第4話 文字以外のあなた

 会えるチャンスがあるなら、貴女に会ってみたいと思ってしまった。


 日曜日の朝、目覚めはここ最近で一番と言えるくらいにとてもいい。確か昨日は、眠りにつく少しの間で好きと言う文字について思考を巡らせていた気がするけど、それが今となっては夢の中なのか現実だったのか曖昧になっている。特にはっきりさせないとモヤモヤする類のものではないので、「まぁ、いいか」と簡単に済ませることにした。

 何もかもシャットアウトしてベッドに埋もれに行ったせいで、昨日やるはずだった掃除と洗濯が何一つ手付かずのまま。まずはそれを早急に終わらせなければ、素晴らしい日曜日を迎えられない。


 寝室のカーテンは、陽の侵入を完全にお断りする仕様のものを選んでいるけれど、それでも少しの隙間から私の部屋へ侵入したそのあたたかい陽に引き寄せられるようにベッドから抜け出し、カーテンに手を伸ばす。

 カーテンの向こう側には、ため息が出るほど綺麗な空。そこには雲ひとつなく、まるで綺麗な水色の絵の具をすーっとそのまま空に塗ったようにどこまでも清々しく眩しい。空ってこんなに綺麗だったっけ。空がどれだけ綺麗かなんてその日の空模様とその人の感性次第で変わるだろうけど、今日のこの空を【綺麗】だと感じることができた自分の心になんだか嬉しく少しだけ安心する。

 きっと今日干した洗濯物は、いつもよりずっといい香りがするだろうなと思いながらお気に入りの柔軟剤と洗剤を投入して押し慣れたボタンに触れる。あとは任せたぞ、洗濯機くん。

 洗濯機って有難い。発明してくれた人と次々に便利な機能を開発してくれた方々、総じて文明の利器に感謝をしつつ、洗濯が終わるのを待っている間に軽い朝食を用意することにした。

 とは言え、そんなにお腹は空いていない気もする。だからと言って朝食を抜いてしまうのは不思議と罪悪感が駆けてくる。丁度いい何かが冷蔵庫にあっただろうかと記憶の棚を確認するけど、いまいち思いつかないし思い出せない。最悪、コーヒーとトーストで良いか、と選択肢が浮かんだところでとても丁度いい物を見つけた。

「それにしてもこの林檎真っ赤過ぎる」

 左手にある林檎を眺めながらに思う、今日の空といい、この林檎といい、今日はビビットだ。

 熟し過ぎているかもしれない真っ赤な林檎を手にしながらふと思う。私の最近の記憶の中に林檎を買った記憶なんてない。そして誰かに林檎を貰った記憶もない。あれ、もしかして酔った帰りに自分で買った?それなら記憶が無いのも納得できる。それに酔った帰りに林檎を買った理由も検討がつく。

 「はぁ……、みちるさんに影響され過ぎでしょ」

 確か、三日前にみちるさんがSNSに「リンゴがおいしい」と投稿していたのを私はしっかりと見た。これはあれだ、推しの作家が林檎を食べているから私も林檎を食べる!と言う酔っ払いの単純思考からの買い物だろう。自分の事とは言え、安易に想像できるその姿に頭が重くなる。

 さすがにちょっと私気持ち悪過ぎない?と自分に引いてしまう――


 うさぎの形にカットする可愛らしさは持ち合わせていないので、サッと切ってそのままキッチンに立ったままサッと食べる。余談だけど、皮には腸内環境を整える養分があるので、私は皮を剥かないで食べることを周りに推奨している。そして、果汁で手がベタつくのは嫌なので、フォークを使用して食べた。私は人より少しだけ綺麗好きだと言う自覚がある。でも、散々言われる潔癖症と言うものは認めていない。そんな言葉は耳に入らないし入れない。何故なら、私は複数人で同じ鍋を食べることが出来るから断じて潔癖症ではない。

 とは言え、温泉の大浴場には入らない、それはちょっと、無理。でも、学生時代のプール授業は入ります。消毒槽の絶対的安心感よ。

 この線引きは、過去一人として理解・共感してくれた人はいないので多数派になれないことは了承済みだし、私自身もうそんなに気にしていなかったりする。

 

 食べ終わったお皿とフォークを洗い、次いでにそのままシンクの掃除も済ませてからあまり汚れていないリビングの床掃除も終わらせる。そうすると自ら仕事が終わったことをピーという機械音でお知らせしてくれる洗濯機くんにタイミングがいい!と褒めてあげたくなった。

 上機嫌に洗いたての洗濯物を抱えながらベランダへ出て、相変わらず綺麗な水色の空に向かって干していく。

 洗濯物からはこれでもかと言う程に良い香りがする。あぁー、本当にこの柔軟剤良い香り。そう言えば、これって綺麗な女優さんがCM出てたなー、あの人もこの香りなのかな?そんなことを考えながら肺いっぱいに大好きな柔軟剤の香りを送りこんだ。ほのかに甘いローズは、くすぐったく微笑んでしまう香りね。このままこの香りに包まれていれば世界平和な気がする、と疲れた思考がチラつくが、またしても機械音が私にお知らせをしてくれた。

 数歩でリビングに戻り、ローテーブルの上から携帯を取り、通知画面を確認する。


「……そくばいかい?」

 えっ、即売会って何? えっ?

 みちるさんの新しいツイートをお知らせしてくれた携帯は、それ以上のことは教えてくれず、即売会が何なのか私には全く分からない。彼女のツイート自体【来月開催される即売会に参加することに致しました。】と淡泊なもので、他に情報が無い、無さすぎる。分からない……。

 混乱する頭をフルに稼働させて、文字から推測するに何かしらを販売する会なのだろうけど、もしかして前に言っていた小説の製本化が実現するの?端末よりも紙派、細かく言えば文庫本派の私としては、もしそうならば嬉しさで胸のざわつきが収まらない――

 その数分後、みちるさんがリツイートした即売会運営アカウントの詳細ツイートで先程までの混乱はあっけなく解決した。サークルや個人問わず、同人誌を作成している方達が出店して文字通り製作物の販売を行う催しものだった。

「ってことは、やっぱりみちるさん本作るんだ……」

 欲しい。彼女の小説はずっと本にならないかと心待ちにしていたんだから、絶対に欲しい。それに貴女に会えるかもしれないと勝手な期待が一人先を歩く。

 会いたい、でも、会いたくない――

 会って直接感想を伝えたいのに、会ってしまえばきっと上手く想いを言葉にできなくなってしまう。変な奴だと思われるくらいなら、今までみたいにサイトに感想を送って済ませてしまう方が良いのかもしれない。それに、私は貴女に会える程の人間なのだろうか――

 会いたいってどきどきするけど、会いたいってこわい。


 不安になりながら即売会の開催日とスケジュール帳を照らし合わせてみれば、運よくその日は空欄だった。本当に会えるかもしれない。そう頭で再確認した途端、どきっと大きく胸の奥が跳ねた。あぁ、私は結局、みちるさんに会いたくて仕方がないんだ……。恋と言うにはまだ不確かだったそれを両手で掬ってみれば、微笑んでしまうほどにそれはもう恋だった。見失わないように今度はちゃんと胸にしまって大事にしよう。


 気付いてしまったこの恋を私はどう綴っていこうか。想いを優しく見つめながら貴女に贈りたい言葉を丁寧に丁寧に探し、いつもはキーボードで綴るそれを真っ白な紙とお気に入りのペンに持ち替えて、いつもよりゆっくりと書き始める。拝啓、作者様――


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