第五十六話

 パラパラと乖離かいりする結界の破片がまるで水晶のように月光を反射する。

 そんな中でもひたすらに火花は散り金属音は鳴り止まない。

 一度こうなってしまった以上結界は決壊するしかない。

 この結界の維持をするよりも一回り大きな結界を作るほうがまだ楽だろう。


「――またやっておるのか」


 不覚にもその美しい光景に心を奪われていると背後の空間が捻れるような感覚がしたのと同時に声が響く。


「どうしたの、アマちゃん」


 そこにはどうにも眠そうな顔をした一人の女神が立っていた。


「どうしたの? ではないのじゃ、正直妾は今安心したと同時に呆れておる」


 どうして止めなかった、と言わんばかりの表情でアマちゃんは私の顔を覗き込む。


「勘弁してくれ、止められるようなものならとっくに止めてる。そもそも止められたらここまでの状態になっていないだろうよ」


 ここまでの状況になったのに時間がかかっていれば私が止めることだって容易だった。ただ今回ここまでの状況になったのは一瞬だ、正しく止める間もなく結界は崩壊した。


「じゃがのぉ、予想くらいできたのではないか?」


「……ノーコメントで」


 正直なところ完全に忘れていた。如何せん英蘭がここに来たのは今から50年位も前のことだ。例え人であっても仙人であっても半世紀以上も前のことなんて意識しなければ忘れてしまうのは当然ではないだろうか。記憶なんてただでさえ整理が面倒くさいのだ。あればあるだけ積み重なっていくのにその実体はないのだから。


「はぁ、お主は風鈴に甘すぎじゃ――ほぉ、しかし、この状況はどうするのじゃ」


 空を見上げたアマちゃんは月夜に輝く結界の破片に感嘆の声を漏らしながらそう続ける。


「まぁ、そのうち収まると思うから、そこまで問題視しなくても大丈夫なんじゃないかな」


「別にそこに関しては何とも思っていないのじゃ。いざとなればお主だって動くじゃろ。妾が心配しておるのは現界にここの存在が漏洩することじゃ」


 まぁ、確かにここは現界には存在しない場所なのは理解している。この場所あるいは私のような存在がいるということは今の現代社会にどのような影響を与えるのかというのも少なからず感覚では理解している。


「とはいえ、だよ。ここには特段何かがあるというわけでもない。ただ鬱蒼とした森林の中の一角でしかない。技術の発展で宇宙そらには人工衛星が飛んでいたとしても見つけられる確率は正直かなり低いでしょ」


 それに、たかが山奥にある古びた屋敷でしかない。どこかのテレビ番組でもない限り気にも止めないだろう。怪しいとは思ったとしても自ら危険を冒して来ようとはしないのは人間の心理だ。


「……危機感が足りないのか面倒くさがりなのか、あるいは両方なのか。お主は人類のもつ貪欲なまでの探求心を忘れたわけではないじゃろ。仮にもここが衛星写真に写ったのなら――」


 手をひらひらと振ってアマちゃんの言葉を遮る。


「分かってるって、これでも私は人間だよ。それにこれだけ生きていても私はまだいろいろなことを求めている。ある種私達の存在そのものが探求心の塊といっても過言ではない、それに私は面倒くさがりではないぞ」


 これでも私はやることはやる、私だってそれなりの危機感を持っている。自らの存在の重要性と危険性は今までの時代の中で心得ている。ただ、今回は私よりも前に動いた神物じんぶつがいたというだけだ。


「はぁ、お主はいつまでたってもお主じゃの。しかし、ここでただ待っているというのも暇であろう。ほらこれを一緒に飲むのじゃ」


 再び空間が歪曲したかと思うとアマちゃんの手には一升瓶とさかずきが二つお盆に乗っている。準備がいいというか従者が優秀というか、嬉しいけれどなんとも複雑である。


「満月の光に照らされて輝く結界の破片を眺めながらお酒を飲む機会なんて今後あるとも言い切れん、なんとも乙なものじゃ」


 たまに見せるアマテラスのこの横顔、美しくも儚く、どこか寂し気なこの表情を次に見るのは一体いつになるのだろうか。


「さぁ、今夜は寝かせないのじゃ。ほれ、早くするのじゃこの時は一瞬なのじゃ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巫女の仕事は楽じゃない!? 翠恋 暁 @Taroyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ