私からお誘いをして、今はそのお団子屋さんの中庭にあるテラス席に腰かけているところ。飯田橋駅近くにあるこのお店は、あんみつがとても美味しい。

「えぇ、とても美味しい。でも、お団子頼まなくて良かったの?」

 美味しいお団子屋さんを見つけたと誘ってきたにも関わらず、私は兎も角、三戸さんもお団子を頼んでいない。誘い文句だったのに……。

「あ、お団子食べたかった?追加しようか?」

 物足りないと感じていると思われてしまったらしく恥ずかしい。でも、生憎私はそんなに食いしん坊ではないので軽く首を横に振り断りを伝えた。


「そうだ、忘れてた。あのね、今日はちょっと相談があって」

「相談?」

 何だろうと次は振ったばかりの首を傾ける。そんな私の様子を見てすぐに三戸さんは鞄から一枚のチラシを取り出して見せてくれた。

「即売会?」

「えぇ、みちるさん作品数も増えてきたしSNSであなたの作品を購入したいって声が多いから。そろそろイベントに出てみるのはどう?」

 確かにSNSでもコミケや即売会へ出店しないんですかという旨の質問をもらうことが増えてきた。今までは仕事が忙しいこともあって製本の準備、ましてや完結済みの新刊準備なんて間に合わないと理由がはっきりとあったから出店しようなんて考えたことも無かった。そもそも私なんかの作品にお金を出して買うなんてそんな価値があるなんて恐れ多くて考えることすらしていなかった。

「私の小説は、あくまでもネットで無料公開しているから読んでもらえるだけで、そこに金銭

が発生したらきっと誰も読まないよ」

 自分の口から出たはずの言葉でもなんだか少し寂しさを感じてしまった。

私は、価値の無いものに随分と時間と思考を費やしているんだ――なんて、ちょっと他人事みたいに感じるけど、それは冷静になればなるほど虚しさが大きくなっていく。

「私もイベント未経験の頃は同じような事を思っていたけど、いざ出店してみたら沢山の人が自分の本を手に取ってくれて、直接感想も聞けて本当に嬉しかったの。お金を払ってでもみちるさんの本が欲しいと思ったからファンの人は声をあげてくれたのよ?その声に応えてあげてもいいんじゃない?」

「……でも」

「因みに、もうこの即売会には出店申し込みしてあるからね」

「えっ?」

「勝手なことしたって私も思ってるけど、こうでもしないとみちるさんイベント出ないでしょ?大事なのは、些細なきっかけと最初の一歩よ」


 製本準備やスケジュール調整はもちろん、当日も会場にお手伝いに行くから安心して。三戸さんはそんな台詞と共に楽しそうに微笑みながらネイルサロンへと出かけて行った。

 実際は、私だけで出店と言う訳ではなく、三戸さんとの合同出店のようなものらしい。一人だと不安だけど、三戸さんが居てくれるならやってみようかなと思った。この些細なきっかけを逃してはいけない気がするし、今の私にはこのきっかけがとても丁度良かった。これでもしかしたら、上手くいけば、会えるかもしれない。そんな淡いものを抱えながら帰りの電車の中で携帯画面をタップする。いつも私の作品を読んでくれる皆へ、あなたへ私からのお知らせを投稿する。


 どんな人なんだろう。

 いつも私の作品を読んでくれている人たちは、一体どんな人たちなのかな――。私は読者の皆のハンドルネームしか知らない。年齢も性別も住んでいる場所も声も顔も知らない。ネットを介して小説と言う世界で繋がっている私たちはちゃんと現実世界で会えるのかな……

 皆の夢や理想を壊してしまうかもしれない。そんな不安が無い訳ではない。私と言う存在が可視化することで小説の世界観を壊してしまうかもしれない。作者は作品よりも前に出ない方がいいのだろうか。一度降下し始めた思考は止まることなく、どんどんと暗く堕ちていく。私は普段、ネガティブな思考とはあまり縁がない。だけど、小説の内容やサイト運営に関していつになっても不安な部分があって、そこから自信を無くしてしまうことがある。きっと、私にとってココが何よりも大切で何よりも弱い場所。


【即売会楽しみです】

 さっき投稿したばかりのお知らせに沢山のリプライが届く。そこに書かれたメッセージひとつひとつが私の不安な気持ちを拭ってくれる。イベントに出る事を皆がこんなにも喜んでくれるなんて思わなかったから、本当に本当に嬉しくて頑張ってみようかなと微笑むことができた。

 「あっ……」

 届いたリプライへの返信が一通り終わったので、いいね欄を覗いてみると見慣れないアカウントがあった。あれ……これってもしかして……。白い封筒と便箋のシンプルな写真をアイコンにしているそのアカウントは、【いと】と表示されていた。きっと、きっとこれは絃さんだ――。直感的にそう思った私は、急いでそのアカウントのプロフィールページへ飛び、絃さんだと言う答え合わせを始めてしまった。

 ふと目にとまったいとさんの投稿は、「やっと読み終えました。」と言うとてもシンプルな文字と一冊の文庫本が写った写真だった。あっ、この小説、私も読んだことがある。出てくる言葉がとても綺麗で繊細な心理描写が印象的なお話だったからよく覚えている。確か、映画化もされて動員人数がその年一番多かったってニュースで見た気がする。

 少ない文字と無加工の写真が一枚だけの投稿は、とても淡泊だけど、それがとても貴方らしいなと思えて、無意識に左手を口元に運び小さく微笑んでしまった。あぁ、貴方はやっぱり絃さんだ。

 私がサイトを更新するといつもすぐ最新話の感想を送ってくれるのにSNSでは、一度もリプライやいいねを貰ったことがなかったから貴方は、そう言った類のものはやっていないんだと思っていたから驚いたけど、私は今、とても気分が良くご機嫌になってしまった。

 今までは、待っていることしかできなかったけど、これからは私から絃さんへ言葉を投げ掛けることができるのだから、今の私にとってこれ以上の朗報はない。それに普段、絃さんがどんなことを想い、どんなものに触れて何を感じているのか、それを知る事ができる。そう思うとSNSってなんて素晴らしいのだろうか。

 上がったままの口角を戻すことも忘れて携帯の画面を何度かスクロールし、【フォローする】と表示された箇所をそっとタップした。


 この一回のタップが私たちの関係を大きく変えるきっかけだった。

ずっと前に出会っていたのに、私たちは知り合うまでに時間が掛かり過ぎたね。

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拝啓、作者様 雪乃 直 @HM-FM-yukino

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