船出

 アノマリアは、キス魔というよりは、おしゃぶり魔だった。興奮すると何かを口に入れたくて仕方なくなる性質たちのようだ。


 ベッドシーツをしわくちゃに乱して背中を反らすたびに、陶然とうぜんと二階堂の指をむアノマリアの嬌態きょうたいが脳裏に焼き付いて離れない。あれが魔性ましょうというものなのだろう。


 それからひと月ほど経ち、ビヨンド号のバッテリーも、二階堂の気力もフルチャージとなった。


 ロンロンには黒水晶モーリオンがあり、二階堂にはアノマリアがいる。もうこれが人生のゴールでいいのではないだろうか、と思わせるほど充実した時間だった。


 アノマリアに、この世界のことを少しずつ教えてもらっていたわけだが、そのうち枕元でなければ質問に答えないという悪戯いたずらを彼女が始めたせいで、ピロートークでロンロンが必ず割って入ってくるという、謎の関係に落ち着いた三人。もうプライベートなんてあったものではない。他にも色々事件があったものの、すべてひっくるめて二階堂は堪能していた。これが異世界……。


 時間を享楽的に使ったわけではない。二階堂はその後、使用した資材の回収や、初めに撃墜されたドローンの残骸回収など、精力的に働いた。金属物資はこの螺鈿大地において特に貴重とのことなので、余さず取り戻した。


 そう考えると回収不能なガウスライフルの弾丸――エルジウムは二度と補給できない最重要物資と考えた方がいいだろう。弾薬はまだまだ十分あるが、撃ちまくってもいられない。


 この世界の宝石にはシャッターストーンと呼ばれる、武器や爆弾として使用できる特性がある。そこでそちらの積極的な利用を練習したりもした。


 ただやはりというべきか、シャッターストーンは楔石スフェーンという貴重宝石をぶつける必要があり、その入手も不安定なものなので勝手が悪く、不安が残る。


 そこで新たに二階堂が考案したのが、下の森に広がる毒ガスの応用だ。


 森の中をさ迷っていたアリやキノコは、毒ガスの影響を受けていなかった。あれはキノコ自体に秘密があると見て、アリの頭に生える冬虫夏草を収集し、ロンロンが分析した。


 解毒薬はあっさりとロンロンの手によって合成された。ワクチンのようなもので、摂取すると一定期間毒の影響を無視できるという優れものだ。


 そして森に漂う毒ガスも小型ボンベに収集すれば、ついには即席の毒ガス兵器の完成だ。例えば、蟻塚城に行くようなケースでは、この毒ガスを穴から注入してから突入する、などという反則まがいの攻略も可能となる。試してみたところ、効果はてきめん。殺虫剤ならぬ、殺ヴォイデンス剤だ。この毒ガスは生物も含めて見境無く殺すものであり、したがってこの毒ガス兵器は、ロンロン印の解毒薬がある二階堂達だけが扱える最終兵器リーサル・ウェポンとなるだろう。


「これはバレると規制を食らうレベルのバグ技だな」とはロンロンの弁。


「えげつねぇ……」とはアノマリアの弁だ。


 だが二階堂には悪びれた様子もない。


 掠りグレイズなんて、やってられるか。もう無駄死にはしたくはないのだ。生きて、やらなければならないことがある。


 他にも、アノマリアのアドバイスをもらって食用可能な植物の栽培も始めた。ビヨンド号の栽培室には今、謎の草がたくさん植わっている。この世界の草は、自ら動いたりするので気味が悪い。


 ――っていうかあれ、本当に植物なのか? 喋り出したりしないよな……?


「ブロッコリウム食べてれば、野草なんて食べなくてもお通じはバッチリなんスけどねぇ……」


 栽培室を興味深そうに探検していたアノマリアが言った。


「この歳になるとな、朝昼晩ハンバーグとブロッコリーだけだと気が滅入るんだよ。腹が重たすぎる。……生野菜、特に、ちょっと苦みの利いた山菜なんか、おひたしで食べたい。それはどうしてもだ」


 特に必要だと思われるのが、炭水化物だ。お米やパンがないと、二階堂はストレスであっという間に白髪まみれになるかも知れない。


 ビヨンド号周辺に米や小麦はさすがに無かった。ただこの先、人里では流通しているそうなので、そこまで行けばようやく炭水化物にもありつけそうだ。


 そんなことをしていれば、ひと月など、あっという間だった。


 アノマリアが語った中で、特に二階堂を驚かせたのが、太陽が存在しないという話だった。彼女にとって、太陽はお話の中でしか登場しない空飛ぶ架空の存在だった。


 ――無明むみょうの夜、闇を打ち払い、恐怖を溶かし、明日あすを照らして希望と共に現れる、輝ける未来。それは太陽と呼ばれ、心の中に在るとわれる。


 そんな言い伝えがあるそうだ。


 螺鈿大地には太陽がない。当然、月もない。


 では、この明るい空はいったいどういうことなのか?


 空の色は今、黄色い。〈山吹やまぶきの季〉と言うらしい。だがこの色は次々と変わっていく。次は〈若葉の季〉と呼ばれ、空が緑色になるそうだ。何故?


 それはアノマリア達ですら知らない。


 とんでもなく常識外れな話の数々を聞いて、二階堂の胸に湧き上がってきたのは、確信を伴った高揚感だった。


 この謎だらけの世界をビヨンド号が暴き、調べれば、アノマリアを救う手立てが必ず見つかる――。


 二階堂は回想をやめ、船長席から立ち上がった。


 ――どこか遠くの彼方かなたで、時の行進が始まる。どこか遠くの、現実の彼方。


 二階堂は歌の一節を鼻歌交じりに口ずさみながら、窓の外を見た。


 ビヨンド号の船長席の前には大きな円い窓がある。その向こう側には未知の螺鈿大地が広がっており、地上には明滅する宝石の光が散らばって、そして遠くに天高くそびえる螺鈿柱エヴァイアが見えていた。その窓に映ったのは自分の顔と、隣に立つアノマリア。


 地球から逃げ出してもうどれくらいになるのか。


 ここはあの宇宙から時間的に繋がっているのかも分からない、現実の彼方。


 二階堂は死ぬ。


 いずれ、このきらめく大地のどこかで。


 だが死に方はもう決めている。この命はアノマリアのために使い、そしてロンロンが満足するまで、とことん付き合うのだ。


 チカチカとまたたく宝石のような大地を眺めながら、二階堂は達観していた。彼は、このどこか遠くの彼方で、まるで物語の主人公のような生きざまを見出した。


「ほ、本当に飛ぶんスか……?」


 アノマリアはビヨンド号が空を飛ぶという話が、未だに半信半疑の様子だった。


 二階堂はそわそわと落ち着かないアノマリアを見て、今から最近やられっぱなしのこの女の度肝を抜けるのかと思うと、自分の功績では無いものの、心が躍った。


「――準備は?」


「完了した。〈ヒッグス・ドライバ〉はいつでも動かせる」


 ロンロンの報告を受け、二階堂は深呼吸した。


 船長らしく遠くに見える光の柱を指差せば、自然と笑みがこぼれ、昔から言ってみたかった台詞が口をついて出てくる。それは、あの日ワームホールに邪魔されて途切れたままだったひと言。


「ビヨンド号――発進っ‼ 目的地は、この世界の中心。螺鈿柱エヴァイア‼」


「アイアイサー、キャプテン」


 衝撃は突然来た。


 アノマリアの子供じみた歓声がビヨンド号の中にやかましく響き、二階堂は可笑おかしくなって意気揚々と笑った。


 螺鈿大地の色づく空に、真珠のように真っ白な球体が浮かび上がる。


(完)




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき


ここまで読んで下さった皆様。

私のつたない文章にお付き合いいただき誠にありがとうございました。


二階堂達のお話はいかがでしたか?


三人の旅はまだまだ続くのですが、ここから一歩踏み出すと、数年間書き続けないと終わらないくらいのボリュームがあることに気が付いたので、とても区切りがよかったここで、いったん筆を置こうと思います。


面白かった、もっと読みたい、など思っていただけたら、感想や評価等いただけると大変励みになります。お待ちしております。


作者が調子に乗ると、(完)が(一部了)に変わるかも……?


今後の連載などに関しては近況報告にて。


それでは次の作品でもお会い出来ることを祈って。


(c) 赤だしお味噌、2020年6月末日。




以下宣伝。


「黒猫探偵は翔る。夢見る宝石を追って」連載中です。


本作の世界と同じ舞台となっており、コメディ色が強い作品です。

主人公の癖が強いのでアレですが、興味があればぜひ!

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アラフォーおじさま、おーじさまになる ~宇宙船ごと異世界転移。ゲーム脳AIと一緒に異世界ハードサバイバル~ 赤だしお味噌 @graycat

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