第12話 私のそばにいて

『……なんか、揺れてない?』

 工場長が机に手をついて、部屋を見渡す。アミリがわずかに顔を上げた。

 揺れは急に大きくなって、机からパソコンが転げ落ちた。工場長が悲鳴をあげて、その場に膝をつく。ほぼ同時に、ミチハルが素早く動いて彼女に上に覆いかぶさった。そして、

『地震です!』

 穏やかな口調を一変させて、そう、鋭い声で叫んだ。しかし、物が散乱する音でほとんどかき消された。

 アミリのすぐ横に、棚の上の備品が落ちて、床で壊れる。

 それが動きを止める前に、僕は、立ち上がった。

 ここにある僕の知能は、吸い取られるように転送され、一瞬の暗闇のあとで、身体にかかる重力を感じた。

「アミリ!」

 僕の声をきくなり、彼女はすぐに顔をこちらに向けた。

「トウマ……?」

 椅子に縛られて動けないアミリの上に、僕は覆いかぶさった。しっかりと身体を包みたかったが、右腕がないので左腕で頭を守った。

縦に激しく揺れる建物は、あちこちで危険な音がした。安定しない視界のなかで、僕はアミリのことだけを考えた。

 やがて、天井が崩落した。

 僕の背中に破片がぱらぱらと落ち、すぐ横で、ぐしゃりと、なにかが潰されたような音がした。

 まだ機能する左目でそれを見ると、緑色のオイルと赤い血の混合物が、僕たちの方に流れ始めていた。僕は、なにも言わずにアミリの視界を手で覆った。

 直下型の揺れは、微弱なものも含めると三十秒ほど続いた。

「大丈夫ですか」

 揺れが収まってから身体を起こすと、周囲は、僕の右腕のように、中身がむき出しになった大小さまざまなコンクリートの瓦礫で埋め尽くされていた。それが工場を構成していたものだと気づくのに時間はかからなかった。

「大丈夫……」

 アミリが、ゆっくりと身体を起こす。僕は左手と口で彼女を拘束していた透明のバンドを引きちぎり、黒いウェアラブル端末も壊して外した。彼女と繋がれていた椅子は、コンクリートに潰されたのか一部がひしゃげていた。

 砂塵を吸い込み、アミリがせき込んだ。その横で、僕は、周囲の生体反応がものすごいスピードで消えていくのを感知した。

「いま……なにが起こったの」

 呆然と辺りを見渡す彼女に、地震が発生したことを伝えたが、理解が及ばなかったらしい。この地方で、これほどの規模のものが起こったのはおよそ六百年ぶりだったし、学校では教わらなかったので、ぴんとこないのだろう。

「大国が滅んだという話を覚えていますか」

 アミリがこくりと頷いたので、僕は続けた。

「あのときと同じことが、この国でも起こったのです」

「え……?」

 大きく目を開いて、僕を見た。

「じゃあ、この国はもう……」

 サーバーがダウンしたのか急に情報が入ってこなくなったので、正確な予測ができなかった。でも、最低限の食料しか生産されていないこの国で、一体どれだけの人が助かるだろう。

 震える声でアミリが言った。

「助かった人は、他に、いないの?」

「計算してみます」

 手元にある情報から推測をした。

 この時間帯、人々のほとんどは自分の部屋にいただろう。脆い作りのアパートは積み木の家のように、あっさりと崩れたに違いない。僕たちも、本当ならあそこにいるはずだった。

 計算が完了した。『ほとんど生きていない』という結果が、僕のなかではじき出された。それはこの国がじきに滅ぶことも示していた。

 どう伝えようか考えていると、隣でアミリが立ち上がった。彼女の服に付着した灰色の砂が、ぱらぱらと落ちた。

「……」

 僕も立ち上がって、周囲を見渡した。真っ暗な空の下で、大きく割けた道路。あらゆる方向に倒れた金属の柱。地面を埋め尽くすほどの瓦礫。高い建物は一つもない。あの瓦礫の下に、何人もの人が、埋まっている。

 風が方々の砂を舞い上がらせた。

「どうして、私は生きているのかな」

 音の消えた街に向かって、彼女はつぶやいた。

 僕は答える。

「ほぼ、奇跡です」

「奇跡」

「はい」

 アミリの頬に、涙が伝った。

「奇跡って、もっと、幸せなものだと思ってた」

「……」

 彼女の気持ちを理解することはできなかったが、アミリがいま、生きて僕の隣にいることと、僕が壊れずに彼女の隣にいることはまぎれもなく奇跡だった。幸運、と言い換えることもできる。数字では求められない確率の上に、僕たちはいま、立っているのだ。

「僕は、アミリが生きていてよかったと思います」

 彼女の背後で、生成された文章をそのまま声に出した。アミリはしばらく涙を流し続けていた。その背中を抱きしめるための腕が、僕にはもうなかった。

「トウマ」

 泣き止んでから、アミリは振り返って僕に近づいた。目線を合わせるために膝を落とすと、彼女は腕を失った右の肩に頭を乗せ、右目からこぼれたオイルを指で撫でるように拭った。

「痛かったよね。ごめんね」

 そんなことはないと答えようとして、僕は、腕時計のなかできいた悲鳴を思い出した。あれが僕の声だったとしたら、僕は一体なにに叫んでいたのだろう。

 それに答えるように、僕の一部が言葉を生成する。

「アミリの悲しむ姿は、もう見たくありません」

 もう一度口にする。

「見たくありません」

「……」

 アミリは無言で僕の頭を抱きしめて、囁いた。

「じゃあ、私のそばにいて。どこにもいかないで」

 人間そっくりな僕の身体に心臓の音が伝う。

 返答する前に、彼女があと何日生存できるかを計算した。それから、僕のバッテリーがあと何日もつのかを確認した。

「わかりました」

 結果がはじき出されるのと同時に、左腕を彼女の背中に回した。

 耳元で、ありがとう、ときこえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る