最終話 夜明けと最後の物語
僕が主電源を切られた状態から動けたのは、メインスイッチの他にもう一つ、スイッチがあったからだ。それは、ライセンス認証をされたロボットを非常時に起動させるというもので、大国の地震のあとに設計された。設計したのは人工知能だ。
一方で、人工知能は、ロボットを改善したのに人間のことは改善しなかった。学校で災害のことを教える、建物を耐震構造にする、などの対策を取らなかったのは、労働者に対する差別を『現状維持』したからで、結果、現状はあっさりと崩れてしまった。
アミリの余命を計算しているとき、省エネルギーのために記述は控えたが、『悲しい』という言葉の群れが波のように押し寄せてきた。
大国の意思を尊び、災害による被害を度外視した人工知能と違って、この頭はなんの躊躇いもなく現実を予測する。
アミリは日に日に弱っていき、いずれ、動かなくなる。身体は徐々に体温を失い、細い腕はだらりと地面に落ちて、茶色がかった瞳は二度と僕を映さない。何度夜と朝を繰り返しても、彼女が僕の名前を呼ぶことは永遠にない。
「ねえ、トウマ」
「なんですか? アミリ」
僕たちはいま、暗闇に包まれた街を、手をつないで歩いていた。僕の目には周辺の瓦礫とその隙間から見える人間の一部が鮮明に映っていたが、アミリにはなにも見えていないはずだ。彼女が目視できるのは、夜空の輝きと僕の姿だけだろう。
「空、きれいだね」
アミリはいつかのように頭上を見上げて言った。真っ黒な空には、無数の星々が散りばめられていた。地上に、星を隠す明かりはもうないので、とてもよく見えている。
「あの空の向こうに宇宙があるんだね」
「そうです」
頷いてから、左目だけを動かして隣の少女を見つめた。
あと何日間、彼女の横顔を目に映せるかを、僕は知っている。夜空を瞳に映す、数字では表現しえないアミリの横顔を記述するための言葉が、次々と現れた。
『絶望』『感動』『諦観』『希望』『不幸』
どれも違う気がする。
目を開けたまま、考え続けた。
月が夜明けとともに透けていく、あの瞬間。
そこにあったものが徐々になくなって……手の届かないところへ消えていく、あの瞬間が頭をよぎる。
そう、
彼女の横顔は、『儚い』。
生きているアミリは、とても、『儚い』。
「これから、どうしますか」
「どうしようか」
空に向かってアミリはつぶやいた。
二人分の足音が続いたあとで、彼女は僕の手を握り直し、言った。
「なにか、お話をしてほしい」
「どのような内容のお話がいいですか?」
アミリは考えているようだった。僕は待機した。
「そうだ」
やがて、彼女は口を開いた。
「トウマのことをお話してほしい」
「僕のことですか?」
こくりと頷いて、続きを話す。
「トウマがどんなことを考えながら生きてきたのか、どんなことになにを感じて毎日を過ごしてきたのかを、話してほしい」
数字では表現しえないものばかりで、すぐに返事ができなかった。
「だめかな」
「……、いいえ」
きっと、うまくは語れない。期待外れなことを言ってしまうかもしれない。でも、アミリの横顔を描写するときのように、彼女が夜空の向こうの世界に思いをはせるように……、無数に散りばめられた言葉の向こうを見つめることはできる。
「長いお話になります」
「いいよ。私、物語みたいに長いお話、好き」
そう言って、アミリはやっと柔らかく微笑んだ。
「そうでしたね」
僕は応じて、バッテリーの残量を確認した。
できるだけ長く語り続けるために、そろそろ日記を終わらせた方がよさそうだ。文章を記述することで消費されるエネルギーを、残りの日々に使いたい。
「では、アミリの手首に巻かれた日のことから順に話します」
「うん。……あ、夜明けだ」
遠くの闇に、光が差し込む。
僕はそれを見つめながら、二人が生きた膨大な記録と、言葉のなかに飛び込んだ。
終
夜明けと最後の物語 シラス @04903ka7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます